月: 2020年4月

古代地中海通商路地図

 論文検索していて、偶然見つけた。使いこなせればなかなか有用に思える。”ORBIS:The Stanford Geospatial Network Model of the Roman World.” 19 November 2014(http://orbis.stanford.edu/). 人も物も、そして感染症もこれらを通じて移動していく。

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目で見るパンデミックの歴史

 面白い疫病史の年表をみつけた。 https://www.visualcapitalist.com/history-of-pandemics-deadliest/

 アテナイのそれはパンデミックでないというわけか、含まれておらず、いきなりMarcus Aureliusの疫病で始まる(犠牲者は500万人で、歴代第7位)。トップは14世紀の黒死病(犠牲者は2億人)。ちょっとビックリしたのは、13位に8世紀の日本での天然痘がランクされていること(死者は100万:それにどうみたってパンデミックではないのに)。今回の新コロナは現在17位。

 それを動画にしたものもある。https://www.youtube.com/watch?v=UVxWDF1NkFk

 この図の作成者には、パンデミックとエピデミックの違いが明確でないようだが、面白い試みだからまあよしとするか。

 それにしても、通常のインフルエンザにしたところで毎年50万から100万人死亡している、という厳然たる事実を踏まえると(https://kansensho.jp/pc/article.html?id=IF00000016&from_intermediate)、今回の新型コロナは現在まだ10万人以下なので、まだまだ(否、茶番の空騒ぎでは、いやいや国家指導者たちにとってはいずれ想定されている対バイオ・テロの予行演習)という認識を私はもっているのだが、間違っているのだろうか。

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豪最高裁、ヴァチカン元高官に逆転無罪:性的虐待問題

 以前触れたことのある、バチカンのNo.3だったオーストラリアの枢機卿に無罪判決がでた。

https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2020-04/il-cardinale-pell-prosciolto-dalle-accuse.html;http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52271752.html;https://www.bbc.com/japanese/52195222

 昨年の11/24にも書いたことではあるが、裁判でどういう判決が出るにせよ、真実はどこにあるのか。ほんとうに難しい問題である。神のみぞ知る、か。

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古代ローマの感染症:(5)簡略学説史

 私は、2ー3世紀の感染症が古代地中海世界の「3世紀の危機」の付随的ながら第1要因だった、という仮説を検証しようと思っている。より決定的要因は、おそらく地球規模の気候変動によるものだろう(その原因としては、太陽黒点の問題や地軸の移動、小氷河期の到来、などが考えられている)。簡単に言えば、当時生きていた人々にとって前代未聞の事態(気候変動)が生じ、それがそれまで定着・依存してきていた農耕牧畜生産に重大な影響を及ぼし、飢饉による食糧難状況が出来していたところに、東方渡りの感染症が伝播してきて、それが波状的反復的に流行することで、多大な人的損耗を生じ、経済的・軍事的基盤に顕著な後退をもたらした、と考えるのである。

 このような視点で考えるとき、頭をよぎらざるを得ない疑問として、第1に、多大な被害を受けたのは、地中海世界のローマ帝国住民だけだったようだが、ほんとうにそうだったのか、ということである。すなわち、まず、帝国にとって第1戦線だった東部国境線の向こう側(パルティアやササン朝ペルシア)はもとより、帝国内でも、東部諸州に比べて、帝国西部での被害がより大きかった印象がある。第2に、ローマ帝国にとって第2戦線といえるライン・ドナウ国境線の北のゲルマン諸部族はこの感染症によって被害を受けていなかったのかどうか、である。要するに、ローマ帝国西部の一人負け状態だったといえるのか(それはもちろん、5世紀の帝国西部崩壊への布石となる)、という問題提起である。今はやりの言い方をすると、この感染症が多数の地域での罹患流行の「パンデミック」だったのか、一定地域でのそれ「エピデミック」だったのか、ということである。西欧古代史研究者は西欧人が中心なので、もっぱら地中海のみに視野が置かれていたせいもあり、このような周辺地域を比較検討してみる視点が私を含めこれまで欠落していたように思われる。我々東洋人がそれに追従する必要はない。

