日経「私の履歴書」:トイレ噺(29)

 言わずとしれた日経文化欄。今月の執筆者はTOTO元会長・木瀬輝雄氏。第一回は「人を思うトイレ 「不自由なく使える」目標に:現場に近い人から多くを学ぶ」。但し、有料記事。ま、偶然だが彼は私と同い年の1947生まれのようだ。

 内容的には現在まだ幼少期だが(私も貧しかった時代を共感できる)、この後の展開に注目したい。

【追記】6/15でいよいよ「ウオシュレット」が話題に。

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海がきれいすぎてっておかしくない?:飛耳長目(85)

 今日の毎日新聞デジタル版に「きれいすぎて・・・海産物の栄養が不足:海の豊かさ各地で模索」(有料記事)が掲載された。

 窒素やリンが流れ込んで赤潮が云々されていた時代とは、これまたえらい違いで、私はいささかビックリしたが、下水処理の行き過ぎで栄養塩が少なくなりすぎた、という判断には若干違和感が。対処療法みたいな。

 よく、川の上流の森林資源が海の豊かさに繫がっているという話を聞いてきた身からすると、上流の森林資源の枯渇化が原因の一因にあるような気がしてならない。それはサケ・マスなんかの遡上産卵にも影響してくるだろうし。

 私の専門領域の地中海世界は、観光ガイドレベルのエーゲ文明やギリシア文明の「白壁と透明で豊穣な海、魅惑の地中海料理」といった宣伝イメージと違って、実は魚影が薄い海なのである。ただ古代には小型のクジラも遊泳していて捕獲していたらしいので、「現在は」というべきなのであろう。

 その原因としてこれまで言われていたのは、大陸棚がなくて一挙に深海に落ち込むせいでのプランクトン不足、という地質構造的な説明だった(たしか、F.ブローデル『地中海』だったと思う)。私はそれで納得させられてきたのだが、今回の記事読んでもしやと思いついた。もちろん素人考えに過ぎないが、古代社会における森林資源の枯渇化が根本原因だったのじゃないか、と。さてどうでしょう。

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ローマ帝国辺境からトランペット?出土

 私はローマのコンスタンティヌスのアーチ(凱旋)門の図像を扱ったときに、若干ながらローマ軍の軍用楽器に触れる機会があった(http://www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2018/11/312年コ帝図版補遺決定稿.pdf)。今回、それと関係ある新発掘情報が眼にとまったので、紹介したい(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/05/french-archaeologists-discover-rare.html)。

                            Bagacum

 今年の4月のこと、なんと発掘場所は現在ベルギーとの国境に接したフランス北部のノール県の主都バヴェBavayで、ここはかつてガリア・ベルギカ属州のBagacumで、もともとこの周辺に住んでいたNervii族の主邑で、交通の要衝であった。アウグストゥス時代にローマ都市になり(前16-前13年ごろ)、フランス随一の広さを誇る広場forum(約2.5ヘクタール)も建設され、都市を守るための頑丈な城壁や要塞も残っている(高さ8m)。

 その広場に見学用の通路を建設工事中に、曰くありげな3つの石灰岩の石板がみつかった。その下から出てきたのは、不思議な奉納物だった。出てきた物は数本の金属棒で、考古学者はそれらを後3-4世紀に作成されたガロ・ローマ時代の解体されたトランペットで、マウスピースからベルまで揃った、組み合わせると全長約2.7mの保存状態も完璧なものと判断した。前例としては19世紀に発見された2つの標本しかないが、ただ、これまでは長さ1.8m程度で、それに比べるとかなり長く(今回のが完品だったせいかも、と)、そしてなぜこんな形でその場所に奉納されているのか、その理由はまだ不明とされている。層位学的にもこの広場が放棄される直前の仕業で、鎖帷子、武器、馬具、兵舎などの軍事的な出土品も次々発見されていて、あるいは軍の駐屯地となっていた可能性もあるらしい。

、ケルトのホルン;
、ローマの軍楽器;、トラヤヌス円柱上のtuba

 私の勝手な推測だが、出土地が北辺であり、純粋なローマ式武具としてのトランペット(より正確にはtuba)というよりは、ひょっとすると、ケルトないし土着ガリア的な(その影響を受けた)儀式用の物だったのでは、と密かに想像している。完品ゆえという説明は、私の知っているローマの直管式ラッパの図像からは、人間の身長をはるかに超えていて、納得できないからである。

