投稿者: k.toyota

終わらない夏、終われない夏:遅報(17)

 桜じゃないけど、これも季節外れだったが、BS1で「女優たちの終わらない夏、終われない夏」をやっていた。「終われない」というフレーズに惹かれ、そして登場した渡辺美佐子(86歳)や山口果林(72歳:えっオレと同い年?)が広島と無関係なのになぜ、と思って、番組を見ながらググってみた。そしたら東京新聞の2019年4月21日 朝刊の記事があった。https://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019042102000200.html

 1985年ないし2008年以来継続してきた原爆の、こどもと女優の朗読劇を老齢のため店じまい、という内容だった。

 そりゃ「終われない」よね。その気持ちはよくわかる。でも、終わってしまうのだ、なにもかも。生者必滅・会者定離。

【追記】その後の番組は、一週間ほど前に放映された原爆孤児の話だった。「さしのべられた救いの手:“原爆孤児”たちの戦後」https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115753/index.html

 6500人もの孤児が焼け跡に放り出され、飢えで次々に死んでいく。彼らを救済するため精神養子運動をした人たちで、ノーマン・カズンズ、パール・バック、谷本清牧師といった、広島人には懐かしい名前が出てきた。600人のアメリカ人里親が400人の孤児を支えた由。他方で、韓国人に助けられた人の話も出てきた。

 だが、なぜか「似島学園」について触れられていない。元地元としてはちょっと引っかかる。

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つぐない:今日のコミカレの落とし前

 って、まるでテレサ・テンの歌みたいですが、接続コードを一つ忘れてしまって、今日は画像抜きの講義となりました。申し訳ないので、画像だけでもアップしようと思い立ちました。以下まずレジメ、資料。

アウグスティヌスとモニカ

白人として描かれるAugustinus像:6世紀、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ宮殿図書館
中央がAugustinus:7世紀、ブレシア博物館
ボッチチェリ、1480年:フィレンツェ・オンニサンティ教会
典拠不明、最近よくウェブに登場
白人的なモニカ像:15世紀Benozzo Gozzolnii
Ary Scheffer,1846:いかにも北アフリカ人的表現で納得できる
典拠不明:最近よく見かける
男性は旅行時のガイドさんと遺跡案内人:女性の顔の刺青に注目、さてモニカはどうだったのだろう

古代ローマの外港:オスティアとポルトゥス

復元想像図:左が二段構えのPortus港、右端の河口港がOstia

Ostia antica遺跡でのアウグスティヌスらの宿舎の想定場所

Ostiaの共同墓地は、この地図では中央の幹線道の右端の先にあった
北からみた現在の庭園

Borgo全景:上が北

ムスリム軍を警戒して左の砦を作ったのは、後の教皇ユリウス2世
右がSaint’Aurea教会:奥が司教館、その手前の広場で碑文発見か
教会内部:GoogleEarthで360度パノラマ写真もある
右側の小礼拝堂:正面に「窓辺で話す母子」の絵
小礼拝堂の左壁に強化ガラスで覆われた碑文断片
右が裏側:私には石棺のフタの再利用に見えてしまうのだが
Junius Bassus(†359年:首都ローマ長官在職中に死亡)のキリスト教的石棺:バチカン、サン・ピエトロ大聖堂・宝物館所蔵(但し、碑文を献呈したAnicii家のBassusとは無関係)

ローマ、ナヴォーナ広場周辺:右が北

縦長にSan Luigi dei Francesi教会↑     右中央横長がSant’Agostino教会↑    

Sant’Agostino教会

左奥チャペルの聖モニカ祭壇
左壁に、聖モニカ石棺
余談ですが、見るべき所蔵品:カラヴァッジョ作「巡礼者(ロレート)の聖母」1604-6
教会入り口付近の聖母子像:実はローマ時代の女神像の由

【参考図像】近くのSan Luigi dei Francesi教会所蔵のカラヴァッジオ作品・聖マタイ三部作

左から「召命」「霊感」「殉教」

かつての高額紙幣10万リラの裏面:犯罪人を紙幣の顔にしてしまう国、それがイタリア

背景の彼の作品「女占い師」(1595年頃、ルーブル)も、実は手相を見る振りして少年の指輪を抜き取ろうとしている絵、との解釈あります。つくづく、イタリア的!

