ベジタリアンだった剣闘士:遅報(36)

 久々に坂本鉄男先生の「イタリア便り」(https://www.aigtokyo.or.jp/?cat=27)に行ってみたら、以下のようなコラムが。

古代ローマの剣闘士は菜食主義者

 古代ローマ人は血なまぐさい決闘競技を見物するのが好きだった。良い季節には、首都ローマの巨大円形闘技場コロッセオをはじめ、植民地にまで建てさせた多くの円形闘技場で闘技が催され、市民を喜ばせた。

 演目は北アフリカから運ばれた猛獣退治に始まり、剣闘士同士の命をかけた決闘で終わる。当時のアフリカは地中海沿岸まで森林が続き、ヒョウなどの野獣がたくさん生息していたが、ローマに送るための動物狩りで激減してしまったといわれる。

 催しの最後を飾る剣闘士について、最近、古代遺跡オスティアの研究者による「剣闘士の骨の調査」の興味深い結果が発表された。

 剣闘士は、ローマとの戦いに敗れた異民族の戦士から、身長1メートル68前後の屈強な30~30歳ごろの若者が選ばれた。彼らは剣闘士養成所で訓練を受ける。

 体中傷だらけになって死ぬまで戦う運命となった彼らの食事は、現代のレスラーのイメージから、血の滴るビフテキなど肉類が主だと類推しそうなものだが、骨の調査から意外にも現在の菜食主義者とほとんど同じであることが判明した。

 主な食べ物は大量の大麦と豆類。飲み物には動物の骨を焼いて砕いた粉や岩塩を溶かし入れたという。

 古代ローマの剣闘士の方が、現代のわれわれより健康的な食事だった?

坂本鉄男(2020年4月14日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

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 これを読んで、「えっ、オスティアで剣闘士の骨? これはしたり」ということで慌ててググって見たが、2014年10月既報の記事で、
Medical University of Vienna、すなわちウィーン発情報で、出土場所は小アジアのエフェソスのものはずらずら出てきたが、オスティアは出てこなかった。ちょっとホッと。たぶん場所は坂本先生の記憶間違いかと。1933年発見のかの剣闘士たちの集合墓地出土の遺体を(後2,3世紀[前2,3世紀とする記事もあるが間違い]の全部で53遺体出土、うち剣闘士は22)で1993年に改めて調査したときに、残りの通常人との遺骨の成分比較をしたらしい。この墓やグラディエータの骨分析について我が国では踏み込んだ報告が未だなされていないが、私は20年来卒論で誰かやらないかとずっと言ってきたのだが、誰もしようとしないのは、やっぱりドイツ語になっちゃうからなのだろうか。現地のMuseum Ephesosで開催の展示会パンフも出ていて手軽にまとめることできる穴場なのだが。あのパンフさしあげますよ、やる人いたら。Hrsg. von Österreichisches Archäologisches Institut et als., Gladiatoren in Ephesos:Tod am Nachmittag, Selçuk, 2002, 105S.

発掘地点は、右の図で「DAM93G」

 こんな書き込みもみつけた:https://gigazine.net/news/20180630-gladiator-diets/

【補遺】https://imperiumromanum.pl/en/curiosities/what-did-gladiators-eat/

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私の精選「角栄語録」

◎早坂茂三『捨てる神に拾う神』祥伝社、1991年:

 学者はだめだ。世間を知らない。人間を知らない。世の中を何も知らない。実験室での話だ。権限もない。数字を持っていない。これはだめだ。そんな者に会う暇はない。それはお前がやれ。オレは役人を使う。

◎中澤雄大『角栄の「遺言」:「田中軍団」最後の秘書朝賀昭』講談社+α文庫、2015年:

 母親が死んでから、ワタシの人生観が変わったッ。次はオレの番だと、こういうふうに変わった。ですから、これからはまさに刻むがごとき人生だと思って、マジメに職務に取り組まんといかん、こう考えておるのでありますッ!。

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やはりコロナは「令和の空騒ぎ」だったような・・・

 私は最初からどうも、例年のインフルエンザのほうがワクチンあってもひどいのに、と今回のコロナ騒ぎが理解できないできた。実際、今に至るまで私の回りから死者はもとより感染者すら一人も出ていないし、テレワークでの参加者たちに聞いてもみなそうだ。

