投稿者: k.toyota

今度は中流階級の住居出土:ポンペイ

  継続発掘されているポンペイ近隣のCIVITA GIULIANAで、奴隷の部屋が出土したという報告があったが(2021/11/6:http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-room-of-the-slaves-the-latest-discovery-at-civita-giuliana/)、今度はポンペイで、中流階級の家が発掘されたとの報告が、2021/8/6になされた。

 このところ継続的に発掘がなされているポンペイの第5地区で、2018年に豪華なララリウムの祠と驚くべきフレスコ画が出土した「魅惑の庭の邸宅」(https://www.pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R5/5%2003%2012.htm#lararium)の奥を掘っていたら、予想外に質素な部屋が4つ出てきた。発掘者たちはそれを中流ないし下層民の住居と断定した。例によって発掘地点は明示されていないが、V.3.12.13付近と思われる。

今回の質素は部屋は破線の凸部分付近と思われる

 従来豪華な邸宅に目がいっていた研究者たちも、最近は中・下層民や奴隷の日常生活に興味を持つようになってきていたが、そこに今回の発掘は絶好の傍証となったわけである。これらの部屋の壁は漆喰だが剥き出しで、床も土間のままだった(こういった部屋は従来もポンペイから出土していたはずだが、出土品も日常使いのものだったのでこれまでは美術的に無価値と断じられ蔑ろに扱われ、特に発掘初期には処分されてきていたのだろう:処分の内実とは、例によって闇市場に横流しされ、好事家やマニアの手に渡っていったことを含めてのこと)。

 ある部屋には、2000年間開けられなかった食器棚があり、中にはガラスの皿や陶器の鉢、花瓶などの食器がそのまま入っていた。別の部屋には、装飾品が残されたテーブル、ベッド、トランク型の箪笥があり、その中からみつかったものの中には、古代ギリシアの神ゼウスが鷲に変身した姿を描いた浮き彫りが施されたオイルランプがあった。

たぶん食器棚からの出土品:日常品のガラスや陶器の器類
この写真はたぶん「寝室」かと;右は上から部屋全体を俯瞰した写真
左写真の左側が、石膏で復元され蓋のない箪笥、右側が三脚の円卓:右写真、箪笥から出てきたオイルランプ

 以下も参照。https://karapaia.com/archives/52315493.html

Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1648信:2022/8/22:干上がるエデンの園

≪ 目 次 ≫

▽「世界に人間への情熱を広げよう」教皇、リミニ・ミーティングにメッセージ
▽エジプトのコプト教会、礼拝に5000人以上集まった中で火災
▽エジプトのコプト教会火災でイスラム教徒が子どもを救出
▽サッカー選手モハメド・サラーがエジプトの教会火災に約2000万円寄付
▽旧統一教会がソウルでデモ、日本メディア非難、安倍氏追悼も
▽世界教会協議会代表団がウクライナ訪問
▽「悪魔の詩」の作家ラシュディさん刺傷、「本人と支持者に責任」とイラン外務省
▽「エデンの園」あったイラク・メソポタミア湿地帯干上がる

 今回は、旧統一教会関係を紹介したかったが、内容があまりに簡明なので、最後のにしてみた。

◎「エデンの園」あったイラク・メソポタミア湿地帯干上がる
【CJC】チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域、イラク南部のメソポタミア湿地帯は、旧約聖書の「エデンの園」があったとされる。2016年には国連教育科学文化機関(UNESCO=ユネスコ)の世界遺産にも登録された。

 しかし、この肥沃(ひよく)な土地が干上がっている。3年にわたる干ばつと少雨、そして隣国トルコやイランを源流とする河川の水量減少が原因だ、とするAFP=時事通信の報道を紹介する。

 オランダの平和団体PAXが行った衛星データに基づく評価によると、2020年8月からの2年間で、フワイザ湿原やチバイッシュ湿原などイラク南部の湿地帯の46%で地表付近の水が完全になくなった。さらに41%で水位や湿度の低下がみられた。

 国連食糧農業機関(FAO)駐イラク事務所は、湿原地帯はイラクで最も貧しい地域の一つで、6000世帯以上が壊滅的な被害を受け、「生活のための唯一無二の資産である水牛を失っている」と指摘した。

