月: 2020年2月

口の文化、目の文化:飛耳長目(30)

 文化の違いでマスクへの感覚もちがってくる、というのは知っていたが、その理由が「得体の知れなさ」にあったとは。https://digital.asahi.com/articles/ASN2H3WJQN2GUHBI00R.html?iref=pc_rellink_06

 私的感覚だと、マスクしていると、顔のアピールが目だけになり、美醜に関係なく、みなさん美男美女に見えていいなあ、とぼんやり思ってきた。

 そういえば、サングラスかけた欧米人たちがどうもうさんくさく、犯罪者っぽく感じてきたなあ、と。得体の知れなさを日本人は目から判断するという指摘には納得。

【追伸】5/27 面白い指摘をみつけた。https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2020/05/post-1165.php

 トランプ大統領がマスクをしないのは、西部劇での銀行強盗がマスクをしていて、イメージ悪いから、だと。意外と説得力あるかも。

【補論】2021/12/6 再放送で見たNHK BSプレミアムでの「ヒューマニエンス」の「”顔” ヒトをつなぐ心の窓」で漫画家のヤマザキマリが言っていたが(こういう所が、私が塩野女史なんかとちがって、彼女を高く評価するところなのだ)、イタリアでは赤ちゃんが生まれると赤子に向かってとにかく色々な単語で「可愛いs caro(a)」とベタ褒めして話しかける、だから赤子は生後7か月もすると親の口元に意識を集中させるようになる、この点日本人は言葉ではなく目で愛情を伝えようとするから赤子は目に集中する、それが今に続いている、という番組の流れになっていて、納得。

 以下は後日談になるが、こういうこともイタリアで聞いた記憶がある。この子供へのベタ褒めは、ずっと続く。それで、子供は自分が世界で一番「かわいい」存在だと思わされて成長するのだが、実際には成長するとそうではないという現実に直面して、悩み出すのだそうだ。

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ペルペトゥア・メモ:(7)総督代理Hilarianusについて

 『受難記』VI.1以降で、とある都市の公共広場でペルペトゥアたちの裁判が開催されたことがわかる。その場所を研究者たちは例外なくカルタゴと考えてきているが、当時、属州総督=裁判官は管轄属州の主要都市を巡回していたので、なにも州都(今の場合はカルタゴ)である必要はないが、まあ州都での出来事としたいわけだ。彼女たちが収監されていた場所から歩いていける範囲に円形闘技場があったので、カルタゴがその条件を満たしているという事情もある。

 彼女たちの裁判官は「財務管理官procurator ヒラリアヌスHilarianus」だった。元老院管轄属州で最高の格式を誇っていたアフリカ州には当然執政官格の元老院身分が派遣されるのが常だった。ヒラリアヌスは「そのとき属州総督proconsulで死去したミヌキウス・ティミニアヌスMinucius Timinianusの座にいて死刑執行権ius gladiiを拝命していた」、要するに現職の総督が在任中に死亡したので、後任総督が派遣されるまで(ないし、次年時になるまで)、臨時に勅命によりおそらくカルタゴないしその近辺で皇帝直轄領の財務管理官だったヒラリアヌスが任命されたのであろう。Rives, 1996, p.5は、その線で年給金が10万セステルス級のprocurator provinciae Africae tractus Karthaginiensisと、20万級のProcurator IV publicorum Africaeの二つの候補を挙げ,後者と想定している。それが騎士身分の最高位であり、アフリカ属州のproconsulの代理にふさわしいとの判断からである。

 さて、その元来の職掌からヒラリアヌスは宮廷奴隷ないし解放奴隷出身者だった可能性が高い。そもそも命名法的にも本『受難記』で故意にcognomenのHilarianusのみで記され、他方proconsulという職名から元老院身分が確実な前任総督が姓名二単語Minucius Timinianusで表示されていることからも、それは傍証されるだろう。編纂者は冷厳に彼らの身分的違いを見極めていたのだ。

