投稿者: k.toyota

9/8エリザベス2世ご逝去と・・・

 葬儀は2週間後あたりとなりそうということで、9/27のどっかの穀倉着、もとえ国葬偽、またまたもとえ国葬儀、ちょぼくかすんじゃいそうですね。なんとも間の悪いことで。しかしこれも神の配剤のような気がしないでもない。

 いや、虹にしてもそうだが、最後に女王は日本に対しても粋な置き土産をしてくださったような気がする[後報によると国葬は10日後あたりとかで、ちょっと残念]。

 その上、これじゃあ。「安倍氏国葬に “首脳ら不在” のしっぺ返し…シラク元大統領の国葬には駐仏大使しか参列させなかった」(https://news.yahoo.co.jp/articles/58d09e5ad58d1566292847382786c7fde7c4f599)

 ローマ教皇の時も日本政府の対応はひどかったし。だからもともと弔問外交なんてやる気もないくせにね。

 ところで、当方本日血圧計ったら、最初に180なんか出てしまって。徹夜して寝ずに医者に行ったせいかな。なんどかやり直して、おかしなもんですが、二回目に160−82が出てたので、それをお医者さんに出しました。

 こちらもいつ斃れても不思議でないような。

【追記】エリザベス女王の国葬は9/19になった。どうやら、コードネーム「オペレーション・ロンドン・ブリッジ(ロンドン橋作戦)」通りの段取りのようだ:2022/9/9「エリザベス女王の葬儀はいつになる? 新国王チャールズの戴冠式が“1年後”になる可能性も」(https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-news/a41127679/queen-elizabeth-funeral-king-charles-coronation-details-date-220909-lift1/)

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コイン上のカエサル像をめぐって

 先日の読書会で最近発見されたカエサル像や復元像を提示したら、参加者の中から、イメージがえらく違うといった反応があった。何ごとによらず英雄は後世理想化されて描かれやすく、見る側でも集合無意識的に英雄は美男美女であってほしい心理がなぜかあって、相乗して美化されがちである。いわば歴史による整形手術の施工である。

左、2008年ローヌ川底より出土、生前制作されたものと想定されている(あまりの異像にもちろん反論あり(1));中、Leiden国立古代博物館所蔵品のカエサル像;右、Leiden博物館所蔵品から2018年に公開復元されたカエサル像(2)
  • (1) Lorenz E.Baumer, Forme, fonction, identité ? Une approche du <César d’Arles>, dir. per Vassiliki Gaggadis-Robi et Pascale Picard, La sculpture romaine en Occident*Nouveaux regards.Actes de Rencontres autour de la sculpture romaine, 2012, Arles, 2016, pp.75-81.
  • (2) 当然別の復元例もある。cf., Amelia Carolina Sparavigna, A possible reconstruction of the face of Julius Caesar using a marble head from Smyrna conserved by the Rijksmuseum van Oudheden in Leiden, 2019/3/18(https://www.researchgate.net/publication/331833760

 そんな中で、あの時期、コイン上の肖像はかなり自然主義的に実像を反映しているといわれていることを知った(後代になると、すでにアウグストゥスで明らかなように、おおむね若振りに表現するようになったが)。それでちょっと調べてみた。意外と奥行きあるみのり多い内容であった。

 古代ローマにおいても、ブロンズ像や大理石像、蝋人形、カメオ、宝石、凱旋門などに、生前の人物の姿を飾る肖像画の伝統は長く続いていたが、ことコインに関しては、前44年にユリウス・カエサルがデナリウス貨幣に描かれるまで、ローマのコインには生身の人間の肖像画はなかった、と通説的に言われてきた。

 実は、カエサルはそれまで自分の名前を打刻した多くの貨幣を発行していたが、たしかに自分の肖像を描いた貨幣はなかった。

このような貨幣は、軍団兵に給金を払うべく戦地で随時打刻されていた。さてその権限はどうなっていたのやら。

 彼の肖像が登場するのは、彼が暗殺される前44年3月15日の直前3ヶ月の発行分のみなのである。以下がその一例。問題はこれがカエサルの指示によるものか、貨幣造幣三人官の権力者への忖度なのか。いずれにせよ、このような従来のローマ的伝統の一線を越えた行動が、彼の暗殺への動機とされてきたのだが、案外、下っ端の陣笠連中の突出行為が親分カエサルの命を危うくしたのかもしれない。