アウグスティヌス母子の名前を冠したアルジェリア産ワイン


【追補】昔のファイルから見つけた。

モンニカが若すぎるけど
1990年発行の『地球の歩き方』105「カルタゴの夢チュニジア」ダイヤモンド社、p.47(絶版)には「顔にはバルコースを使って化粧が施されている」と。背景を明るくしてみると、
娘と孫だろうか。未婚の孫にはまだ刺青はない。

他にも昔のHPに現代のベルベル人の写真が掲載されていた。もう消えているので勝手に転載しておく。

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人はなぜ体験を書かないのか、否、語り始めるのか:遅報(15)

 このところ、なぜか1968年の本を読んでいる。きっかけは、小児性愛虐待記事を求めての『文藝春秋』97-3(2019)にたまたま載っていた、立花隆「東大紛争五十周年」のコラムを偶然読み、彼の「東大ゲバルト壁語録」『文藝春秋』47-3(1969)を知ったからである(これは簡単にpdfで入手できた:http://kenbunden.net/student_activism/articles/pdf/1.pdf)。それで検索していて、落書きが写っている由で、渡辺眸『フォットドキュメント東大全共闘1968-1969』角川ソフィア文庫、2018年、これはわが図書館にはなかったので、古書で入手した。以下2点はさすがにあった。

 島泰三『安田講堂1968-1969』中公新書、2005年;三橋俊明『路上の全共闘1968』河出ブックス、2010年。

 まあそれまで立花、島と東大の言説だったが、三橋を読んで、遅ればせながら、日大に関する以下のウェブサイトがあることを知ったあたりから、もっぱら関心は日大全共闘関係となる。

 「1968年全共闘だった時代」http://www.z930.com;「日大闘争by日大全共闘」https://keitoui.web.fc2.com。

 挙げ句、とうとう以下も発注してしまった。わが図書館には当然のこと、ない。ま、古書で捨て値で安いということもあった。日本大学文理学部闘争委員会書記局『叛逆のバリケード:日大闘争の記録(増補版)』三一書房、1969年。なんと、新版が出ていたので(2008年刊)、やむを得ずこれも・・・(^^ゞ 私は観念先行よりもどうやら農民一揆的な日大闘争のほうを好むようだ。全共闘はセクトではない[なかった]、いわんや全学連でもない、という認識は重要である。多くのセクトがそれを僭称していたせいで、外から見ると誤解があるからだ。逆にいうと、日大の場合が特異だったというべきか。

 いもづる式に『忘れざる日々:日大闘争の記録』全9冊(2011-2018年:http://www.z930.com/kiroku/no_9/kiroku09.html)の存在も知ったので、ここには一般学生の声や落書きが載っているかもと思って、記載された取扱先アドレスにメール送ったが、まず不達。古書でももう全巻どころか単品でも入手が困難なようだ。ここでも販売してますと書いてあった模索舎にメールすると7冊入手可能とさっき返事があった。送料込み7000円。第1巻と第5巻がないらしい。

 それぞれ40周年、50周年という区切りでの出版のようだ。書き手の(元)活動家たちは当時も饒舌だったので、記録自体を残そうとするのは当然と思われるが、一般学生や「単ゲバ」のほとんどは沈黙し続けているのではないか。考えてみると、それは私自身にも言えることで、多少関わった身からするとなにか語ればそこからこぼれ落ちてしまう、ある意味下世話で、ある意味核心的な情報もあって、到底全体像を伝えることができないという思い、またもちろん思い出したくない体験や、慚愧の念に苛まれる場合もあって触れたくない気持ちもあるはずだ。逆にいうと、よほどの動機がなければ、体験の一部を切り取ることすらできないのである。*

 この語るのか語らないのか、を煮詰めて考えてみることは、歴史上の諸史料の残存理由やその言説のレベル、を探る意味で重要な気がする。そして思うのだが(情緒的すぎるであろうか)、解説に百万言を費やすよりも、以下の落書き(正確には、『叛逆のバリケード』目次裏記載の詩?)が発している高揚感のほうが、活動上昇期当時の彼らの実際を表現しえているように思うのは、私だけであろうか。きっと香港騒乱の参加者たちもそれを今体感しているはずだ。

