投稿者: k.toyota

世界キリスト教情報第1641信:2022/7/4:中絶問題

≪ 目 次 ≫

▽「アル・ジャジーラ」アブアクラ記者死亡めぐりイスラエルとパレスチナの間に確執
▽教皇庁が米最高裁の中絶違憲判断を称賛、社会支援も訴え
▽グリーン・デイのボーカルが米市民権放棄を表明、中絶めぐる最高裁判断受け
▽ペロシ下院議長が教皇に謁見、聖体拝領受ける
▽レバノンの政治家ミカティ氏、4度目の首相指名、権力闘争が表面化で組閣難航も
▽九州大学准教授の武田秀太郎さんにナイト勲章、マルタ騎士団の一員に
▽ウクライナ東部セベロドネツクが陥落、ロシアの「完全な占領下」に
▽ロシア、ウクライナの商業施設をミサイル攻撃、少なくとも13人死亡
▽東部リシチャンスク陥落=ウクライナ軍、撤退認める
▽貧しい人々と共に「オッセルバトーレ・ディ・ストラーダ」創刊
▽10年に一度のキリスト受難劇、今年は予定より2年遅れて上演

 今日はやっぱり2番目ですね。

◎教皇庁が米最高裁の中絶違憲判断を称賛、社会支援も訴え

【CJC】バチカン市発ロイター通信によると、バチカン(ローマ教皇庁)の生命アカデミーは6月24日、米連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認める1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆す判断を下したことを巡り、生命について考えるよう世界に問題提起したと称賛した。一方、女性が中絶しなくてすむよう社会変革を求めた。

 生命アカデミーは声明を発表し、生命は「広範囲な社会的重要性」を持つ問題であり、生命の保護を個人の権利によって制限できないとの見解を示した。

 生命アカデミーは、あらゆる段階の生命を保護しやすくなるよう、社会環境の変革に期待。「母親やカップル、まだ生まれていない子どもたちに対し、社会全体で盤石の支援を提供する必要がある」と訴えた。

 カトリックを信仰するバイデン米大統領は、この日を米国人にとって「悲しい日」として判断を非難。最高裁の保守派判事らを「極端だ」と糾弾した。□

 私の個人的見解は、胎児は発生時から人間であるので、中絶はやはり一種の殺人である、しかし諸々の事例で誕生が望まれない場合が生じるわけで、これに対しては社会的な受け皿の整備が必要である、というもの。しかし、実際にはそうはなっていない現実がある。
 カトリックの主張は硬直した理想論を言っているように捉えられがちだが、今回みたいに最後まで読むとちゃんとフォローはしているわけで、だが、現実問題としてはなかなか厳しい。

 バイデンは、政治家なのでその口上を信仰と結びつけると間違う場合もある(ウクライナにしても、台湾にしても、彼は呆けて放言しているのではない、と私は睨んでいる)。
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またなじみの店がひとつ消えた・・・

 上京以来30年経つが、ずっと練馬区に住んでいるので、都心に出る場合、地下鉄で新宿か西武線で池袋経由となる。新宿は昔の勤め先がらみであるが、池袋のほうは私的な買い物先だったりする。だからなじみの店も池袋のほうが多い。

 先日も、我孫子方面から帰宅途中にいつも寄る店に寄ってみたら、なじみのおばちゃんが「明日でここは終わります」と。ああ、ここもか。ようやく見つけた好みの味の店が、ときどきこうして消えてゆくのだ。

 妻もそこの味を好んでいたので、我が家にとってこりゃ一大事だと。西が長かった我が家では東の味は未だに馴染まない場合が多い。私にとり無条件にうまい東の食べ物は、焼津の干し魚と千葉の納豆ぐらいで、お好み焼きソースはいうまでもなく、醤油やみりんは相変わらず西のものを使っている。それもあって、よく買うのは和食での微妙な味が無視できるタイやベトナム料理の惣菜だったりする。

 それにしても、歳月とは無情なものだ。

 