 そんな中、田中宇氏の集団免疫論や、漠然とした一般論でなく、持病持ちの高齢者や施設収容者、そしてマイノリティーにおける感染死亡率に注目すべきだ(こういっちゃなんだが、前時代だったらとっくに死んでる人たちや社会的弱者が、一掃されているだけのこと)、とかの、「非人道的」と非難されかねないごく少数派の見解に同意してきたのだが、以下のような統計が出てきて、素人の私の直感を統計的に裏づけてくれているようなのは有難い。「コロナ致死率、全年齢で0.4%? 米国疾病予防管理センター発表でわかった各国の過剰政策」(https://www.mag2.com/p/money/923739?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000204_thu&utm_campaign=mag_9999_0528&trflg=1)。

 それにしても、マスコミが恰好の話題に群がって煽りまくるのは当然としても、アメリカやブラジルの大統領といった一部の例外を除いて(彼らとて褒めたものではないが)、世界中の政治家たちまでもが雁首揃えてコロナ騒ぎに同調している「過剰政策」が、どうも納得いかないのである。裏に隠された何かがあるのでは、というわけだが、私のような一介の耄碌じじいにわかるわけはない。ただ国家情報戦略にかかわる情報の8割は一般報道で出ている、とおっしゃる佐藤優氏の持論を信じるとすると、予想される近未来の真のパンデミックの予行演習を、口裏を合わせてこの際やってみましょう、と衆議一決してのことのように思われるのだが、我ながらこの仮説、事実から間遠い感じがする。

【追記】第二波は当然来る。スペイン風邪のときの紹介があった(https://digital.asahi.com/articles/ASN5X5RGJN5VULBJ007.html?ref=mor_mail_topix1:ところで「スペイン」「風邪」という標記は誤りで、本当は「インフルエンザ」だったし、本来原発地も「アメリカ」だった)。「日本での第一波は1918年11月に訪れ、約4万4千人が死亡した。その後、収束に向かったものの、約1年後の冬に第2波が到来した。米国やフランスなどでは第2波の方が脅威となり、国立感染症研究所によると、致死率は第1波のときの10倍だったという」。ここではなぜか第二波の犠牲者について具体的に述べていないが(死亡率は第一波より4倍半も高くなり、しかし約4万だったらしい:http://www.tokyo-eiken.go.jp/assets/SAGE/SAGE2005/flu.pdf、そこでは、いずれの場合も流行期間はピークを挟んで前後おおむね4週間だったとされている:今回の東京もそれに似ている。感染者数のピークは4/17)。1世紀も前のことで、まあなんでもかんでもそのせいにしたという予想は簡単に思いつくが、ともかく第一波では日本の死者は4万4千人だった。今回死者は900人弱でまだ1000人を越えてもいない。その代償としての経済的打撃とか考えてみると、これを「押さえ込んだ」と自画自賛するのか、「空騒ぎ」とみるのか、みなさんにアンケートとってみたい気になる。

 とはいえ、誤解されても困るから付言しておく。なんだかんだ言っても、犠牲者が100年前より押さえられていることは、いいことだ。今回何が奏功しているのか、これはもう少し経ってからでないと出そろわないだろうが。

【追記2】田中宇氏が持論をアップした( 「新型コロナの脅威を誇張する戦略」http://tanakanews.com/200604corona.htm )。私はそこまで言い切るのは躊躇するが、今般の軌を一にした国際的な動きには首を傾げている。

【追記3】毎日新聞に途中経過ながら面白い記事が:2020年6月10日 06時30分https://mainichi.jp/articles/20200609/k00/00m/040/201000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20200610

氷河、もとえ表が面白い。

【追記4】「あたらしい生活様式、保育では無理難題」(https://digital.asahi.com/articles/ASN595G1HN58UTFL01D.html?iref=pc_rellink_02)。それはそうだと思う。そもそも保育を視野にいれていないわけで。ところで「新しい生活様式」を問題視する人もいるようで。「感染拡大せず「日本スゴイ」・・・80年前と重なる嫌な流れ」(https://digital.asahi.com/articles/ASN6N54S3N6HUPQJ006.html?iref=com_favorite_01)。たしかに行き過ぎは問題だが・・・、そしてコロナ後がそんなに変化しないと私も予測しているが、私的には牽強付会を感じてしまう。時流に乗ってうごめく連中が気にくわない、ということか。でもそんな輩はいつでもいるわけだし、生活の見直しは必要と思うので、なんとなく腑に落ちない。