 忘れないうちに、メモしておこう。

 実は、マクニールなども、ユーラシア大陸の東端の中国でこの時期に疫病の周期的流行が記録されていることに注目してきた。前段の件でもローマと中国が疫病に襲われていた時期に、イラクやインドは人口増加していたとしている(p.109)。それに、ユーラシア大陸の西と東を結ぶ陸路のシルクロードや、インド洋貿易路の活発化、その象徴的出来事としてよく挙げられるのは、後漢の正史『後漢書』に、まさしく166年に大秦王安敦の使者(と称する者)が日南郡(現在のベトナム中部)に渡来し、象牙・犀角・タイマイ(海亀の甲羅)などをもって入貢した、という記述であるが(それに先立つ97年に、西域都護の班超が部下の甘英を大秦に派遣し、パルティアに達したがそこで引き返している)、マクニールは、隊商貿易は2世紀中葉以前に早くも下向きになっていることに注目している(p.107)。とはいえ、こういった遠距離を通商路が媒介となって感染症が伝播した、と言い切るのには正直いって現段階では勇気がいるのであるが。少なくとも途中で感染者がほぼ死亡してしまう陸路よりは、今般のクルーズ船さながらに海路のほうの可能性ははるかに高い、かもであるが。

 また、この時の感染症の目撃者として登場する医師ガレノスは動物だけ解剖して、人体解剖はしていなかった、と言われているが、信じられない。「しなかった」のは、何らかの理由で「してはならない」という忌避観があったので、公然とは避けられていたが、医師教育の秘儀伝授としては行われていたのでは。というのは、少なくともエジプトでははるか紀元前の昔からミイラ製作をしていたではないか。また、アスクレピオス医療団の特異性も麻酔を使っての外科手術とされていたはずではなかったか。なにも16世紀のヴェサリウス(1514-1564年)を待たなくとも、実際にはやっていたが、外聞が憚られたからだけのことではないのか。

 さらに、今般の疫病で、251年に皇帝デキウスの第二子Hostilianusがローマで(Epit.de Caes.30)、270年に皇帝クラウディウス・ゴティックスがSirmiumで没している(Zonaras, 12.26;Historia Augusta, vita Claudii,12.26)。以上、閑話休題。 

 さて、ローマ帝国衰亡との関わりで、後出のJ.F.Gilliam(2004年)はまず簡略な学説史をまとめている。ニーブールは19世紀半ばにこう書いている。「この悪疫は、信じられないほどの激しさで襲いかかってきたに違いない。そして無数の犠牲者を出したのである。マルクス・アウレリウスの治世は、さまざまな分野、特に芸術や文化において転換点となっているので、この危機が疫病によって引き起こされたことを私は疑わない。古代社会が、マルクス・アウレリウスの治世に試練をもたらしたこの疫病から受けた打撃から回復することはもうなかった」。

 オットー・ゼークは20世紀初頭にこう断言している。「帝国の人口の半分以上が失われた。その後のゲルマン人の定着は、長期的な意味での価値に根本的な変革をもたらした」。

 もう少し時代が下ると、パーカーはこのように考えを表明している。「疫病はローマ世界を打ちのめした。多くの地方は、ほとんど人が住まないようになってしまった。おそらくは、他のどんな要因にも増して、ローマ帝国の衰退の原因となったことだろう」。ボークはそれよりも20年ほど後の1955年に、重要な著作Manpower Shortage and the Fall of the Roman Empire in the West において、実質的に同じ意見を踏襲している。特に注目すべきなのは、以下の点である。マルクス・アウレリウスはマルコマンニ戦争の末期に、「ローマ軍に兵力を供給する義務を持った土地所有者として、敗れたマルコマンニ族を帝国内に定住させるという手段に訴えなければならなかった。明らかに、マルコマンニ族を配置する誰もいない土地を見つけることは困難ではなかった」。