  生きてる 生きてる 生きている
  バリケードという腹の中で
  生きている
  毎日自主講座という栄養をとり
  “友と語る”という清涼飲料剤を飲み
  毎日精力的に生きている
  生きてる 生きてる 生きている
  つい昨日まで 悪魔に支配され
  栄養を奪われていたが
  今日飲んだ“解放”というアンプルで
  今はもう 完全に生き変わった
  そして今 バリケードの腹の中で
  生きている
  生きてる 生きてる 生きている
  今や青春の中に生きている

 だがそれは、いわばプラス・イメージ方向でのことである。立命館大学の学生だった高野悦子は「悲しいかな私には、その「生きている」実感がない」(『二十歳の原点』1969年3月8日)と書いて、3か月後に鉄道自殺した。2月中旬から活動家の仲間入りしていたのだが。おそらく運動凋落期で先の展望も開けず、その上性格的にマイナス思考の、観念論先行型だったからだろうか(https://plaza.rakuten.co.jp/etsuko4912/diary/200506290000/)。当たり前のことだが、千差万別の生き様があったし、プラスであろうがマイナスであろうが、書き手が書き残さなかった、残そうとしなかった別の真実があったはずである。

(*) 橋本克彦『バリケードを吹きぬけた風 : 日大全共闘芸闘委の軌跡 』朝日新聞社 、 1986、の本文冒頭に以下が書かれている。

 この態度は正直でなかなかいい。それは、東大全共闘のヒーロー、山本義隆『私の1960年代』金耀日、2015、の取り澄ました叙述スタイルと対照するとき、明確になる。

【香港関係】

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48618554

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-50709898

デモ隊は香港理工大学付近で、れんがを使ってバリケードをつくった。分離帯には「思想は防弾性だ」、「奴隷より反逆者でありたい」、「絶対に降伏しない」などと書かれている(11月18日撮影)

【追記1】『バリケードに賭けた青春』(北明書房、1969年)をヤフオク経由で入手した。そこで柳田邦夫(邦男とは別人:筆名でないとしたら、鹿児島ラ・サール高校、学習院大学、中央公論社出身のジャーナリスト、1988年に56歳で死亡、か)が書いた「バリケードの中の祭典」が、プラス面的になかなか読ませる。

【追記2】在庫があった『忘れざる日々』が届いた。ザッと見ていて、vol.2, 211, pp.114-117に「『叛逆のバリケード』巻頭詩をめぐって」が掲載されていた。その元記事は以下のブログに掲載されている。2011/7/22「野次馬雑記」http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2011-07.html

 当時日大全共闘文理学部闘争委員会に所属していたT氏が、封鎖の初期の夜、一人きりになり寂しかったときに黒板になぐり書きしたということであるので、ま、落書きでいいように思う。残念ながら写真はなかった(どこかにあるはず、とのこと)。

【追記3】佐々木美智子『あの時代に恋した私の記録:日大全共闘』鹿砦社、2009、を入手した。もちろん落書き狙いだったが。立て看は別にしてバリケードの中の落書きはそう写っていなかったのは残念であるが(輝度をあげてわざとみえなくしている?)、2,3箇所だけあった。版権と肖像権もあるので、ここでの掲載はやめておこう。

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文在寅大統領の宗教と政治:遅報(14)

 今回遅ればせながら、以下の書き込みで、隣国韓国の現大統領が宗教的にはカトリックだということを初めて知った。http://agora-web.jp/archives/2036104.html;http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52262257.html

 その気になって検索すると出てきた。https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019112400001.html

 韓国の宗教分布は、ウィキペディアによると、15年前の統計で恐縮だが、約3割がキリスト教で、23%を占める仏教を抑えて国内最大勢力(非宗教人口47%)、その内訳は、プロテスタント18%、カトリック11%の割合だそうだ。前任大統領の朴槿恵も中学生の時カトリックになっているので、政治的には対立しながらカトリック大統領が少なくとも2代続いているが、それに注目する人は皆無だろう。一般信徒にとって所属宗教とは何なのだろうか。人によってのめり込み具合は千差万別としかいいようもないが。

