4/9発注本、ようやくのご到着

 インターネットで古書販売のAbeBooksに発注していた本が一冊ようやく届いた。そもそもの到着日に関しては以下のように書いてあって、早くて5月半ば、遅くても6月上旬だったはずが、でも平常だとこの数字より早く着くのがいつものことだったが、コロナ騒ぎのせいでそれよりも余分に20日遅れたわけだ。

Estimated Delivery Date: June 3, 2020 
Approximate Shipping Speed: 21 - 36 business days

 1996年出版の疫病関係の書籍で、価格が4.60ドルで送料が9.00ドル。目次を見たら、本文220ページ中、私に必要なのはとりあえず8ページだけ。こんなの国内大学図書館にあれば(ないから海外発注した)、まあ今回の半額以下でコピーがとれるのに、と思ってしまう。しかも、すでに当面の関心は別に移動しちゃっているので、読むのはいつになることやら、だ。

 その前後で海外発注した数冊の本、いつ届くことやら。なにもかも、一件以来宅配便は遅れがちであるが、まあこれまでが無用に早かったともいえるので、これでいい気がする。

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ニコメディア出土のレリーフ:遅報(41)

 小アジア半島の北西端に位置するニコメディア(現在名イズミット)は、テトラルキア体制の上級正帝ディオクレティアヌスが自らの都に定めた場所であるが、なぜかこれまでめぼしい遺跡に恵まれず、他の諸皇帝の首都(トリーア、ミラノ、シルミウムないしテッサロニカ)に比べて、もの足らないものがあった。21世紀に入り、市内中心部のチュクルビク地区のビル解体時に地下に眠っていた遺跡が発見され、2度(2001,2009年)の緊急発掘にめぐまれ、そこからかつての煌びやかな帝都にふさわしいディオクレティアヌス時代の多色レリーフや立像が出土した。ニコメディアはかの時代、大理石の集散地で、主としてマルマラ海に浮かぶプロコンネソス島産や、ニコメディアの南東200kmのフリュギア地方のドキミオン産大理石を扱っていたが、今般の出土品はプロコネンソス産。出土品はレリーフ30以上、少なくとも4体の巨像の諸断片、1ダースほどの建築資材であった由。

右平面図の黄土色が、ビルに取り巻かれた発掘地点で、黒点箇所からレリーフが発見された:まず下方、次いで上方、だったのだろう

 まだ悉皆的な紹介・報告はなされていないようだが、もっぱら報道され目を奪うのは、何らかの歴史的場面を描いた諸レリーフで、軍事遠征、戦闘、捕虜の移送、凱旋式、将軍たちの会合が描かれていた(といっても、公表されているのは、ここで示したものに限られている)。ヘラクレス、アテネ、ローマ、ニケないしウィクトリアといった神々は持物(「じぶつ」と読む)によって容易に判別可能で、また、剣闘士競技、戦車競走、劇場での演劇など、ニコメディアの人々の日常生活も描かれている由。いずれも完品の出土ではないが、部分的に着色がまだ残っているほど保存状態は良好である(劣化を防ぐため保存処理中で、現在非公開)。私の印象では、人物の描き方が後期帝国に顕著な静的で冷厳な様式からはかけ離れていて、むしろ帝国東部の緻密で繊細なモザイク表現に似かよった親しみやすささえ感じてしまう。たとえが変かもしれないが、肩肘張らず一本力が抜けた感じの造形なのだ。

入城式adventusでの、中央に女神ローマ座像、手に女神ニケ像、左右両端はトガ姿の市民たちか(少年もいる)

 2001年の発掘をもとに当初は、後2世紀末のセプティミウス・セウェルス帝関係の戦勝記念物と想定されたが、2009年の発掘結果により、ディオクレティアヌス時代がらみ(後284-330年の間)の戦勝記念物で、ただ、幾つかのレリーフはより以前の建造物の再利用や奪取spoliaによるせいで、より以前の表現形式が見られる、と分析された。注目すべきは、幾つかのレリーフがテトラルキア時代の芸術で基本となるモチーフが表現されていることで、その代表例が以下である。これは2009年に発見されたレリーフで、中央にひときわ大きく二名の人物が描かれており、彼らは、玉座が設えられた4頭立4輪馬車carrucaから降りて歩み寄り抱擁しているので、この二人をディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス帝と特定して同定することも可能であろう。ならば、テトラルキア以前の二皇帝diarchia時代(後293年以前)の場面を表していることになる。となると、コンスタンティヌスのアーチ門(315年落成)に先立つこと20数年前、テッサロニカのガレリウス凱旋門(303年落成)に先行することわずか10年ほどの作ということになり、必然的にそれらとの比較が可能となるはずである。とりわけ風雪で摩滅が甚だしいガレリウス凱旋門上のレリーフの復元の参考になるであろう(ここでは詳しく触れないが、同時代の画像として、エジプトのLuxor神殿内のフレスコ画、スペインはCentcellesの天井モザイク画、シシリー島のVilla Romana del Casaleの床モザイク等との比較研究は心躍るものがある。これらのいずれについても現地訪問も果たしているのだが。問題は私に残された時間である・・・)。