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真相やいかに:ロッキード事件をめぐって

 私がなにかを考えることができるほど物心ついて以降だけでも世間を騒がした大事件に、1968-9年の大学闘争、1976年のロッキード社の疑惑事件(以下、「ロ社」「ロ事件」と略称)、1989以降の一連のサリン事件、1991-3年のバルブ崩壊、2011年の東日本大震災、そして止めとして今回のコロナ騒動、などなどと枚挙に暇ない。そのうち実際に多少関わった大学闘争関係については、このブログですでに触れている(2019/5/17「一万年後に想いをはせてみる」:遅報(7);2019/12/10「人はなぜ体験を書かないのか、否、語り始めるのか」:遅報(15))。だが私にとってあとはすべて間接情報にすぎないので、同時代といっても単なる傍観者である(東京サリンの場合、たしかその1週間ほど前に学振関係の会議で霞が関に地下鉄で行っていたので、これがちょっとずれれば、私も被害者になったかもしれなかった)。ただ、1968年の三億円事件や、1984-5年のグリコ・森永事件といった事件の場合、ある意味単純な犯罪である。そうでなくて背後に政治的な思惑・巨悪・魑魅魍魎がうごめいていると、問題は複雑になる。その代表例は断トツでロ事件であろう。政財界に、法曹界をも巻き込んだ一種の国家的隠蔽事件と思われるからである。

 現在進行形の安倍政権でも手前勝手な法のねじ曲げが顕著で、見え透いた稚拙な手法でそれがまかり通っているのをなんとも歯がゆく感じているのは我々無告の民の共通体験であるが(但し、本当にそれが彼の指示によるのかどうか、個別的に冷静に判断すべきとはいえ)、時間が秘密を知りえた人々を消し去って迷宮入りとなるはずのところ、どういう拍子か当事者が重い口を開く場合もある。それがロ事件で生じた。私はなぜそういうことが生じるのか、知りたいと思う。

 それは事件当時丸紅の航空機課長の坂篁一氏の衝撃的告白で、2016年7月に放映されたNHK『未解決事件』第5回「ロッキード事件」でのことだった(NHK「未解決事件」取材班『消えた21億円を追え:ロッキード事件40年目のスクープ』朝日新聞出版、2018年;中尾庸藏『角さん、ほめられ過ぎですよ!:異常人気の「角栄本」の正しい読み方』扶桑社、2016年)。彼はまさしく5億円を上司に進言した張本人だった。すでに多くの人によって紹介されているのでここで詳細はくり返さないが、私には、彼が「軍用機を国産されると、丸紅に口銭が入らないが、輸入なら商社に巨額の口銭が入る」と、「こうせん」などという私などには聞き慣れない商慣習的な言語を使っていたのが、実に生々しく聞こえたものだ。そして軍事費がらみの国策転換だと総理大臣の職務権限による汚職となって角栄有罪が濃厚となるわけだが、それ以上に、日米貿易格差是正でアメリカ政府・ニクソン大統領にとってもベトナム戦争での武器開発で赤字になったロ社立て直しで、外国の金で武器が売れて会社が立ち直る方が都合がいいという構図の中で、日本での騒動の論点が本丸の対潜哨戒機P3Cを隠して、民間機トライスターに目が向くように動き出したとなると、法的形式論理では角栄有罪は冤罪だったということになって、小者を除いて特捜が敗北し、いずれ八方丸く収まるという算段も成り立っていたはずなのだが、角栄の思わぬ脳梗塞発症(67歳)・死亡(75歳)で終結してしまったというわけか。被疑者のうち、裁判途中での死亡者は、田中角栄、児玉誉士夫、小佐野賢治、丸紅ルートの大久保利春専務(伊藤宏専務は有罪確定、檜山廣は実刑確定したが高齢のため未収監)、全日空ルートの橋本登美三郎元運輸大臣(佐藤孝行運輸政務次官、全日空若狭社長以下6名は実刑確定)、がいる。ロッキード・ルートで起訴されなかったが、限りなく黒に近い灰色高官とされた者に、二階堂進元官房長官、佐々木秀世元運輸相、福永一臣自民党航空対策特別委員長、加藤六月元運輸政務次官がいた。捜査に当たった堀田力は「それはもう深い物凄い深い闇がまだまだあって」と、日本の検察だけでは解決できない何かを暗示しているようだ(真相は把握している口ぶり)。

左、TriStar;右、P3C

 しかし坂氏の告白以前でも、そもそもその発端となった1967年2月4日のアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で、ロ社のコーチャン元副会長は、すでに児玉誉志夫に約21億円の工作費を贈ったと証言していた。それが角栄の場合、別件の5億円の授受(筆頭秘書官榎本らは、賄賂ではなく政治献金と主張するわけだが)に矮小化されているのは、言われてみれば奇妙なことだ。アメリカですら、当時航空機の売り込みに政治家に賄賂を渡すのはむしろ当たり前で、賄賂が少なければどんな性能のいい航空機でも売れない、というのが業界の現実だったとか、またアメリカでは海外で工作費として賄賂をしても不問に付されるので、一旦それ名義で国外に持ち出して、あとから回収するという脱税方法が行われた可能性もあった。それが誰にばらまかれたのか、アメリカ側が明かすはずはない。

