漫画『はだしのゲン』

 たしかにこの作品についてこれまでもさまざまな論争があったが、こともあろうに広島市教育委員会が「被爆の実相に迫りにくいと判断した」としてこれまで平和教育の補助教材に採用してきたものを、他と差し替えてはずすことにきめたそうな:https://ml.asahi.com/p/000004c215/18771/body/pc.html。なんたらサミット前のお掃除だなどと思いたくはないが、現に進行中のウクライナで庶民が直面している惨状は、75年前の日本空襲と寸分違わない現実であるにもかかわらず、リアルを伝えるはずのマスコミが率先自主規制に走って映像での実相隠しも常態化している中で、なにが真実を伝ええる素材なのかと考えざるをえない。

 そもそもこれまで採用されていた箇所「コイを盗む場面」なんか、原爆の「実相」としてけっして適切とは思えないものを教材にしてきた挙げ句の決定のようだ。

 たしかに荒々しい筆致で過激な文言も見受けられるが、漫画とはいえ、否、漫画であればこそ『はだしのゲン』は強烈な情報発信源だった。今風にいえば、写真ではなく漫画だから許されてきたこともたしかだろう。その被爆の「実相」箇所を「子供には残酷すぎる」とあらかじめ排除してきての言い草には何をか言わんや、といいたくもなるが、そこにはそれなりの苦渋の選択があったのだろう。周辺部分で今だと問題視される差別用語も遠慮会釈なく出てくるが、それが当時は普通だった、そう思っていた(思わされていた)、というあたり教師なり大人の解説と是正が必要なこともいうまでもない。庶民の大人が言い放っていた言葉を当時の少年(作者・中沢啓治)がストレートにそう聞き取っていたという話なのである。

 図書室には全10巻+がまだ設置されているはずであるが、子供は指摘されなければ関心も持たないものだ。我が家の書架にも目立つ場所に関連戦争漫画を含めてずっと置いてあったのだが、練馬そだちの孫たちは読もうともしなかった。東京には東京大空襲という立派な歴史教材があるが、そこから拡げて広島原爆に普通の子供の関心は及ばないのが現実である。

 20歳になった孫娘を伴っての先月の帰広の際は、広島平和記念資料館(通称・原爆資料館)と国立のほうにも連れて行った。孫は前者には私の二倍時間をかけて見学していたけれど、だからとりあえずどうだということでもないわけで。各人各様の内的発酵を期するしかないと思っている。

 私が子供のときは、8/6は一家そろってラジオやTVの前に正座して平和公園の式典を見聞きしていた。そういえば、父は祝日には門前に必ず国旗を掲揚していた(当時の家の玄関にはそれ用の筒も設置されていたし)。私の世代になってそういう習慣を私は家族に強要することはしなかったので、まったく消え去ってしまった。私の心の中にはそれなりにヒロシマ・ゲンバクへの思いはあるのだが、それだけでは次世代・次々世代には伝わりようもないわけだ。となれば、素材はともかくも、それを扱う・採用するかどうかを含めての、大人・教師の自覚と感性によるものだ、ということになりそうな。

【追記】2023/2/18の「中国新聞ニュースレター(朝)」(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/272184?utm_source=mail&utm_medium=letter_asa&utm_campaign=letter_asa)に、教材箇所の画像3枚を含めて以下が掲載された。「はだしのゲン「漫画だから伝わるのに」:広島市の平和教材から削除に疑問の声続々」。ここでは末尾の作者の妻の言を転載しておく。「<原作者の故中沢啓治さんの妻ミサヨさん(80)の話> 夫は原爆の恐ろしさを自分の体験を通じ、子どもたちに分かるように描いてきた。今の時代に合わないなら仕方ないが、作品を読むきっかけが失われるのが残念。ゲンはコイを盗みたくて盗むのではない。母親を助けたいという思いが強い。それが分かりにくいなら他の場面を使えばいい。何がいけないか、市教委から詳しく理由を聞きたい。」

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