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ポンペイの遺骨からゲノム解析に成功

 ポンペイ遺跡の中でも保存状態の良い建物の一つであるCasa del Fabbro(鍛冶屋の家:I.10.7)で、1932-33年にかけて行われたAmedeo Maiuriによる調査で発見されていた2名の骨格を、あらためて生物考古学と古生物学の学際的アプローチで分析したらしい。一人目は死亡時35歳から40歳の男性で、身長は約164.3cm。二人目は女性で、死亡時50歳以上、身長153.1cmだった。この身長はいずれも当時のローマ人の平均的な身長と一致するが、保存がよかった男性のほうからのみ全ゲノム配列を決定することができた。5/26にScientific Reportsで公開。

2遺体は、平面図の9から出土した。右写真は発掘直後のもの。左が男性

これまでは高熱に曝された遺骨ではDNAは破壊されていて調査不能とされていたが、最近の調査方法の進歩により解析が可能となった、らしい。

 男性のDNAを他の古代人1,030人および現代の西ユーラシア人471人から得られたDNAと比較したところ、現代の中央イタリア人およびローマ帝国時代にイタリアに住んでいた他の人々と最も類似していること、この男性のミトコンドリアとY染色体DNAを分析からは、サルデーニャ島出身者に共通する遺伝子群も確認された。これはローマ帝国時代にイタリア半島全体で住民の移動がなされていたことを示唆しているが、かの男性の場合はイタリア半島的特徴が強いので外国からの奴隷ではなかったと考えられている。

 また、この男性個体の骨格とDNAを追加解析したところ、脊椎骨のひとつに病変があり、結核の原因菌であるマイコバクテリウムが属する細菌群によく見られるDNA配列が確認された。このことは、この人物が生前に結核に罹患していた可能性を示唆している。この病気は、Celsus、Galen、Caius Aurelianus、Areteus of Cappadociaの著作で報告されているように、ローマ時代には風土病であったが、ごく一部の人にしか骨格変化が起こらないため、考古学的記録ではまれな病気であった。こうして、人間の移動にともなっての結核の蔓延も同時に立証されたわけである。

 こういう科学的調査を徹底的に行うことで、古代ローマ帝国のライフ・スタイルの実際が再構築されてゆくのが期待できそうである。

【余談】

ここの玄関の外に落書きがあった(CIL, IV.8364).

Secundus

Prim(a)e suae ubi-

que i<p=S>se salute(m) Rogo domina

ut me ames         

Secundusは、彼のPrimaに、彼女がどこにいようが、挨拶します。願わくば、女ご主人様よ、私を愛してちょ。

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遅ればせですが:水中考古学の本

 以前、山舩晃太郎氏の本とサイトを紹介したが、今年の2月になんと別の若者?が同種の著作を公表していたことを最近知った。

佐々木ランディ『水中考古学:地球最後のフロンティア』エクスナレッジ、2022/2。

 山舩君よりは8歳年上で、今から12年前にすでに一書『沈没船が教える世界史』メディアファクトリー、2010(ここでの著者名は「ランドール・ササキ」となっている:ちなみに彼は母親がアメリカ人のハーフ)をものにしている。テキサスA&M大学でも同門のようだが、お互いに面識はないらしい(そんなはずはないような気がするのだが、ま、いいか)。

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古代ローマ帝国の繁栄とは

 こんなブログがすでに5/12付でアップされていたのをご存知だろうか。浜田和幸「どうして? ゼレンスキー大統領の懐が侵攻後も膨らみ続けている謎」(https://www.mag2.com/p/news/538575)。

