老残記

 1月半ばから二月初頭にかけて、20歳になった孫娘と過ごすことが多かった。一緒に広島に帰省したり、彼女が大学での課題を消化するために我が家に泊まり込みで継続して滞在していたからだ。

 ほぼ一日中同じ部屋(居間)でそれぞれパソコンに向かうことが多かったわけだが、そこで老妻との二人の生活では気かなかったことを認識させられて、自らの老化現象を再確認させられてしまった。

 第一に、匂いへの感覚である。若い娘に較べ、老人の嗅覚が妻ともどもかなり衰えていることが色々の場面で判明。トイレに薬剤を撒いておいたら、私には全然薬品臭は臭わないのに、目ざとく気づくのである。もっともこの孫娘はどこでどう間違ったのか、思春期以来魚類はいっさい受け付けない体質になってしまっているので、特殊すぎるのかもしれないと思わないでもないが、老人の嗅覚が確実に衰退していることは疑うべくもない。

 第二に、耳の中がかゆいので、私がよく黒綿棒を突っ込んでいるのを見て、耳のかゆみをとる「ムヒ」なる商品があることを教えてくれたのも孫娘だった。早速購入してこれつけるとちょっとひんやりするだけで、私の場合やっぱり綿棒でぬぐい取る結果になるのでそう効果的ではなかったが。年取ってから耳の裏のねっとりした分泌物に自覚的に気付いている身からすると、この内外の現象は一連のものと素人考えしている。

 第三に、ここ五年で私の歯がガタガタになってきているのだが(奥歯が一本抜けたせいで、歯と歯の間が開いてきたのが原因かと)、したがって食事の後に私は無意識に口の中の掃除をして、ちゅうちゅうと音をたてていることを、孫娘に指摘されてしまった。妻はすでに聴力が衰えていることもあり(別説では夫にまったく関心を持たなくなっているせいだとの有力仮説もある)、これまで何の指摘もされていなかったことで、恥ずかしくもあったが、ありがたい指摘だった。孫娘は、家の中ではともかく、新幹線の中でもやっていたので、これは周囲の人に不快感を与えるだろうから、やめたほうがいい、と。

 それにしても、朝起きたときの口中の不快感は半端でない。唾液の分泌が激減しているせいだろう。

 妻には歯医者に行けとかいわれてしまったのだが、私は最近、長寿のあげく痴呆症になって死んでいくよりも、そうなる以前に病気にかかって死ぬという伝統的死に様を選択しようと考え出しているので、そのための第一段階は歯の治療をしないことだと思い定め、あと健康診断を受けないことでガンなんかが発症したらすでに末期だった、という段取を構想しているので、却下なのである。しかし、歯のちゅうちゅうは、ここ数年、知らず知らずやって来た習慣であるので、その修正はなかなか困難なはずだ。その第一歩は食後の歯磨き実践だろうか。

 しかし彼女にしたところで、言うのを憚っていることがまだまだあるのだろうが、私としては言ってもらったほうがいいのはいうまでもない。それが諦められたら、もう人間としておしまいなんだろうなと思っている。

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