 イラン国境にあるフワイザ湿原にも大きな影響が出ている。イランの水管理当局の責任者は、さまざまな対策を講じているが、50度を超える気温の中で「蒸発量を補うことは不可能だ」という。□


Filed under: ブログ

ポーランドの古代ローマ史本

 私のゼミ生で現在ポーランドに在住しているH君経由で、以前お願いしていたポーランド語の本が、彼が一時帰国したので、届けられた。新コロナの関係で郵送もままならず、送料もバカにならなくなるとのことで、一時帰国での持ち帰りをお願いしていたものだった。その書籍は以下。Andrzej Wypustek, Imperium Szamba ścieku i wychodka :Przyczynek do historii życia codziennego w starożytności, Warszawa, 2018, Pp.223.  だいたいの訳は「(ローマ)帝国の下水とトイレ:古代における日常生活」といったところか(ただしグーグル翻訳からの想定。古代ローマトイレ研究の先進国はオランダなので、これまでそっちは若干集めてきたが、ポーランド語はまあお愛嬌ということで)。

 今回なぜか売価が定価の半額で、H君の計算によると14.78zlで、昨日のレートで1円=00.35zlなので426.53円、日本での我が家への郵送料がゆうメールで310円だったので、まあ750円程度。確かにこれではポーランドからまともに送ってもらうと送料がかなりかかりそうである。

 紙装のB5版でこの値段なので、日本よりも圧倒的に安い、というか、なんで日本は本が高いのだろうか。装幀や紙質もかつての東ドイツに比べると普通にまともだし、15葉の白黒写真も挿入されている。問題は、註記・参考文献がなくて、その代わりにホメロスやアリストファネスなんかの原典引用は章節付きで本文中にポーランド語訳で掲載されてはいる。

 その本の所在を知ったのは、ポーランド人が管理者している古代ローマ史関係のWeb「IMPERIUM ROMANUM」をチェックしていて見つけたもの(https://imperiumromanum.quora.com/)。本当はもうひとつ、同じ著者による性生活がらみの本もヒットしたのだが、残念なことにそっちは2020年出版なのに既に売り切れ状況。どこでも皆さんの関心はご同様のようで。

Filed under: ブログ

今日の「深層NEWS」:ヤマザキマリ論

 アルコール抜きだったのに夕食後うとうとしている内に視聴予約しているこの番組が始まってしまったので、最初を聞き逃してしまったのだが、キャスターの鈴木あづさがいつもより生き生きした感じで、その声に触発されて目が覚めて見たのだが面白かった。ゲストは養老孟司とヤマザキマリ。彼ら両名の対談が6月に出ていて、ということで、じゃあ購入してみようかな、と。

文藝春秋、2022、¥1650

 Amazonのカスタマーレビューで斉藤健志氏が指摘していたことだが、マリが「思想を言語化して発言しまくっている」イタリア人のような民族は、「活字化された言葉」に答を求める日本人が本に依存するような姿勢を持ち合わせていない、といった類いのことを本の中で言っているようで、これは確かになかなか含蓄に富む言葉だと思う(となると、イタリア人にとって文字化とはどういう意味を持つのかが逆に問われなければならないが)。

 また彼はマリの発言を「粗削り」と評しているが同感である。というよりも、彼女は体験に根ざした発言に終始しているので、そこに緻密な論理構成を求めるのはお門違いというべきだろう。

 しかし往年の「だから日本人はダメ」的な上から目線の塩野女史とくらべて、「それぞれの歴史がそうしかありえなかったのだから、そんなジャッジはおいそれとすべきではない」という立脚点は一層高く評価されてよい、と私は思う。

 だがしかし、となると彼女の言説を読まされる日本の読者は活字化された言語を喜んで受け入れる日本人の特性を助長はしていても、彼女を見習って性格改造するには結局至らないのだろうな、とも思ってしまう。そう、誰も自己変革などする気はないくせに、民族的な習性へ流れ込むことで、一種の安心立命を得て自己満足しているような気がする。