いずれも、独裁官ないし終身独裁官DICT PERPETVOと刻印されている:このあたりが本人の実像に近かったのでは

 ところが、以上は共和政ローマの国家貨幣製作についてであって、確認される最古のカエサルの肖像画コインは、前47/6年に、小アシア半島のビテュニアの都市ニカイアで打刻されたものだった。ローマからの旧領土奪回めざしたファルナケス2世Pharnaces II(ポントス・ボスポロス王、在位:前63-47年)がゼラの戦いでカエサルに敗れた(この時、カエサルの有名な言葉「来た、見た、勝った」Veni, vidi, vici が発せられた)。その戦勝を記念しての発行。

表面刻印:NIKAIEΩN、カエサル像、裏面:EΠI ΓAIOY OYIBIOY ΠANΣA(=Gaius Vibius Pansa)、右手に花冠、左手に棕櫚を持ったニケー、下部刻銘ϛΛΣは日付236(=前47/6年)

 裏面打刻のGaius Vibius Pansa Caetronianus(前43年没)は、カエサル派で、前47年にBithynia et Pontus属州総督(??:彼の執政官就任は前43年で、当時は法務官格なので、カエサル下でのlegatus職をこう表現したのか)、翌年ローマに帰国した人物なので、パンサの手配での属州都市打刻貨幣かと。

 実はもうひとつ、このコインの1年後の前45年に同じく小アシアのMysiaのLampsacus打刻都市貨幣があることを知った。それが以下である。

表面:月桂冠のカエサル像、裏面:神官が牡牛の鋤でポメリウムを掘っている。銘文には都市二人官の名前などが打刻されている。
   ⇧ Lampsacus    Nicaiaの位置↗

 ところで皮肉なもので、則を超えた生存者肖像掲載はカエサル横死ののちは反カエサル派=ポンペイウス派にとっても当たり前のこととなって、盛んに活用され出すのだが(もちろん伏流水としてカエサル同様先行例はあった)、それは別の機会があれば触れたいと思う(というか、この時代は私の射程外なのでもうないかもしれない)。それまで以下の著作が参考になるだろう。比佐篤『貨幣が語るローマ帝国史:権力と図像の千年』中公新書、2018年。但し私がここで言及したカエサル関係についてはなぜか触れられていないのだが。

【補遺】上記註(1)の論文にカエサルの肖像を種々の角度から撮った写真があるので、参考までにアップしておく。それにより、通常の単独胸像でないことは明白かと。やはり何ごとも表ばかりでなく裏も、上からも下からも見ないといけませんね。

Fig.5は下から、Fig.6は上から撮ったもの

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世界キリスト教情報第1649信:2022/9/5:教皇発言にウクライナ反発

 これまでも時々あったことだが、今週月曜に送られてこなかったので、http://www.kohara.ac/news/2022/09/05.htmlでそれを見つけた。そこでは全文が転載されている。

・「妥協なく愛し抜いた、謙遜な牧者」=教皇ヨハネ・パウロ1世列福式

・ウクライナが教皇発言に反発、ロシア思想家の娘爆殺で

・ゴルバチョフ元ソ連大統領の「国葬」行わず プーチン氏は葬儀欠席

・ブラジルで先住民保護区への侵入や違法搾取、ボルソナーロ政権下で3倍増

 今日は二番目を紹介する。

◎ウクライナが教皇発言に反発、ロシア思想家の娘爆殺で

【CJC】カトリック教会の教皇フランシスコが、ロシアの右派思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘が車の爆発で死亡した事件に触れ、「戦争の犠牲となった罪のない人」と評した発言に、ウクライナ外務省は8月27日までに、失望を表明した。
 米メディアCNNによると、教皇の言葉は、加害者と被害者を不公平にも同等に扱っていると外務省は指摘、ロシア領内で起きたロシア人の死亡をウクライナでの軍事衝突に絡めて言及することは混乱を生じさせるとしている。ウクライナがこの死亡に関与していない、と外務省は主張しているという。
 教皇は8月24日、モスクワ市内で20日に起きた車爆発事件で殺害されたドゥーギン氏の娘のダリヤ氏は戦争で殺された「罪のない人間」の1人と形容。「車の座席の下の爆弾で宙に吹き飛ばされたこの可哀想な少女のことを考えている」とし、「罪のない人間が戦争の代価を支払った」とも述べていた。
 ロシア側は、事件をウクライナの治安機関の仕業と主張しているが、ウクライナは、一切の関与を否定している。