 私は明日、某読書会で標記のテーマで話をするのだが、その結論とゼレンスキーの内実があまりに合致するのに、あきれているのである。

 おそらくオランダ経由の情報に基づいて、上記ブログではいわく、実はヨーロッパではウクライナは最も腐敗の蔓延した国家として以前から悪評ふんぷんだった。それをテレビドラマで主人公が演じたように是正してくれると期待されていた彼がやっぱり同じ穴のむじなだったことが露呈し、ロシア軍侵攻直前は政権崩壊直前の支持率30%だったこと、彼の蓄財の手法がまったくプーチン流の独裁政治によってもたらされていること、などが述べられているのだが、その中で具体的に数字を挙げてこう指摘されている。彼は大統領になって「2年間で8億5000万ドルもの蓄財をなしたことが暴露」され、しかも侵攻後も「毎月1億ドルのペースで膨れあがっている」し、彼とその家族で立ち上げたテレビ制作会社の「組織犯罪汚職」が明らかにされ、挙げ句ノーベル平和賞獲得をめざして関係方面に根回しもしている、と。

 他情報でも、EU加盟候補国になったところでたぶん加盟条件を満たすことはできない、とはもっぱらの評判である。

 要するに、彼はウクライナ人民への国際世論の同情論を一身に受けることで、戦争を継続すればするほど私服を肥やすことができるので、すでに敗北が決定的な戦争を絶対にやめようとはしない、彼は「ぶっちゃけ、プーチン大統領に頭が上がらないのではないでしょうか」というわけである。

 こういう情報抜きでも、私にとって彼はアメリカの傀儡にすぎないし、戦後は世界中からかき集めた武器・弾薬をブラックマーケットに流して大もうけする図式がすでに予想されているわけなのだが。そのツケを延々と払うのは国民なのだ。最近まで私は知らなかったが、第2次世界大戦の時、英国はアメリカから多額の軍事援助を得たのだが、その返済に最近までかかってようやく完済したのだそうで、ウクライナとて同じ運命が待ち受けているわけで、今般の戦争で結局得するのはアメリカの軍事産業、といういつもの構図なのである。

 古代ローマ帝国の繁栄の実態は、一部の研究者が得々として世情に流布させているような決して立派で明るい話ではない。いわば「欲望の資本主義」よろしく、上から下までカネに群がった挙げ句の戦争バブル、そしてなけなしの資産を食い潰しての没落・崩壊だった、ように私には思えてならないのだが。

 ところで帝国崩壊の裏話に、自然界の予期せぬ異変があって(後2,3世紀の天候異変と疫病流行)、それに適切に対応できなかったからだ(あの時代どうあがいても誰にもできるわけもないが)となると、二年来のコロナ騒ぎを露払いに、今年の夏の猛暑=電力不足と、早すぎる梅雨明け=水不足は(6/27毎日新聞有料記事「電力も水も足りない?…「異例」の夏 厳しい暑さのワケは」https://mainichi.jp/articles/20220627/k00/00m/040/262000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220628)、あたかも黙示録的な前兆に思えてならない、と思うのははたして私の妄想なのだろうか。

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世界キリスト教情報第1640信:2022/6/27

≪ 目 次 ≫
▽米最高裁は、半世紀ぶり判例覆し、中絶の権利認めず
▽核五大国と協調模索、禁止条約会議の行動計画草案
▽WCC、新総幹事に南アフリカのジェリー・ピレイ牧師選出
▽教皇、東方教会援助事業会議の総会参加者と会談
▽「第10回世界家庭大会」=バチカンで6月22日から26日まで
▽世界家庭大会パネル会議で「デジタル時代のキリスト者」
▽ナイジェリアで武装集団が村や教会襲い30人以上拉致
▽イスラエル、ネゲブ砂漠の貴重な初期古代モスクを公開
▽マニラ大司教区が「悪魔ばらいセンター」建設へ

 今回は下から2番目の考古学的報告を紹介する。

◎イスラエル、ネゲブ砂漠の貴重な初期古代モスクを公開
【CJC】イスラエル考古学庁(IAA)は6月22日、イスラエル南部、ベドウィンの都市ラハトで発見された古代モスクを公開した。古代遺物担当官は、このモスクは現場の周辺地域がキリスト教からイスラム教へと変移した過程を浮き彫りにするものだと述べた。ラハト発AFP通信によって紹介する。