 そして思い至るのは、このブログもそうだが、文字化している私の営みの原動力や目的は何なのだろうか、という見返しである。

Filed under: ブログ

インパール関係のNHKスペシャルを見た

 8/15深夜と夜、2回連続でインパール関係でNHKスペシャルがあった。「戦慄の記録 インパール」(2017/8/15)、「ビルマ 絶望の戦場」(今回初回:再放送、8/17NHK総合1・東京・午前2:37−3:38)。

 もちろん日本軍兵士にとって悲惨な出来事だったわけであるが(友軍内での盗みはもちろん、人肉嗜食も登場)、私に示唆的だったのは、後者の中での、イギリス第14軍司令官 Wiliam Slim の言だった。

William Slim  (1891-1970) :彼は苦学して軍人となった苦労人で、グルカ連隊他の混成軍を育成・統轄しえた。最終階級は元帥、子爵受叙。小説も書いていた由。実に興味深い人物だ。ところでこの写真の帽子、ひょっとしてグルカ帽?

 「日本軍指導者たちには、根本的欠陥があるように思える。それは道徳的勇気の欠如である。彼らは自分たちが間違いを犯したことを認める勇気がないこと、計画が失敗し練り直しが必要であることを認める勇気がないのである。」

 彼の場合、現場指揮官に権限を委譲して、それが成功に結びついた由であるが、日本軍の独断専行とどう違っていたというのか。結局は責任の取り方が違っていたのだろうか。

 いわゆる陸軍士官学校出や海軍兵学校出の軍人エリートたちで司令官(中将)や連隊長(大佐)や参謀(少佐)に登り詰めた人が、なれ合いでの立身出世や料亭での芸者遊びの接待に明け暮れたたかりと忖度野郎だったということか(もちろん例外もいる)。しかしこんな上官を持った兵は災難である。あれこれ憤懣を書き残しているのは学徒出陣で若くして最前線で散華させられた文系の大学生(少尉)だったりする。

 8/14夜には同じくNHKで「沖縄戦孤児」を見た。この再放送は、BS1 スペシャルで、8/18午前9:00−10:50

 同じくBS1スペシャルで、「戦火の中の僧侶たち:浄土真宗本願寺派と戦争」が8/20(土)21:00−21:50に放映予定。鵜飼秀徳『仏教の大東亜戦争』文春文庫、2022/7/30、に関連している内容と想像。もちろんこういった戦争協力は仏教界に限ったことではなかった。キリスト教とて同じだったのだ。

【追記】責任回避根性は、なにも旧日本軍の将官に限られたものではない。

 2022/8/24:玉村治「一度決めたら変えられない 日本で続くコロナ対策の失敗」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/27682?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20220824)

Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1647信:2022/8/15:教皇、ロシア正教会大主教と会見

≪ 目 次 ≫
▽教皇フランシスコ、ロシア正教会のアントニイ大主教と会見
▽「ロシアは負け始めた」=攻勢頓挫、と英国防相指摘
▽エジプト、ギザのコプト教会で火災、41人死亡、12人負傷
▽クリミアのロシア空軍基地で爆発、米国が地対地ミサイルをウクライナに供与も

  ここでは最初の情報を。

◎教皇フランシスコ、ロシア正教会のアントニイ大主教と会見
【CJC】バチカン・ニュースによると、ヒラリオン大主教の後任としてモスクワ総主教庁渉外局長を務めているヴォロコラムスク大主教アントニイが、6月の就任後、初めてバチカンを訪問した。

 モスクワ総主教庁渉外局長と教皇フランシスコの会談は、教皇とモスクワ総主教庁のエキュメニカルな接触の一環で、3月16日に行われた教皇とキリル総主教のテレビ会議に続くもの。会見の内容は明らかにされていない。

 前任のヒラリオン大主教は、3月のオンライン対話の際、キリル総主教の隣に座っており、教皇はモスクワと全ロシアの総主教に対して、ウクライナでの戦争に関して、キリスト教徒とその司祭たちの義務は「平和を助け、苦しむ人々を助け、火を止める」ことであり、「戦争の代償を払うのは国民である」という確信を表明していた。

 ロイター通信報道によると、教皇は9月13日から15日にかけてカザフの首都ヌルスルタンで開催される宗教指導者の会議に出席する予定で、そこでキリル総主教と会談することを望むと述べている。