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最近の世相に思うこと

 確実に10年以内にこの世から去ってしまう私にとって、もうどうでもいいようなものであるが、なんだかなと思うことが幾つかある。さしずめ「夢は枯野をかけ廻る」といったところか。

〇 中台関係がかしがましくなっている。まだまだ先は見通せないが、米中がしのぎを削って互いを牽制し合っている様相である。「戦争の足音、「ピーク・チャイナ」の危険:緊迫する台湾情勢、強い中国より弱い中国の方が好戦的?」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71673?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)

〇 広島一区選出の岸田文雄首相が、現下の三正面が緊張している極東情勢の中で、8/24に原発新増設を検討と方針転換を表明した。ウクライナ戦争で原発があやうい状況下にあるということを考えると、この判断には疑問を感じざるを得ない。これはウクライナ問題へ安直に頭を突っ込んでいったことと連動しての尻拭いにみえてしまう。それにしても先見の明のないことよ。「岸田氏の原発回帰は既定路線:参院選まで「余計なことしない」」(https://mainichi.jp/articles/20220904/k00/00m/010/090000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220905)

 今、宗教二世が問題となっているが、彼の場合は三世議員。家業が国会議員職となっている。開成を卒業し、育ちの良さは性格の弱さに通じる場合もある、ような気がする。旧統一教会関係での言動不一致も、ま、東京育ちの平和ボケのボンボンのなせる技か。

〇 今日のNHK BS「キャッチ!世界のトップニュース」での「人口急増続くアフリカ」がよかった。人口減少が著しい先進国と異なり、人口が増え続けているのがアフリカで、国連は今世紀半ば、世界の4人に1人、否今世紀末には2人に1人がアフリカ人となると予測している。それはアフリカでの農業化の促進(労働力の確保:ところで水不足の話はどこにいってしまったのだ? ここでもデータの一面性を感じざるを得ないが)と一夫多妻制という構造的問題、というわけであるが、労働人口の供給地がアフリカになるのは必須とするなら、そこにかねてより食い込んでいるのが中国という現実を重ねると、彼我のいずれに先見の明があるかは明白だ。

〇 宗教と政治

 旧統一教会問題でも明らかなように、巷で言われているような、日本人は決して無宗教なのではない。エリート連中はマルクス主義など近代思想を代替にして無神論・無宗教と称して、自覚せずに物神(拝金)崇拝に走っているし、庶民、それも貧民層は目前の生きづらさからの手っ取り早い救済を願って新宗教に押し寄せ、日本人口を上回る宗教信者数を誇っている実情をきちんと押さえるべきだ。常にそうだが、体制化した宗教に民衆救済はできない。なぜなら体制補完勢力に組込まれ、そんな存在を苦しんでいる衆生は信頼していないからだ。新宗教へと向かう衆生は既成教団に絶望した人びとなのである。新宗教の魅力は庶民の救済願望にとにかく具体的指針を与えることで答えていることで、それが霊感商法のようないかに理不尽な内容であれ、通り一遍の既成宗教の教義・説教では救われない民衆の不満はそちらに走る。その深い伏流水の現実を見つめない限り、いやいつの時代にあってもサイレント・マジョリティは体制がやることなど信頼していないのである。

 こんなことやっているから、人心は政治から離れ、たかだか30%台の支持層で政権が運営される、それでよしと居直る衆愚政治が促進される。これではならじと非民主主義的な独裁政への動きがいつしか頭をもたげ(トランプ現象で顕在化した)、いつか来た道をまたもや繰り返してしまうのが人間世代論の常なわけ。

【追記】面白い記事をみつけた。2022/9/7:内田誠「国葬、五輪、統一教会:汚染だらけで逃げ場ない岸田政権“ジリ貧”支持率」(https://www.mag2.com/p/news/550899)

