横田さんの無念死:飛耳長目(45)

 私は、小学校3年から5年にかけて新潟市松波町に住んで関屋小学校に通っていた。日本海の浜辺がすぐ近くで、我が官舎のすぐ裏は県立新潟高校のグラウンドだった。で、小学校が引けると、ともだちと、あるいは一人で連日私は砂山をいくつも越えて浜辺に遊びに行って、日が暮れるまで遊びほうけていた。浜には当時警察の射撃場なんかもあって、網をくぐって侵入し薬莢をさがす大冒険もしていた。浜に自生していたグミをたらふく食べて衣服を染めてしまい怒られたこともあった。波打ち際で佐渡島を遠望しながら、左にいけば柏崎で、右は信濃川河口だよね、というわけで何度も河口のほうには歩いて行った記憶もある(さすが柏崎のほうは途中で引っ返したが)。河口手前でコンクリの測候所が海中に没して波に洗われていた荒涼たる光景も印象に残っている(https://moekire2.exblog.jp/12813485/:当時新潟市は天然ガス採掘で地盤沈下し、信濃川の洪水を防ぐため分水されたせいで浜は河口方向でひどく浸食されていた)。あとになって、横田めぐみさんが新潟市で拉致されたことを知り、とても他人事とは思えなかったのは、そんな経験からだ。私だったかもしれないのである。彼女が通っていたのが寄居中学校で、学校間は直線でたった1.5kmにすぎない(彼女は広島市から新潟に転勤してきたのだそうだが、これも奇縁か:ついでにいうと、日銀広島支所長のかつての官舎は我が家の斜め向かいにあった。豪邸だった)。

 そのお父さん滋さんが亡くなられ、またそんなことを思い返していた時に、以下のブログが飛び込んできた。高野孟「安倍首相の出世に拉致問題を利用された、横田めぐみさん父の無念」(https://www.mag2.com/p/news/454014?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_9999_0609&trflg=1)。私は題目にいささか刺激的すぎる印象をもったのだが、読んでいくうち、拉致被害者の蓮池薫氏の実兄透氏が『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社、2015年、というもっと過激な本を書いて、そのため家族会により「退会」させられたことを初めて知った(本当は「除名」というべきところ、なんだか姑息な表現だ)。

 昨今の安倍君の言動をみていると、どうしても高野氏に肩入れしたくなるが、真実は奈辺にあるのだろうか。滋氏たちと透氏はむしろ問題解決の両輪となり、別方向から互いに現実の壁と解決の道をさぐるための苦渋の選択をしたのではと思いをめぐらさざるを得ない。いずれにせよ、滋氏が無念の死を遂げられたのに変わりはない。

【追伸】https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200617/pol/00m/010/003000c?cx_fm=mailpol&cx_ml=article&cx_mdate=20200621

Filed under: ブログ

ポンペイ修復作業終了:遅報(38)

 ポンペイ遺跡は、それまでの遺跡保存管理が不十分だったこともあり、10年前頃から各所で遺構が倒壊した。そのためユネスコが世界遺産登録取り消しを警告したのをきっかけに、2014年からEUの支援を受けて修復作業に入っていたが、2020/2/18に終了が宣言された。かかった費用は約125億円。

 修復の一環で、ポンペイ発掘開始270周年を記念して第五地区の一部が新発掘され、すばらしい成果を上げているが、ここでは2019/10に公表された剣闘士競技のフレスコ画を紹介する。今回はさすがに遠慮して、小さな画像に留めるが、詳しくは下記の「Pompeiiinpictures」をご覧ください(YouTubeつき:それをみると規模的に小さく狭いことがわかる)。

 管理局はいつものように正確な番地を公表していないが(まだ未定なのかも)、「剣闘士たちの宿舎」 Caserma dei Gladiatori(V.v.3) 近く(?)の居酒屋(タベルナ)の二階への階段下で発見された(私には中二階にみえる。だったらそこは倉庫だった可能性もある:なお、ある記事で地下室とされているが誤訳:たぶんground floorがらみ?)。写真右側で勝負あった瞬間が描かれている。左側に下半身だけ一人描かれているが、その服装からすると審判員のようにみえるがどうだろう。このタベルナについて詳細な紹介が「PompeiiinPictures」のHPですでにアップされているのは、さすがだ。これをみただけで、誰もがおびただしい新発見に目を見張るはず(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R5/5%2008%2000%20gladiatori.htm)。そこでは出土場所は「Termopolio con Gladiatori Combattenti : Bar with fresco of gladiatorial contest at crossroads between Vicolo delle Nozze d’Argento and Vicolo dei Balconi」と名付け、表現されている。