 彼らの論述が事実だとすると、はっきり言ってローマ帝国は実質的に崩壊状況だったことになる。

 ギボンやロストフツェフのように、諸史料からの影響をそれほど受けず、ローマ帝国の衰微に関して、帝国に起きた流行の影響をより控え目に見る著述家もいて、疫病なんかに関心持たない研究者は専らこっちの立場に立ってきたわけ。

 多少「マルクス・アウレリウスの疫病」を勉強してみると、より最近の疫病研究である意味画期だった2篇が浮かび上がってきた。重要学説としては以下だろう。J.F.Gillian, The Plague under Marcus Arelius, American Journal of Philology, 82-3, 1961, pp.225-251. この、文書文献の記述内容を抑制的だったギリアムの所説に35年後にその後の成果を加え、一定の修正を施したのが、以下である。R.P.Duncan-Jones, The Impact of the Antonine Plague, Journal of Roman Archaeology, 9,1996, pp.108-136.

 中長期的に見たローマ帝国の衰微におけるアントニヌスの疫病の役割に疑問符を呈する研究者たちの中で、もっとも説得的なのはギリアムである。彼によると、本質的な問題は、マルクス・アウレリウスの治下に疫病で何人が死んだのかを理解することである。ギリアムは自らの論証に基づく答えを導くために、1961年の上記論文の中で、165年に始まった疫病が致死率の点で強い衝撃を与えたことを支持する数々の研究者たちが行った論証を批判的に分析しようと試みている。

 ギリアムによれば、綿密かつ広範な統計はない上に、包括的で正確で信頼に足る悪疫の話は一つもないとされる。文字史料が肯定的な答えを出すための主要な証拠だとするならば、より興味深く広範な記述は4世紀や5世紀まで時代が下るものであり、したがって事件の同時代の著述家が直接書いたものではないという点を特に気づかせてくれる。ガレノス自身、この件について何ら著作を残さず、いつも付随的に、他の出来事との関連で述べるにとどまっている。つまり、ギリアムの意見では、現代まで伝わっている報告には、後の世紀の著述家たちによって過度に誇張されたものであるとか、同時代の人々が客観的ではなかったのではないかという疑惑があるというのである。特にオロシウスにはあまり信頼を置くことができず、エウトロピウスやヒエロニュムスさえもほとんど信頼できないとする一方で、『ローマ皇帝群像』には一定の信用性があるとされる。「疫病については、皇帝が指揮する大戦争と関係がある場合、あるいはローマを襲った場合を除いて、ほとんど何も報告されていない」という疑念が持たれている」。

 ギリアムの批判はこれらの文書史料にとどまらない。その見解をまとめると、仮説を論証するために持ち出された疫病にまつわるギリシアの碑文も、作成年代が確かではない。軍の苦境に関するデータも、問題となっている時代の募集可能人数の低下によって部分的なものにとどまっており、信頼に値する評価はできない。そして彼の判断するところ、エジプトが大規模な流行に見舞われた証拠はなく(クレペレイオスを除き、エジプトで流行が拡大していたことを報告している史料はまったくない)、農村部からの逃亡やその結果として172年または173年に起こった牧人たちの反乱――アウィディウス・カッシウス指揮下のローマ軍団が介入することを余儀なくされた――は、重すぎる税徴収や他の原因(国粋主義的な衝動か)によるものだった、とされる。

 さらにギリアムは、貨幣発行において疫病への言及が期待されるが、実際にはそうしたものは特段見られないと指摘する。あいまいな形ではなく、明確に疫病に言及されている事例は、ガリア王国の貨幣で確認されており、そこでは救済者アポロン(Apollo Salutaris)の肖像が登場するくらいである。