 IAAは声明で、1200年以上前のものと考えられるこのモスクの遺構は、ラハトで新たに土地を整備中に発見された、と述べた。

 IAAによると、モスクはネゲブ砂漠に位置しており、「正方形の部屋とメッカの方向を向く壁」が含まれ、その壁には、南を指し示す半円形のくぼみが作られている。

 IAAは3年前、この近くで同じ西暦7~8世紀に建てられたとみられる別のモスクを発掘している。今回見つかったモスクと合わせ、これら二つのイスラム教の礼拝場所の遺構は、「知られている中では世界最古の部類に入る」とした。

 この地域のイスラム教支配は、7世紀前半に始まっている。□
 

【付録】
6/22:https://www.heritagedaily.com/2022/06/archaeologists-find-ancient-mosque-in-israel/143939
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世界キリスト教情報第1639信:2022/6/20:教皇のウクライナ侵攻分析

≪ 目 次 ≫

▽英、プーチン氏支持のロシア正教会総主教に制裁
▽ウクライナの戦争は「おそらく誘発されたか、あるいは阻止されず」と教皇
▽教皇とミラノ大司教区立神学院の関係者らと会見
▽独ミュンスターでカトリック聖職者が性的虐待、子ども610人超が被害
▽米アラバマ州の教会で銃撃、2人死亡
▽動物園のゾウは「人ではない」=NY州最高裁が違法拘禁の訴え却下

 今回は、ウクライナ戦争勃発に関する教皇の見識を紹介する。さすがにすぐれた独自情報網をお持ちだけのことはあって、一方的な反ロシア的言動は慎重に避けている。私的に解説すると、あの戦争の背後にはアメリカが仕掛け人として存在していた、というわけだろう。

◎ウクライナの戦争は「おそらく誘発されたか、あるいは阻止されず」と教皇

【CJC】教皇フランシスコは、ウクライナでの戦争について「おそらく何らかの方法で誘発されたか、あるいは阻止されなかった」との認識を示した。6月14日刊行のイエズス会誌『ラ・チビルタ・カットリカ』に掲載された所見の中で述べた。

 ローマ発CNNによると、教皇は先月19日、キリスト教関連の文化的出版物に携わる団体の責任者と言葉を交わした中で、「我々が今目の当たりにしているのは残虐かつ凶暴な行為に他ならない。こうした戦争を遂行している部隊は大半が傭兵(ようへい)であり、ロシア軍がこれを活用している」と指摘。同軍がチェチェン人やシリア人を含む傭兵を進んで送り込んでいると付け加えた。

 「しかし危険なことに我々は、この点にしか目を向けていない。確かに恐ろしい話ではあるが、それだけでは全体像が見えず、戦争の裏で何が起きているのかが分からない。おそらくこの戦争は何らかの形で誘発されたか、あるいは阻止されなかったのだろう。兵器のテストや売却に関心が向いている印象も受ける。とても悲しいが、基本的に今重要視されているのはこうしたことだ」。

 さらに教皇は、ロシアのプーチン大統領を「支持」するわけではないとしつつ、「複雑な問題を善悪の区別に単純化しようとするのは断じて反対だ。根源的な要因や利害関係について考えることが不可欠で、それらは非常に入り組んでいる」と分析。「我々はロシア軍の凶暴さや残虐さを目の当たりにしてはいるが、解決を目指すべき問題があることを忘れてはならない」と続けた。□
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田中宇氏、乱入? さてその”戦後”処理は

 無料で読めて送ってくるMAG2NEWSは、どちらかというと若干扇情的記事が多いので、タイトル見て取捨選択して読んでいるのだが、先日「バレ始めたウクライナ戦争のウソ」(https://www.mag2.com/p/news/542280?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_wed&utm_campaign=mag_9999_0615&trflg=1)というタイトルに惹かれて読んでみたら、どこかで読んだ内容の羅列で、これじゃあまるで田中宇氏の孫引きじゃないか、誰だ書いているのはと確かめて見ると、田中氏ご本人でした (^_^;。

 ただ、このコラムの周辺記事は相変わらず米欧寄りの、プーチン重病説やロシア敗北説の内容ばかりなので、よくも掲載されたなあと感心するやら呆れるやら。彼自身がデマゴーグにならなきゃいいがと。