 ところで古代ローマ時代では、居酒屋といえば,酌婦は売春婦を兼ねていて(そのほとんどが女奴隷だった)、二階へとお客さんをいざなったり、だからそこにベッドがあるので簡易ホテルにもなっていた、そういう場所である。ただ、剣闘士が描かれているからといって、「剣闘士の宿舎」の住人たちがなじみ客だったと結びつけるのは私には疑問だ。二区画西のさらに北側なので隣接しているわけではないし、剣闘士が自由に居酒屋で飲食できていたとすると、私などカーク・ダグラス主演「スパルタカス」やラッセル・クロウ主演「グラディエータ」などで獲得した、従来のイメージを大幅に修正しなければならない(そもそも、目抜き通りの1つ「ノラ大通り」の真ん中に面して剣闘士宿舎があることすら、私には納得できないのである:剣闘士がらみの落書きがいかに多くあるにせよ、だ。むしろそこは興行主やパトロンの屋敷で、試合前夜に招かれ供応されてのそれら、と考えたいところである)。ポンペイの専門家たちはどういう根拠でそう言っているのだろうか。

【疑問】フレスコ画の右端の敗者がこちら向きだとして、右手の動きがよくわからない。兜を脱ごうとしているのか、顔を覆っているのか。左手の指を1本立てているのは「降参」のサインだろう。

Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1533信:2020/6/8

= 目 次 =      
▼黒人男性の暴行死に全米で抗議デモ、トランプ大統領への批判も      
▼白人警官に暴行を受け死亡した黒人男性追悼集会      
▼米人権団体がトランプ氏ら提訴、ホワイトハウス前のデモ隊排除で      
▼ホワイトハウス前通りの一部を「黒人の命も大切」に名称変更      
▼ソウル首都圏に広がる教会発の集団感染、1カ月で70人近くも      
▼インドネシアで安全圏102地域、自治体に宗教施設など再開権限      
▼女性神学者がリヨン大司教になる日が来る?      
▼死海文書の由来は?「羊皮紙」のDNA調査で謎深まる

 最後の二点について。現代においてそんな制度があるとは知らなかったが、リヨン大司教に73歳の女性神学者が立候補したらしい。というか、問題提起のための勝手連的行動か。こういった聖職者人事は通常は、バチカンがその地域を熟知している聖職者たちにご下問して、その進言を勘案して決まる、らしい。日本の場合、だいぶ以前は、どうしても日本滞在歴のある欧米人聖職者(以前はスペイン人だったが、最近は知りません)が顧問格で諮問されていたと噂され、この件は日本人聖職者たちも十分知っていた。「彼好みでないと、だめなんだよね」と愚痴っていた?のを聞いたことがある。

 最後の「羊皮紙」の件は、「死海文書」の書紙材を分析したら、それまですべてヤギだと思われてきたが、牛とかヒツジが使われていたことが判明したが、となるとヤギ以外は発見地の砂漠由来のものではなくなる、ということで問題となっているらしい。たしかにすでに書籍になっている巻物が他からクムランに持ち込まれた場合もあるだろうが、でも私など、素材の段階で他から購入されてきた場合もあるだろうし、それがそんなに意味あることであるかどうかは、断片の分類とかさらに分析する必要があるような気がする。明らかに牛やヒツジのほうが上質だからだ(https://npobook.com/report/vol_66/vol66.pdf)。なお、この件は、以下でも6/2付けでレポートされている。https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/06/piecing-together-dead-sea-scrolls-with.html

Filed under: ブログ

ふるさと、とは:痴呆への一里塚(24)

 「なんだか、母と同じことしてるな」。それがふるさと、というものか。

 母を東京に引き取ってまだ元気だった時は、1,2ヶ月ごとに私が同道して帰省していた。帰りたがったからである。帰ると、いそいそと朝早くから草取りを始める。そして散歩に行ってくると言って、ものの15分くらいして帰ってくる。たぶん存じ寄りのご町内をぐるりと歩いてきたのだろう。これが日課だった。東京でも散歩したらと私が言い、でも出ようとしないので(曰く、こわいのだそうだ)、私の孫が来たときいっしょに公園なんかに連れて行ったりしていたが、決して自発的ではなかった。だいぶ弱ってからは介護支援で散歩に連れ出していただいていた。歩行補助車も購入したが、自分の思い通りにならないのが腹立たしいらしく、使わなかった。さすがに杖は使っていた。認知症が進み、新幹線でトイレの鍵を閉めなかったり、東京駅から練馬までタクシーで移動中にトイレを要求するようになって、もう無理と判断して帰省はやめた。施設に入所することになったきっかけも、トイレの「大」の問題だった。