 最後にギリアムは、帝国の国境線内に蛮族出身の住民を登用する慣行は何もマルクス・アウレリウスに始まるものではないという点も気づかせてくれる。ストラボンは、アウグストゥスの治世に4万4千のゴート族がドナウ以南に定住したこと、またネロの治世にモエシア総督が10万以上の蛮族を属州に受け入れたことを記している。ギリアムは、マルクス・アウレリウスがローマ帝国を蛮族の領域にまでさらに拡大させてドナウ以北に新しい属州を創設しようとしていたかについては否定的である。また、国境線内に蛮族の住民を登用するという皇帝の意志は、これらの未開の地においてローマの庇護の下で植民活動の可能性を広げると同時に、ローマ軍がよりコストの小さい部隊を保有する機会を手にするためのものであり、さらにはこうした動きによって外敵の最前線を政治的軍事的に分断するための施策と解釈すべきだと考えている。哲学を見事に論じることもできたほどの高度な知的能力により、やがて哲人皇帝の異名を取るようになったマルクス・アウレリウスの知的な力量の高さを忘れてはいけない、というわけである。

 ギリアムは、その批判的著作を結論づけてこう書いている。「ともあれ、改変や修辞的な慣例を大目に見れば、マルクス・アウレリウスの治世に破壊的な大流行があったことはかなりはっきりしている。確実ではないものの、おそらくこの流行は、3世紀半ば以前のローマ帝国で起きたいかなる流行よりも多くの死者を出したものと思われる」。

 疫病がどれだけの死者を出したかという疑問に関しては、現在残っている唯一のデータ、すなわちディオン・カッシオスが挙げている数字から推計している。ディオンは、189年にローマで一日に2千名が死んでいったと記しているのだが、その際、この死者数はそれまで述べてきたどんな流行の時よりも多かったと述べる。それゆえギリアムは、アントニヌスの疫病の致死率が1から2%であり、5万から10万の死者を出したと推計している。

 これに対し、社会経済史家Duncan-Jonesは、35年後に、考古学資料を加味してギリアム説の一部修正に成功している。まず彼はエジプトのパピルス史料を読み込み、得られたデータを分析することで、アントニヌスの疫病がローマ帝国に及ぼした全体的な損害について見積もろうとする。要約すると、流行の初期にあたる調査対象の時期において、以下のことが分かる。

1) エジプトの村々で記録されている納税者の数は、流行に伴う死亡や逃避によって、33%から93%まで揺れ動いている。

2) 農地の賃貸契約の種類が増えていることが確認される。ただし、貸し出される農地の面積は小さくなり、同時に契約期間は延びている。このデータは労働力不足を示すものと解釈されている。

3) 167年直後に作成された文書の数は40%も減っていることが分かる。

 ナイル渓谷に住む人々にも流行の影響が及んでいたことを確証するとともに、人口減少のあおりを受けた農業経済の苦境を浮き彫りにしているこれらの証拠以外にも、もっと一般的にだが、流行現象の規模を示す別の情報もある。ダンカン・ジョーンズは、ローマやイタリア各地で年代が記された碑文が2世紀後半に明らかに減少していることを報告しているが、これは同時期の公共建築の衰退と関係がある。また、軍団兵の除隊にまつわるデータもヒントになるだろう。実際、兵士の除隊証明書数の減少が観察されており、特に167-180年にかけてはまったく確認されていない。さらに、ローマ――首都では特に167年に確認できる――でも、エジプトでも、通貨発行が劇的に減少していることが分かっている。もちろんナイル渓谷は、ローマ帝国の経済および文化面で最も重要な地理的区域の一つであった。デルタ地帯のいくつかの地域で村が移転していることを語るパピルスも面白い。より多くの支持を集めている仮説は、この人口減少は過度の税負担が原因であり、主にこうした理由から、農民が農村部から逃亡して都市に避難するようになったのだとしているのだが。