 2019/91/38:大塚玲子「キリスト教「牧師家庭」で育った26歳女性の葛藤:総人口の1.5%という人々の知られざる生活」(https://toyokeizai.net/articles/-/310325)

 2020/9/13:大塚玲子「「親の宗教」に20年囚われた女性が語る壮絶過去:薬は不可、自宅には「幹部」が交代で同居」(https://toyokeizai.net/articles/-/373040)

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サラブレッドならぬ農耕馬政治家・河井克行とその妻

 『おもちゃ:河井案里との対話』(文藝春秋、2022年)はノンフィクション作家でジャーナリストの常井健一の作である。昨日話題にした「アゴラ」の書評を覗くとそれが目にとまったので即古書で注文したら、翌日速攻で届いた。400ページ近くと予想外に大部だったが、私の興味は夫の克行がどう書かれているのか、にあったので第2章前半をまず読む。

 はしなくも、p.87で常井は広島学院のことをこう書いている。「戦後、カトリックのイエズス会信者たちが創立した学校である」。こんなこと学院のPHを読めばちゃんと書いてあるはずなのだが、イエズス会はカトリックの男子修道会で、日本史の教科書にも出ているフランシスコ・ザビエルはこの修道会創設者の一人で、カトリックのことを多少知っていれば「イエズス会信者たち」などとは書きはしない。まあ信者には違いないが、修道士が構成する修道会なのである。プロテスタント的な印象感覚でああ書いたのだろうか。これで彼の書いていることの信用度が私の場合10%は減じてしまう。しかし、我が出身研究室の大先輩坂田正二先生のお名前が出てきて(p.106)、生前の先生を多少知っている私からすると、これはさすがさもありなんと。

アマゾン・コムで見たら地元広島の中国新聞取材のものもあったので、これも古書でさっそく発注した:ちなみに私の実家近所で活動している若い市会議員さんもお金もらってまして、反省文がポストに投函されてました。

 克行の母がどうやらすでにカトリック信者で、彼自身も幼児洗礼を受けていたようだ(小教区的に祇園教会所属か:豪放磊落なドイツ人ワンマン主任司祭ロレンツ・ラウレス神父(93年に77歳で死去:ちなみに上智大学キリシタン文庫創設者で、史学科初代学科長ヨハンネス・ラウレス師[1891-1959年]はご親戚とか)のことが思い出される)。きょうびの社会的関心からいえば、新宗教の2世がらみの問題がここにも顔を覗かせているし、叙述によるとどうやら両親共に地域社会では持てあまし気味のクレーマー的存在だったようで、これって信者(に限らないが)にときたま見ることできる人間類型なのである。上智在職中にも、信者の母親の強い希望で修道院入りとかを強要されて、だけど不適合で苦難の人生を歩んでいる学生・院生をときどき目撃していたので(私の体験だと、だいたい五島出身とかの長崎信者)、貧困が原因の宗教がらみの親子のしがらみって問題多いなと考えざるをえないのである。

 私が40年前に岡山県の山の中の津山市に10年間居住していたとき、なにぶん田舎だったので、新興住宅地だったのに古くからの講組組織が持ち込まれて生きていて、年2回の草刈り・ドブ掃除には世帯から一人出さねばならない、葬式の場合は男女各一人を帳場と台所に出さねばならない、といった調子だった。戦前のしきたりが途絶えてしまった被爆都市広島から流れてきた私など、そんなことそれまでやったことなく「へ 〜そうなんだ」とビックリしながらも参加していたのだが、そこにモルモン教の独身女性が引っ越してきて、あるときの葬式で「私は宗旨が禁じているので葬式には出ません」といったものだから、町内会で大問題になったことや(「だったらあそこの葬式の時は協力しないぞ」の発言あり、私が「いや、信者仲間が独自にやるでしょうから町内会は出る幕ありません」といって宥めて、一件落着)、丘を開発しての新興住宅地なので町内に神社とか秋祭りもなかったのだが、子供たちが他の町内のように神輿を担ぎたいと言い出したので、気のいい世話人有志が即席でそれらしきものを作って、子どもたちはそれをかついで町内を練り歩いたのだが、これは誰が言い出したのか不明だが、ああいう宗教行事を行政の末端のニュートラルであるべき町内会がやるべきでない、と言った人がいたらしく、これには威勢のいい世話人が腹を立てて怒っていたこともあった。あれから40年、もう住民の世代は入れ替わったから変わってしまっただろうか。