 一昨日、コロナ騒ぎで約3ヶ月ぶりに帰省した。私が乗車した新幹線のぞみ43号の4号車の乗車率はおおむね5分の1以下、降るとき8号車あたりまで通路を移動してみたが、段々密集度が高まって、最後あたりは5分の3くらいになっていた。今の感覚だと密集感あっていやだなと思ってしまう。広島駅新幹線構内の土産物屋は未だ全店お休みで、えっという感じだったが(私が常連の立ち食いそば屋も。夕食を期待していたので残念 (T_T))、ローカル線の方に出たら番線通路の商店は開いていた。こっちのほうがまだ客が多いということか。そこから西広島駅まで通勤・通学列車に乗ったが、19時半すぎで、昇降口付近に立ってる客も多いが数十センチの空間は保てる感じ。西広島駅は工事中で驚いた。改札が北に移動していた。これでやっとエレベータできるだろうな。広電宮島線はがら空き。高須駅周辺は一部を除いてコンビニも飲み屋も開いていた。我が家についてビックリした。植えてあったルッコラがびっくりするほど茂っていて、すぐに玄関に入れないくらいだったからである。なぜか青い茎や葉っぱは見えず、花びらと白骨化した枝ばかり。ほんとうにルッコラなのかああ?

到着時、無理矢理突破してドアを開け、翌朝撮影

 昨日は一日曇天、まずは、玄関前のルッコラを裁断し、草むしりをする。雑草は思いの外茂ってなかったのはどうしたことか。いつも帰省のたびに茫々たる様なのだが。そのあと、二号線方面に向けマスクを着装せずにぶら下げ、買い物と昼食ついでに歩く。二号線に出る手前の大きなドラッグ・ショップが店じまいになっていて、驚く。いつも刺身定食食べてた大型の割烹は閉店してからかなりたつがまだそのままだ。その隣が不動産屋なんだけどなあ。国道沿いのイオンは開いているし、二号線の車も普通通りかな。という感じでちょっと歩いて贔屓のそば屋「そば吉」に向かう。ここは980円でおなかいっぱいになる日替わり定食がお勧め。と、途中いつも使っていたもみじ銀行のカードボックスが3月で閉鎖したとの表示。銀行もやっぱりそうかと経済活動の縮小を感じてしまう。「そば吉」は開いていた。店内はカウンター風のところがアクリル板で隣と区切ってあったり、新聞置くのを止めたり、持ち帰りを始めていたりで、それなりの対策を講じていた。客は3人(組)くらいで問題ない。

 今朝は白雲はみえるが快晴で風が心地よい。今度は庚午公園の方に向かう。そこにはドラッグ・衣料雑貨店やスーパーがあって、色々買い物ができる。近所で活きのいい魚はここしかない(電車で一駅先にアバンセがあって、高めだけどさらに活きがいい。午後にでも散歩ついでに行ってみるか)。

 私が庚午で生まれたのは確かだが、父の転勤で3歳のときに離れ、広島に舞い戻ったのは中三の時のこと。そして就職で32歳のとき岡山県津山市に出て10 年後に上京し,以来練馬区の住人である。だから指折り数えてみると、庚午に住んだのは通算で28年くらい、すでに30年住んでいる東京のほうが長くなっている勘定だ。しかし、体感的に、ふるさとはあくまで庚午なのである。

 そして今日も買い物に出て歩きながら「おかしなものだ」と思ったのは、買い物は口実で、ご近所の様子を見て回っている自分に気づいたからだ。あの店がなくなっている、とか、あのお屋敷が更地になっちゃった、とか、まあ無意識のうちにチェックしているのである。しかも、ともかく妙なもので歩き回るのが苦痛ではない。たぶん母もそんな調子だったのだろう。昔、私が帰省すると母はアバンセまで歩いて魚を買いに行ってくれていた。いつの間にかそれをするのが私になっていたが。「もうあそこまで行くのはきつい」と。

 あんなそんなで、東京だとなぜか散歩に出る気にならない私も広島だとかなり歩くことになる。これがなじみの土地の持つ魅力なのかもしれない。このまましばらくいたら体重も減るだろうが、いかんせん2日後には帰京の予定で、ま、元の木阿弥なのだが(ところでなぜ火曜に帰京かというと、夕方ラテン語があるからだが、テレワークなのでこっちでやればいいことに、あと気づいた。次回は試すことにしよう)。さて、明日は室内のお掃除しないと。これも妙なもので、ヒトが住まない我が家は3ヶ月閉め切っていてもほこりが積もっていない感じで、私は掃除もせずそのまま生活して、帰るとき掃除する。人間が住むから汚れるのだろう(最初ごろは、餓死したゴキブリ見つけては喜んでいたが、最近はもう見なくなった)。ただゴミの分別収集にはてこずっている。2週間が一サイクルなので、出せないゴミが溜まるのだ。コンビニ、スーパーの資源回収箱がありがたい。が、生ゴミは駄目なんですねえ。

Filed under: ブログ

続・コンスタンティヌスのアーチ門の太陽神について

 論じ残しているちょっとしたテーマに、ローマのコンスタンティヌスのアーチ門(凱旋門)上の東面に掲げられているトンド内の太陽神像があります。以下に、トンド全体像と太陽神拡大図を掲載してみます。