 私はどちらかというと田中的な冷静な見方の味方なので(といっても全面的にではないが)、さて、数ヶ月後とはいわず1ヶ月後には戦局どうなっているのか、不謹慎と思われるかも知れないが、楽しみになってきた昨今ではある。

【追記】2022/6/21のMAG2NEWSは、6/19発信の田中氏の無料メルマガ「ウクライナ「敗戦」は確定。それでも米国が軍事支援を止めぬ“侵攻の真実”」を「一部抜粋」して掲載した(https://www.mag2.com/p/news/542818/1)。まだ米欧系の主張が主流の記事中に異色の登場である。

 昨晩のBS日テレ「深層NEWS」で、司会の小栗泉は相変わらずゲストに反ロシア的言辞を要求し続けていて軽信の極みで、個人的にはご退場をお勧めしたいが、同調圧力のニッポンではそうもいかないのかな。さしものゲストもずらした返答で答え出す者が出てきだしていて面白かった(筑波の女性教授は相変わらずで、こうなるともう事実分析というより信仰表白)。

 それにしても、サンクトペテルブルク国際経済フォーラムでの1時間におよぶプーチン演説の真意は、その内容よりも、彼の病気説を払拭することにあって、その目的は完全に成功したというのは、読売新聞論説委員・飯塚恵子の慧眼である。彼女の着眼点は油断がならない。

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世界キリスト教情報第1638信:2022/6/13:教皇生前退位あるやなしや

≪ 目 次 ≫
▽ナイジェリア南西部で武装集団がカトリック教会銃撃
▽教皇、7月上旬予定のアフリカ訪問延期、医師団の指示受け入れ
▽教皇、フォンデアライエン欧州委員会委員長と会見
▽ウクライナの国外避難民、ロシア侵攻後700万人超す
▽米上院が超党派で銃規制合意
▽英王子がホームレス支援活動に路上で雑誌販売
▽日系ミネタ元米運輸長官死去、「伝説的な政治家」とペロシ下院議長称賛

 今回は、教皇の健康問題を。七月下旬のカナダ訪問が実現するかどうか、私は注目している。というのも、教皇は現在85歳。最近は車いすでの謁見となっているので、巷では生前退位するのではという観測がかなり現実味を帯びて言われ出しているからだ。58歳で登位したヨハネ・パウロ二世は85歳で死去するまで27年在位して多くの実績を積むことができたが(もちろんやり残しも多かった)、後継のベネディクト16世は78歳でたった7年間だった。現教皇は76歳で登位して9年目で奇しくも現在85歳であらしゃるわけで。

◎教皇、7月上旬予定のアフリカ訪問延期、医師団の指示受け入れ
【CJC】教皇フランシスコは、7月上旬に予定されていたアフリカ2カ国訪問を延期した。

 バチカンのマッテオ・ブルーニ広報局長は6月10日、教皇は、医師団の指示を受け入れ、現在行っている膝の治療の成果を無駄にしないために、7月2日から7日まで予定されていたコンゴ民主共和国および南スーダンへの司牧訪問を残念ながら延期せざるを得ない見通しである、と声明した。

 教皇は12日、サン・ピエトロ広場で行った日曜講話で、「この訪問の中止を余儀なくされたことを極めて残念に思っている。実現することを望んでいる」と語った。ロイター通信が報じた。

 7月24~30日のカナダ訪問は依然予定されている。□
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エルコラーノのトイレ事情

 以下の論述は欧文某論文からの抜き書きに私的コメントを加えたものであるが、特に再現画像で著作権問題が生じかねないので、横文字での典拠はここでは公表しない(この判断が正しいかどうかも私には疑問ではあるが)。それを含めて、その情報をご希望の向きは以下宛てにお求めいただければ開示しますので、ご遠慮なく。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