 教皇とキリル総主教は2016年2月にキューバで会談しているが、それは1054年の「大分裂」以来のことだった。

 教皇は7月30日にカナダから帰国後、ロイター通信に、キーウを訪問したいが、その前にモスクワに行き、平和を推進したいとも語っている。□
Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1646信:2022/8/4:イスラエル、ガザ攻撃

 前回日付がおかしかったのだが、今回どうやら修正すべく第1645信以降の3通が送られて来た。相変わらず月日の表示はおかしいが(第1646信は、本当は8/8のはず)。
 ここでは戦争はウクライナだけではないことに注意喚起するため、4番目を紹介する。

≪ 目 次 ≫
▽オプス・デイ属人区長が、教皇自発教令に応答する書簡公表
▽教皇、カナダ司牧訪問について報告、一般謁見
▽米ワシントン大司教区が仮想通貨での献金受付を開始
▽ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃続く
▽横浜で英連邦戦没捕虜追悼礼拝、初回から追悼の辞を述べている関田牧師も一区切り
◎ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃続く
【CJC】英公共メディアBBCによると、パレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃が続く中、パレスチナの保健省は8月6日、パレスチナ人24人が死亡し、200人以上が負傷したと発表した。イスラエル軍はパレスチナの武装組織イスラム聖戦(PIJ)を標的に、ロケット砲や迫撃砲の攻撃を続けている。これに対抗して、武装勢力側もイスラエルへ向けて砲撃を繰り返して反撃している。

 ガザ地区の保健省は、「イスラエルの侵略行為」で子ども6人を含む多数のパレスチナ人が死亡したほか、負傷者も増えている、と非難した。

 これに対してイスラエル当局は、5日以降、パレスチナから約300発のロケット砲や迫撃砲がイスラエルへ向けて発射されたと指摘、PIJの脅威が「差し迫っている」ため、反撃を開始したのだとしている。

 ガザ地区における今回の攻撃の応酬は、2021年5月に11日間続いた対立以来、最も深刻な被害を出している。2021年の対立では、200人以上のパレスチナ人と数十人のイスラエル人が死亡した。

 ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスは5日夜、複数の武装集団が戦いに臨むにあたって「団結」していると声明を出した。ハマスはPIJと思想的に近く、連携して行動することが多い。ただし今のところは、ハマスがイスラエルに向けて砲撃した様子はなく、イスラエルもハマスを標的にはしていない模様。

 イスラエルは1日夜、PIJのヨルダン川西岸の幹部とされるバッサム・アルサアディ氏を逮捕。この後、イスラエルはPIJによる報復を防ぐためとして、ガザ地区との境界付近で保安対策を強化した。道路が封鎖され、イスラエル南部の町や村との行き来はできなくなった。このため住民の生活は困難さを増している。

 6日にはガザ地区唯一の発電所が稼働を停止した。電力会社によると、燃料が届かなくなったためという。

 イスラエルによると、5日以降ガザ地区からイスラエルへ向けて発射された約300発のロケット砲や迫撃砲のうち、約70発はイスラエル領に届かずガザ地区に落下したという。

 イスラエルに届いたほとんどは、イスラエルのミサイル防衛システム「アイアン・ドーム」で迎撃された。イスラエル側に死傷者は出ていないという。

 イスラエル国防軍によると、イスラエルは30カ所以上のPIJの標的に反撃。その中には、武器庫2カ所、ロケット砲製造施設6カ所が含まれるという。

 イスラエルのヤイル・ラピド首相は5日の攻撃について「差し迫った脅威に対する精緻な対テロ作戦」を実行したのだと説明した。

 イランの首都テヘランを訪問中のPIJのジアド・アルナハラ総長は、「この攻撃に我々は強力に対抗する。戦いに勝つのはこちらだ」、「この戦いに、超えてはならない一線は存在しない」とし、「テルアヴィヴは抵抗のロケット弾にさらされることになる」と発言している。