東面トンド

 何かお気づきのことありませんか。・・・ 私は以前からこの太陽神に違和感を感じてきました。らしくない、のです。まずなんとなく女性っぽい描き方なんですが、この点は西面の月神が明らかに女神として描かれているので、それとの対照により一応除外しておきます(顔つきは月神のほうがきつい感じすらします:太陽神のほうが摩滅しているせいかもしれません)。また、着衣が横皺が目立つトガのようにではなく、ギリシア風に見えるせいもあるでしょう。

 そんなこともあって、らしくない、そう、勇ましくないのです。これは不敗太陽神Sol Invictusとの対比からくるせいかもしれません。このHPの「実験工房」のほうで2018/5/20口頭発表「戦勝顕彰碑としてのコンスタンティヌスのアーチ門」を掲載してますが、その末尾近くでこのトンドについて「東に4頭立て戦車、クワドリガで今まさに海上から天空に浮かび上がってきた太陽神、それを導くアモル、海中でそれを眺めている海の神オケアノスが描かれています。なおここでの太陽神は、放射冠をかぶっていません」と触れていますが、端的に放射冠抜きなのです。となると、本当に太陽神なんだろうか・・・。先に触れた衣装からよりギリシア的にアポロ(ン)神的イメージが勝っているような気にもなってきます。そうは思いませんか。それでトンドに似たアポロンの彫像を見つけようと探したのですが、これがなかなか・・・。というのは神は完璧な肉体をお持ちなので、アポロン様はだいたいが裸でして・・・。そんな中、ようやく見つけることができたのが以下の右です。

左がよくある裸体像、右は竪琴がなければまさしくトンドのそれ:いずれもヴァチカン博物館所蔵

 ところが、アーチ門の東側廊での太陽神はかなり破壊が進んでいますが、斜めからの写真だと頭上に放射の鋭角の三角形が辛うじてわかります。またアーチ門上に複数刻まれている軍旗の竿頭飾りのそれでもちゃんと放射冠が確認できます。下に、ギリシア的なヘリオス神像を示しておきます。

左、東側廊の太陽神を左45度でみる;右、西面レリーフの太陽神:頭部の上枠にギザギザの刻み
前4世紀のものらしい

 こうして、同じアーチ門上で、東面トンドのそれと他の太陽神の表現が放射冠他に関して異なっていること、そして東面トンドのほうがとりわけ不敗太陽神Sol Invictusとしては特異な表示である、と指摘できるように思います。それが何を意味しているのかですが、ひょっとして、トンドのそれはギリシア的アポロン像風に描かれているのかも、と今現在考え直しております。

【追記1】このギリシア的表現は、西面のルナ女神でより一層指摘できるかもしれない。たとえば、彼女の後に羽衣風にたなびいているストール、それにどうやら片肌脱ぎで(ここでは左肩を)露出し、さらに彼女の頭上にかつては三日月があったらしい痕跡も認められ、さらに二頭立て二輪戦車bigaに騎乗していて、むしろギリシア神話のセレネの表象が勝っている印象なのである。

後3世紀作のセレネ:メトロポリタン美術館蔵

【追記2】ここまで書くと、どうしても私は以下の2点を思い出し、触れたくなる。一つは、ギリシアのパルテノン神殿東側ペディメント「アテナイの誕生」の両端彫像である。ここでは、復元修復したものを示す。

左が上昇するヘリオス、右が下降するセレネの戦車:この場合、両方とも四頭立てだが

 もう一つは、Prima Portaのアウグストゥス像の鎧上部のヘリオス神と四頭立て二輪戦車である。

ここでのヘリオス神の衣装はまさしくアーチ門のそれと類似:
中央上部は天空神ウラノス

 こうしてみると、アーチ門東西両トンドの神像は、どの神名をとるかはともかくギリシア的意匠に準拠している、すなわちヘリオス/アポロンとセレネで、それがローマ神話のアポロ/ソルとルナに横滑りし、さらにソルからソル・インウィクトゥスに特化していくプロセスが見てとれる、と考えた方がいいように思われる。コンスタンティヌスがアウグストゥスをも意識して視野に入れていたことは、アーチ門両面に掲げられた銘文から明白である。

【追記3】私は、コンスタンティヌスは彼の統治領域内では、そこ出身の自軍兵士たちの共感を得るためにまずケルト系の太陽神を自分の守護神に選んでいた、それを帝国中心部においては東方起源の同様な太陽神ないし古代ギリシア的なアポロン神・ローマ的なユピテル神に重ねることで汎地中海世界的な自己プロパガンダの基軸とした、との仮説を提示している。したがって、315年段階での本アーチ門での太陽神図像はあくまで首都ローマに寄り添ったものと理解することになる。その観点からすると、帝都ローマでのコンスタンティヌスのアーチ門の西面(出立図:Profectio)と、東面(入城図:Adventus)に描かれている鹵簿での皇帝臨座の馬車の車輪は意味深かもしれない。

西面:Quadrigaというよりも、四頭立て四輪馬車carrucaだったことがわかるが、馬車や人物像の描き方にかなり違和感がある
東面:こちらも玉座仕立ての四頭立て四輪馬車だが、納得できる描き方
20世紀初頭の復元図:かなり杜撰だが車輪はちゃんと描かれている

 なお、今や破壊されて跡かたもないが、同じく東西両面のトンド上の戦車にも車輪があった:現状で車軸のみ確認できる。

上図とここの典拠は以下:Salomon Reinach, Répertoire de Reliefs Grecs et Romains, Paris, 1909.