【参考図版】Trajanusの大浮彫(Cf., Anne-Marie Leander Touati, The Great Trajanic Friese, Stockholm, 1987, Pl.55:Drawings by Mirs Marika Leander)

人物44のラッパは浮彫切り取りで別々になった:いわゆるspoliaで、現コンスタンティヌスのアーチ門の東側屋階に張られているレリーフ:中央から右へtubaが長く延びている。背後にcornuが続く

こんなモザイク画もあったことを、思い出した。

アルジェリア出土の舗床モザイク(Jamahiriya Museum所蔵):一日の見世物の出番を順に描いて、いよいよ真打ちの剣闘士競技開催を告げる楽団:tubaの右は水オルガン
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ワクチン周回遅れのなぜ:飛耳長目(84)

 毎日新聞のウェブ「政治プレミア」2021/6/1、に以下の記事が載った。

 鴨下一郎(元環境相)「生き延びるためにワクチン接種は必須:遅れた判断と薄かった危機感」(https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210531/pol/00m/010/002000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210601)

 こういった情報を我々はもっと早く求めていたような気がする。ま、結果論には違いないが。

 ハナからワクチンの効果を疑問視していた国民性、収益性や万一の補償問題で二の足を踏んだ製薬会社や政府が初動に出遅れた挙げ句の、緊急何たら宣言の繰り返しどたばた劇。それで国民は大きな経済的打撃を受け、困窮と疲弊の淵に追い込まれてゆく。

 戦闘での戦力逐次投入は愚策であることは分かっているはずなのに、我が愛すべき政府には未だ危機管理の常識すらご理解ないような。つくづく乱世には向かない国民性だなと慨嘆するしかない。「トリアージ」という冷酷な判断も時には必要なわけで。 

 菅首相、前任者同様に「やぎさん答弁」ばかりしてる場合じゃないんですよ。

 【関連】同じく毎日新聞「特集新型コロナウイルス」2021/6/1に「テディベアに全財産しのばせ東欧から出国:ワクチン開発立役者」という有料記事が(https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/030/187000c)。

カタリン・カリコ博士(66歳)

 これ読んで、記事の主役のカタリン・カリコさんはファイザー製の、そしてもう一つのモデルナ製にヒントとなったのが山中教授の研究だったことを知った(関連で、https://mainichi.jp/articles/20210312/k00/00m/030/304000c:有料記事)。いずれにせよ苦節30年40年の研究の積み重ねの挙げ句の、新型コロナという場を得ての開花だった。基礎研究と時の運が次期ノーベル医学賞候補へと一挙に加速させているのは、基礎研究の重要性を考える上でたいへん示唆的である。うちの妻も「そうよ、長い蓄積あっても時を得ないとね」と。

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世界キリスト教情報第1584信:2021/5/31

= 目 次 =
▼ホロコースト生存者の腕の囚人番号入れ墨に教皇がキス
▼教皇、バチカン広報省を訪問、メディア関係者と会見
▼ホーチミン市の福音団体と病院関連で新型コロナ疑陽性者12人
▼ジョンソン英首相が結婚、ウエストミンスター大聖堂で少人数で
▼サグラダ・ファミリアがコロナ禍で収入減り26年の完成見込めず
▼聖書を信じた考古学者エイラート・マザール死去

 今日は最後のを紹介しよう。彼女について私は詳しくないが、聖書考古学を地でやっていた、ということなのだろう。

◎聖書を信じた考古学者エイラート・マザール死去
【CJC】米福音派メディア「クリスチャニティ・トゥデー」などの報道によると、イスラエルの著名な考古学者エイラート・マザールが5月25日死去した。マザールは1956年9月10日にイスラエルで生まれた。有名な考古学者である祖父ベンジャミンの指導を受け、11歳から発掘を始めた。祖父は、「イスラエル建国」の父の1人として、彼の発掘によってイスラエルがユダヤ人の祖国であるという考えが広まったとされている。
 「エルサレム考古学の女王」と呼ばれたマザールは、聖書を歴史的なテキストとして受け止め、聖書に注目しすぎるのは非科学的だと考える学者たちとの論争でも知られている。
 マザールは50年間にわたって聖地を発掘し、ダビデ王のものとされる宮殿跡、ソロモン王のものとされる門、ネヘミヤが建設したとされる壁、預言者エレミヤを捕らえた者の名前を記した粘土印二つ、ヒゼキヤ王の名前を記した印、預言者イザヤのものとされる印などを発見した。
 マザールは「聖書には本物の歴史的現実が書かれている」と言って、聖書を繰り返し読んでいた。時には文字通りの指示を受けることもあった。1997年には、サムエル記下5章17節に、ダビデが宮殿から要害に下っていく様子が書かれていることを紹介した。その記述が正しいと仮定して、エルサレムの地形を調べ、ダビデの宮殿があるべき場所を特定した。2005年にはその場所で発掘を開始し、自分の考えが正しかったこと、そしてサムエル記が正しかったことを証明している。□

