2015年に、現在のローマ市の中心部から前6世紀の大きな邸宅が発見された(参照、https://www.digitalaugustanrome.org/:85付近かと)。その場所は、古来Quirinaleの丘と呼ばれている地区で、現在ではテルミニ駅から共和国広場を経て、バルベリーニ広場に弧を描いて至るバルベリーニ通りの北端に位置するPalazzo Canevari(Largo di Santa Susanna, 13)の敷地内で、その改築現場での2010年からの予備発掘によって出土した。この歴史的建造物は、19世紀後半にイタリア王国で3度財務大臣を勤めたQuintino Sellaによって建てられ、地質学研究所の元本部で、現在はCassa Depositi e Prestiti S.p.A.が100%所有するCDP Immobiliare=不動産開発セクターの所有である。2013年に前五世紀の神殿が発見され(幅25m、長さ40mと、当時ローマ最大級:その下から前七世紀の新生児の骨格も出てきた由)、調査は周辺に拡大され、そこで今回の発見に至った。
なお、Pompeii in picturesの中では(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/VF/Villa_055%20Oplontis%20Villa%20of%20Poppea%20p12.htm#_Room_47:_Latrine)、この横長トイレを女性用、馬蹄形のほうを男性用と表記しているが、納得できない。
また、この邸宅の北と東側を占めている大規模(約1800㎡)で眺望絶景なうえに豪華絢爛な邸宅「テレフォス・レリーフの家」Casa del Rilievo di Telefo (Ins.or.I,n.2:下図・写真参照)が、もしウェスパシアヌスが勝利して皇帝になった68-9年の内乱で、彼を支持した元老院議員マルクス・ノニウス・バルブスM.Nonius.Balbus 所有のものだとすると、ひょっとするとそこにティトゥスが滞在した折に(ヘルクラネウムにおいて格式的にも皇族の宿舎に最もふさわしかったはず)、同行していた侍医が隣家に逗留(分宿)したのかもしれない。いずれにせよ、この落書きを記したのがはたして侍医自身だったのか、それとも貴人逗留を記念して家人が書き込んだものなのか、謎であるが。常識的に後者の方がありえるだろうが。