 だがしかし、第1−3代李承晩、第4代尹潽善とプロテスタント大統領が続いたあと、1961年に軍事政権に移行し、その後の初めての直接選挙での第14代金泳三、第17代李明博もプロテスタントだった。これに対して第15代金大中においてカトリックが大統領となる(妻はプロテスタントだったが、相互尊重していた由)。そして第16代が盧武鉉、第18代が朴槿恵、そして盧の友人で第19代が現在の文在寅がカトリックとなると、あっさり現代において政教分離、と片付けるにはちょっとまてよ、という感じにならざるをえないだろう。なんと、隣国の大統領はこのところずっとキリスト教徒であったのである。であればこそ、たとえ頭は挿げ変わったにせよキリスト教を通じての人脈の継承(特に、米国との、外交担当者同士での)がある(あった)はずである。トランプ政権で激変した米国政府の方針の読み違えの遠因も、案外そのあたりにあるのかもしれない。

https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/list-of-korean-presidents-20161129

 カトリックの理想的本質を「赦し」「愛敵」であるとする観点からすると、現大統領の言動は明らかに非カトリック的であるが、歴史の中で朝鮮民族に血肉化してしまっている「怨」の意識を払拭することは、国内的にみて選挙民を敵に回すことなるのだろう。政治家の最重要事項は理想ではなくて(理想を高唱しつつ、その実)現実問題の処理である。

 それにしても、以下のような冷静な分析がもっとあってもいいように思うのだが。https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018122000007.html

【日本大使館前が後になっている現状】 https://bunshun.jp/articles/-/11714?page=4;https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20191030/pol/00m/010/002000c?yclid=YJAD.1576646849.EcZXlLedcq19xEUpQ3KbLzoXAY7V4NjFkYNO1GvwJ_BvsqZE3tEKdKwl5MtD1qIbefkbny9NhiU4snA-

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映像の世紀プレミアム:第14集「運命の恋人たち」

 BSプレミアムで、今晩さっきまで一時間半たっぷりとやっていた。最初はポニーとクラウドとか、エドワード八世とか、ナチスのゲッベルス夫人マクダの話で、野次馬気分でのぞき見している感じだったが、段々と深刻な事例が出だして、エニグマ解読者アラン・チューリングあたりから、最後はエルトン・ジョンの同性婚に至る性的少数者(バイセクシュアル・同性愛:本当はトランスジェンダーやXジェンダーにまで展開してほしかったが)に話題が移行。ともかく一見の価値ある映像だった。もちろん今からでもオンデマンドで見ることができる。

 私は、アウグスティヌスにバイセクシュアルを見る小論を今年公表したが、性的少数者は古来から連綿と存在してきたわけである。この事実にフタをすることなく、上から重石を置くことなく、正面からきちんと注視する姿勢が大切だと思う。性同一性障害とは、生命誕生時に母体から浴びた性ホルモンの多寡による偶然のなせる技、という見解を私はとっているからである。今世界中でカトリックを揺るがしている聖職者による小児性的虐待問題も、このような趨勢の中で病理現象からはたして解放されてゆくのであろうか。否、そもそも教義的に根拠のない聖職者独身制度の発祥は、妻帯聖職者制に問題が多発していたからこそ、東方の隠修道士制から学んで導入されたことを忘れてはならない(遺産の教会財産化というとらえ方もあるようだが、納得できない)。しかもまた現代、結婚制度自体も揺らいでいて実際には離婚、貧困母子家庭の続出である。そもそもせいぜい人生50年の過去の時代と、80歳の現代では同列に考えろということ自体無理かもしれない。となると、病理現象はいずれにしても解消できない予感がする。ともかく人間誕生に関わる造化の妙であり、それだけに人間本能・本性に深く根ざした問題なのだから。

 以下は最近出たにもかかわらずわが図書館(室)にあった。今度借り出してみようかな。問題の聖職者はカプチン会らしい。ダニエル・ピッテ(古川学訳)『神父さま、あなたをゆるします』フリープレス、2019/2。