注=聖書名の表記は、日本聖書協会新共同訳によっている。
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エルコラーノの遺体兵士は、大プリニウス配下の高級将校だった?

 エルコラーノの遺跡に関して、パッカード財団の資金援助で海岸からパピルス荘まで約2,000メートルの調査が計画されているが、その一環で40年前に発掘された約300体の遺体の再調査から、新たな「事実」が明らかになったと、エルコラーノ遺跡管理事務所が2021/5/12に公表した。

 それは、往年の浜辺で1980年代の発掘で発見されNo.26と番号が付された遺体が、これまで単に兵士とされてきたのだが、今般の再調査で武具の品質や背中にしょっていた袋の中身との関連から、彼は平の兵士ではなく、被災地に救助に向かった近衛兵praetorianないし高級技術将校ではないかと再評価されたからである。もとより近衛兵がエルコラーノに駐留していたはずはないので、ミセーノの海軍基地から救助に向かった艦隊司令長官・大プリニウスと関連付けて、にわかにクローズアップされることになったわけである。

右端の浜辺の顚覆した小型軍船の右そばの死体がNo.26              ↑
が発掘当初の遺体、真ん中はその模式図、は最終的な遺体の姿

 私的にはかなり強引な仮説と思わざるをえないが、現場責任者のFrancesco Siranoによると、大略以下のようになる。第一に、この遺体は40-45歳の健康な男性で、彼の腰には金銀の板で豪華に装飾された革ベルトがあり、それには貴重な象牙の柄がついた長剣グラドゥスが装着され、反対側には同様に高価な短剣があっただけでなく、死体の横から銀貨12枚、金貨2枚が見つかったが、それは当時の近衛兵の給料に相当する額であった、と。しかし、だからといってローマ皇帝直属の近衛兵が海軍に同行していたというのは、かなり無理があるので、ここは海軍高級将校としておいたほうが無難だと私は思うのだが。

は出土した軍装品各種、はベルトとグラドゥスの復元複製品

 第二に、彼が背中に背負っていた肩掛けバッグの中身はこれまで調査されてなかったが(なんという手抜き!Viva Italia!)、今回の調査で小型の大工道具が入っていた由で(私はそれらしきものを見つけえていないが、ひょっとして上左の写真の手前のもの?)、特殊任務をもって派遣されていた技術将校と想定されている。また彼は小型軍船(現在それは、遺跡公園内の沈船博物館に保存されている)の残骸の近くで発見されてもいた。とはいえこの軍船、漕ぎ手は左右各々3名配置の小規模な艦船なのだが・・・。それに彼が高級将校であったなら、そばに従者や奴隷たちもいたはずで、果たして彼自身が荷物を背負ったりしただろうか・・・。

、沈船博物館内に展示の小型軍船;、その平面図

 いずれにせよ、彼も他の300人の避難民と同様にサージで瞬殺されたのであろう(駄弁を弄しておくが、遺跡南端崖下の船舶繋留倉庫で現在一般公開されている遺骸の山は,実はレプリカである)。そして、私には初見の情報で詳しくは未確認だが、1900年にポンペイのポッターロBottaro地区でたいへんよく似た豪華な装備が発掘されている由で、ひょっとしてそれは大プリニウスのそれだったかも、などと私などとうてい納得しがたい大胆な仮説さえ提示なさっているのである。あれれ、彼の死没地はスタビア付近のはずだし、彼の遺骸はそのまま収容されてミセーノへ運ばれたはずなのだが(小プリニウス『書簡集』V.16:死没時56歳)。このあたり、話を盛り上げてしまういかにもイタリア的な大風呂敷に思えるのだが、どうだろう。