 いずれにせよ、日本政府はその後、米国から1機100億円超のP3Cを計100機輸入した。こうして現在、日本は世界第2位のP3C保有国となっている(最近、安倍政権もトランプに言われて防衛装備をさらに爆買いするらしい)。

 私にインタビューのチャンスなどもとよりないが、たとえば坂篁一氏がなぜ今になってそのような告白をする気になったのか、聞いてみたい気がする。普通は、国士・児玉のように黙ってあの世に持って行くのが普通であろうに(後から読んだ『消えた21億円を追え』p.162に、彼が信頼する弁護士の説得があった、と;別例ではあるが、口の堅い秘書たちの離反は娘の真紀子の無体な言動への反発だった、という事例もあったようだ)。それにしても、角栄が無罪を主張したのも、法的論理上まんざらゆえないことではないと思えてくるのだが(だからといって金権政治を是認するわけではないが)、こういう法的形式論理に慣れると、なにが正義なのか段々分からなくなってくるのも確かである。

 「小さな正義を振りかざす善人と、清濁併せ吞んで強力なリーダーシップを発揮する政治家と、どちらが国家・国民にとって本当に有用なのか」(山本皓一『素顔の田中角栄:密着!最後の1000日間』宝島社。2018年、p.211)。

【補遺】放送では触れられなかったと記憶するが、『消えた21億円を追え』p.190-に、「もう一つのロッキード:ダグラス・グラマン事件」で以下が述べられている。1979年に早期警戒機E2C導入が問題になり、今度は日商岩井から代議士・松野頼三への「政治献金」5億円のはずだったが、それがいつしか次期戦闘機F4Eファントム売り込みへと、「ロ事件」と同様な論点ずらしが行われ、政治家では岸信介(2万ドルの見返りメモあり)ら6名(角栄を含む)の名前も出たが時効を口実に捜査打ち切りとなり、社員3名の形式罰的な有罪判決のみで終結した。なお、この時の戦闘機の口銭は40〜42億円だった由。5億払っても十分だったわけである。逆にいうと早期警戒機のほうは一層膨大な儲けだったのだろう(1983年より合計13機購入)、政治家にとっても会社にとっても。なお誤解のないように付言しておくが、この時代は現在より賄賂に対する法的規制は相当にゆるかったのである。とはいえ、金権政治が問題であることに変わりはない。

左、E2C;右、F4Eファントム

【後記】2022/2/9:昨晩久々に上記「未解決事件」三部作をみて、最近の関心からすると、民主主義を建て前にして輸出するアメリカの本音が軍事産業の育成保全にあること、1980年代は戦後40年経っていたが、日本は依然後進国家・傀儡政権にすぎなかったこと、を強烈に認識した。それから25年、どれほどすばらしい国になっているのか、これもはなはだ疑問ではあるが。

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コロナ以後の古代ローマ史研究への提言

 たいした提言ではありませんが、せっかくの新傾向の芽生えがあったのだから、今後も前向きに実践してほしい、と思いまして。すぐにできることは、

①「ウェブでの論文公表の促進とそれへの学界的認知」であろう。論文公表は私が試みているようにウェブにアップすればいいだけのことである。多くの図版やデータをカラーで掲載できるので、読者の理解を深めるにはきわめて有効、と自己満足しているが、いかんせん後続は皆無。ただ問題は、知的所有権や著作権の侵害問題を恐れる人が多いので、それをどうクリヤーするかであろうが、活字論文でも実施しているように典拠引用をきちんとしておけばいいという了解を、できれば学界的に得ることできれば簡単と思う。実際、私のウェブにこれまでのところ抗議は一切来ていない(ま、それほど全然注目されていない、ということでありんすが (^^ゞ)。

 そして、さらに重要なのは、そのウェブ論文を研究業績として学界が認知することである。ただウェブはアップした個人とともに消滅してしまうのが普通なので、恒常的な保存の裏打ちとして、ウェブ論文管理学会といった組織設立がもとめられ、そこでクラウドにアップして、会員はいつでも閲覧できるようにすればいいのでは、と考えている。