 奇しくもこのヒラリアヌスについて、同時代人テルトゥリアヌスが212/3年頃書いた『スカプラへ』ad Scapulam,3.1で以下のように述べている。「私たちは嘆かざるを得ません。いかなる都市も私たちの血を流して罰されずにはいられないだろうからです。属州長官ヒラリアヌス下でsub Hilariano praesideのようにです。人々は私たちの墓所の土地についてde areis sepulturarum nostrarum叫んだのです。’(キリスト教徒のための)土地などないareae non sint!’。(ところが)なくなったのは、彼ら自身の脱穀場areaeのほうでした。というのは、彼らは彼らの収穫物に事欠いたのです」。すなわち天罰として天変地異が異教徒を襲った,という意を同音異義語のだじゃれ含みで述べている(参照、大谷哲訳『歴史と地理』No.664, 2013-5, p.30;但し要修正)。ここで注目すべきは二点で、まずpraesesと当時もっぱら騎士身分担当属州の総督に付与された名称を使っていること。即ちここでも書き手のテルトゥリアヌスはヒラリアヌスの所属身分を明確に意識して殊更明記している。またそこでの叙述内容からは『受難記』とは別のキリスト教徒迫害理由が浮かび上がるはずである。

 1968年に公表された2つの碑文史料(A.Garcia y Bellido, Lapidas votivas a deidades exoticas halladas recientemente en Astorga y Leon, in : Boletín de la Real Academia de la Historia, 163, 1968, pp.203-204, figs.4 & 5 ≒ AE, 1968, 227, 228)を投入して、新たな知見が展開されるようになった。出土場所はスペインのレオン県のアストルガ。私は20年前に2夏がかりでカミーノを全踏破した。ブルゴス、レオン、そしてアストルガを通過したが、こんな碑文のことなど知りもしなかった。

 T.D.Barnes, Tertullian, Oxford, 1971, p.163 ; W.Eck, Miscellanea prosopographica, ZPE 42, 1981, p.235f. ;J.B.Rives, The Piety of a Persecutor, in: Journal of Early Christian Studies, 4-1, 1996, pp.1-25(idem, Religion and Authority in Roman Carthage from Augustus to Constantine, Oxford, 1995, p.244);Barnes, Early Christian Hagiography and Roman History, Tübingen, 2010, pp.304-7.

p.203 fig.4:男神たちと女神たちーー万神殿内で嘆願されるが正当かつ当然であるーーに、P.Aelius Hilarianus、Publiusの息子、皇帝財務管理官は、子供たちと共に、正帝・・・の安寧のため・・・

p.204 fig.5:Jupiter Optimus Maximus,、Juno Regina、Minerva Victrixに、P.Aelius Hilarianus、Publiusの息子、皇帝財務管理官は、子供たちと共に、敬虔かつ豊穣の正帝・・・の安寧のため・・・

 名前が削り取られた皇帝(たぶんコンモドゥス帝:在位180-192年)の治世下にスペインのアストルガで、Publius Aelius Hilarianusが財務管理官として奉職中に、子供たちと共に皇帝の安寧を願って2つの奉献を行った。ここでのヒラリアヌスが、203年ごろに北アフリカ属州カルタゴ付近に派遣されていた者と同一人物、と考えるわけである。それを、H.-G.Pflaum, Les Carrières procuratoriennes équestres sous le Haut-empire romain, Suppl., Paris, 1982, p.117 や、W.Eck, RE Suppl., XV, 1978, p.3, 69a)は、彼の職名を同じく20万級のprocurator Hispaniae Citerioris per Asturiam et Gallaeciam、ないしprocurator Hispaniae Taraconensisであると結論している。そして彼の父の名前もPubliusだったことが分かる。