 逆に、上京して正月に登学してみると、千代田区紀尾井町の麹町カトリック教会の門前に門松が飾ってあるのを見て、これはこれで私は「門松って八百万の神々が降下してくる依り代じゃないか、こともあろうにカトリック教会がこんなことしていいのだろうか」とビックリしてしまったのだが(他にも、地元のなんたら祭で、結界を張る綱と紙製の御幣みたいなのが町内を囲むのもある)、とかく外来宗教と伝統ある地域社会の関わりは微妙であるが、既成伝統教団は鷹揚に受け入れるが、新興教団は激しく抵抗するという図式が未だ顕在なのだろうか。

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カトリックと旧統一教会と、反社会的組織

 「アゴラ:言論プラットフォーム」というメルマガがある。私はそこで旧統一教会系の「ウィーン発『コンフィデンシャル』」(管理人:長谷川 良)なるブログを知り、カトリック関係の情報をかなり掲載しているのでときどきチェックしていた。執筆者が「世界日報」記者であり、ある意味「アゴラ」もそれ系であると自覚的に認識してのことだった。

2022/8/29「聖職者の性犯罪は教会組織の問題!」(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52338427.html)

 これを読んで右欄をみたら、以下が載っていた。

2022/8/23「旧統一教会は何を目指しているのか」(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52338175.html)

2022/8/27「南野森教授(憲法学)の抗議に答える」(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52338342.html)。

 後者の元記事が「アゴラ」だったようなので、それに引きずられ、久々に「アゴラ」に行ってみてちょっと驚いた。その冒頭に編集部名で、以下の文言が掲載されていたからである。「筆者の長谷川良氏は世界日報のウィーン特派員です。アゴラでは世界日報が統一教会(世界基督教統一神霊協会)の設立したメディアであることを承知の上で、彼のブログを転載していましたが、安倍元首相の暗殺事件の後、統一教会がこれに関与している疑いもあったため、転載を一時中止していました。そのような事実がないため、転載を再開します」。

 そして、今度は編集部名で以下の記事が。「統一教会は「反社」だから解散させろと憲法学者が主張」(https://agora-web.jp/archives/220821020331.html)。そこで引用されていた中曽根関係に飛んでみたら、ここでも泥縄式に思わぬ人的つながりが出てきて・・・(すなわち、例の元文科省事務次官の前川喜平氏が妻を経由してなんと中曽根家とつながっている、とされていて)。 今般の旧統一教会問題で、はしなくもあれこれの関係が、無知な私にとって顕在化してきたという次第。知らないことが多すぎますねえ。

 これらの記事に対してコメント書いている人たちの大部分はしょうもないが、中には面白い指摘をされている人もいて勉強になる。読者の皆さんどう判断されるのか、これはお読みになってお任せします。

 長谷川氏にすれば、カトリックの聖職者の犯罪はカトリック教会の組織的問題で、これは旧統一教会どころの話ではないはずだ、という点にある(ま、こういった指摘をいつかするための情報収集だったわけで)。片や幼児性愛、片や霊感商法。それぞれむげに否定できない面があるとは言え、組織ぐるみ的な活動と、組織内での犯罪隠蔽を同列に扱っていいのか、このあたり庶民感覚と法的解釈では違ってくるだろうが、建て前論よりも現実を重視したい私としては、皆が皆そうとはいえないにしても、高位聖職者たちの無策振りまたは隠蔽行動は大いに問題視すべきだと思っている。

 とまれ、一部で予想されていた旧統一教会側の居直り暴露戦術(による、離反国会議員どもへの恫喝)が既に始まっているように、私には思われたのである。

 付言しておこう。現今の四面楚歌の状況は、旧統一教会側からすると、神から与えられた「試練」であり、事実無根の無碍なる「宗教迫害」なのである。当然のこと、初期キリスト教迫害もこのような視点で見直すべきなのである。

