ポーランドよりメール:飛耳長目(41)

 ゼミ生だった林俊明君から近況メールが本日届いた。彼はフランスに留学して博士号を取得したあと、縁あって2年前からポーランドで日本語教師をしている。先日のラテン語のテレワークに江添氏がサプライズで招待したので久々に彼の顔を見ることができた。もっと早くからテレワークすれば一緒に翻訳できたわけだが、時差が7時間あって、あちらは活動中の真昼なので、なかなか難しいという事情もある。以下、彼の許可を得て転載する。

 彼には2018年2月のフランス調査旅行でたいへんお世話になった。その時の体験は2018/2/22のブログに掲載している。彼は上智大学史学科のブログ「卒業生の声」にも一文を寄せてくれている(https://dept.sophia.ac.jp/human/history/contributed/page/4/#post-42)。

豊田先生並びに皆様:林@グダニスクです。 
 火曜日はご招待いただきありがとうございました。久しぶりでしたが、非常に楽しい、有意義な時間を過ごすことができました。火曜日はあまり時間がなく、こちらの現状をあまりお伝えすることができなかったので、ちょっとご報告申し上げたいと思います。

 ・ポーランドの全般的現状について感染者は13000人に迫り、死者は400人以上出ています。こちらでは1月からコロナウィルスについて話題になっていましたが、初めは遠いアジアの話でした。2月中旬から国内で患者が出始めて、そのうち国境も封鎖されて、国内の移動も最低限の移動しかできなくなりました。国内の飛行機は全て運休、長距離列車も通常の1割か2割程度しか動いていません。交通機関は休日ダイヤで動いていますが、定員の半分しか乗車できず、座席の半分には✖︎印がついています。3月中旬から学校が休校になり、会社もテレワークが推奨されました。2週間くらいで公立の学校もオンラインで授業をするようになりました。その後、大規模商業施設の閉鎖や不要不急の外出をしないように政府から要請されていますが、この国は国民性からか政府の決定に従順で、あまり大きな混乱は起こっていません。面白いのは、65歳以上の人優先の買い物の時間が設けられていて、朝10時〜12時のあいだは全てのお店は65歳以上の人のみ入ることができます。このおかげで私の日々の生活パターンが崩れました。午前中に授業がない日は、午前中に買い物をして午後に授業の準備をしていましたので。今は午前中に授業の準備をして、昼から買い物に行っています。外出にマスクは必須で、していないと罰金があります、またお店への入場時は手袋着用するか消毒液をつけることを求められています。これでも少し緩和されまして、2週間前までは公園や森、ビーチは立ち入り禁止でした。

 ・仕事についてゼミの最中に少し申し上げましたが、今は全部オンラインでやっています。3月13日金曜日までは通常通りに授業をしていましたが、その前日12日にいきなり14日土曜日以降の授業は全てオンラインでするようにとの連絡が来ました。
 もともと、自分の学校は通常のクラス授業と個人レッスンの他にGoogle Meetでのオンライン個人授業もやっています。なので、私もオンラインの個人授業の経験はありました。私は火曜日から土曜日が仕事日で(日曜と月曜が休みで土曜日午後も授業なし)、9人相手の授業があり、多人数相手のオンライン授業は初めてなので初日はかなり大変でした。またクラス授業は6つ、個人授業はもともとオンラインのものも含めて6つあり、合計週15時間程度授業時間がありますが、今回の騒動前に比べて準備にかなり時間がかかるようになりまし たね。当然生徒やクラスによってレベルも教科書も違い、教え方も変えなければいけないので(特に個人授業は)、まだ試行錯誤といったところです。クラスの場合はアクティビティーをして、ロールプレイングをやったりもしますが 、オンラインでは無理でなかなか困っています。それに会社作成の教科書を初級レベルの生徒に普段は印刷して渡しているのですが、今回の騒動で渡すことが出来ず、郵送での発送も秘書の保健上の理由と送料が膨大になることからできずに困っている状況です。教科書は著作権の関係でPDFをメールで送ること は禁止されており、Googleドライブ上の閲覧のみ可のファイルだけ共有している状況で、生徒は紙の教科書もなく不便を強いています。生徒もオンライン環境が整っていないという生徒は、授業に参加しなくなっています。クラスによっては、出席する生徒が半分程度になっているところもありますし、ずっとキャンセルが続いている個人授業もあります。