 ローマ帝国は農民の労働力で養われており、数多くの都市に食糧を供給するためにはかなりの労働量が必要とされた。そしてこの労働を圧倒的に生み出していたのは、穀物やオリーヴ油やワインを主たる収穫物とする農園であった。要するに、疫病と重すぎる税徴収が経済をうちひしぐ致命的な組み合わせとなって、ナイルのデルタ地帯において、また軍隊に補給し、税の徴収を通して中央政府に新しい資金を供給する義務を負ったその他のローマ帝国内の地域において、さらなる人口減少を招いたのだった。人々が商業をなりわいとし、行政機構で成り立っていた都市も、同様の苦しみを味わうこととなった。食料品が不足するようになって、暴動や反乱の危険があった。この劇的な時期においては、皇帝や国家に対する結束や忠誠が必要とされ、先に見たようにマルクス・アウレリウスが伝統的な信仰に対する信心を実践したのも偶然ではない。

 ところで、疫病に関して軍隊が大きなマイナスの役割を果たしたことは改めて言うまでもないだろう。文字通り「三密」(密閉・密集・密接)だからである。若干話が横に逸れるが、中国において、そもそも「疫病」の「疫」は、軍隊のなかで伝染病が発生しやすかったことから、軍人の服役の「役」に「疒」(やまいだれ)を加えてできたものだったらしい(邵沛「中日疫病史の中の「疫」と「瘟」『日本医史学雑誌』46-3, 2000, pp.140-1)。

 一説によると(https://www.mag2.com/p/news/448191/3;https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19337?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20200416)、今回の新コロナウイルスが、米海軍の空母四隻で感染拡大していて、現時点で世界展開するアメリカ海軍の三分の一に相当する戦力が動けず、著しい作戦能力の低下が見込まれている由。その間隙を縫って中国海警が進出し、これまでのバランスが崩れる恐れがあるようで、ローマ帝国と比較対照する上で今後注目していきたい(この場合、中国がゲルマン部族となるが、トランプ大統領がマルクス・アウレリウスの役を演じられるとは思えないのがミソである)。

患者が出た原子力空母「セオドア・ルーズベルト」

 もうひとつ、これまで触れておいたが、医療崩壊もマルクス・アウレリウス時代でご同様だった。おそらく多くの医療従事者がなすすべもなくなぎ倒され、ないしいち早く敵前逃亡して信用を失ったはずで、その時、同様に多大の犠牲を払いつつ罹患者救済に挺身したのがキリスト教であり、それが結果的に教勢拡大に寄与したとする識者も多い。

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古代ローマの感染症:(4)感染症は社会構造転換の契機となり得る

 「マルクス・アウレリウスの疫病」「ガレノスの疫病」「アントニヌスの疫病」は、いずれも紀元後165年から数十年、ないし1世紀間、古代地中海世界ローマ帝国を繰り返し波状的に襲った感染症である。

 その結果、著しい人的消耗=人口減が生じ、ために軍事力の低下、経済構造の破壊で、当時の社会構造全体が崩壊したとする仮説は、これまでも研究者によって注目されてきた。筆者の当面の関心は、この疫病を契機にキリスト教が上昇期を迎えたメカニズムの解明にあるが、それを今般目前で展開している新型コロナウイルスのパンデミック騒動(多分に情緒的な)と重ね合わせることで、探求したいのである。

 その意味で、今日掲載の以下のウェブ記事から学ぶことが多かった。高野猛「剥がれた化けの皮。安倍首相「やってるフリ」で逃げ切り図る賭け」https://www.mag2.com/p/news/447497/4。要するに「ソフトパワー」が変わるのではないか、という予感である。