 献辞文の一つはよろずの男女の神々に捧げられ、もう一つは帝都ローマのカピトリウムの三対神(ユピテル、ユーノー、ミネルウァ)に若干古風な用語で献辞している。これは、彼がローマ伝統の諸神格を崇敬していたことを示しているはずで、これを根拠にRivesらは、かく伝統的宗教に敬虔だった人物が、キリスト教徒たちのごとき蛮族的諸迷信に好意を示すことなどありえない、他方、他の属州総督たちは多くの場合、彼ほど宗教や迷信の諸問題にたいして興味を持たず、ただ単に彼らが理解した限りでの、一般的な諸先例に準拠して法律や命令を実施していたにすぎない、要するに、ヒラリアヌスをかなり熱心な異教信仰者として描いているわけである。しかし、そもそも公人としての宗教儀礼を個人的宗教心の表れと直結するのは先に結論ありきの安直すぎる理解だし、『受難記』を読む限り、私は、彼自身もレベル的に他の総督たち以上に熱心にキリスト教迫害していたとは思えない。たまたま副帝ゲタの誕生日祝賀の下達があり、それに必要な死刑囚を得ようとしただけのこととみたいのだが、上記テルトゥリアヌスの表現からは、キリスト教徒の墓地所有が問題になっていた可能性がある。真実は奈辺にあったのだろうか。

 さて若干余談ながら、同様に碑文研究から、このカルタゴのヒラリアヌスの子孫も孫の世代まで想定されている。息子P.Aelius Apollonianusとその息子でPrimipilaris職にあったP.Aelies Hilarianusである。

 続きとしていずれ、先任総督ミヌキウス・ティミニアヌスについて言及するつもりである。

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特殊世界地図:遅報(24)

 世界地図を、「GDP」「負債」「人口」「出生」「個人的富」「億万長者」の指標で各国別に表示した、2016年度版があって、興味深い。https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/world-map-wealth_n_11419268.html

 似たような表示で、2050年のGDP推計値が示されているものもあった(1960年、2015年のものも作成したと書いてあるが、私にはみつけられなかった)。30年後の日本も肥え太ってまんざらでないようでご同慶の至りだが、さて、このたびのコロナウイルスでアジアの隆盛予測はどうなることやら。https://globe.asahi.com/article/11529760/?utm_source=outbrain&utm_medium=recommend&utm_campaign=AR_9

 そしてまた、2大強国のアメリカとロシアがやたら小さくなっているのも、さてどうだろうか。

 それにしてもブタ色の習近平のお尻からひねり出されているのが、韓半島、日本、そして台湾に見えてしまう私は変態なのだろうか。

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観光公害:飛耳長目(29)

 孫娘が一週間ほどの沖縄の修学旅行から帰ってきた。沖縄はたいへんよかったけど、中国人が、と。コロナウイルスにもめげず、海外旅行をたくさん楽しんでいらっしゃったらしい。私も一昨年と昨年、京都に行ったとき、そのすさまじさにいささか辟易した体験がある。なにより古都の風情が感じられなくなってしまったのが、悲しい。だが、これは我が国だけの話ではないらしい。ま、イタリアは朝令暮改の国ではあるが、数年前に始まったスペイン階段の規制はいまだきちんとやっているようだ。さすがに昨今の大混雑ぶりは見逃せない、ということなのだろうか。https://globe.asahi.com/article/13100293


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新規・読書会へのお誘い

 現在、隔週で『ペルペトゥアの殉教』を読んでいる読書会(四谷駅近、イエズス会日本管区・岐部ホール・3階の304で90分)が次回で終了します。参加者(5名)と相談して、その次に読むテキストを以下にしました。

 土岐正策・土岐健治訳『殉教者行伝』(キリスト教教父著作集22)、教文館、1990年。

 翻訳出版されてもう30年になるんですね〜(柄にもなく、遠い目・・・:私が老人になるわけだ:底本のH.Musurillo編は更に古くて1972年出版)。「日本の古本屋」をみると数冊出ていて、原価5500円でしたが、かなりお安く購入できるようです。 試みに銀座の教文館書店にアクセスして見ると、新刊在庫もないわけではないようです。