 紀元後79年のウェスウィウス山の噴火で約20mの厚さで泥溶岩流に呑み込まれたエルコラーノは、以前の火山噴火でできた、海面と約15mの落差のある海岸段丘上に位置していて、町の東西を川で囲まれていたとの史料が残っている。街全体が掘り出されたわけではないが(なにしろ南側を除いてまだ現代の家屋が埋没遺跡の上に建っているようなことで)、調査から、町には東西3本のデクマヌス通り、南北には少なくとも5本のカルド通りで規則正しい碁盤目状の町並みだったことが判明している。ここには約4000人の住民が住んでいたと想定されている。ポンペイと違って17年前の地震で大きな影響を受けたように見えない。というか、そんなはずはないので、すでに修復が完了していたと言うべきか。下図はGoogle Earthからの西向き3D画像で、遺跡は現在の海辺から450mほど内陸に位置しているが、当時は海岸線に接していて、船着き場や船舶格納庫も存在していたことは、皆さんすでに御承知かと。

左上はナポリ湾、中央右がエルコラーノ遺跡:現在の地面から10-20m掘り込んで遺跡が出現している。

 エルコラーノから東南に直線で13km離れたポンペイは、同時に被害に遭ったが、まず軽石が降り注ぎ、最後に火砕流に襲われ、4−8m内外の埋没だった。これからもエルコラーノとは遺跡の残り方が色々違ってきていることも見当がつくはず。私にとっての新事実、もっぱらプテオリの専売特許として地面の緩慢な上昇・下降のいわゆる「bradisismo」現象が言われてきているが、ここエルコラーノでも1980年代から指摘されていた件については、後日アップ予定。

 エルコラーノはじわじわ迫ってきた比較的低温の泥溶岩流に密閉されたので、上階部分も多くが崩壊を免れて残り得たし、木造部分も炭化して残存している箇所が多い。それに海への傾斜がポンペイに比べると急でなかったので、埋没以前にすでに地下下水溝が完備していて、個人宅のトイレの多くはそれに直結していた。逆にポンペイは、大部分の上階部分は軽石の堆積で崩落し、木造部分は蒸し焼き状態で空洞化し、傾斜が急だったので基本的に下水溝は構築されておらず、街路がその役割を果たしていたがゆえのステップ・ストーンの例外的存在だった。その場合、雨水の急激な集中を避けるため止水堤の役割が重要だったはずだ。

 実は、エルコラーノ遺跡は現在の地面より10−20mも掘り込んでいるので、雨が降ると水が溜まってせっかくの遺跡を痛めるという問題が発掘開始時から存在した。だから1930-40年代に排水のためかつての下水道が再利用されたのも当然だが、遺跡から海へのトンネルは1920年代にアメデオ・マイウリ時代の作業員が火山岩を、古代さながらに、高さ2.5m、幅1.3m、長さ450mにわたって手掘りしたものだった。その後のメンテナンス不足で再度閉塞した部分が最近補修され、現在は遺跡内のかつての下水溝を使って、そのうえポンプを設置して海への排水が可能となったのである(それで当時の海岸付近の調査が進んだらしい)。

 さてこの遺跡にはなかなか隅に置けないトイレが幾つもある。まずは中央浴場付設の公衆トイレ(VI.1)。これを浴場の男子専用とするのがどうやら通例のようだが、下右写真をごらんいただくなら自明のように、そもそも浴場内から直接行ける構造になっていないので(手前に写っているカルド III通りから入るしかない)、私には一般的な公衆トイレとしか思えないのだが、まあ風呂に入る前に済ませておきなさい、ということだろうか。それにしてもこの区画、奥まったトイレ部分に至る空間が不必要に広くて、私は気になっている。このトイレ便座の下を浴場からの排水が滔々と流れ、手前のカルドIII通りの排水路に繫がっていたのだろうが(下図参照)。

右現況写真の、奥の壁際が件のトイレ、中央通路の奥が浴場

 次に某邸宅の台所トイレ(「2つのアトリウムの家」:VI.29)。壁に沿った逆L字型調理台の角っこに小型のオーブンが設置されているのが珍しい。私は2019年にもこの邸宅を見学したはずなのだが、他の写真はあってもなぜかこの台所トイレの写真がない。謎である。それにググって入手した写真だとオーブンの天井が崩壊しているようなので、以下左の写真は発掘後かなり初期のものと見た。