1枚のレリーフはおおむね高さ1m、幅1.5m

 ところで、これがなぜディオクレティアヌス時代の基本的モチーフなのかというと、以下のヴェネツィアのサン・マルコ聖堂前の四帝立像や、ヴァチカン図書館所蔵の二帝立像(いずれも紫斑岩製)がどちらも抱擁の挨拶を交わしていて、それによりテトラルキア体制でのスローガン「一致 concordia・一様 similitudo・友愛 fraternitas」が強調されているからである。この件は貨幣その他のデザインとも通底しており、いずれ詳しく比較検討したいテーマではあるのだが、その時間が残されているかどうかは神のみぞ知るなので、ここでも興味深いネタが転がってますよと、若い後進にお知らせしておこうと思う。

左からヴェネツィア、ヴァチカン、ニコメディア:比較してみると、右端の緻密さは圧倒的だ

 なお、色彩が鮮やかに残っているので、発掘プロジェクト責任者のTuna Şare Ağtürk博士などは、建築後そう時を経ず、おそらく358年に当地を襲った大地震でこの記念建造物が破壊されてしまったのであろう、と想定している(http://archive.antiquity.ac.uk/projgall/sare346;https://www.jstor.org/stable/10.3764/aja.122.3.0411)。屋内の展示であればその仮説も可能かもしれない。私はそれ以上に、コンスタンティヌス王朝時代の意図的破壊や、コンスタンティノポリス建設材料に回されてしまった可能性ありかもと、想像しているがどうだろう。

Tuna Şare Ağtürk博士:生誕年不明

【参考図版】

① Luxor神殿内のフレスコ画:

② Centcellesの天井モザイク画:https://www.mnat.cat/en/monumental-complex-of-centcelles/

上図のように四人の玉座が描かれている;下図での人物像表現にも注目したい

③ Villa Romana del Casaleの床モザイク:https://www.piazzaarmerina.org/villa-del-casale/la-villa-del-casale

皇帝と目されもする人物たち:左中央がマクシミアヌス、右中央がマクセンティウスと想定説あり

④ テッサロニカのガレリウス凱旋門:http://galeriuspalace.culture.gr/en/monuments/kamara/

上部中央のトガ姿の4名がテトラルキア・メンバー:中央着座の2名の左右に月桂冠を捧げる有翼のアモル
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世界キリスト教情報第1535信:2020/6/22

= 目 次 =      
▼米南部バプ連、175年で初の黒人理事長誕生      
▼メリアムウェブスター辞典が「人種差別」の語義変更へ      
▼人種差別抗議デモが米大統領選に影響必至、トランプ支持基盤に動揺も      
▼トルコ・アルメニア教会総主教、「アヤソフィアを礼拝堂に」      
▼ベネディクト16世がドイツへ、兄ゲオルグ神父見舞いに      
▼メディア宣教のパイオニア、ダン・ウッディング氏死去

 この通信は1週間毎に送られてくるが、どうも最近私にとって時間的に掲載速度が増している、ような気がしている。困ったものだ。

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秘史・朝鮮戦争で戦った日本人:飛耳長目(47)

 朝鮮戦争70年の特集がはじまったらしい。米兵が雑用係として大人はともかく、日本人の子供を連れて従軍し、戦闘行為にも参加させていたなんて 、もちろん私は知らなかった。が、雑務奴隷を帯同した古代ローマ軍兵士を考えてみてもありえることだと。よもや男色相手だったとは思いたくないが。https://my.mainichi.jp/articles/20200615/k00/00m/030/097000c;https://mainichi.jp/articles/20200615/k00/00m/030/083000c?cx_testId=95&cx_testVariant=cx_7&cx_artPos=3&cx_type=trend&cx_recsMode=trend&cx_testId=95&cx_placement=1000&cx_campaign=7#cxrecs_s

 スピルバーグ監督の1987年の映画「太陽の帝国 Empire of the Sun を思い出した。

【追記】そういえば、満州では投降日本軍の大量の武器がソ連軍から中国共産軍に渡って、それで蒋介石軍を叩けた、とか、帰国を諦めた捕囚日本兵も参戦したとか、これは東南アジアでも同様のことがあったとか、日本の教科書的正史では触れられない色んなことがあったようだ。

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拍手するよりカネをくれ!

