森問題と仏教の女人差別:飛耳長目(74)

 身内の世間さまのみならず自称先進国をもお騒がせしている森問題だが、今読んでいる若桑女史の『クアトロ・ラガッツィ』の中にちょうどその問題の淵源に該当すると私が思う箇所が出てきた。彼女は、あの時代にキリスト教が驚異的に教勢拡大できた原因のひとつを、仏教における女性差別に求めている。

 そもそも鎮護仏教の教理には明確に「五障三従」の教えがあって、女性はそのままでは救われない、ただ男性に変身すれば成仏できるとされ、これが「変成男子」である、と(これと同様な思想が初代キリスト教、とりわけグノーシス派にもあったことにご注目のこと:地中海世界へのインド思想の流入なのか、それとも類似発想なのか)。それが鎌倉時代に新仏教が女人成仏思想を創出したのだが、それはよしとしても、たとえば親鸞は、まず女性にその罪業深きを教え、次に念仏を唱えれば女性でも成仏できる、という段取りなので、仏教の輪廻思想と絡んで、女性は前世以来の自分の業(ごう)の深さを徹底的にすり込まれた上で、救済を求めて「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と一心不乱に念じて、変成男子になり、成仏を願うことになるわけである。女史は平雅行の説を引用しつつ鋭くこう喝破している。「仏教の本質が鎌倉仏教で急に女性の平等に変わったわけではなく、またそれ以前にまったくそれがなかったわけでもない。多かれ少なかれ、女は穢れたものだという考えはその前にもあとにもあり、しかも、そのひどく穢いものを救うのもだいじという考えも同時にあった。言ってしまえば、女性を救おうという宗派も、まずは非常に罪深いものだということを認めさせた上で、そんな罪深い女でも救ってあげようというたいへんありがたい教えであって、女性が罪深いものだというたてまえを壊したものではない」(p.140)。もちろん最後の「ありがたい教え」という表現は女史の皮肉であるが。

岡山県西大寺観音院所蔵「熊野観心十界曼荼羅」:自分の母が自分を育てるために多くの罪を犯し餓鬼道に堕ちてしまったのを見て涙を流す高僧(https://www.saidaiji.jp/about/precinct-guide/kanjin-jikkai-mandara/)

 余談だが、昨日が三回忌の、一昨年93歳で死んだ大正14年生まれの私の母は、認知症が進んで最後に介護施設に入れられたことが大変ショックだったとみえ、「わたしゃ、業が深いせいでこんなことになって」と口走っていた(自分の行く末を考えて、まだ至極元気だった時期には自分で施設見学もしていたくせに、だ)。女の「業」は、それほど庶民の熟年女性には未だ深く根付いている想いのように思う。若い女性にとってはそういった宗教思想の偏見よりも社会的構造的な差別の方がより身近だとは思うが、それが意識下に沈潜した場合、「変成男子」化を求める方向に向かわないとは限らない気がする。

 で、今年で83歳になられる森元総理だが、別に弁護するつもりはないが、私が想像するに、たぶん念仏宗の盛んな石川県にあって生育されたのであれば、きっと「五障三従」が聞くともなく身に染みついてしまっているのかもしれない。ただここで私は偉そうに、今般の問題に仏教界はどう反応するのであろうかなどと言いたいのではない。

 公人であった彼が公の席で個人的体験でいらついたことがあったのだろうか、あらぬことをつい口走ってしまい、それが一般論レベルに拡大されて集中砲火を浴びているが、当人にとって理不尽感は否めないだろう。こんなことは居酒屋では掃いて捨てるほど聞くことできるはずだし(私はもう10年近くも行っていないので、最近変わっているカモだが)、マスク警察よろしく口先でたとえきれい事を述べたとしても(それを軽薄にもマスコミはマイクを差し出してチョイスして、電波に垂れ流す)、我ら自身の脳根幹にしっかり居座っている根源発想はそれほどに抜きがたいものなのだ、という認識を、我がこととして改めて確認してしまっただけのことである。

 ついでに付加しておこう。若桑女史によると、「日本は神国である」とはキリシタン弾圧の枕詞で秀吉や家康も言っていた。

 そしていわずもがな、女性差別はキリスト教とて一皮むけば同じではないか。教祖イエスは信者が唱えるべき主祷文で「天にまします我らが父よ」と神が男性性であることを明言しているのだから、それをいまさら神を「父でもあり母でもある」と言いつくろったところで許されるはずもないでしょう、と自称キリスト教的先進国にもの申したい気がする。トランプ問題で分かったことはアメリカのメディアがごく一部の意見の反映であって、普段は沈黙している名もなき庶民(それが全人口の少なくとも半分を占めているのだ!)の本音はそれとは別に強固に維持されているということではなかったかっ。そのことをもう忘れ果てて「アメリカのメディアでは」と鬼の首を取ったように言いつのっているご都合主義にはあきれてしまう。マスコミはえてして事実の報道と言うよりも、世論誘導という面もあるわけだ。自称先進国でさえ、法的に女性進出を定めていての操作の上での30%維持であって、実投票の成果ではないのだ、ということを知らないのだろうか。

 いや、欧米だけではない。どっかの国の先般の総理大臣の決め方にどれほどの透明性があったというのかっ。それについては健忘症のマスコミ知識人のぴーちくぱーちくにはあきれるばかりだ。

 こんな意見もある:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52300475.html

【追記】ようやく肝心のデータが出始めた:「女性理事わずか16.6% 森氏発言があぶり出す社会のいびつさ」(https://mainichi.jp/articles/20210211/k00/00m/040/081000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210213)。数字に基づいて論じられるべきなので、こういう情報は大歓迎だ。森発言の当事者となったラグビー部門は女性委員5名で20%強を占めている。最高はテコンドーの36.4%。もっと多くていいはずの水泳や体操部門が遅れをとっているのは、伝統種目のせいか。でもサーフィンは0%。

 こういう論議の仕方、私は好きである。円より子「森喜朗さん、よくぞ言った 男の本音に非難続々で「男的世界」は変えられるか:男も女もしばるジェンダーバイアスから自由になる時代に」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021020500005.html?page=1)

 しっかし、橋本女史の選出にどれほどの透明性があるというのか。これって結局汚れ仕事を女性に押しつけただけのことじゃあないのか。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64136

【続報】体験談は説得力がある。https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/084000c;https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/274000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210302

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