 以下の1998年芥川賞受賞作はなぜか短大図書館にある。花村萬月『ゲルマニウムの夜』文藝春秋、1998。私的にも数年前に購入していたのだが、書棚の肥やしとなっていた。そろそろ読もうかなあ(あまり食欲はわかない)。奇しくも上記ビッテ氏翻訳出版と同時期、『文藝春秋』97-3、2019/3に以下の記事が。広野真嗣「”バチカンの悪夢”」が日本でもあった! カトリック神父『小児性的虐待』を実名告発する」。これらはいずれもイタリア系のサレジオ会関係のようであるが、そういえば、松本清張の小説『黒い福音』のモデルとされたスチュワーデス殺人事件の容疑者も同会所属だった。

 今日の午後、たまたま思い立って大島渚監督の「御法度」(1999年)をアマゾンのPrimeビデオ400円で初めて見たが、続けて「戦場のメリー・クリスマス」(1983年)を再見するエネルギーはもうなかった。どうやら私は「健全」なる異性愛者らしい、否、だったらしい。

【付記】 日本では当事者や研究者があからさまに触れようとしないから、なかなか一般的知識にはならないが、たとえばアドルフ・ヒットラーは宗教的にはカトリックだった。だからといって、カトリックは言われているほどナチス的であったわけではない。生まれた時の機械的な幼児洗礼はその程度の存在だったというだけのことだ(*)。しかし、ヒットラーが立会人となってゲッべレスがマクダと結婚したとき、マクダがプロテスタントだったので、新郎は破門され、立会人は戒告処分を受けた、というエピソードはまだ宗教に厳格だった時代を反映していて面白い。

Der Führer wieder auf dem Obersalzberg Bei einem Besuch auf dem Kehlstein mit seinen Gästen, Reichsminister Dr. Goebbels und Frau mit ihren Kindern Helga, Hilde und Helmut.

 (*) この件は、以下の、まったく逆の道を歩んだイエズス会員の軌跡からだけでも明白のはず。中井晶夫「ハンス・ブライテンシュタイン先生の古希をお祝いして」『上智史學』35, 1990, pp.1-3.  なぜかpdf化されておらず、手持ちのPSも作動しないので、とりあえずスキャンして転載しておく。師は反ナチの密書の運び屋をやっていたらしく、この件は退職時のご講演でもご自身の肉声でお聞きした。

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先達の足跡:(4) 弓削達『ローマはなぜ滅んだか』

 我孫子での読書会で今読んでいるテキストである。一回に50ページくらい進む。前のテキスト(ヨセフス『ユダヤ戦記』)が絶版で高かったり購入できなかったりしたせいで、受講生から「安いのにしてください」と言われ、アマゾンで1円プラス郵送料で購入できるので、これを選んだという裏話もある。

 何せ1989年初版の、30年前の古い本なので、糊が剥がれやすく、少々力を入れてページを開くとベリッと剥がれてばらばらになってしまう消耗品なので、今回のために2冊購入した。読書会2回目の準備ですでに一冊目はばらばらである。この調子だともう一、二冊押さえておいた方がいいかも。

 しかし内容的には、未だ消耗品ではないことを再確認している今日この頃である。弓削先生が一般向けの本書で読者に語りかけている内容の高度さを痛感し、さて私は出版当時、本当に彼を理解していたのであろうかと、つくづく反省する昨今なのだ。もちろん私なりの「えっ、先生それでいいのですか」と突っ込みを入れたくなる箇所がないわけではないが、それを凌駕する質の高さと弁術の冴えに酔いしれていることを正直に告白しておきたい。