 現段階で私はまだ詳細を検討できていないが、以下のような数字が提示されているので参考までに列挙しておく。これまで発掘されたエルコラーノ遺跡で、合計88の便所が確認されている。ということは、エルコラーノのほぼすべての邸宅に1つ以上の便所があったことになり、いかに便所が都市全体に広がっていたかがわかろうというもの。(邸宅)41戸のうち28戸に1つ以上の便所があり、合計39の便所が確認された。このうち、玄関脇にあるのは一箇所だけで、14が台所に隣接しており、24は邸宅の奥にある、ということは使用人の部屋やサービスエリアに設置されているのが通例ということになる。後述との関連で付言しておく。ここでのトイレは固定設置型を意味している。

現段階でこの図のすべてを解読できていないが、たった1つしかない緑のマルが公共トイレ(先に触れたVI.1)、赤マルが固定トイレを示しているのだろう。その中には上階トイレも含まれているが、これについては詳しく個別事例に触れる機会があることを念じている(別情報から、左右の青線が調査済みの下水溝、中央の緑線がカルドIVの未調査下水溝、上部に見える黄土色がデクマヌス・マクシムスの両側を走る下水溝、を示していることが判明)。

 邸宅で未だトイレが確認できていないのは、以下の四戸のみの由。Casa dell’ Apollo Citaredo(V.11)、Casa del Sacello di legno(V.31)、Casa del Mobilio carbonizzato(V.5)、Casa dell’ Erma di Bronzo(III.16)。そこでは、上階(の特に階段踊り場隅)にその設備があった可能性は否定しがたいとしても、とりあえず地階での可動式トイレの使用が考えられるはずだ。

左端は可動式便座トイレ。その中に、右側のような容器が入っていた:直接容器に座る女性用オマルもあった。詳しくは、以下参照。https://www.koji007.tokyo/atelier/column_roma_toilette1/

 とまれ、邸宅でのトイレはいずれもサービスエリアに位置していることから、それらの使用は主として奴隷用であったと断定してよい(よって犬ころ同様プライバシーも、臭気を考慮する必要もなかったにしても、可能性としてカーテンや扉の設置が付言されている場合もあるが、私見では望み薄かと)。そもそも地階は基本的に奴隷の活動エリアであった、というのは私の確信である(もちろんアトリウム周辺の接客部分を除いての話だが)。主人の家族はおそらく上階の自分の部屋に箱形の可動式便座(sella pertusa)を持ち込んで、箱の中に容器を置いて用を足し、それを奴隷が毎日処理していたと思われる(上図参照)。

 商業・製造業の家屋68の内、27は入り口近くにトイレがあって、これは従業員(基本、奴隷・解放奴隷のことかと)のみならず緊急事態の顧客にとっても利用可能だったはずである(こらえ性のなくなった老人の私もコンビニのトイレをちょくちょく利用させていただいている。ありがたいことだ)。

 また公共建造物はエルコラーノにおいて未だ部分的にしか発掘されていないが、11の公共建造物から9の便所が発掘されている(「中央浴場」VI.1,4-10に4、以下に各1:南東テラスの「郊外浴場」Terme suburbane と「聖所」Area sacra、いわゆる「Augustales礼拝所」Sede degli Augustali VI.21-24、「製パン業者の家」Ins. Or. II.1a)。

 さて、いよいよ上階トイレである。私の参考にした文献にはあちら風に「地階」「一階」「二階」と表記されているが、以下これを我が国の表記に準じて「一階」「二階」「三階」とすることにする。次の復元画像はアメデオ・マイウリによるインスラ・オリエンタリスIIのもので、表記では赤い矢印が「三階のトイレへの道を示している」とされているが、私見では日本語で普通「中二階」と訳されるmezzanino の上の階なのでこれをどう表記すればいいのかちょっと迷うが、いずれにせよ、これが古代ローマ時代の現存する最も高いトイレ事例となるらしい(もちろんもっと上階では可動式が使用されていたはず)。