【追加】毎日新聞に南野教授がご登場。2022/8/30 「旧統一教会と政治:「難しい憲法の問題ではない」 憲法学者が指摘」(https://mainichi.jp/articles/20220829/k00/00m/040/123000c?cx_fm=mailhiru)但し有料。

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世界キリスト教情報第1649信:2022/8/29:中国の対キリスト教政策

≪ 目 次 ≫
▽キリスト教の「中国化」要求=共産党序列4位の汪洋政治局常務委員=党大会控え宗教界の引き締めか
▽教皇が韓国メディアKBSに訪朝意思示す=「招かれれば断らない」
▽教皇、伊中部ラクィラを訪問、地震被害からの復興励まし
▽教皇、9月カザフでロシア正教会総主教と面会せず
▽バチカン福音宣教省元長官ジョセフ・トムコ枢機卿逝去

  今回は最初のを。

◎キリスト教の「中国化」要求=共産党序列4位の汪洋政治局常務委員=党大会控え宗教界の引き締めか
【CJC】共同通信によると、中国国営新華社通信は、中国共産党序列4位の汪洋政治局常務委員が8月23日、北京で政府公認のキリスト教団体幹部に対し、社会主義を擁護して「中国化」の取り組みをさらに進めるよう求めた、と報じた。秋ごろに開く5年に1度の共産党大会を前に、宗教界の引き締めを図った。

 汪氏が会ったのはカトリック系団体の幹部。共産党の指導に従い、外国勢力の影響を排除して 国家の主権と安全を守るべきだと強調した。

 中国では非公認の地下教会などは取り締まりの対象となっている。イスラム教に対しても「中国化」を求めている。□
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詭弁をまかり通してどうする

 旧統一教会問題で、国会議員の弁解が判で押したように同じで、とてもうさんくさい。私のような昔を知っている老人だと見え透いたウソだとすぐに分かるのだが、若い人たちはやすやすと騙されてしまうのかもしれないが。

 昨日のBS フジテレビ「プライムニュース」(2時間番組)に登場した睾丸無比、もとえ厚顔無恥な萩生田の言い訳に日本の純朴な庶民はあっさり騙されちゃうのかな、と思いながら見ていたが、キャスターの反町の言動は一見舌鋒激しく迫っているようにみえて、しかしそれは表向きだけのことで、どうもゲストに媚びている印象を私は持ってしまった(でなきゃ、ゲスト出演なんかしないよな:女子アナが上智出身なので許したくなる、というのは全くの冗談ですが)。

 そこで話題となっていたのは、これは信教の自由に関わる問題で、とか、政治家と宗教の関わりの複雑さ(支援しますというのを政治家は無碍に断れない)であったが、いずれも詭弁で、じゃあいわゆる反社会的団体(暴力団)でも受け入れるのか、ということにもなりかねないわけで、支援団体との関係は政治家の「見識」が当然問われるわけだが、それを一般論で丸め込もうというのがキャスターとゲストの共通基盤に思えたわけだ[ただ、ゲストやキャスターの主張を垂れ流している日テレの「深層NEWS」(1時間番組)と比べて、短いながら視聴者の質問とか受け入れているはいい試みだ、と評価したい。辛坊治郎氏の頃の「深層NEWS」がなつかしい:https://friday.kodansha.co.jp/article/102173。そうそう国谷裕子さん時代のNHK「クローズアップ現代」も:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2874/]。雇われキャスターの彼らがもろ政権への忖度で降ろされたのは、いつだったでしょうかねぇ。安倍亡き後これも思い出すべきだ。

 ところで旧統一教会は外国の宗教であるとちらほら言われ出しているが、そんなこと言ったら、仏教だってキリスト教だって外来宗教だし、日本の大手のキリスト教なんかは海外からの資金援助なしには立ち行かない面もある。私がそれなりに知っている範囲だと、上智大学(カトリック)にしろICU(プロテスタント)にしろ前者はドイツ、後者はアメリカの信者からの大型献金で設備充実させてきているのだし。

 統一教会の場合は、まるで逆で、日本の献金が韓国に流入しているのだが。

 〇 2022/8/19 青沼陽一郎「もしかして岸田首相はまだ気づいていない?カルトの手法に嵌められた自民党:萩生田氏の統一教会施設訪問、リークしたのは「教団関係者」の意味を考えよ」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71455)