 彼の筆法の鋭さは、たとえば以下に示されている。ローマ帝国の経済構造を論じる場面で、商工業に対する農業の優位を論じて、「そのことは農民一般が豊かであったことを意味しなかった。むしろ反対であって、ほとんどの農民は常に飢餓線上を彷徨する貧農であったが、それにもかかわらず、農業という生産部門への関与ということがもつ社会的威信は、商工業者が容易には得られない社会的権威であった。商工業者も一般には農民と同様に、貧窮状態にあるうえ、かりに致富しえても都市支配者層にはなれないという社会的差別の中に置かれていた」(pp.67-8)と,差別社会の実態と矛盾を赤裸々に指摘した後、「それにもかかわらずローマ帝国の経済的繁栄が、広大な帝国内外を通じての商業取引と貿易にあったという印象を与えつづけて来たとすれば、それは、アレクサンドリア、オスティア、エペソス、アクイレーヤ、カルタゴ、アルル、リヨンのような、数えるばかりの少数の港湾都市、河港都市の花やかな経済活動に眩惑されたからにほかならない」(p.68)と、ばっさり都市伝説的な古代ローマ帝国繁栄論を一刀両断してみせる手際の良さは見事というほかないだろう。いわずもがなの駄弁を弄するなら、一,二世代のちの研究者がそのような認識を共有しつつ、たとえばオスティアの繁栄と富を論じているのか、はなはだ疑問なのであ〜る。

 もっとも、貪欲な読書会メンバーの方々は、すでにその後の酒池肉林のほうに目を奪われてお読みになっているようなのであるが (^_^;

 弓削先生の面白いところは、あやしい数字でもとにかく出してくることである。それが臆面もなく発揮されているが第4章「経済大国ローマの実体」で、そこでの数字を私は授業でもカルチャでも使用してきた。これはこれで面白いのだが、それを現代に応用する姿勢が、最近なぜかマスコミで希薄になっていることに気付かされたのは、以下のウェブ情報だった。https://www.mag2.com/p/news/424962

 これだけではない。森本問題、加計問題・・・。必ず権力は腐敗する。権力とはそういうものである。その認識を常民は常に持っていなければならない。

【追伸】毎日新聞に続報が。これはお金を払ってでも読む価値があるだろう:桜を見る会、新たな疑義「首相枠と官邸枠14年3400人→19年2000人に減少」https://mainichi.jp/articles/20191126/k00/00m/010/325000c?fm=mnm&pid=14606

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神父さまが・・・:長崎大司教区

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-475384/

2019年11月22日 14時32分 時事通信

 女性信徒が性被害訴え=神父処分も公表せず―長崎大司教区

 長崎のカトリック信徒の女性が「神父に体を触られた」などと性的被害を訴えていることが22日、関係者への取材で分かった。長崎大司教区は神父を聖職停止にしたが、教区の信徒には処分を公表せず、不在の理由を「病気療養中」とだけ説明。関係者は「問題行為を明らかにしなければ、再発防止にはつながらない」と懸念している。 

 聖職者の性的虐待は世界各地で問題となっており、教会の組織的な隠蔽(いんぺい)が批判を浴びている。23日に来日するフランシスコ・ローマ法王は5月、信頼回復に向け、事案を把握した場合はバチカンへの報告を求める教令を発出している。

 複数の関係者によると、神父は40代。2018年5月、自らが司祭を務めていた長崎県内の教会に女性を呼び出し、抱き付いたり、体を触ったりするわいせつな行為をしたとされる。

 女性は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、長期の入院を余儀なくされた。被害届を受理した長崎県警が強制わいせつ容疑で捜査している。

 神父は面会した教区幹部に「女性や教会に大変な迷惑を掛けた」と話した。時事通信の取材には「何も申し上げられない」と答えた。 【時事通信社】

【コメント】こういう事例は厄介である。被害妄想の女性も中にはいて、要するに真実がつまびらかにならない間は、制度教会としては静観せざるをえない場合もある。精神的に病んでいる病的な人たちが押し寄せてきているのが、教会、という面もあるからだ。そもそも教祖イエス(ヨシュア)は「悪霊祓い」に長けていたことになっていて、カトリック教会には以来「祓魔師」が下級聖品として存在しているが、問題は現代の聖職者が祓魔能力において教祖の域に達していないことだ(先々代の教皇ヨハネ・パウロ2世は、祓魔師としても著名だったことはご存知だろうか)。その意味で、教会という結界は静寂な祭壇のすぐ裏で、魔界が渦巻いている異常空間、とでもいうべきか。少なくともそう認識しておいたほうがいい。

【追伸】逆情報であるが、以下のような不愉快な現実も、キリスト教国を標榜するアメリカのエリートたちの世界にあることは、知っておくべきだろう。これを「友愛」fraternityと称する。[警告:この画像は過激な描写を含みます]https://www.buzzfeed.com/jp/gabrielsanchez/american-fraternity-greek-college-culture-photography-book-1