 世界中で、医療従事者や消防士たちの奮闘に対して拍手する動きが出ていて、美談となっている。しかし表だってマスコミが触れないテーマが、彼らの低賃金である。どうもマスコミとは、そういう差別から結果的に目をそらしているようだ。ま、書けば賃金差別、職業差別、人種差別なんかに触れざるを得ないからだろう。イギリスのジョンソン首相が退院時に感謝を表明した看護師2名もニュージーランドとポルトガル出身の移住者だった(https://www.bbc.com/japanese/52266017)。彼の場合たまたま白人看護師だったのだろうか。それにしても「純ナマ」のイギリス人看護師はどこにいるのだろうか。また医療現場には多くの非熟練者が必要なことも忘れてはならない。

 首相が単純労働者で英語のできない移民の排斥論者だったことを忘れてしまっていいのだろうか(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53584040Z11C19A2FF1000/)。彼の目には、最も感染の恐れの高い汚物処理に従事している移民労働者の姿は入っていたのだろうか。そんな従業員のいない、社会的成功者のみが享受できる病院だったのだろうか。誰も教えてくれないので、私は何も知らない。

 私が知っているのは、死んだ母がお世話になっていた施設で、朝のおしめ交換に従事している人が、ほんと短期間で替わっていったことだ。一度だけ若い男性(もちろん日本人)だったことがあるが、1週間後にはもう姿を見なかった。

 日本人は民度が高いらしいから杞憂だと思うが、誤読する人がいるかもなので、書いておく。私は医療従事者たちに拍手するのが偽善だからやめろ、と言っているのではない。拍手で終わっていいわけないでしょ、と言っているのである。それは今でも年金生活者には高額に思える「介護保険料」のさらなる負担につながるだろう(先日、区から届いた本年度の私の所得段階は「8」だった)。懐にこたえるが仕方ない、と思っている。以下も参照。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2004/24/news024.html

1994年放映だから、もう26年前になるか
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歴史上の人物の実像:遅報(40)

 今から16年前の、2004年のNHK大河ドラマは三谷幸喜脚本の「新撰組!」で、主演の近藤勇に香取慎吾(当時27歳)、土方歳三に山本耕史(28歳)を配していた。私はどうしてこんな若僧が近藤や土方をやるのか最初全然理解できなかった。若いファンに媚びを売って視聴率を獲得する戦術なんだろうと思ったが、調べてみると、近藤は1834年生まれで満33歳で処刑死、土方は1835年生まれで34歳で戦死している。ついでに言うと、坂本龍馬は1836年生まれで31歳で暗殺されたが、これは知っていた(配役は37歳の江口洋介)。要するにそれまで年上の役者たち(片岡千恵蔵・嵐寛寿郎・三船敏郎・ビートたけしら、いずれもおおむね50歳以上:例外は栗塚旭29歳)が彼らを演じていたこと、それに近藤の恰幅のいい写真などの印象で、私のほうが誤ったイメージを持たされていたわけで、三谷の脚本が年齢という一点で史実に近いという斬新さに納得させられてしまった(勿論、他はフィクションだらけだったが)。

近藤32-4歳ごろ:土方33-4歳ごろ

 それで気になってちょっと彼らの身長をぐぐってみた。もちろん諸説ある。当時の日本男子の平均は158〜9cmのところ(どういう根拠で平均なのかは私には不明であるが)、近藤は164cm、土方は167cmで、平均よりはかなり高い。意外だったのが高杉晋作(1839年生まれ29歳で結核死)で、平均よりも小さかったようだ。どこかで読んだ記憶があるが、長い刀を引きずって歩いている感じだったらしい。下の左の写真でもつま先立ちで写っている。伊藤博文は158cmで、小柄とされていた勝海舟が156cm(別説では5尺=151.5cm:徳富蘇峰『蘇翁夢物語 わが交遊録』中公文庫;これじゃあ173.5 cmの福澤諭吉とははなからソリ合わないよね)。なので晋作もこのあたりかと。ただ、この数字、はたしてちょん髷での高さなのだろうか。そうだとすると、実際よりちょっとゲタ履かせていることになる。そして、高杉にしても勝にしても、目覚ましい胆力を発揮したのも小兵ゆえだったような気がしてくる。身体的劣等感をバネにして自分を大きく見せるためである。ちなみに、香取君は公称182cm、耕史君は179cm。