 それから、大プリニウスは大著『博物誌』で高校世界史の教科書にも登場する著名人であり、その甥で養子となった小プリニウスが元老院議員だったこともあって、叔父(養父)も元老院身分と誤解されやすいが、大プリニウスは艦隊司令長官という職名(騎士身分担当職)が明確に示しているように、生涯、騎士身分での国家奉職であったことを付け加えておこう。

ミセーノ海軍司令長官・大プリニウスの救援航海の経路:4槽櫂の快速艇でオプロンティス方面を目指したが、風向きのせいで対岸のスタビアに上陸した。
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新公開?:マンション地下は古代ローマのドムス(邸宅)

 以下、偶然見つけた2021/5/23の情報(https://news.infoseek.co.jp/article/afpbb_3345871/:https://www.youtube.com/watch?v=4wSJtZOAmuM)

 ローマのアヴェンティーノ丘の麓の、1950年代の建物を2014年にマンションに改築したときに(たぶん再)発見された。紀元前1世紀から後2世紀の舗床モザイクを見ることができる(写真で、波打っているのがわかるが、長年の堆積物の重力のせいで実際こんな感じで出土する)。2018年に修復・保存作業が完了し、毎月第一・第三金曜日に見学できるようになった由。たぶん事前予約が必要なはず。

 そして、ここは遺跡だけでなく、マルチメディアを駆使しての往年の再現をしているとのことであるが、それが見たければ、イタリアではよくあることだが、こういった試みはすぐに立ち消えになることが多いので(機器が壊れる、担当者がいなくなる、資金が続かない・・・)、早めに見に行くに限る。コロナ禍で我々はさて間に合うであろうか。

以下、日本語でも読める。https://www.cnn.co.jp/style/arts/35160688.html

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接種まで一か月強ぉ?

 火曜日に練馬区から接種券がやっと届いた。それで翌日クリニックに電話すると、水・木は休診日ですと自動応答が。それで金耀の今日電話したら、接種日は7/6の午後2時から5時の間で、時間指定はできません、ときた。

 第1回目が一ヶ月と10日後。2回目はいつになることやら。ひょっとしたらオリンピック終わってるかも(本音では中止してほしい)。それまで無事に生き延びていることを願おうか。

【追伸】こんな感じでブツブツ文句を在イタリアの藤井さんに書いたら,以下のようなメールが帰って来た。あっちのほうがやたら大変だったみたいだが、これも練馬方式とかで住民が日頃通っているクリニックで、問診など比較的短時間で終えて接種できるようにしているからかもしれない。

 「ところで先生のお住まいの練馬区では、市役所への予約戦争をしなくて済むのですね。すばらしいことです。私は5月初め、75歳以上の両親の予約を取るために、連日夜2 時起きでむなしく7分間のうちに「本日終了」ということを繰り返し、やっと6日目だったでしょうか、5月20日、5月26日の一回目をそれぞれ別の日ですが確保できた次第です。電話はまったくつながらず、つながった人によるとロボ ット音声?でボタン押し間違えようものなら一からやり直しと大変だったそうです。

 前便の皆さまへの近況報告でご連絡した通り、私も6月2日にアストロゼネカの 予約ができていたのですが、二回目が8月19日と間隔が長く、どうしたものかと思っておりました。娘は日本政府が承認したのでファイザーが一番いいと心配してくれていたのですが、最近になって薬局でjohnson & johnsonの一回接種もはじまったので、以前の予約を勇気を出して取り消したところ、接戦の末 (?)念力で近くのAnagniの薬局で6月5日分をゲットすることができました。アストロゼネカにせよ、ジョンソンエンドジョンソンにせよ、女性は稀に血栓 ができてしまうと聞きましたが、同じ危険性なら一回きりの方にかけてみることにしました。」