 生存中に改めて一文を草する余裕がないかもなので、他の気付きもメモしておこう。東西面レリーフでの登場人物たちの顔の向きが前後を向いているのは、後を向いているというよりも、これらの行列が一直線ではなくて、「⊂」字型に、左隅でUターンしていて、それを正面から見て重複表現している場合もある。また、出立図Profectioの場面は従来説ではなぜかミラノ出立等イタリア内とされているが、皇帝馬回りの登場人物たちが平時のフェルト帽を被り武装していないので、敵地でのそれとは思えず、私はコンスタンティヌスの領域首都トリーア出立とすべきと判断した。またProfectio左端の、まさに城門を出てきたばかりの四輪馬車の座乗人物が他と比べて小さいことから、彼はコンスタンティヌスではなくて、息子クリスプス(当時12歳)とする別説もあるらしい(となると、そこにコンスタンティヌスは描かれていないことになる、かも)。レリーフにおけるコンスタンティヌス像は例外なく少なくとも頭部が破壊されているので(恐らく4世紀後半の反コンスタンティヌス時代に)、ここで頭部が保存されているのは別人と判断されてのことであろうか。いずれにせよあのブロックは違和感の塊である。また、西面の荷駄に馬ないしラバ以外にめずらしくラクダが描かれ、その背後にうずくまった人物がいるが、これは何を示しているのだろうか(捕縛されているのかも)。南面レリーフについては拙稿で多少とも触れているので、省略。

 入城図Adventusの東面レリーフに移る。左端でローマの市門をくぐってコンスタンティヌスが座した四輪馬車carrucaが進む。それに先行する行列の中に武装解除された二名のローマ人捕虜が、徒(かち)でおそらく両手を縛られて引き回されている。たぶん同時代のローマ在住者には誰と見当がついたはずだ。その行列の先頭は浮き彫りの右端から北面東端にかけて、まさに四面門(しかもその屋階上に四頭の象を頂いている:これは剥落が進んだ現在、確認しづらくなっている)をくぐろうとしているが、この門は凱旋式の際行列が必ず通過したPorta Triumphalisに間違いなかろう(cf., Martialis, Epig. 8.65)。

東面右端と北面東端の柱部分の両端にそれぞれ4頭の象の戦車が描かれていたと思われるがぽっこり剥落し、現在かろうじて北面、兵士の兜の左上にその痕跡が残っている(2015/8/29:筆者撮影)

 実はこの門は、コンスタンティヌスのアーチの屋階の北面の東側から2枚目のレリーフ(もともとはマルクス・アウレリウス帝の出立図profectio:皇帝の頭部は18世紀にトラヤヌス帝に似せて修復された)にも描かれており、その屋階上にトロパイオンと四頭の象、それに一体の神像が確認できる。

 北面の2レリーフも興味深い。特に左側の演説図Adlocutioでは、ロストラ(演壇)の両脇の背景に描かれている公共建築物は、左がBasilica Julia、右がセプティミウス・セウェルス凱旋門とされ、ロストラ上についても中央に唯一正面向きで立つコンスタンティヌス(但し顔面破損)、彼の背後に5本の列柱があって、それらは第1テトラルキア体制の成立を記念して立てられたもので、その中央は主神ユピテルをいただき、左右円柱上の小立像は4人の皇帝を示している。また皇帝のすぐ背後の2旒のvexillumは皇帝旗であると私は考えている。ロストラ前面の左右端に二名の座像が見えるが、左がマルクス・アウレリウス帝で、右がハドリアヌスとされている。こうして、このロストラは全体として、コンスタンティヌスが過去30年間のテトラルキア体制の正統継承者であること、ローマ帝国華やかりし時代の、アウグストゥス時代、ハドリアヌスやマルクス・アウレリウス時代の帝国の回復者であることを暗黙のうちに明示しているわけである(なお、このことは政治家コンスタンティヌスがテトラルキア体制を放棄して独自の政治的プロパガンダを以後開始することと矛盾しているわけではない)。なお、彼を左右から見守る男性群像(とりわけ壇上はトガ着用の元老院集団で、一段低く地面に立つのはローマ市民たち)の中に男児三名が紛れている。彼らが大帝の後継者の息子たちとする説は、出生年的にも位置的にも受け入れがたい。