右の写真、中央が晋作、右が伊藤博文
咸臨丸乗船時:左から勝、赤松大三郎、小野友五郎

 いずれにせよ、こういったことが分かるのは近現代で写真や衣服といった身長想定が可能なブツが残っているからで、古代ローマ史となると、さてどうなることやら。ちなみにアウグストゥスは「背丈は低かった。もっとも解放奴隷で記録保管係ユリウス・マラトゥスは、5ペース9ウンキアあったと伝えているが」(スエトニウス「アウグストゥス」『ローマ皇帝伝』、II.79)との文書史料が残っている。即ち、公称で169.7cmということだが、どこまで信じていいのやらはなはだ心許ない。同書73ではご丁寧に「靴は実際よりも背を高く見せようと、心もち踵を高くしていた」とまで書かれているし。発掘結果から当時のゲルマン人の平均身長は172cmで、ローマ人のそれより約20cm高いという一般論を信じるなら、「背丈は低かった」とわざわざ明記されているので、せいぜい152cm程度の、そのうえ虚弱体質の持ち主だった(76-83)のが実際の所か。彼は、18歳でカエサル(54歳で暗殺死)の相続人・養子になったが、当時まったくの無名で、キケロ(62歳)やアントニヌス(38歳)たちに「小僧puer」「阿呆stupidus」呼ばわりされ相手にされず、またカエサルの遺産もアントニウスに奪取され、深く怨みを胸に刻み込み、のちにねちねちと冷酷な復讐に走る(10-16)。

若い時のアウグストゥス:いかにも神経質そうで根に持つタイプか

 他方でスッラやカエサルは180cmあったという数字もあるらしいが、私にはこっちも即座に同意しがたいのだ。後3世紀末の徴兵検査で、5ペース10ウンキア=172,3cmが記録されており、4・5世紀の徴兵検査でもそれが必要とされてたようだが(拙稿「<大迫害>直前のローマ帝国とキリスト教:殉教者伝叙述を中心として」『キリスト教史学』31, 1977, p.7)、この数字、私にはかなり高めの身長に思えてならない。ひょっとすると検査官がにたにた笑いながらこの数字を発することは「合格!」と同義語だったのかもしれないな、と最近考えるようになっている。

 日本人の某有名タレントは公称176cmだが、シークレットブーツ着用疑惑が囁かれ、並んだ写真の他との比較から168cmでは、との噂が絶えない(同じグループメンバーに、170mや165cmもいたのに、気にするのかあ)。あれだけ衆人環視の現代のタレントでさえ8cmさば読んで通用するのが事実なら、古代ローマ時代に兵士より頭ひとつ抜きんでた偉丈夫が英雄であれば、実際より大きな印象で捉えられることは十分ありえるからだ。

 実像と虚像、実際よりも大きく見せたい側と、そのウソを暴こうという側の攻防のはざまで、英雄という一点で思わず知らず虚像を受け入れて疑わないのが、私のような凡人の常であろう。現代の有権者は選挙で身長ある政治家を選ぶという一般論があるそうだ。興味ある人は以下をご覧あれ。ちなみに角栄は164cm。私にとって意外だったのは口をひん曲げてこましゃくれたイメージの麻生太郎が公称で175cmもあることでした(実際は4㎝短いという説あり)。https://ameblo.jp/take4648kish/entry-12397131197.html

 その後、山本五十六と米内光政がらみで面白いデータをみつけた。海軍士官は高身長でかっこいい人が多かったらしいが(狭い船内では短躯のほうがいいはずだが、士官は別か)、山本は159-160cmでそう高くなかった。米内は公称で180cmあったことになっているが、どうやら173cmくらいだったようだ。近衛文麿は180cm。

左、米内と山本;右、米内と中央が近衛
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世界キリスト教情報第1534信:2020/6/16

= 目 次 =      
▼米国務省が信教の自由に関する年次報告書、「中国の宗教弾圧激化」を批判      
▼米制服組トップが大統領の教会訪問同行を「間違いだった」と語る      
▼人種差別理由に『風と共に去りぬ』配信を米動画サービスが停止      
▼米抗議活動のメッセージ、収集する国立博物館学芸員      
▼ガーナ、国内制限緩和の第1段階開始      
▼フランシス・コリンズ氏にテンプルトン賞      
▼旧教徒らが聖書を教会スラヴ語からロシア語に初めて翻訳      
▼対ドイツ戦勝75年の祖国防衛たたえロシア軍主聖堂除幕      
▼コンピュータを聖書研究に使ったF・アンダースン氏死去