 本当は、ウェブ論文をアップする前段階として ②「テレワークによるインターナショナルな発表・討論の実施」がなされるべきである。これは、事始め的にはせめて日本語でやってもと思うが、相互批判を避ける内向きでシャイな日本人にとって、かなり高いハードルになるだろう。しかも、そもそも我が国には実のある討論ができるほど古代ローマ史研究者の蓄積がないので、活発な討論を期待する素地がもともとあると思えないが、やらないよりはやったほうがいいに決まっている。ことと次第によっては、①にコメントつけていくやりかたでもありかと。 

 よって、なんたら研究会の月例会なんかも一堂に会するための交通費なんかを不用にできるわけで、テレワークですればいいだけのこと、と思ったりしております。

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世界キリスト教情報第1531信:2020/5/25

= 目 次 =      
▼エルサレムの聖墳墓教会が制限付きで再公開      
▼バチカン美術館が6月再公開、カステル・ガンドルフォ教皇離宮も      
▼デンマークの中学校が教会墓地で数学授業、「対人距離」確保策      
▼新型コロナ、教会のミサで集団感染 独フランクフルト      
▼トランプ大統領が州知事に教会の活動再開求める      
▼ミャンマーで「キリスト教徒はコロナに免疫」と説教した牧師逮捕

 4番目だけ紹介するが、5,6番目をみても、やはり二次感染、注意する必要ありのようだ。

【CJC】独西部フランクフルトで5月10日に行われた教会のミサに参列した人のうち、40人以上が新型コロナウイルスに感染していたことが分かった。現地メディア報道としてAFP通信が24日伝えた。
 地元保健当局は独DPA通信に6人が入院したと明らかにした。現地紙『フランクフルター・ルントシャウ』によると、このミサが行われる数日前にドイツでは宗教施設が再開されていた。
 ドイツでは新規感染者数が堅調に減少したことから、感染拡大の抑制を図る移動制限が5月初旬から緩和され始めた。アンゲラ・メルケル首相は6日、新型コロナウイルスの感染拡大を鈍化させるという同国の目標が達成されたとして、ロックダウン(都市封鎖)を段階的に緩和していくと発表している。
 サッカーのブンデスリーガにも再開許可が下り、学校は夏季に徐々に再開する。
 また他人との接触に関するルールは今後1カ月間継続されるが、2世帯間の面会や食事が認められるほか、介護施設や障害者施設にいる高齢者は特定の1人との面会が可能になる。
 経済活動はすでに限定的に再開されてはいるが、今回の規制緩和はより広範なものになる。ドイツ国内の感染者数は欧州の近隣諸国の一部と比較して少ないものの、感染拡大の第2波への警戒は根強い。
 フランクフルト近郊のマイン・キンツィッヒ郡当局は22日、フランクフルトで開かれたイベントに参加した16人が感染したと発表していた。
 北部ニーダーザクセン州当局は23日、同州レーア市内の飲食店で7人が感染し、約50人が隔離されたと発表した。
 フランスでは、福音派教会が今年2月に開き、1週間の期間中に約2000人が出席した催しが原因となって全土に感染が拡大した。
 米国ではドナルド・トランプ大統領が22日にホワイトハウスで行った記者会見で、「必要不可欠」だとして宗教施設の再開を州知事らに求めた。
 独ロベルト・コッホ研究所によると、23日現在、ドイツ国内で公式に確認された感染者は17万7850人、死者8216人となっている。

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映画「羅生門」:遅報(35)

 今、NHK BS 4Kで映画「羅生門」(1950年)をやっていて、見るともなく聞いている。言わずとしれた芥川龍之介作『藪の中』と『羅生門』が原作である。大学での「歴史学研究入門」で教材として使ったこともある。人間とはいつでもどんな場合でも平気で嘘をつける存在なのだ。100人いれば100の事実が存在する。その現実の中で何を基準にして歴史的事実を見定めることができるというのか。それを考えてほしかったからだ。

 映画の最後で、薪売りが捨て子を包んでいた衣服を持ち去ろうとする下人から「手前勝手のどこが悪い! そういうお前は何をやった。検非違使は誤魔化せたのだろうが、螺鈿造りの短刀を盗んだのはお前だろう」と、図星を突かれてしまう。そのままでは人間不信のまま話が絶望で終わらざるを得ないが、その薪売りが捨て子を育てる決心をすることで、人間を信じることができるというオチとなる。

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女王・昭子から見た秘書早坂、他:遅報(34)