 PIJはガザ地区でも有数の武装勢力の一つで、イランの後押しを受けている。本部はシリアの首都ダマスカスにある。□
Filed under: ブログ

「原爆一号」と呼ばれた男、吉川清

 吉川清(きっかわ きよし:1911-1986年:享年75歳)氏についてちょっと触れた前ブログで、1947(昭和22)年生まれの私にもぼんやりした記憶が甦ってきた。なんだかそんなことしていた人がいたな、と。当時は売名行為的な感じで受け取っていた気がするが、その彼が峠三吉らとともに最初期の被爆者援護運動の立ち上げや原爆ドーム保存運動に関わっていたことは、知らなかった。

 以下参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E6%B8%85

いずれも広島平和記念資料館蔵:左は日赤入院時で妻の生美さんと、右は背中のケロイド(両手もひどかった)
日本の観光客にも(左)、アメリカ軍の水兵さんにも(右)、ケロイドをさらした
新旧の彼の店舗:場所は若干東に移動したようだが、西蓮寺境内内「広島大仏殿仮奉安殿」*の前付近

 *ちなみにこの「広島大仏殿」がらみの有為転変は、以下参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E4%BB%8F

 以下、関連情報:

RCC放送「広島の礎3:吉川清さん」2019/10/11放送(https://play.rcc.jp/player/ishizue/6229331060001/)

ETV特集「ドームと生きた男:「原爆一号」吉川清」1997/1/20放送(https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/library/bangumi/ja/112/)

「夫の背中を伝え続けて:吉川生美さん」NHK「私のヒロシマ」 2005年放送(https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/library/shogen/ja/5/

「ヒロシマを聞く:「原爆一号」とともに:中傷に耐え貫いた信念 夫の平和運動 妻が支えた」(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/04abom/04hiroshima_miraidengon/050403_02.html)

 語り部を続けてきた奥さんの生美さんは2013年12/28死亡、享年92歳。

 こういう事例をみるにつけ、やはり核兵器(A=N)も非人道的武器として、細菌兵器(B)や毒ガス兵器(C)と同等に使用禁止にすべきもののはず、との思いを強くせざるをえない。

 まったくの余談だが、私は、父の転勤で中3で和歌山市から故郷広島市に転居し(自慢ではないが、広島->徳島->浜松->新潟->和歌山->広島と転勤し、父はさらに単身赴任で九州の鹿屋->八代->尾道、そして広島で停年を迎えた)、とりあえず庚午の実家ではなく、官舎の牛田の山の中腹に住んでいた。毎朝7時前に寝不足で夢うつつで山を下り、青バスに乗って広電の電車に乗り換えて、広電宮島線の高須ないし古江で降りて山を登って私立の中高に通っていた。和歌山の中学校で剣道やっていて、そこで先輩たちの防具を使っていたせいで左の爪が疥癬にかかっていたので、学校の帰りに牛田の街中で皮膚科に一時通っていたのだが、そこの先生が被爆者でケロイドで顔も手の指もひどく変形していた(奥さまは普通以上の美人だったので、どんなドラマがあったのだろうか、とつい想像してしまった)。知らなかったので最初見たときはびっくりしてしまった。さすがにその頃になるとひどいケロイドの人を街中で見かけることも少なくなっていたせいだが(夏でも長袖の女性とかはもちろんいた)、たじろいではならじと通ったものだ。

 広島や長崎人は当時結婚や就職で差別を受けていた(ピカはうつる、遺伝する、と)。私が小学校1,2年のころ、父の赴任先が浜松だったとき、末の叔父が結婚したのだが、その式がなぜか浜松で行われ、広島から祖母をはじめあちこちにいた親戚一同も集まってきた。私は、何もわからなかったけど、大勢の親戚が集って大はしゃぎしていたことは覚えている。物心ついてからは、花嫁さんは叔父が仕事で赴任して沖縄で知り合った女性で、要するに広島と沖縄という二重の差別意識を避けるためだったのだろう、と思ったことだ。お嫁さんの兄弟姉妹もやってきていたが(親御さんは来なかったと記憶する)、皆さん内地の大学に留学中の、東大や一橋とか奈良女の学生さんで、当時そういう沖縄優遇の国策が採られていたことも事実だった。

 私の父は海軍にとられて山口の島にいた(末の叔父も満州にいた:父の直ぐ下の叔父は大興安嶺でソ連抑留となった)ので、原爆とは無関係だったが敗戦直後に広島に入った。結婚前の私の母は、たまたま広島での会合に参加していた親戚を探して、3日目に入市したので、いずれも原爆手帳を交付されていた。