 時節柄、3番目を転載しておきます。

◎ 人種差別理由に『風と共に去りぬ』配信を米動画サービスが停止  
【CJC】世界各国で人種差別と警察の暴力に抗議するデモが拡大する中、動画配信サービス『HBOマックス』が6月9日、映画『風と共に去りぬ』をストリーミング配信のコンテンツから削除した、とAFP通信が取り上げている。  
 南北戦争を舞台にして1939年に公開された作品はアカデミー賞9部門を受賞した歴史的大作とされて来たが、奴隷が不満を言わず、また奴隷所有者が英雄のように描かれているという部分はこれまでも批判されてはいた。  
 『HBOマックス』は、歴史的背景に関する議論や説明を追加して配信を再開する予定だが、「差別は存在しなかった」と主張することになりかねない、と編集は行わない意向。□

 最近第2シリーズが始まったスーパー・ドラマTV「サバイバー:宿命の大統領」第3話で、奴隷制を容認した南部連合の英雄の銅像撤去問題で、黒人で長年人種差別と闘ってきた長老のデール牧師は、アメリカの暗黒の歴史を忘れるべきではないと、移動するのに反対する場面が。こうでなくちゃいけないよねと、懐の深さを感じさせてくれた意見だった。この第3回は、もう一つの話題で新型インフルエンザ発生も演じられ、なんだか予言めいた構成となって驚かされる。

 この番組、原題はDesignated Survivorで、直訳すると「指定生存者」。これは第1シリーズで劇中でそのままそう邦訳されていたが、題名ではどうして「宿命」になるのか、私には疑問。ラテン語で「consul designatus」というと、翌年執政官に就任が予定されている人物を意味していて、古代ローマ史ではまあ身近かな言葉なので、ちょっと気になっている。

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ツタンカーメン:遅報(39)

 専門外の著名な考古学的知見については、素人なので触れたくは無いのだが、先ほどBS4Kで「地球ドラマチック」「ツタンカーメン:財宝に刻まれたファラオの真実」(2018年フランス製作)の再放送をみて、びっくり。それよりちょっと前にこれも偶然見た再放送、たぶんBSプレミアムでの「探険!ツタンカーメン王墓」(2017/11/18放送)がCG技術を駆使して詳細に扱っていたのをみた後だったので、まあ、製作の時差が一年あるにしても、あれれと思わされてしまった。「探険!」の内容がもう古い感じなのだ。

王墓全体の透視CG画像

 核心はなにかというと、2018年のほうがなかなか興味深い話で、仏人研究者マルク・ガボルド博士の仮説に基づいて、これまでツタンカーメンのものと思われていた副葬品やあの黄金のマスクも別人用に作られていたことが、カルトゥーシュの書き変え痕跡から判明した、というもの。書き換えの事実は2015年頃にすでに判明していたようで、元の名前については諸説あったようだが(https://55096962.at.webry.info/201601/article_19.html)、2018年の番組ではイクナートンの四女だっけの「メリトアテン」で、どうやらツタンカーメンが大きくなるまでつなぎで女性ながらファラオをやっていたということらしい。以下の図の緑がツタンカーメンのカルトゥーシュで、赤の部分がそこに残されていた前の痕跡、それに基づいての復元例が黄色というわけ。

以下から拝借:https://55096962.at.webry.info/201601/article_19.html

 その説に基づいてのことかどうかは不明だが、最近の以下の論文でもツタンカーメン王墓内出土品に「メリトアテン」名が残っていると指摘されていて、これはもう定説となっているようで、素人にはたいへん興味深かった(野中亜紀「トゥトアンクアメン王墓出土のクラッパーに関する一考察」『貿易風 :中部大学国際関係学部論集 』第14号、2019)。

 ところでコロナ騒ぎで取り紛れ忘れていたが、私の余命はあと2610日。

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コロナ後の在宅勤務の陽と陰:飛耳長目(46)

 コロナ後の社会の変化が論じられ始めた昨今、しかし私には若干違和感がある。コロナ後に社会は元に戻るだけで、いわれるほどの変化は生じないだろう、特に日本では、と考えるからだ。たしかにテレワークが飛躍的に増加したかもしれないが、それは非常事態への臨時対応であって、平常に復せばやはり元の木阿弥になる可能性のほうが大きいはずだ、という直感によっている。