 新規参加をご希望の向きは、気楽にお問い合わせ下さい。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

 初回は、3/12(木)午後6時から90分ですが(以降、基本的に隔週開催)、どこから読み進めるかは現在未定ですので、興味ある方は前もってメールでご連絡ください。

【付記】他に、読書会2つやってます。一つはラテン語で現在エウトロピウス『首都創建以来の略史』全10巻の読み直し(毎週火曜日・午後6時から2時間:渋谷駅近かの貸会議室で:翻訳進捗状況は、本ブログの2019/10/24欄に掲載中)を、もう一つはJR我孫子駅横のけやきプラザ8階で、月1(基本、最終月曜)の午後2時から90分(次回は2/24でこれも新しいテキスト、ブライアン・ウォード・パーキンズ『ローマ帝国の崩壊:文明がおわるということ』白水社、2014年、第1・2章)、やってます。気軽にお問い合わせ下さい。

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感染症の歴史:飛耳長目(27)

 今般の武漢ウィルスの流行で、なんと北朝鮮や大韓民国、さらには中華人民共和国の崩壊・衰退が、ウェブ上に希望的観測からか、それなりの知識人によってまことしやかに書き込まれていますが、まだまだパンデミックといえる状況では全然ありません。文字通り「大山鳴動鼠一匹」*かと(沈静化に努力されている当事者の尽力は言うまでもなく尊く、感染者や死亡者の方々にはお悔やみを申しあげますが)、効果がそうあるとは思えないマスクが店頭から消え去ったり(時節柄、これから花粉症対策で必要な私はたいへん迷惑しております)、またまたマスコミが扇動してちょっとはしゃぎすぎのような気がしてなりません。ま、発生源が憎まれっ子の中国ということもあるのでしょうが。「パンデミックでなく、インフォデミック」https://mainichi.jp/articles/20200205/k00/00m/040/035000c

 20世紀初頭、今とは比べものにならないくらい人々の移動が少なかった時代に、全世界で5千万人とも2千5百万ともいわれる死亡者(死亡者数です、念のため)をもたらしたのが、スペイン風邪でした(実際の発生源はアメリカ・カンザス州の軍施設だったとか)。これこそパンデミック。https://www.mag2.com/p/news/436737;http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA02.html

 また昨年来、アメリカでは通常型のインフルエンザが猛威を振るっており、感染者数1900万人、死者数一万人を越えている由。これこそパンデミック、なのに、我が国では報道もされず、もちろんいつものよう米国人は入国拒否もされず。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55312830W0A200C2000000/

 これまでなぜか表だって主張されることはあまりありませんが、感染症が実はかくれた大きな爪痕を歴史に残してきたのは事実です。ヨーロッパ中世のペスト(黒死病)や、大航海時代のインカ帝国住民を襲った天然痘は有名ですが、この視点は西洋古代史でも、後2世紀後半から3世紀の地中海世界の衰退を考える時、有効でしょう。古代世界では、自然環境が自ずと文明圏の境界となり、それぞれ在地の風土病と折り合って生きていましたので、その境界を越えて侵入した外来の一定数の宿主の移動(多くの場合、軍事行動)が,自文明圏に未知の感染症を持ち込み、大流行をもたらしました。政治や経済の変化ばかり取り上げるのではない歴史がもっとあっていいと思っているのですが。昔より格段に危険度は高くなっているのですから。

 お医者さんのこんな書き込みもある。「新型コロナウィルスが他の感染症に比べてどのくらい恐ろしいのか、グラフで比較してみた【COVID-19】【2019-nCoV】」https://kaigyou-turezure.hatenablog.jp/entry/2020/02/16/111145

【参考資料】新型肺炎とSARS、MERSの違い:しかしいずれにせよ、この程度ではパンデミックとはいえないような。

      感染者数  死者数   致死率 患者1人から感染する人数

SARS 8096人 774人  9.6% 2~3人程度

MERS 2499人 861人 34.5% 1人か1人未満

新型肺炎 8243人 170人  2.1% 2.2人程度?