 人は、どこまで本当のことを喋るのか。

 佐藤昭子『決定版 私の田中角栄日記』新潮文庫、2001年(初版1994年)が届いた。さっそく読み出したが、大変読みやすい(ゴーストライターいたんだろうな)。そして早くも序章で「自らいわく、側近中の側近、三顧の礼をもって迎えられたという元秘書氏が、講談調でオヤジを語れば、世の中の人はそれがすべて真実だと思ってしまう」(p.19)というくだりに出会う。ここでほのめかされている早坂への皮肉っぽい表現の内実は、おいおい多少踏み込んで述べられていて、情報の是正におおいに役立つ(p.67、75、93)。1952年以来33年間秘書だった彼女からすると、さしもの早坂先生も、出戻りの新参者にすぎず形無しだ。

1928-2010年:81歳

 その彼女がめずらしく感情的に激しく反応しているのは『文藝春秋』1974/11月号掲載の児玉隆也「淋しき越山会の女王」であって、立花隆のほうではなかった。それは彼女の知られたくないプライベート部分に触れていたからである。彼女は本書で具体的にそれに言及していない(p.18-9)が、娘あつ子によると、どうやら新橋の場末のキャバレーで働いていた時代のことだったらしい(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40349)。

 昭子(改名前は「昭」)に言わせると、角栄の取り巻き(政治家はもとより、小佐野、神楽坂芸者たちを含む)はやたら角栄との関係を針小棒大に吹聴して、それがマスコミにより角栄の実像から乖離した「闇将軍」というレッテルを貼られることになり、世間の誤解を招くことになった、ということらしい。批判された金権政治もそんな金はみたことないと言い切っている。それは「金庫番」と名指しされていた彼女にとって真実だったのだろうか、それとも・・・。ただ論より証拠、彼女は逮捕も裁判沙汰にもなっていないのも確かである。早坂情報的な角栄の政治資金用金庫は他所にあったのかもしれない。彼女はそこを上手に切り分けて巧みに角栄を守ろうとしていて、私などもう説得されそうになる(p.104-8)。人事については自分の関与を明け透けに述べているのと比べると(これ自体、たいへんなことだが)、角栄が一枚上手だったのか(隠すというより、身内が知らないほうがいいこともあるし)、彼女が知らない顔をしているのかのどちらかであろう。それにしても、彼女もご他聞に漏れず抜かりなく蓄財に励んでいたようで、娘のあつ子によると、一時は巨額の資産を所有していたが、資産を預けていた人物が1995(平成7)年に逮捕されてから大半を失い、そのうえ若いツバメを侍らせてもいたようで、影響力も低下した由(伊藤あつ子『昭:田中角栄と生きた女』講談社、2012年)。

 ロッキード事件についても、角栄とはまったく関係ない、あれは石油関係のアメリカの国内問題での飛び火、および多方面でエネルギー資源確保外交を展開していた田中叩きのキッシンジャーたちユダヤ系の策謀だった、との田原総一朗説を紹介していて(p.249-251:「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」『中央公論』1976年7月号;実際は通産官僚あがりの小長啓一秘書官の発言)、私のような歴史畑の人間好みの仮説でなかなか読ませてくれる内容だ(もちろん、日本側の思い込みだとの反論もあって、たぶんそうだろう。角栄以下そう思い込みたかっただけのことだろう:https://www.excite.co.jp/news/article/E1469582127490/?p=3:徳本栄一郎『角栄失脚:歪められた真実』光文社、2004年)。

 そして「裁判というものが、こんなに変なものだとは知らなかった」ともっともな感想を漏らしている。時効期日に追われていた東京地検特捜部による強引な無理筋の事件では、被疑者を取調べした検察官が証言の行間を作文して「事実」を創作・捏造してゆくのだから、そういうことになる。角栄は身に覚えのない5億円授受を認める事ができなかったので一審、控訴審で有罪になってしまったが、法廷闘争技術的にはそれを認め、総理大臣の職務権限で争っていたら勝てたはずだという法曹関係者もいたほどだ、としていて興味深い(p.181)。裁判については弁護士・木村喜助の本が届いたので読んでみたが、なんだか本質からはずれた法的解釈に終始していて、新しいことはない感じだが、民間機に総理大臣の職務権限は成り立ちがたいので、そこで頑張れば無罪もありえた、という結論は納得できる。そのように方針転換しようとしたら角栄が倒れたので、従来通りでやるしかなった、と。それがP3Cだと軍事防衛費で職務権限に抵触してくるので、そっちは弁護側もまったく触れようとしないわけだ。いずれにせよ、法廷論義なんて真実の解明からほど遠いわけだ。

 被害者であったから、彼女のマスメディア批判は厳しいものとなる。そしてまた角栄の凋落でいとも簡単に人心が離反していく身勝手さ、薄情さ。「今さら驚くことはない」(p.230)と日記に書いて、裏切られた落胆を懸命に奮起させている様子は痛々しい。まさしく人情紙風船。子飼いの代議士が分裂して相争う後日談への眼差しは、太閤亡き後の正室寧々(高台院)もかくあらん(あ、昭子さんは側室か)、という感慨が襲う。