 しかし、一度味わった在宅勤務のうまみをサラリーマンは忘れることはできないのも確かだ(痛勤なし、不毛な人間関係の軋轢なし、マイペースでの勤務可等)。私にはサラリーマン体験がないので分からないところがあると思うが(大学教員など、どちらかというとこれまでも半分以上在宅勤務系だった)、在宅勤務を是として前に進めるためには国による「在宅勤務権」の法制化が絶対必要だと思う(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60324760S0A610C2MM8000/)。

 だが、例のごとくスローモーな我が国のこと、たぶんこの潮流には乗り遅れ、よって従来の勤務形態に復帰せざるを得ないだろう、それがさらに「衰退途上国」への流れを促進するはず、と私は読んでいる。ともかくすでに労働生産性において世界主要国中で最底辺の21位とか(あのイタリアよりもランクが低いとなれば、ここでも統計に不信感をいだかなければならないかもだが、今回の電通ではないが、大企業で生産活動しているわけではなく利ざやだけとり、実際の仕事は4次5次の下請けがしているというシステムが問題らしい)。学校関係での新学期9月移行が今回も流れてしまったのが象徴的である。私は密かに安倍政権の後先考えない独断専行をこの件についてはどこかで期待していたのだが(そこまで根性が座っていなかったわけ。ま、分かっていたことではあるが)。それで国際化が促進するなどと楽観論に組してのことではなく、単に入試時期を受験生に苛酷な季節から移動させたいと思ったからである。誤解なきよう付言しておく。新しい制度では新たな問題が生じる。このモグラ叩きに終わりはない。

 さて、なぜかバラ色で描かれ勝ちな「在宅勤務」であるが、当然マイナス面がある。それを週の7分の3は在宅だった私の体験から述べてみたい。まずは、痛勤がないので、運動不足となる。それは肥満体質の人には生活習慣病への突入を意味する。また真面目に研究をする大学教員は際限のない時間外労働に知らず知らずのうちに取り込まれてしまう。私も現役だった時は、それでも週の半分は授業や会議で登学しなければならないので、社会人としてまだまともだったと思いたいのだが(登学するだけで、それなりの運動となった)、リタイアしてからは完全に昼夜が逆転する不健全な生活の常態化となった。もちろん、老化による能率がた落ちという事情もあるし、切迫した日限もないので、ま、よろずマイペースとなり、これは精神的にはいいかもだが、明日がないくせに明日なろうと先送りしてしまう。

 要するに、体感的には、これまで以上に健康面での自己管理が必要となる。それができない私にもう先は見えているといっていいだろう。私は先のない老人だからいいとして(本当は、ぽっくり逝きたいので、いいはずはないが)、若い時からそうなっちゃったら、どうなるだろうか。考えるだけで恐ろしい。

【補遺】このところ興味深いコロナ関係の新聞ウェブ記事が連発されている。いずれもM日新聞であることはさすがだ。特に3番目の都市封鎖がやり過ぎだとの、いかにも関西的な率直な意見は読み応えあった。

日本の死者はなぜ少ない? コロナ諸説を探るhttp://nml.mainichi.jp/h/aczGa5hYgVoNigab

◎ 日本の奇跡は完全な虚構だ! 山梨大学長・島田眞路が怒りの告発:https://mainichi.jp/sunday/articles/20200609/org/00m/010/002000d

大阪モデルの「過剰な要請は不要」だった?http://nml.mainichi.jp/h/ac1sa5ig2TtX6pab

コロナと重なる「複合災害」時代の備えhttp://nml.mainichi.jp/h/ac1uayhnidaxwqab

 それにしても、人口数千万の主要国が10万、20万の感染者数なのに、かの中国は感染者数8万3千、死者4千600とは。

【追伸】ピンチはチャンス、と本当に思う。「テレワーク、憧れの書斎は1畳半 改装や郊外へ転居も」(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60504480Y0A610C2H11A00/)。テレワークへの対応で従来の住宅の部分的リフォーム需要。すばらしい着想だと思う。私は、よほどテレワークが浸透しない限り郊外への住み替えは生じないだろうと思ってきたが、リフォームのほうはありだと思う。いや、私自身が、同居人の生活音(テレビなんかも含む)や移動を妨げないようにしたいと思っているからだ。テント形式もあるが、音声遮断が必須だと思うので、やはりそれなりの改築となるだろう。

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