 ついでに書いておくと、私の妻の父は戦前に結婚して子供もいたが、やっぱり徴兵されていて、原爆で彼以外の家族全員が爆死し、戦後再婚して生まれた長女が妻だった。だから、原爆がなければ生まれることもなかったことになる。広島にはそんな運命に翻弄された人たちはざらにいた。

 その世代が今消え去ろうとしている。

Filed under: ブログ

原爆ドームの落書き

 映画の「原爆の子」なんかを見ている内に思い出した。その落書きってほかで見たことある、と。

 思いだしたのが岩波書店から出版されたパンフ『廣島:戦争と都市』岩波写真文庫72、1952/8/6 である。ということは、日本がアメリカのGHQの占領から脱したのが同年4月28日だったので、3ヶ月ちょっとあとの出版だった、ということになる。その58、59ページに件の落書きと、関連の写真が合計9枚載っている。その解説文が洒落ているので、引用したい(文中〇数字は写真番号)。

 「かつて廣島の一名所だった相生橋①と産業奨励館ドーム⑦の上空で、原爆が炸裂した。崩壊した相生橋⑥は完全に修繕されたが、ドーム⑤のほうはそのまま残っている。人間の悪を遺跡にする法はないと怒る人もいる。ただ撤去するにも保存するにも相当費用がいるので簡単な鉄條網だけでかこってある。内には浮浪者が居を構え、見物のアメリカ人③は崩れた壁に署名をしてくれる⑧。傍にはケロイドNo.1と評された人が、自分のケロイドの写真を売っている④。天皇も一度、ご会釈のため立ちよられたし②、記念日にはここで追悼が行われ、平和の鐘が鳴って鳩が放たれる⑨。その鳩が廃墟の内に巣をつくって、ヒクヒク鳴いている。」

 ここでは、③、④、⑧を転載しておく。

左③は、在りし日の産業奨励館と見比べている米国兵士とそれを見物している日本人;右④の右側の写真の主は吉川清氏。左に置かれているのは被爆した酒の徳利で、これも被爆瓦同様売り物だったのだろう
⑧原爆ドーム内の落書き:映画「原爆の子」でもこの箇所が出てきた

 ところで、今年の4/28が日本独立70周年だったのに、主要メディアがほとんど触れなかった件について、偶然以下を目にした。なかなか含蓄ある内容だった。

2022/5/9:山下英次「日本人が忘れてはならない4月28日、「悔恨の独立記念日」」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69987)

Filed under: ブログ

経済制裁は逆効果、だよね普通

 先ほどからNHK総合でNHKスペシャル「新ドキュメント大東亜戦争:1941 開戦(前・後)」が放映されているが、そこでのキーワード「エゴ・ドキュメント」なんだけど、それって以前も見た記憶がある。内容も同一のようだし。 

 前編を見ていて今回気付いたことだが、日本の政治的リーダーも軍部もアメリカとの戦争は勝利できないと認識していたが、1年前に始まったアメリカによる経済封鎖により日本の庶民の生活が徐々に追い込まれて苦しくなり、だがその怨みは自国の政治家や軍部にではなく、アメリカに向かい、「打つべし」と開戦をむしろ望む空気が充満していたので、開戦の放送は歓喜でむかえられた、ということだ。

 そこで想起されたのは、今般のウクライナ戦争によるロシアへの経済制裁のことである。有り体にいって、ロシア国内には厭戦気分よりも逆効果しか生まれないのではないか、と。それでなくともソ連時代の苦しい生活を経験している世代がまだいるのだし。クーデタなど期待しているのであれば、それが西欧と日本のメンタリティーの相違となるかもだが、ロシアは西欧とはいえないし。さてどうなることやら。

 ググってみたら、とりあえず以下の2本が眼にとまった。後者はずばりだ。読んでみようか。

高橋文雄「経済封鎖から見た太平洋戦争開戦の経緯 :経済制裁との相違を中心にして」『戦史研究年報』14、2011。

森川 央「太平洋戦争前の対日経済制裁について:歴史から対露制裁を考える」『IIMAの目』(国際通貨研究所)、2022/4/12

Filed under: ブログ