 最後に言わずもがなのことだが、このレリーフでの登場人物は(そして、アーチ門全体でも女神と円柱台座での捕虜を除けば)、すべて男性であった。昨今の「人種差別主義者」チャーチル像への落書きのように、「性差別主義者」コンスタンティヌスなどと落書きなどされないように願わざるをえない。

腹に巻かれているのは「黒人の命も大切だ!」Black Lives Matterの張り紙らしい

 さて、ぜひとも触れておきたいテーマに、コンスタンティノポリスでの紫斑岩製円柱上の太陽神としてのコンスタンティヌス像の件がある。いつか書く機会があることを念じている(まだ書く気でいるのが、我ながらいじらしい)。これにより、コンスタンティヌスの一貫した自己認識がヘリオス・ソル神であったことが立証されるはずで、キリスト教的プロパガンダの虚構性ないし相対性が明確になるはずでアル。

左、ポイティンガー地図で、コンスタンティノポリスに特に表示されている円柱;中央・右、紫斑岩製円柱上のHelios神としてのコンスタンティヌス像復元図

 以下の写真はこの円柱の柱頭の状況である(この時はパイプで足場を組んでの作業のようだった)。その凸凹を検証して上記のような立像が再現された(後世に、十字架が立てられたりしている)。私はこれをローマで、コンスタンティヌスのアーチでやりたかったのだが、ドローン撮影は許可が必要で果たしていない。

Filed under: ブログ

古代ローマの感染症:(8)その工芸品?への反映[閲覧注意]

 残念ならが、今秋の広島での学会大会も中止されたようだ。確かに晩秋であれば年中行事のインフルエンザの流行にまぎれて、コロナの再発もありえるわけだ。そこで発表予定だった内容の中心部について、概略を記しておこう。初めに弁解を。この勉強を始めて海外に発注した本を二か月経っても未だ入手できていない。航空機が飛んでいないせいだろう。また、国内大学図書館も休館中である。そのため文献的に完璧を期せてないことをお断りしておく。

 マルクス・アウレリウス時代の疫病については、すでに史料的限界が許す限りでの検討が行われてきた。ここではちょっと従来と違うアプローチを試みる。それは、出土遺物の、とりわけ彫像類において病気を示していると思われる諸事例の検討である。それに関して、古来(といってもせいぜい19世紀以降であるが)挙げられてきたものを、感染症の周辺を含めてまずは列挙してみる。

 ちまたでは、疫病の考古学的証拠として著名なのは、たとえば、エジプトのファラオ・ラムセス5世(前1157年死亡)のミイラの頬に一面のイボがある所見から、彼の死亡原因が天然痘だったのではと言われてきたが、最近では、この痕跡は水疱瘡によるものと疑われているらしい(水疱瘡はヘルペスウイルスで、人類誕生以来感染していた)。さてどうだろうか。私のような文系の素人からすると、細胞培養かなんかすれば病原菌も特定できるのではないかと想像するのだが。また、庶民のミイラもたくさん出てきているのだから、それらの調査ではどうなっているのだろうか、とつい思ってしまう。

左はラムセス5世のミイラ、頬のぶつぶつに注目;右は水疱瘡の皮膚所見:ぜんぜん違うような

 古代の医療に関しては、ex voto(病気治癒の祈願成就の奉納品)の出土品がまずは注目される。著名なのは古代ギリシアのアスクレピオス神域からのそれらであろう。ローマ時代だとたとえば以下は、首都ローマのテルミニ駅の東、引き込み線操車場の南に隣接のTempio di Minerva Medica(医療女神ミネルウァ神殿)出土のex votoである。

左,上左が胎盤(右は不明)・下左が内臓、下右が子宮;右、足と手

 こういったex voto以外にも、グロテスクな異形の人物像(例えば、くる病、朱儒など)を表現した遺物は多く、中には義足・義肢らしきものの出土すらある。

左上、エジプト出土ミイラの、左下、イギリス出土の足指補正具;右はカプア出土の金属製義足とその縦断面

 だが、我々が知りたい感染症関係の証拠はほとんどない。かろうじてこれまでそう主張されてきたものについて列挙し、だが判定にきわめて慎重なのが以下の論考である。M.Grmek e D.Gourevitch, Les Maladies dans l’art antique, Fayard,1998, pp.341-347. なにしろそもそも該当テーマでの彼らの章立てが「錯覚の病理学 Les Patrologies illusoires」となっていて、従来の諸見解は妄想であると概ね斥けている。彼らが列挙するもののうち、マルクス・アウレリウスの疫病に直接関係するのは、②、③、⑤の3つだけで、しかも著者たちはいずれに対しても天然痘を表現したものでないと結論づけている。これをめぐって若干の論争があるがここでは深入りしない。

① 播種性結節により神経線維腫の診断が下された小立像:この写真のみ現存し、大きさすら不明の由

この写真のみ現存し、所在不明で追跡調査不能

② 皮膚に結節が描かれているサテュロス像:ローマのVilla Albani-Torlonia所蔵

足に顕著なぼつぼつは、野蛮性を表現しただけのことでは、と:右二つは美術表現としてそう描かれているシレノス像

③ 多数の結節が描かれた肘ないし膝の断片

何を表しているのか諸説あるが、先述のTempio di Minerva Medicaで発見されたので、膿疱の可能性も否定できない。

④ 単なる女神・女性像の頭髪部分の剥落事例?

