というのは、昨年の三月に京大で開催された九大の堀教授の科研での国際小シンポジウムで、オクスフォード大学のジャネット・ディレーンJanet DeLaine博士の「オスティアの街角にみる聖なるお守りたち」Seeking Divine Protection in the Streets of Ostiaの中で、これまでオスティア遺跡で帝国西部の神格のイメージは皆無だったはずが、突如エポナ女神を描いた平板reliefが登場したことに、私はおおげさでなく驚愕したことがあったからである。
しかし、これはEric Taylor編集のHP「Ostia:Harbour City of Ancient Rome」 の「Terracotta objects」の中にすでに「E27317」として登録ずみのものだったことをあとから知ったので(https://www.ostia-antica.org/vmuseum/small_3.htm)、当方の調査不足にすぎなかったのだが。ディレーン女史は、この平板の元来の設置場所を、Caseggiato di Annio (III,XIV,4)の一番右側の空の枠内だったと想定している。下図がそれである。
Relief of Epona between two horses. Guida p. 97. Museo Ostiense. Inv. 3344.
2015年の冬、オスティア調査の合間を縫って一日フォロ・ロマーノを再訪し歩き回った。ウェスタ神殿の南の、いつもは閉まっている「40人殉教者礼拝堂」Oratorio di XL Martyres(地図番号12付近)が開いていたので、こりゃ見逃せないと突入した。そこには中世の壁画があって、そこを拝見して出てひょいと左側を見ると30年間ずっと閉鎖され続けていたSanta Maria Antiqua教会(翌年公開された)の入り口をふさいで「MOSTRA / LA RAMPA / IMPERIALE / 20 OTTOBRE 2015-10 GENNAIO 2016」と書かれた目立たない白い立て看が目に入った。その時は意味もわからず4か月限定で何があるんだろうと歩み寄ると、その前で東西を走る通路に出て、目と鼻の先の東の端はパラティヌスの宮殿の丘に接して行き止まりで巨大な円筒型天井の構造物が。そこの右にガラス張りの入り口があって、番人もおらず中に入る。
Santa Maria Antiqua教会は9の先の1−5;6がRampa正面左が「8」のOratorio di XL Martyres:その背後右上がRampaを登り切ったところの展望台正面が「9」への入り口:その前を左に向かうと「6」への入り口
関係断面図入り口から通路を見る:壁を隔てて左側の部屋は出土遺物展示室、右側がSanta Maria Antiqua教会最初の綴れ折:右が上への坂道2つ目の綴れ折3つ目の綴れ折上空からのRampaの眺望:左上が展望台とパラティヌス丘の地面、右の奥まった建物がSanta Maria Antiqua教会展望台での西から北の眺望:左手前のギリシア十字型の屋根がOratorio di XL Martyres
壁沿いに溝が走って暗渠の中、すなわちトイレへと水を導く仕組みになっている遺物の現況:この箇所は、現状までに幾度か改修されている:以下の写真や復元図は、a cura di Patrizia Fortini, La rampa imperiale:scavi e restauri tra foro romano e palatino, Electa, 2015, p.91-99. 正面奥の平石2枚はトイレの足台:上部構造は残っていない。
これ以降、渡伊の折に毎回訪れているが、Santa Maria Antiquaともどもずっと公開されていた(但し、公開初年の2016年にはレザー光線での3D映像などあったが、それはない)。しかし2019年夏、入場券売り場でそれらの見学も可能のはずの「Pass Super」を購入したのだが、なぜかタッチの差で見学が叶わなかった。午後は駄目になったのであろうか。