 今回世界中の笑いものになった茶番劇「アベノマスク」は、あれこれの忖度騒動で国民の信頼感を消失してきた彼にとって(http://nml.mainichi.jp/h/acpjaxr7dDwDt5ab)、これまでと同じパターンで言い逃れようとしてかえって墓穴を掘り、側近政治の底の浅さをあますところなく露呈してしまったわけであるが、ここでそれには深入りしない。筆者が注目するのは高野氏の以下の指摘である。

 「このことを契機に、国家のあり方も世界経済の姿も、大きく構造転換を遂げていくことになるのではないか。米国は、世界最大の経済大国であり、全世界の軍事費の半分近くを一国で使い果たすほどの史上最強の軍事帝国であるけれども、その経済力と軍事力を振り回しても国民の命をろくに守ることができないという、情けない姿を晒している。しかもその責任を逃れようとするためだろう、これを「中国ウイルス」とか「武漢ウイルス」とか呼ぶことで危機の責任が米政府にはないことを国民に認めて貰おうとする、醜い努力を続けている。」「米国は、偉そうなことを言っているけれども、最低の生活保障も、最高の医療保障も、適正な福祉保障もない、詰まらない国だと世界中の人々が思い始めることで、世界は変わるのかもしれない。」

 この最後の引用が庶民感覚として流布・定着し出すとどうなるか。各種の数字をもとに、アメリカでの貧富の差の拡大など識者はすでに触れていたことだが(納税者のトップ0.1%、約17万世帯が国の富の20%を占め、全体としてアメリカ経済は成長を続けているにもかかわらず、トップ1%が国の富の約39%をコントロールし、下の90%が国の富に占める割合はわずか26%:https://www.businessinsider.jp/post-191278)、映画やメディア戦略で最大限振りまかれてきた「チャンスの国」幻想にまんまと乗せられてきた世界中が、今般の騒動でアメリカ帝国の実態のもろさに気付いてしまったのである。であれば、これはかつてのローマ帝国と軌を一にした崩壊プロセスのボタンが今回押されてしまった、ことになりはしないだろうか。

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世界キリスト教情報1524信:2020/4/6

= 目 次 =      
▼教皇、新型コロナウイルス感染拡大に「世界の武力紛争停止を」呼び掛け      
▼フランスのプロテスタント純福音派の「メガチャーチ」でコロナ集団感染      
▼ウガンダで新型コロナ存在否定する牧師を逮捕      
▼ケニアのカトリック放送局がミサを毎日放送      
▼モルモン教会が新型ウイルス対策に非公開会議      
▼WCC第11回総会のため、祈りと音楽を募集      
▼WCCのトゥベイト総幹事、10年超す任期終える

 現代医療知識よりも信仰(聖書)を重視する宗派は、当然感染症の集団感染源となり勝ちである。これはユダヤ教やムスリムでも同じで、実際厳格派では、これまで予防注射も拒否していたりしているので、多くの犠牲者を出しつつ、耐性の強い者だけが生き残ることになるだろう。これも神(ないし、アッラー)の思し召しなのである。人間は一度は死ぬのだから、死は恐るるにたらない。

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もう一つのウイルスにご注意!:痴呆への一里塚(19)

 どうやら私も引っかかってしまったらしい。マスクが店頭から消えて花粉症の私が困っていたら、「緊急入荷しました。早い者勝ち」というメールが複数飛び込んだ。試しに二つのサイトで頼んでみたら、一つからはちゃんと送られて来たが、もうひとつからは未だなしのつぶて。

 おかしいな、入荷の遅れか、と思ってきたが、私のメインバンク名で「不正アクセスらしきものがあったので、利用停止しました」とメールが。これ自体アドレスなどからフェイクっぽかったので、無視してきた。[昨日、相談窓口に電話したら、アドレス聞いて即座に「無視して下さい」と返事があった]

 今日のメールで、今度はApp Store名で「注文ありがとうございます。不正アクセスが疑われる場合は、いますぐサインインにアクセスしてキャンセルしてください」と、なんともご親切なメールが。もちろん注文していないので、無視。