これもTempio di Minerva Medicaで発見されたので、「禿頭」平癒祈願との解釈もあながち捨てきれないような

⑤ 髭ないし毛瘡を思わせるドッド模様

首や胸にも見えている:ナポリ国立博物館所蔵

 たしかに古代の事物製作者がいかなる意図でそう描いているのか、慎重に考察すべきであるが、とりわけex votoの場合は病理現象に関わっているという方向で捉えてよいかもしれない。

天然痘の症状:学会の口頭発表では最初にこれらを見せて、つかみにしようと思っていたのだが・・・、我ながら悪趣味である

 最後に付言しておく。このex votoであるが、実は現代にいたるまでよく見られる奉納物である。特に、奇跡を信じるイタリアにおいては。市内を歩いていて突如心臓を模した金具がいっぱいぶら下がっている壁に遭遇したり、巡礼地や教会内の聖母マリア像なんかのまわりに一面にぶら下がっていたり(2019/12/11掲載のSant’Agostino教会の聖母子像右のもそれ)・・・。否応なく庶民の悩みの多くがとりあえず病気や身体的不具合であることに気づかされるのである。治癒を願っての奉納が勝っているような気もしてくる*。となると、足首が思わしくない私もそろそろ奉納してみようかしら。

石畳が多く冬冷え込むイタリアでは足がらみが多いように思う:子供のそれは受胎祈願、いや水子供養もありか
  • 最近知ったのだが、祈願成就での奉納はvota solutaで、祈願のそれはvota suscepta、というらしい。

【余談】ところで、アスクレピオス神殿等での古代ギリシア以降のex votoの奉献物に、明らかに腹部切開による内臓器や子宮の奉献物があるわけで、これはすでに古代において人体解剖は行われていた、としか私には思えないのだが。やはりガレノスの動物解剖は世間的目くらましだったのだろう、という確信が強まらざるを得ない。我が愛しい嫁さんは、「動物を解体して食していたのだから、生きた人間に何かをするのは避けたにしても、死体を腑分けするなんてことは簡単なこと」とのたもうた。この調子だと私の死後、平気で腑分けされそうで恐ろしい。ちなみにご自分は解剖させていただいた恩返しで献体登録されていらっしゃる。立派なことだ。私は、一年間フォルマリンのプールに無様な裸体でプカプカ浮かんでいるのを想像するだけでおぞましく(それ用にダイエットしなきゃあならんだろ (^_^;)、直行での焼却炉行きを希望している。

左、パレストリーナ博物館所蔵;右、ローマ・ティヴェル中の島出土、ローマ国立博物館所蔵
Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1532信:2020/6/1

= 目 次 =      
▼教皇、パンデミックによる試練に置かれた世界のために祈る      
▼教皇、中国の信者を“聖母に託して”祈る      
▼WCC常置委員会が新型コロナの影響を受けウェブ会議      
▼スウェーデン初のオンライン・エキュメニカル・リトリート      
▼NY市警察、ユダヤ教超正統派神学校を強制閉鎖      
▼韓国の首都周辺の京畿道で12教会に施設閉鎖と集合禁止命令      
▼黒人暴行死、米抗議デモが各地で暴徒化し4千人拘束      
▼コスタリカで同性婚を合法化、中米初      
▼ラリー・クレーマー氏が死去、同性愛・エイズ活動家

 やっぱりユダヤ教超正統派とか、やらかしているようですね。

Filed under: ブログ

顔にシミ出現:痴呆への一里塚(23)

 昨晩深夜、Stay Homeのせいで伸びた髭を剃っていて、初めて気付いた。

 両のもみあげ付近に小さなシミがそれぞれ2つあるのを見つけた。ご老人の顔面によくあるものが、私にもとうとう初お目見えというわけだ。

 両手にシミが目立ち始めたのはたしか65歳あたりだった。それより7年後、ということは、まさしく私独自の人生7年周期説(20世紀初頭のルドルフ・シュタイナー提唱の7の倍数で身体的成長[私の場合だと、衰弱]に見舞われるという仮説を換骨奪胎したもの:実際には、私の場合マイナス2年のようだ、即ち7×6のところ40歳に発現)を立証する重要証拠である、と言っておこう。