 〇 2022/8/24 青木理「恥をかき捨て走る保身」(https://mainichi.jp/articles/20220824/ddf/012/070/006000c?dicbo=v2-aebe36482a46ace2e655b71383c38b90)

 〇 2022/8/25 新 恭「統一教会との関係に開き直る萩生田氏と安倍応援団」(https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html)

 〇 2022/8/25 塩倉裕 「フランスの厳しいカルト規制」:その「過敏さ」が映す日本の「鈍感さ」」(https://digital.asahi.com/articles/ASQ8S061NQ8PUPQJ001.html?pn=9&unlock=1#continuehere)

 私のそもそもの研究対象は、初期キリスト教がローマ帝国内でどのように地歩を勝ち得てきたか、にあるのだから、創価学会や統一教会、オウム真理教などには当然興味も関心もある。万が一、このテーマに関心ある向きがいらっしゃれば、修士論文以来のかつての拙稿をお読みいただきたい(とりあえず以下参照:「「ディオクレティアヌスのキリスト教大迫害」勃発原因をめぐって(三)」『上智史學』41, 1995, pp.1-32, esp., p.8:本稿は以下から簡単に入手可能:まず、https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000009510に行って、一番下のダウンロード、200000020454_000070000_1.pdfをクリック)。

 その箇所だけ添付しておこう。一行目下からどうぞ。

 学界的には、キリスト教とローマ帝国といったテーマを扱う研究者はあたり前のことだが、そもそも信者やキリスト教シンパとして予め「洗脳」ならぬ「洗礼」を受けていたりするので、私のような視点は彼らにとってきわめて心外・論外で、表だっての批判よりむしろ無言の内に黙殺されてきた印象すらある。誰しも自らの魂の深奥に土足で入られることには不快感を抱く。それは研究者とて例外ではない。何ごとによらず宗教信条に従って現実社会で生き抜くことは簡単なことではないが、それを一般社会人のほうはよく知っている。しかし研究者などむしろ頭でっかちの世間知らずなので、頑迷でやっかいなことこの上もないのが実際なのだ。

【追記】同じ新聞社の記事なのに相反する内容のような気がするのだが。

 〇 2022/8/25 鈴木琢磨「旧統一教会に忌避感なき韓国:日本と異なる政治や社会との距離」(https://mainichi.jp/articles/20220824/k00/00m/040/278000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220825)

 〇 2022/8/26 坂口裕彦「旧統一教会、発祥地の韓国でなぜ話題にならない?「日本と違う役割」」(https://mainichi.jp/articles/20220826/k00/00m/030/004000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220827)

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ウクライナ報道、その後

 こういった問題を善悪で論じることがすでにプロパガンダに乗っていることを知らなければならない。

 本来、両論併記であるべきものを、一方に肩入れして論じるのは少なくとも知識人の立ち振る舞いとしてはおかしいはずなのだが。

〇 8/18 田中宇「国際人権団体が批判、ウクライナの“自作自演”と腐敗が招く核惨事」(https://www.mag2.com/p/news/548962)

  8/17 田中宇「悪いのは米国とウクライナ政府」(https://tanakanews.com/220817ukrain.htm)

〇 8/24 岩佐淳二「「見つかったら殺される」脅された家族 ロシア占拠の原発一帯は今」(https://mainichi.jp/articles/20220823/k00/00m/030/023000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220824)

  8/24 金寿英「「戦闘の年内収束、考えづらい」ウクライナ侵攻半年、小泉悠さんの見方」(https://mainichi.jp/articles/20220823/k00/00m/030/016000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220824)

  8/19 西村金一「ついに見えてきたロシアのウクライナ侵略失敗、本当の理由:非正規戦への過信で当初作戦に失敗、正規戦との連携が不発に」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71439)

  8/26 西村金一「攻勢に出る戦力がなくなったロシア軍、11月までに火砲を使い尽くす?:各種兵器の損耗率から見えてきたロシア軍の実態と戦況分析」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71526)

 8/25深夜0時から1時間、NHK Eテレ1東京で「島の戦争:なぜ住民は殺されたのか」を見た。これは、8/20放映の再放送。久米島に駐留していた日本軍の鹿山隊30名によって、昭和20年6-8月にかけて子供幼児を含む久米島島民20名がスパイ容疑で殺害された事例を取り扱っている。同じ日本人同士とはいえ、沖縄人や朝鮮人に対する差別意識や疑心暗鬼から、住民同士での密告すら生じ出しての悲劇となる。