 ここに至り、どうもおかしいぞと思い出していたところに、ウェブニュースで飛び込んできたのが、「新型コロナの裏で世界を脅威に陥れる、もう一つのウイルス」(https://www.mag2.com/p/news/447321/1)。幾つかの情報があって、マクロ的な、太平洋アメリカ第7艦隊の乗員の罹患で機能不全に陥っているというのは、「マルクス・アウレリウスの疫病」時のローマ軍のそれと重なって興味深かったが、私に直接関わるミクロ情報として、今回のどさくさにまぎれて、カード情報を盗むフィッシングサイトが横行している、という情報がっ(https://www.mag2.com/p/news/447321/2)。

 コロナ騒動の中で、いつも以上にアマゾンなど至極便利に宅配で物を購入していて、ありがたいことと感謝してきた。その裏でそれをビジネスチャンスとしてうごめいている、国家をバックにしたブラックな組織集団の存在があるとすれば、痴呆予備軍としてはなすすべなし、との思いにかられてしまう。

【後日談】最初に書いたもうひとつのマスク、3/25発注したものが2週間かかってやっと届いた。これで今回はカード情報盗まれたわけでなかったので一安心の体だが、あれこれ気を回わさざるをえないので、疲れる。

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BCGと新型ウイルス、そして動物たち

 最近の田中宇氏の論説が冴えている。今後も期待したい:「ウイルス統計の国際歪曲」http://tanakanews.com/200405bcg.htm

 これは、常々私が触れてきたもっともらしい統計数字がいかにあやふやなものであるか、という実例である。たいした根拠がなくても皮膚感覚的に同時代だとそのうさんくささ、虚構性を見破れても、なぜか過去の事例になると信じてしまい勝ちな私のような凡夫には鋭い警告と受け止めたい。

 こういうミクロな指摘も実に興味深い:「人間社会の「異変」に戸惑う動物たち」:街の鳩や野生のヤギ、そして犬たちも社会、街の異変に気が付き出した。新型コロナウイルスは人間社会だけではなく、動物界にも不安と動揺を与え出している。そういえば、住民が避難した東北被爆地にすぐさま野生の動物たちが進出してきたなあ。

【追伸】上記を書いて2週間、動物界や自然界の自浄作用も、すでに回復期に入った中国では、早くも旧態に復してきた由(https://digital.asahi.com/articles/ASN4M55S2N4LUHBI00S.html?iref=com_rnavi_arank_nr04)。この調子だと、人類滅亡後、地球はあっという間に化石燃料以前の状態に復帰するような気がする。

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地球は複合災害期に入った、のでは

 多少歴史を囓っていると、数々の災害に襲われる呪われたような時代に遭遇する場合がある。実は人類の歴史は災害の連続なのであるが、単発だとなんとか復元力が効くのに、そのいとまが許されないと、それまでの社会構成が崩壊して、ダウンサイズしての再出発となる。「マルクス・アウレリウスの疫病」期がまさしくそれであった。ローマ帝国において、とりわけ西地中海は約100年間断続的ダメージを受け続け、劇的人口減に見舞われ、結果的に社会構造全体が機能不全をおこして崩壊していった。(それ以上によく知られているのは中世の黒死病だろう)

 もちろん、連鎖反応の場合もあるが、ここでは偶然での単発・無関係の出来事を意味している。地震・火山噴火・津波は連鎖反応だが、さて原子炉崩壊、季節外れの大型台風襲来などは、連鎖だろうか。感染症の併発は因果関係的ベクトルとしてはかぎりなく連鎖反応といえないような気がする。

 現在すでに災害多発期に入ってしまった。そんな予感にとらわれている。

そんな中で、先例(以下の事例はスペイン風邪)に学ぶことの必要である:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/033100207/?P=1