 ケーブルテレビつけていると、これでもかこれでもかと、年金狙いの顔面クリーム(と健康サプリメント)の宣伝のオンパレードで、ま、年齢からして当然のことながら鑑賞に耐えない一般女性が登場してきて顔に塗りたっくっている場面ばかりで、私は見るに忍びず(というか、見るに耐えず)チャンネル・ボタンを押すことになる(もうひとつ呆れているのは、韓国語のチャンネルが多いことだ。が、気がつけば番組はアメリカのも多いなあ)。

 念のため。私はシミ取りは買いません。サプリメント大好きな妻は、買っている気配が。

Filed under: ブログ

わかったぞ:コロナに群がる政治家・官僚ども

 こんなデジタル記事が出だした。最近角栄本を読みあさっているので、気になり出している。「コロナ便乗商法:「コロナ緊急対策予算」これだけの不要不急https://mainichi.jp/articles/20200525/k00/00m/010/167000c

 「アベノマスク」の不明朗な4億円発注騒ぎで(https://news.yahoo.co.jp/articles/265a354ec2b440e1bb62f1f686b44033dbdcfeec;https://dot.asahi.com/wa/2020050300001.html)、なんか理解不能なことがおこっていると感じていたのだが。この緊急対策予算情報自体は新聞なんかにもちろん出ている。素直な私は深掘りもせず読み流していたが・・・。

 政治家や官僚にとって、今回のコロナ騒ぎは、補正予算をつけて、政治献金で回収するための、また権限拡大のチャンスという恰好のボーナスだったようだ。やはり角栄亡き後も裏では巨悪も怠りなくうごめいているわけだ。ま、その立場だったらやっちゃうだろうな、とつい思ってしまう私であるが。皆、あの世に持って行くのである。だからといってその事実がなかったわけではない。

【追伸】新恭氏の有料ブログ「永田町異聞メルマガ版」に以下が掲載された。「経産省が自作した電通隠れ蓑法人が給付金事務を受託する不透明」(https://mypage.mag2.com/ui/view/magazine/162281030?share=1)。ごく簡単に要約すると、コロナ対策で予算のうち、実務を国から769億で受託しそっくり749億で電通に丸投げしたのがこれまで電話もない幽霊組織「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」で、差額の20億はどこに消えたか、という次第。このブログになんと最近触れた有馬朗人氏もご登場されている。以上、初報は5/30の以下。https://digital.asahi.com/articles/ASN5Y6R35N5YULFA00P.html?iref=pc_rellink_03

【続報】「金になる人脈源「前田ハウス」に参加した渦中の元電通マン」(https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html)。そこで最後に曰く。「「えこひいき」がまかり通っているのが、この国の現実だ。首相が手本を示し ているのだから、なにより始末が悪い。」

【私の妄想】電通はオリンピックに深く関わっていた。https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/10654

 だから、オリンピックの延期は、違約料などの問題となって電通に跳ね返ってくるはずだ。https://biz-journal.jp/2020/03/post_148441.html

 と思っていたら、転んでもただでは起きないわけで、色々アドバルーンを揚げ続けている。https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_22420/

 これらの情報を追伸での丸投げと合わせ考えるなら、・・・ おのずと、電通への損益保障という図式が見えてくるではないか。

【続報2】「官僚も憤る電通「中抜き」の構図:源流にあの「官邸官僚」と民主党時代の決定」(https://mainichi.jp/articles/20200708/k00/00m/040/006000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20200708)

Filed under: ブログ

秘史・第二次世界大戦での「狼の子どもたち」:遅報(37)

 かつて(2019/8/18)、日本での戦後の戦争孤児のことに触れたことがあった。しかし、ヨーロッパの占領地で両親を亡くしたりはぐれてしまった敗戦国のドイツ人の子どもたちがどんな戦後を過ごさざるをえなかったかは、知らなかった。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/19/080100060/

 掃いて捨てるほどいるはずのナチス研究者のうちどれくらいが、こういうことをちゃんとフォローして研究しているのであろうか。はなはだ心許ないことだ。記事中に「歴史を記述するとき、子どもたちの証言が取り上げられることはまずない」、なぜかというと「子どもを使ってナチズムを正当化し、ドイツ人も戦争で散々苦しめられたのだと主張する極右修正主義者の領域”へと追いやられてしまった」からだとしても(これが論理として破綻していることはいうまでもない)、こういう眼差しを忘れてはいけないはずだ。ま、右向け右の凡百に求める方が酷というものか。

 神ならぬ身の歴史家は、絶対的な真実や証拠を掴んでいるわけでないので、常に複眼的相対的な見方を堅持するよう勉めなければならないが、私などはどうしても「狼の子供たち」に感情移入してしまう。

 日本人の子どもたちだって、外地でどんな目にあったことか。研究者の試みる聞き取り調査でも、殺害し見捨ててきた当事者が口を固く閉ざして語ろうとしない現実がある。「聞いた話だが・・・」と前置きして・・・・

【追伸】https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20170803001728.html

Filed under: ブログ