 (出典は、WHOや米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンなどのデータによる。新型肺炎は30日現在。SARSは2003年の終息時、MERSは19年12月31日現在:https://mainichi.jp/articles/20200131/ddm/003/030/048000c?cx_cp=nml&cx_plc=bnr&cx_cls=newsmail-cp_article):もちろん、中国は統計操作では我が国政府以上に定評ありますので、あてになりませんが。2/13中国発表で、感染者数6万、死者1360 人:一説では今回の実態は10倍とか:となるとすでにパンデミックと言えるかもです。以下は、田中宇氏による悲観論の最たる見解。http://tanakanews.com/200212virus.htm

*あれれ、これって語源が、Horatius, Ars Poetica,139の「Parturient montes, nascetur ridiculus mus :山々が出産しようとしている。一匹の滑稽なネズミが生まれるであろう」で、ギリシア語の諺からのもの、とは知らなかった。「山々」が複数で、「ネズミ」が単数なのがミソか。ところで、私は今日の今日まで中国起源で「泰山」だと思い込んできた。どこで刷り込まれたのやら。

【追伸1】一方でこんなニュースも。ご冥福をお祈りします:「新型ウイルス、最初に警告の医師が死去 中国・武漢」https://www.afpbb.com/articles/-/3267127?cx_part=top_latest&fbclid=IwAR2pBmUoLw09jIMMesQuWcJdPpA8wJht6SlbWgfhkE1DgPFQ_F-7AipdH2E

【追伸2】2月7-9日、法事で故郷広島に来てます。こちらでマスクを買って帰ろうと目論んでいたのですが、のきなみ見当たりません(^^ゞ。2/9に帰京しておやっと思ったのですが、出た時よりマスクしている人がごっそり減っているような。よもや入手不能のため? 2/15:自宅近くのセブンイレブンでマスクが出回り始めた。そのせいかまたマスク姿が増加。なんとなく安心。

【追申3】田中氏の、ますます悲観的な続報、しかし早くも3日後に撤回。これでは所詮素人のインフォデミック。まあ言いっ放しの言論人ばかりの中で撤回するだけましであるが、いずれにせよ知識人を装うのなら悲観論を煽る素人談議的書き込みはやめてほしい。アクセス数を増やすためと言われても仕方ないだろう。http://tanakanews.com/200215virus.htm;http://tanakanews.com/200218virus.htm

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知らなんだ〜かつて多民族帝国だった日本:飛耳長目(26)

 また麻生太郎がアホなこと言った。彼がカトリックであるのが恥ずかしい。本人は前段と後段で言っていることの論理矛盾も感じていないようで。https://www.fnn.jp/posts/00049762HDK/202001141152_seijibu_HDK

 それにしても、下記を読んで、日本が堂々と多民族国家であると標榜していた時代があったことを知った。というか、忘れていた。「八紘一宇」の時代。それを忘れてはならない。いや、思い出して、五族協和ならぬ人類協和に邁進すべき時代になっているのでは。島国根性が染みついている我々には、ほんとうにしんどい作業であるけれど。

https://mainichi.jp/articles/20200204/k00/00m/010/113000c?fm=mnm&pid=14606

【追記1】「自分は元海軍少年航空整備兵であります」台湾軍国少年の愛国心 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18697;https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18697?page=2

【追記2】樋泉克夫「明治の反知性主義が見た中国」https://wedge.ismedia.jp/category/meijihanchisei

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世界キリスト教情報1515信:2020/2/3

 今日も2題:

▼元修道女の「シェルター」がバチカンに: 
【CJC】AFP通信によると、カトリック教会から「見捨てられた」後、売春に従事するなどして生き延びた元修道女たちが、バチカン市内の非公開施設で1年以上にわたり保護されていることが分かった。  
 ブラジルのジョアン・ブラス・デ・アビス枢機卿が、バチカンの月刊誌『ドンネ・チエザ・モンド(女性、教会、世界)』2月号掲載のインタビューで明らかにした。  
 同枢機卿は、この施設の存在が、女子修道院から出され、行く当てを失ってしまうといった教会内部での虐待を矯正しようとする教皇フランシスコの願いを明確に示すもの、と指摘している。□
    