   土方は「バケモノめ」と唾を吐き「惣三郎め、美男過ぎた。男たちに嬲られてる間に、バケモノが住み着いたのだろう」と呟くと、早咲きの桜の木を斬りつけた。(大島渚監督「御法度」1999年、より)

【メモ】別の項目に書くべきだろうが、ここにメモしておく。キリスト教国に限らず、おそらく日本でも、実際には枚挙に暇なくそこら中で似たようなことが生じているはずである。表に出るのは氷山の一角にすぎない。たとえば、以下のブログ。

https://www.buzzfeed.com/jp/akikokobayashi/rurimiura?origin=tub

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ndmc-shobun?origin=btm-fd

【追記】2020/2/3の最新情報だと、件の神父さん、書類送検とか。

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「教皇」表記の変化:政府の忖度?

 今日のニュースで突如「教皇」が溢れ出している。日本でこれまで「法王」と呼ばれてきたPapaの呼称が、今回の訪問を機に政府によって「教皇」に改正されたらしい。「法王」だと弓削道鏡などマイナス・イメージでの連想があり、カトリック信者にとっては本当に、やっと、という感じではあるが。

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https://www.j-cast.com/2019/11/22373392.html?p=all

「ローマ法王」が「ローマ教皇」に変更 政府発表で割れるメディアの対応

2019年11月22日 17時28分

フランシスコ教皇は、来日を前にビデオメッセージを発表した
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 今は削除されているそうだが、以下の日本カトリック中央協議会のHPでの文言、私も読んだ記憶がある。

 「日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないのだそうです。こうしていまでも『法王』と『教皇』が混用されているのです。皆様には、『教皇』を使っていただくよう、お願いする次第です」。

 ただ、巷のウェブ情報では、この表記の「混乱、併存」は戦後からのことのように書かれているが、納得いかない。明治・大正以来の日本・バチカン交渉史の中での考察が必要なはずである。

 教皇庁や大使館からの要請での変更ではないようだが(きっと現政府お得意の「忖度」によるのだろう)、何はともあれ、なかなかの強行軍ゆえ、82歳の高齢、お疲れがでませんように。

【追記】世界キリスト教情報■第1505信で、以下の記事が掲載された。

◎ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更  
 政府は11月20日、教皇フランシスコの来日に合わせて、今後は呼称を「教皇」に変更すると発表した。外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、法王が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現の使用について問題がないことが確認できたためと説明した。ただ「『法王』を使用しても間違いではない」としている。(CJC)

【追記2】https://blog.goo.ne.jp/john-1939
 東京ドームでのミサ聖祭の模様。それにしても谷口神父、よくも共同司式司祭にくわることに成功したものだ。日本司教団のお目こぼしなのか、バチカンご指名だったのか。
 パパさん、激務で大丈夫かと私も冗談抜きで心配だった。我と我が身に照らして他人事ではなく、寒かった長崎や夜の広島での老齢の参列者たち、紙パンツを履いてのご参列じゃないのか、私だったらもたない、と密かに観察してました。
 それを透視漫画的に想像すると、不謹慎だが、ほほえましい、かも。





 とまれ、みなさんご苦労様でした。

 ところで我が国ではマスコミが全然触れなかった(ようだ)が、帰途での機内記者会見でかなり深刻な問題でのやり取りがあったらしい。こういうお手盛りの情報操作が、昨今の政府不信のみならず、マスコミ不信に拍車をかけるわけである。http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52262674.html

 しかし不動産投資など、日赤だってUNESCOだって、それ自体はどこだってやっているわけで。現代社会ではそうしないと活動資金の保全はできはしない。問題はその運用時に不正が生じることだろう。現象には陽があれば自ずと陰もある。ここでも際限のないモグラ叩き現象が現出する。