 あれこれ探っていると、つぎつぎ注目すべき本がでてくる。産経新聞特集部編『検察の疲労』角川文庫、2002年、も発注した。こんなの図書館にないからつい購入してしまうが、うっかりすると文庫本などアマゾンだと捨て値の1円や85円だったりする。それがつい検索で「日本の古本屋」を使うと800円だったりして高い買い物になる。しかし、同時代のマスコミで煽られた時流に抵抗して野次馬が真実を見ようとすることは大変難しい(今のコロナ騒ぎだって、そうだ)。それより当事者が死に絶えたあと、角栄の実像はどうなってゆくのやら。そんな自分に2000年前を論ずる資格というか能力があるのだろうか。疑問だな〜と思わざるを得ない。

【追記】中尾庸蔵『角さん、ほめられ過ぎですよ!:異常人気の「角栄本」の正しい読み方』扶桑社、2016年を、間違ってKindle版で購入(おかげでまた目まいに襲われた。目も痛い)。内容が正鵠を射ている感じで、なかなかいい。石原慎太郎の本を買わなくていいこともわかったし。テレビでの、丸紅からの5億円授受を認めた榎本発言を検察も裁判所も弁護団もなかったことにした、というくだりには恐れ入った。

 ところで関係本を収集していて、「女たちがみた角栄」というレポートができそうだ、ということに気付いた。なんと愛人二人が書いているし、娘二人も書いているし。こういう人も珍しいかもしれない。

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いい加減にしてほしい、大学改悪:飛耳長目(44)

 こんなウェブ記事が飛び込んできた。当時の官僚におだてられ、いいように鼻面を引き回された結果ではあるが、100年先を見通しての見識がなかったわけだ。「国立大学法人化は失敗だった:有馬朗人元東大総長・文相の悔恨」:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00158/051900003/?n_cid=nbpnb_mled_mpu

 有料記事なので、ここでの全文引用は控える。

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 国立大学の教育・研究活動に必要な基盤的経費である国立大運営費交付金。2004年に国立大学が法人化して以降、年々減少が続いており、東大もその例外ではない。この法人化の方向性を決めたのが、1998~99年に文部大臣(現・文部科学大臣)に就いていた元東京大学総長の有馬朗人氏だ。当時は、大学に自主性が生まれるといった効果を期待して法人化されたが、結果的には、そうした効果以上に人件費に充当される運営費交付金の削減で、若手研究者の減少を招くこととなった。法人化は「失敗だった」とする有馬氏に、法人化の経緯や今後のあるべき姿を聞いた。

  日本の大学は海外に比べて資金が不足しているといわれます。東京大学総長や理化学研究所理事長、文部大臣も務められた経験から、今の大学についてどうみていますか

1930-:89歳

有馬朗人・元東京大学総長、文部大臣(以下、有馬氏):1990年代半ばごろ、日本はバブルが崩壊した後で経済市場が危機的な状況にあり、政府は多過ぎる公務員を減らそうとしていました。そして同時にいわれたのが、国立大学も何とかできないかということでした。最初、国立大学を私学化する案も出ていましたが、むしろ日本ほど大学教育で私学が大きな役割を果たしている国はないと、大学の在り方を検討する国の会議の委員も務めていた私は反対しました。

 米国もハーバード大やプリンストン大といった私学はあるが、州立大もきちんと役割を果たしている。ドイツやフランスはだいたいが国立や州立です。私学がこれほど頑張っているのは日本くらい。むしろ、国に対してもっと大学が貢献できるようにするなら、私立大を国立にすべきだと言いました。

 そんな議論がされている間に、持ち上がってきたのが国立大学の法人化でした。そのとき私は文部大臣を務めていて、世界中の大学を調べてみると、オーストラリアの国立大学は法人で、ドイツやフランスの大学関係者からも「法人化したほうが自主性が高まる」という答えが返ってきた。文部省でも検討委員会をつくって議論した結果、法人化したほうが良い面があるという結論が出ました。それで私は法人化を決心したんです。

運営費交付金は減らさない約束だった

海外事情も調べたうえで決断したのですね

有馬氏:ところが、実際、2004年に国立大学が法人化されると、その後、毎年1%ずつ運営費交付金が減らされていきました。

 こうしたことが約10年続きました。この結果、運営費交付金には人件費が入っているので、若手研究者が雇えなくなったんです。全国の大学で正規雇用の若手研究者がガタっと減り、理工系で博士課程に進む数も大きく減りました。運営費交付金が毎年減らされていくことを、私は読み切ることができませんでした。(以下、略:残り 1265文字 / 全文 2245文字)