▼女性信徒に強制わいせつ容疑で、長崎大司教区の司祭を書類送検:
 長崎県警は2月3日、2018年にカトリック長崎大司教区(長崎市)の女性信徒の体を無理やり触ったとして、強制わいせつ容疑で40代の男性司祭を書類送検した。  
 共同通信が捜査関係者への取材で分かった。男性司祭は事件から約3カ月後に聖職停止となったが、女性は大司教区から正式な説明を受けず、恐怖心が拭えないなどとして県警に被害届を出していた。  
 書類送検容疑は、男性司祭は18年5月中旬、県内の教会の施設内で女性に抱きつき、体を触った疑い。この日、男性は体調不良を訴えミサを休み、医療の知識を持つ女性を呼び出していた。(CJC)□ 

 前者は、こんなこともあるのか、とびっくり。まあ、カトリック教会というよりも、所属修道会から「見捨てられた」、というべきだろう。退会した人たちのアフターケアまで修道会はしないのが普通だからだ。おそらく貧しい家の出身で口減らしで入会し、雑用に従事し、手に職を持たない者が放り出されれば、有りうべき事態ではあるが。なんともはや。

 後者は、以前紹介した件の続報。書類送検で、これではたして一件落着となるのであろうか。

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脳が溶けてガラス化?嘘でしょ:エルコラーノの遺体より発見

 これまで考古学関係でチェックしてきた「Archaeology News Network」の2020/1/23に「Mount Vesuvius Blast Turned Ancient Victim’s Brain To Glass」が掲載されて、わずか4日後に以下の邦語情報が出た。「脳が溶けてガラス化、窯焼きも、新たに浮上したベスビオ噴火の恐るべき死因:2000年前の遺体から読み解く死の真相、議論続く」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/012700049/

 簡単な原文を邦文のほうはだいぶふくらまして書いているが、それも事情を十分知らない日本の読者に向けて、親切というべきであろう。ただガラス質が見つかったのはただ一体のみ、それもcollegium Augustalium(Ins.VI.21-24)からの出土である。遺体の出土場所は、おそらく(a)から玄関に入って右隅の部屋(e)であろう。ここは最近中を覗けないようになってしまったが、これまでアウグストゥス礼賛会の管理人部屋とされていて、ベッドもあって、1961年にそのベッド上で25歳ぐらいの男性の遺骸が見つかった。オリジナル情報は、以下。『New England Journal of Medicine

右の写真は部屋(e)の内側から北(b)方向を写したもの

 ともかく現段階では、子細はまだ不明としか言いようがない感じだが、室内でもあり、頭蓋骨の破裂時にガラス容器が混入しただけのことのように思われるが、もちろん今回発表した研究者はその可能性も念頭に置いて検討し、だがそう結論しているようであるが、さて。

【追記】この記事、未だ読まれているようなので、2020/4/7の続報を。

 遺体の頭蓋骨から硝子質が発見され、その中から人間の脳組織や毛髪に見られるいくつかのタンパク質と脂肪酸が同定されたという、科学者たちの仮説は、高熱が文字通り被害者の脂肪と体組織を焼き払い、脳のガラス化を引き起こしたというものだ。この遺体は、1961年に当時の所長アメデオ・マイウリが、完全に焼け焦げて灰で埋まった木製ベッドの中から見つけたもの。

 60年振りの再調査で、一連の生体分子およびプロテオミクス分析によって、これらの遺骨の中に、人間の脳や髪の毛のトリグリセリドに典型的に見られる一連の脂肪酸と、とりわけ人間のすべての脳組織に非常に多く見られる7種類の酵素のタンパク質を発見し発見することを可能にした、と。

 実は、考古学の分野でも、医学・法医学の分野でも、このような残滓が発見されたことがないという点で、客観的に見て世界でも類を見ない発見であるが、ガラス固化は考古学で知られているが、これまでのものは、基本的には植物遺体に関するものである。人類学的サンプルの研究はこれからの趨勢と考えられている、とのこと。

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