 ちなみにこの区画、残りがよくてその上階(3階というべきか4階というべきか)もあったことが確認されているので、一世紀半ばに帝都ローマ風な高層集合住宅らしきものが、ここエルコラーノではすでに存在していたことになる(https://donovanimages.co.nz/proxima-veritati/Herculaneum/Insula_Orientalis_II/HTML5_panos/F02-05/F02-05.html)。こうしてみると、ポンペイではそういった高層建築物が見当たらないのをどう考えたらいいのか、いささか気になるところではある。現段階の私見として、ポンペイはおそらく62年の地震の後、都市パトロンだった有力者層の流出で再建が遅々として進まず、もちろん商業活動も停滞し、要するに発掘されて数的には隆盛を誇っていたように見えるバールや商店街も、現代の我が国地方都市のように、あらかた閉店のシャッター街となっていたのではないだろうか。それに比してエルコラーノは小ぶりながら順調に復興・成長していた地方都市だった、のかもしれない。

左、現状:左から9,8,右端7番地;中央、アメデオ・マイウリの模式図;右、いわゆる8番地の3階トイレ

 エルコラーノには、2階には24箇所、3階には3箇所のトイレが発見され、テラコッタのパイプで地下の下水溝へと接続されている由で、となると汚水枡を介すことなく直接垂れ流ししていたということになる。

 上記インスラ・オリエンタリスIIの事例でみると、9番地1階の入り口右隅にトイレが設置されているが(以下のview 360°画像で辛うじて確認できる:https://donovanimages.co.nz/proxima-veritati/Herculaneum/Insula_Orientalis_II/HTML5_panos/F02-01/F02-01.html)、8番地の3階のそれ(以下同様:https://donovanimages.co.nz/proxima-veritati/Herculaneum/Insula_Orientalis_II/HTML5_panos/F01-08/F01-08.html)とはテラコッタ製パイプで繋がって両方の排泄物が下水溝に流れ込むという構造になっている。これは以前ポンペイでの事例で指摘したのと同じ計画的設計である(その時はV.1.30-31で、1階と2階だったが:https://www.koji007.tokyo/atelier/column_roma_toilette1/)。ということは、現在まで残りえなかったにせよ、計画性ある集合住宅では建築段階でこのような共有設備は、少なくともナポリ湾地区では常識だったとも想定可能のはずだ。

 念のため再言しておく。とりわけ大の事後処理としては、バケツ代わりの土器に入れてある台所などでの使用済みの汚水を、ばしゃっとぶちまけて洗い流す。このとき台所トイレなどでは、野菜くずその他のゴミも一緒に流し込んでいたはずなので、となると、かつて目詰まりして水はけが極度に悪かったイタリアの安ホテル(しか私は宿泊したことがなかったのでよく遭遇した)同様の現象が生じたであろう、たぶん。定期的な煙突掃除ならぬトイレ掃除が必要だったろうが、それも奴隷のお仕事のはず。

左、9番地1階のトイレ跡を上階から見た写真;中央、構造模式図(1階と2階で表記されているが);右、8番地3階のトイレ(上記写真と90度角度を変えている)

 まだまだエルコラーノのトイレ噺は続くのだが(それだけこの遺跡のトイレの残り方がすばらしい、というわけだ)、今回はこれまでとしておこう。

【追記】mezzanino であるが、私はこれをあちら風には「中階」と呼称することにする。よってあちら風には「地階」「中階」「一階」・・・、我が国風には「一階」「中階」「二階」・・・、となる。我が国では「中階」ってそう見かけないけど。となると表記はあちら風に統一した方が無難かも。

 ちなみに、九大堀研究室の小川助教への問い聞きでは「中二階で大事なのは、 ①付随する階の、床と天井の間に作られていること ②中二階の床面積が、付随する階の床面積の1/2以下であること」、だそうです。

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