お目当てはカタログのNo.147(2022/6/3のブログ参照)の「キターラ奏者の家」(Casa del Citarista:I.4.5)で、あの背景の山をウェスウィウス山とする説に出会い、かなり急な坂道の果てに平たい頂上が見えるわけだが、おそらくそれがストラボン叙述「山頂以外は非常に美しい畑地が取り巻く。山頂は大半が平らだが全体が不毛の地で」との関係でそう注目されているのだろうが、単にそれを確認するための寄り道であったのだが、残念ながら19世紀半ばのN.La Volpeによる描画のようには明確に認識することはできなかった。それに、天空を飛翔するクピド?は別として、頂上にどっしり根付いた樹木をどう解釈するのかも問題だろう。以下、左が描画、中が今回撮った全景写真、右がその頂上と裾野の部分の拡大合成図である。
A cura di Filippo Coarelli, Divus Vespasianus:Il bimillenario del Flavi, Ministero per i beni e le attività culturali, Soprintendenza speciale per i beni archeologici di Roma, Electa, Milano, 2009, pp.484-5 からのスキャンが送られて来た。本書はたぶん展覧会のカタログで、項目執筆者はFabrizio Pesando。以下、レリーフのイメージ関連部分だけを紹介する。
レリーフAには一連の公共および聖なる建物が描かれており、そのうちのいくつかは確実にフォルム地区に位置している。左側には大きな単一アーチがあり、西(見る人の左)に向かって強く傾いている。これは、いわゆるドルススDrususのアーチで、79年の噴火後に行われた剥ぎ取りにより、今日では大理石が全くないように見えるが(コーニスの断片とスラブを接着するためのダボがわずかに残っているだけ)、地震の後に南東側の上部を統合する工事で部分的に修復された。アーチの隣には、同じく西に傾いた大きな神殿が描かれている。ここでは四柱式tetrastiloとして描かれているが、フォルムの北側の短い部分を中心に閉じていた都市のCapitolium(実際に前面に6本のコリント式円柱がある)と同一視することができる。この神殿の特徴は、階段の中央にある祭壇と、両端にある2つの彫像の台である。今はもう存在しないこの像は騎馬像で、ユピテルの子孫である騎士の守護者ディオスクリを表していたのかもしれない。ウルセウスurceus=水差しとパテラpatera=供物皿は、フォルムとは限らない別の記念建造物で行われた具象的なシーンを紹介している。右側には他の生け贄の道具(トレイvassoio、ナイフcoltello、シトゥラsitula=手桶)が並んでおり、犠牲式で使うバイペンbipenne(=諸刃の斧)を持った犠牲執行吏victimariusが、雄牛の角を引きずって祭壇に向かって押している。祭壇のテーブルにはベールを被った女性の頭が、前面には動物(確実に子豚porcellino)が描かれている。他の記念建造物とは異なり、このモニュメントは完全に無傷である。このため、このシーンは、地震の後、フォルム地区の聖なる建物の一つ(おそらく、いわゆる「公共のラレスの聖域」Santuario dei Lari Pubblici)で行われたテルスTellusへの贖罪の犠牲式を表していると考えられている。しかし、ポンペイにテルスの儀式を示す証拠がないため、この識別は不確かなものとなっており、シーンの解釈(地震の際にそこで行われていた儀式行為のために、まさに無傷で残った建物のプロディギウムprodigium=瑞祥)や、崇拝されていた神の識別(重要な聖域が捧げられ、非常に権威のある公の神権を持っていたウェヌスVenere[ポンペイの守護女神だった]やケレースCerere[ローマ古来の豊穣地母神]など)など、他の可能性が残されている。
浮き彫りBは、浮き彫りAとのテーマ的・様式的な類似性から、ララリウムの装飾そのものを指すと考えられているが、帝政期のポンペイの有名な建物も描かれている。配水塔castellum aquaeとヴェスヴィオ門は、実際に左手に完全に識別できる。前者は、都市に面した正面を示す3つのブラインド・ブリック・アーチtre archi ciechiが、細部に至るまでごくわずかな誤差で再現されており、レリーフAの祭壇と同様、建物は無傷のようで、現存する遺構にも大きな損傷や修復の跡は見られない。それとは全く異なる運命を辿ったのが、近くにあるヴェスヴィオ門Porta Vesuvioである。Porta Vesuvioは現在ではほとんど消滅しており、西側の角柱piedrittoだけが残っている。レリーフでは、ほぼ完全に右(東)に傾いており、巨大な両扉は開け放たれている。そう離れていないところに、牛かロバbuoi o asini[複数表記]のような動物が2匹で引っ張っている荷車があり、揺れで身動きが取れなくなりそうになりながら、町に向かっているようだ。その後ろには、盛り土aggerと城壁の上部が見える。城壁は整然とブロックを積み上げ、一連の狭間胸壁merlature(CIL X,937の碑文に記されているように、スッラの植民都市colonia sillanaの初期に再建されたplumae)で覆われている。Aのレリーフと同様に、右端には祭壇が置かれているが、ここでも完全な形で現わされている。構図の最後にある大きな木(樫)や、テーブルの上に置かれた供物(花輪corona vegetale、灌奠用のパテラpatera per le libagioni、初物を詰めた[豊穣の]角corni riempiti di primizie)から、この祭礼の素朴さがうかがえる。 祭壇の前には、諸々の祭具oggetti cultuali(おそらくリトゥウスlituus=ラッパ)のほか、動物が大きな杯coppa=酒杯をひっくり返している。なんの動物かは不明だが、上を向いた長い尻尾があることから、子羊は除外される。鼻の形や長い耳は、齧歯科やイタチ科の動物を表現するのに適している。後者の場合、イタチの可能性がある。イタチは、古代ローマの豊穣の神Mutunus Titinusと結びついた、繁殖能力の高い動物である。