 彼女が書いている前便とは、大略以下の内容のメールのことで、5/19発信だった。「本来なら、tessera sanitaria【健康保険証のこと】を持っているラツィオ州の居住者はこちらのサイトからPCで申し込むのが早くて簡単な方法なのですが(VACCINAZIONE COVID-19 FASCE ETA – Salute Lazio)、タイミングの悪い私は、PCを修理に出している最中で使えなかったため(涙)、電話予約(06-164-161841)という旧式で死ぬ覚悟が必要といわれる方法を取りました(笑)。ところが、その日は運よく数回のチャレンジで番号自体にはつながり、1~7番までに分けられた対応枠のなかで1の対象枠だったため、1を押すと「ただいま全担当者が対応中です。そのまま回線を切らずにお待ちください。現在50分ほどお待ちいただく見込みです」とのアナウンスが流れ、美しいクラシックミュージックと合間に流れる「お待ちいただき、ありがとうございます」的な案内をやり過ごしていくと、予告通りの1時間後に担当者につながりました。面倒なところはといえば、tessera sanitariaにあるcodice fiscale【納税者番号のこと】のアルファベットを、イタリアの通例に従って、ImoraのI、Bologna のB、などと言わなくてはいけないことくらいでした。ファイザーは50歳以上の枠や持病のある方にとのことで、アストロゼネカで6月初旬と8月中旬に1時間離れたアナンニで接種予約を取りました。 主人いわく、「コロナは本当にひどいけど、イタリアを1000年進歩させたね」とのこと。確かに公衆衛生観念は発達し、機能的にはなったかもしれません・・・。」

 また別に、イタリアに行くたびにお世話になっているローマのN医師からは「そろそろ遊びに来て下さい」とのメールが。イタリアもギリシアも観光客獲得に俄然精を出していて、あちらでコロナ騒ぎは一段落ついた感じらしい。こっちはこれからが本番のおもむきであるが。

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久々にMilvius橋コインの出品

 CNGのEオークション第493に、久々に出品があったので、紹介しておく。

 都市コンスタンティノポリス奉献記念貨幣の一つで、もちろんコンスタンティノポリス造幣所打刻(14mm, 0.92g, 12h)。裏面に「CONS/I」の銘文があるので、第10工房作。以前私のHP「実験工房」(http://www.koji007.tokyo/pdf/atelier/constantinus_1700.pdf)のほうに掲載のリストの中では02にきわめて類似しているように思う。02のオークションは2013/5という時期が時期だったので、なんと$900という高値で落札されたが、今回、業者提示価格は$200で、現在入札数1での$120。裏面に多少不明瞭な問題あるが、この落差には畏れ入る。

02掲載のもの:ちなみに14mm, 1.06g, 1h
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Ostia近郊出土のテラコッタ製埋葬棺情報公開(2021/5/15)

https://www.ostiaantica.beniculturali.it/it/ostia-racconta/ostia-racconta-l-uomo-del-sarcofago-di-terracotta/

 2019年夏に発掘されたお棺の調査が終わって公開され、棺はオスティエンセ通りに沿って、ポルタ・ロマーナのネクロポリスがあった場所(考古学エリアの入り口)に置かれている。この棺はVia di Castel Fusanoで発見された。この地域は、60年代にいくつかの墓が発見され、すでにネクロポリスのエリアとして知られている由。

 棺はシンプルなテラコッタ製で、長さは188cm。直線的な長方形という非常にシンプルな形で、素材も良くないため、故人は中流階級と想定。発見時にはタイルのカバーで閉じられていたが、破損して一部が内側に落ちてしまった。タイルの一つにはスタンプが押されており、これにより埋葬された時期を紀元2世紀とすることができた。棺の底面、頭の側には、まるでクッションのような盛り上がりが見られる【私の経験だと、石棺ではこれは決して例外的でないのだが、テラコッタの場合はどうだろう】。

 遺体は背臥位で安置されており、人類学的分析により、骨盤と頭蓋骨の形態的特徴から成人男性であることが判明し、歯の摩耗や恥骨結合の形態から、死亡時の年齢は約40歳と推定された。また、死亡するかなり以前に19本の歯が失われていることもわかった【ヘルクラネウムの集団遺骸を見ていると、私にはこれが当時の平均的な状況とは思えないのだが、さて】。

 棺の中からは、4つのガラス製のウンゲンタリウムが墓用品として発見され、また、雄の豚の歯の断片が発見され、装飾品だった可能性がある由。

(以上、翻訳ソフト「DeepL」での試訳を利用してみた。なかなかこなれた日本語である)

【追記】2015/11/24の情報によると(

https://jp.dental-tribune.com/news/優れた歯をしていたポンペイ犠牲者/),ポンペイ出土の人骨も虫歯がなくて歯の健康状態は良好、ただ「彼らは物を切るのに歯を使っていたため摩耗していた」とのこと。

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