 これは私の持論であるが、世の中うまくいっておれば誰がリーダーでもうまくいく(ネロでも、トランプでも安倍でも)。でも凡百の歴史家の手にかかるとリーダーのおかげとなる。世の中がうまく回らなくなると誰がやってもうまくいかない(紀元後3世紀のローマ帝国みたいに)。でもそれはリーダーの責任でない場合が多い。

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コロナ騒ぎの私的副産物:痴呆への一里塚(18)

 うちのかみさんは、シンプルな生活が信条で、よって断捨離大好き人間である。最初驚いてしまったが、彼女は読んだ本(ほとんどが推理小説の文庫本)をゴミ箱にポイ捨てする人なのである。「なんてことするの」と、かつてそれを拾い上げるのが活字依存者の私だったが、最近では孫がブックオフに持ち出して小遣い稼ぎにしているらしい。そして私は、職業柄(と言っておこう)、やたら本だとかコピー印刷だとかを抱え込んで原資蓄積に励むので、たいへん評判が悪い。

 物を新規に買うなら今ある物を捨てよ、というのが彼女の基本姿勢なので、なかなか新規購入は許してもらえない。一騒ぎおこるのである。そんな折、今回のコロナ騒ぎで冷凍食品備蓄の必要性を強調して、小型冷凍庫を購入させていただいた(二回り小さいワインクーラーを捨てる代償は払った)。その中に備蓄してあるのは、もっぱら私用の冷凍パスタやピザなどであるが、たぶん彼女は覗いてもいないはず。

 先般、コロナ騒ぎでガラ空きの新幹線に乗って日帰り往復して、義弟の今は亡き奥さんの山口県の実家に行って、お寺で墓仕舞いをしてきた。そのあと家仕舞い、仏壇仕舞いの下見に、奥さんのお母さんが最後に住んで10年近く無人となっていた家に行き、鍵を開けてビックリした。テレビで見た遺品整理業者におなじみの、ゴミ屋敷だったのである。足の踏み場もない乱暴狼藉ここに極まれりと、ひたすら驚いている私を尻目に、妻は「体力のない老人が住むと最後はこうなるのよ、だから私は」とこれ見よがしに私におっしゃるのである。そういえばあのお母さんは足が悪くて買い物に行くにも不自由していたらしい。80代での一人住まい。使わない物をゴミ捨て場に持って行くのもおっくうだったのだろう。いつか捨てよう、いつか。歳を取るとそういうものらしい。しかし人間はそのいつかが来る前に死ぬ。その後には他人の目にはゴミの山が残るわけだ。なぜか仏壇の前だけが空いていた。その生き様がなんだか切ない。

左が居間、右が仏間

 もうすぐ73歳の私である。あともう少し、もう少しだけ、と欲をかいているせいで、本を退職時にだいぶ捨てたつもりでもあれから4年。性懲りもなくまた増えているのは体重だけではない(この4年間に捨てた本が必要になったことも一、二度でない現実もある)。体力のあるうちに、と思いながらも、すでにちょっとしたことで息も切れる体たらくなのだが ・・・ 断捨離はなかなか難しい。今もパソコン回りは感染症関係の論文コピーがじゃんじゃん溜まる一方で散乱している。こうして写真撮ってみると、恥ずかしながら、すでにゴミ屋敷状況ですねえ、他人さまにとっては。

東日本大地震以来、節電のためリビングの一画を仕事場にして、これも評判が悪い:ふうむ、こうしてみるとなるほどすでにゴミ屋敷 (^^ゞ

 さっき、どこも所蔵していない疫病関係の伊語書籍を注文しようとして、本体17$弱なのに郵送料が27$強かかる〜と叫んだら、かみさん一言「買わなきゃいい」。ごもっとも。それで冷静になって、ふと思いついて仏語検索してみたら、こっちは我が図書館にあった。しかもこっちのほうが原典だった。あんがと,奥さん。

 ということで、我が奥さまの最大の断捨離対象は、私なのである。

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