【追記3】2019/12/2 :折も折、偶然見た今朝のNHKの「アサイチ」で、12月は「寄附月間」とかで寄付金の流れのごく簡単な説明があった。期待して聞き耳を立てていた私には不十分な内容だったが、そこで新知識を得た。寄付金には名称的な区分があって、「災害義援金」の場合は、日赤では寄付者の意向に沿って事務経費もさっ引かず全額を寄付者指定の被災地の県に送り、そこで市町村に分配されて、被災者に届く仕組、だと説明していた。となると経常経費を含めて、膨大にかかるであろう事務費はどこから捻出するのか、ということになるのだが、それについての言及はなかった。

 論の赴くところ通常の「募金」や資産運用金などがそれにあてられることになるのだろうが、この区分や運用方法はあくまで大窓口の日赤のそれであって、他の中小の窓口でもそうだとは言い切れない不透明さが、実は常につきまとっている。みなさん、鷹揚に目をつぶっていらっしゃるようだが、「これは経費です」といって、文字通り人の善意を飯の種にして(商売して)生きている連中がうごめいている、かもしれないのだ。

 そういえば、NHKドラマで「これは経費で落ちません!」というのがあったなあ。

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年金事務所:この書類はなんだ!(-_-#):飛耳長目(19)

 義弟が死亡したので、昼間の仕事を持っている妻の代わりに動いているのだが・・・。くたびれる。納得できないものがあるとほんと、疲れる。

 しかるべきマニュアル本によると、死亡から2週間以内に行うべき届出に「年金受給停止」がある(厚生年金の場合は10日以内)。この届出のためには、書類を整えて年金事務所にいかなければならない(厚生年金のほうは東京に電話して簡単に終わった)。一度地元広島で年金事務所に行ったら、東京でもできますよと言われて、その時提出書類(9点必要)を見せられた中に「生計同一関係申立書」なるものがあり、年金の未支払い金を受領するために必要なのだそうだ(どういうものか2月に死亡した母の場合、書いた記憶がない)。窓口では「経済的援助についての申立」の項目では「必ず、請求者が死亡者に経済援助していた、という箇所に印をつけてください、そうしないと未払い金は出ません」と言われ、頭が「?」に。しかも書類の最後には「第三者による証明欄」というのもあった。その第三者とは、三親等外でなければならないので、なおさら「エッ」だった。そんな他人にどうして経済的援助をしていたかどうかを「事実に相違ないことを証明します」として署名・捺印までお願いできるであろうか。空欄のままでもう2週間は過ぎてしまった。

 もちろん義弟とは生計が同一でなかったし、裕福な義弟に経済的援助などする必要はまったくなかったのだから、「経済的援助の有無」とか「その回数」「その金額」「経済的援助の内容」など、書く内容が実際にはないのである。窓口で「エ〜、そんなぁ。たとえばお歳暮なんかでもいいのですか」と言うと、さすがお役人で、それでいいですとは言わず、「そういう経済的やり取りがあったことをお書きください」と。

 あれこれの書類を整えて、でも「生計同一関係申立書」の「第三者による証明欄」は当面の当てもなく日が過ぎていった。これではならじと、本日、突然の底冷えの雨の中、年金事務所にとにかく飛び込んだ。事前の電話ではなんせ予約は2週間後まで詰まっていて空いていません、待ち時間を覚悟していただければ飛び込みでどうぞ、ということだった。昼前に長い待ち時間を覚悟して行ったが、30分も待ったときに呼び出しがあって、小部屋に招じ入れられてご相談。挙げ句やっぱり「生計同一関係申立書」がひっかかって、またその場で別の「請求書」なる書類も出され、預金通帳もないことで(今日日、通帳ないのが普通なのにぃ)、「再度おいで下さい」となった。

 この書類、なんで必要なのか(項目がおかしい)、まったく理解できないのである。改善を求めたい(年金事務所に意見箱あったよね、投書しようと思う)。

【追記】我孫子の人生先達の言によると、年金振込月日との関係で、2月の母の場合は不要だったが、義弟は11月だったのでその書類が必要なのでしょう、とのこと。

 昨日、国家公務員共済のほうから同様の書類が送られてきて、記入しながら妻が私と同様の件でブツブツ文句を言っていた。なお、通帳のない場合は、キャッシュカードの両面コピー添付なのだそうだ。さっき電話して確認したが、だったらそれを書類に書いておけよっ、っとにもう。

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