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 この記事のシリーズ名が「東大の突破力 「知」はコロナ後の日本を救えるか」。笑ってしまった。経歴見ても徹頭徹尾あの悪名高い「原発村」でどっぷり体制側の人だし。読者のコメントにも「東大を潰してその予算を全国の国立大に振り分けたほうが雇用も研究も増えるのでは?」「この失敗の経験がこれから役立つことは無いであろうと思います」と、多少見当外れだが辛辣なものが多い。むべなるかな、むべなるかな。

 現行制度に問題があるから(しかし、問題はいつでもどこにでもある)、改善を目指すと称して「改革」が試みられる。今の場合、文系の私の理解では、教授・助教授・助手という封建的主従関係が学問の発展を疎外しているとされ、大学的には国際化をめざしてあくまでその是正のため制度をいじったはずなのだが、実際には人員削減ばかり行われて、かえって(水増しされた)若手研究者の首を絞める結果となっているし(もう少し言うと、アメリカ式の消耗戦をよしとして採用したわけ:私も大変お世話になった日本育英会奨学金だって、貸与型導入で改悪されてしまった:私は免除職19年勤務で返還義務が免除された)、学問の国際化が進展するどころか、研究の継続性はぶち切られ、理系ですら研究業績数の先細りばかり言われている始末である。いずれにせよ、いつものことだがそうなる恐れは最初から指摘されていた(その点、慎重でつむじ曲がりの研究者にいささかも怠りはない)。それに目をつむって(押さえ込んで)飛び込んだ先は、もっとひどい地獄だったわけである。なんともはや、というしかない。

【追記】2020/12/20「NHKスペシャル:パンデミック激動の世界(6)”科学立国”再生への道」を、妻と一緒に見た。彼女によると、研究を知らない役人なんかが金を握っていると、目先が利かないから全然いい成果に結びつかない、と。また、何だかんだ言ったところで、定職についた途端、研究止めちゃう人も多いのよ、と。後段は、私の分野でもなぜか論文書かなくなる連中が多い現実あって、そんな連中が人事権握ってしまうので、結局ろくでもない方向に行くのをあちこちで目撃しているので、ああ理科系も同じなのかと。逆にいうと、この袋小路を突き破るエネルギーは凡夫には無理なんじゃないか、とついつい思ってしまう。

 なお、この番組で、有馬氏が自分の理想を実践すべく沖縄科学技術大学院大学学園創立に尽力していたこと、この12/7に死亡されたことも知った。ご冥福をお祈りしておく(/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201207/k10012750731000.html)。しかし新設大学はともかく、既得権を主張する既存大学の変革は至難だし、新設にしても腐ったリンゴが混じってきて早晩骨抜きになってゆく。永遠のモグラ叩きが必要で、改革しようとしても改悪と叫びだす輩が必ず出てきて、とかくこの世はうまくいかない。

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テレワークで、ラテン語いっしょに読みませんか

 以前からラテン語で以下を読んでいます。エウトロピウス『首都(ローマ)創建以来の略史』全一〇巻

 これまで渋谷の貸ルームでやっていましたが、ご多分にもれず4月末からZoomでのテレワークでやり始めており、今週で第3巻まで新しい方針(原文直訳主義)で訳し直しました。今現在、密着授業がないので、ポーランドから林君も参加してます(時差の関係であっちは真昼です)。来週からは第4巻の見直しに入ります。後期古代の文体なのでむつかしくありませんし。気軽に参加してみませんか。部屋代もいらないので、参加料は不用です。

 毎週、火曜日、午後6時半から90分ないし120分です。テキストはBudé 版(初版一九九八年、第二版二〇〇二年)です。当方(k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)に連絡いただければ、ラテン語テキストと見開きの仏訳のpdf版を送付します。現参加者は歴史畑の連中ばかりなので、肝心な箇所で音韻的背景あるかもと思っても放り投げています。なので、とりわけ語学系の方の参加があるとうれしいです。

 Zoomでのテレワーク接続についての段取りは、江添誠氏(macezoe@kokushikan.ac.jp)にホストをお願いしておりますので、彼にご連絡・ご相談下さい。

テレビ画面は最初と最後だけで、勉強中は音声のみ。この日一人はWi-Fiの調子が悪くてiPhoneの音声で参加、林くんはポーランドから参加、でも音声遅延はまったくなくスムーズでした
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