 ウクライナ人やウクライナ東部のロシア人住民の悲劇は、身近な我が国でもあったのだし、戦争が起こればこれからもまた必ず生じるに違いない。

 【追記】そろそろ8月も終わる。ウクライナは続くが、日本の敗戦番組は一段落する。「2022年 夏のおもな特集番組」(https://www.nhk.or.jp/info/pr/toptalk/assets/pdf/soukyoku/2022/07/005.pdf)

 日テレ深層ニュースでの小泉発言を聞いていて、読み間違っていると思った。彼は最近のゼレンスキー大統領のクリミア奪還宣言を、戦局が有利になったのでと平面的にしかとらえていないようだが、あれは厭戦気分が生じだしている米欧側を叱咤し、一層の武器貸与を求めるための発言のはずだ。すでに国家的には破綻し自力では勝利できない状況で、米欧の援助なしには敗北は必至なのだから。ところが米欧の思惑はウクライナとは異なっているので、ずるずる膠着戦に移行していくしかないわけで。別のニュースでも日本でのウクライナ援助の募金もすでに途絶え出し、NPO運営も困難になっている由。

【追記2】2022/9/7:「ウクライナはかつての敵にあらず、ロシアの大誤算は電子戦:安易な侵略許した2014年クリミア戦の猛省から大変貌遂げる」(https://www.koji007.tokyo/wp-admin/post.php?post=27366&action=edit)

 私のような素人でも、第2次世界大戦で有効だった戦車戦への対抗手段がすでに開発されていて、無効化されていること、サイバー戦が現在の戦闘の帰趨を制していること、は理解できる。技術の進歩が即刻金の糸目をつけずに投入されるのが軍事である。

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今度は中流階級の住居出土:ポンペイ

  継続発掘されているポンペイ近隣のCIVITA GIULIANAで、奴隷の部屋が出土したという報告があったが(2021/11/6:http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-room-of-the-slaves-the-latest-discovery-at-civita-giuliana/)、今度はポンペイで、中流階級の家が発掘されたとの報告が、2021/8/6になされた。

 このところ継続的に発掘がなされているポンペイの第5地区で、2018年に豪華なララリウムの祠と驚くべきフレスコ画が出土した「魅惑の庭の邸宅」(https://www.pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R5/5%2003%2012.htm#lararium)の奥を掘っていたら、予想外に質素な部屋が4つ出てきた。発掘者たちはそれを中流ないし下層民の住居と断定した。例によって発掘地点は明示されていないが、V.3.12.13付近と思われる。

今回の質素は部屋は破線の凸部分付近と思われる

 従来豪華な邸宅に目がいっていた研究者たちも、最近は中・下層民や奴隷の日常生活に興味を持つようになってきていたが、そこに今回の発掘は絶好の傍証となったわけである。これらの部屋の壁は漆喰だが剥き出しで、床も土間のままだった(こういった部屋は従来もポンペイから出土していたはずだが、出土品も日常使いのものだったのでこれまでは美術的に無価値と断じられ蔑ろに扱われ、特に発掘初期には処分されてきていたのだろう:処分の内実とは、例によって闇市場に横流しされ、好事家やマニアの手に渡っていったことを含めてのこと)。

 ある部屋には、2000年間開けられなかった食器棚があり、中にはガラスの皿や陶器の鉢、花瓶などの食器がそのまま入っていた。別の部屋には、装飾品が残されたテーブル、ベッド、トランク型の箪笥があり、その中からみつかったものの中には、古代ギリシアの神ゼウスが鷲に変身した姿を描いた浮き彫りが施されたオイルランプがあった。

たぶん食器棚からの出土品:日常品のガラスや陶器の器類
この写真はたぶん「寝室」かと;右は上から部屋全体を俯瞰した写真
左写真の左側が、石膏で復元され蓋のない箪笥、右側が三脚の円卓:右写真、箪笥から出てきたオイルランプ

 以下も参照。https://karapaia.com/archives/52315493.html

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