 ・私の日常生活について私の学校はポーランド南部のカトヴィツェに本社があり(日本語教育以外にも、日ポ間のビジネス仲介や旅行業をしています)、先生が今現在4名本社にいます。先生はみんな学校のあるオフィスビルから徒歩1分のアパートに住んでいて、町の中心の広場からも30秒なので非常に便利です。他に、ポーランド各地(ワルシャワ、グダニスク、シュチェチン、ルブリン、ヴロツワフ、リブニク)に各1人ずつ先生がいて、さらにクラクフにカトヴィツェから先生が分担して授業をしに出張しています。私も毎週火曜日にクラクフに片道1時間半くらいかけて行っていましたが、オンライン後はもちろん行っていません(このクラクフ出張が非常に辛いです)。テレワークになるということで、家からオンラインで授業ができるようになるのかと思ってましたが、学校からカトヴィツェのみアパートのネット速度が遅いので、テレワークとはいえ学校に出社して授業をするようにとの通告がありました。学校は近くて授業に必要な資料はみんなそこにあるので行って授業をするのは構わないのですが、同じビルの同じ階にコールセンターのオフィスがあって、このテレワ ークの時でも一部屋に10人以上常に人がいるのが非常に気になっていました。当然、トイレや洗面所、エレベーターを共用するわけで。

 そうこうしているうちに彼女から、心配だし一緒に住まないかと言われて、社長からも行くことの許可が下りて、4月6日からポーランド北部のグダニスクに来た次第です。ちなみに4人いる同僚のうちの1人も、オンラインが決まってからすぐ彼女の家に移りました。今いるグダニスクのアパートは、海からも徒歩10分程度で公園もあり海沿いにずっと遊歩道もあったりして気に入っています。グダニスクはドイツ領だったことが長い都市で旧市街は二次大戦後復興されて非常に綺麗です(旧市街からトラムで30分かかるので行ってませんが)。今いるのは郊外ですがドイツ風の一軒家や建物も見ます。建築様式は、先生と一緒に行ったフランスのメスに近いですね、あそこもドイツの領土で建物の建築年代も同じ頃ですから。生活ですが、向こうの家族と同居なので、なかなか大変です。ラテン語以上に格変化が激しく(男性、女性、中性に加えて、男性は生物と無生物で変化が違う)、動詞活用も複雑なポーランド語を早く覚える必要があります。ご飯は、ドイツに似て肉、ジャガイモが多い食事ですが、彼女がベジタリアンに近い人間なので(肉をほとんど食べない)、野菜を他の家庭より食べられるのが幸いです。とはいえ、向こうの家族からはとてもよくしてくれていて、非常に感謝しています。ちなみに、9月からワルシャワに転勤になりそうですが、グダニスクかその近郊のグディニアで将来は勤務出来るよう今要望を出しているところです。

 火曜日は会議があり、授業の準備もあるので参加出来るかわかりませんが、皆様も健康にお気をつけください。
 それでは。
カトヴィツェ市内のNikiszowiecと呼ばれる地区で、20世紀初頭にドイツ人の実業家が炭鉱と製鉄所で働く労働者のために建てた団地です。カトヴィツェのあるシロンスク(ドイツ語でシュレジェン)地方は石炭と鉄鉱石が豊富で、19世紀以降に急速にドイツの統治下で工業化しました。人口増加に伴って労働者の住居が必要となり、レンガと赤色で縁取られた窓枠はポーランド語でFamiliokと呼ばれるシロンスク地方の特徴的な建築様式で、このような団地がドイツ人の手によって多く建てられましたが、中でもNikiszowiecは観光地化して綺麗に残っています。他のところは現在廃墟になっているか、貧困地区になってスラムみたいになっているところが多いですね。
グダニスクの旧市街と運河の写真です。もともとドイツ人の多い街で第二次大戦まではドイツ人の人口が95%以上でした。第二次大戦で旧市街は8 割以上破壊されて、ドイツ人が追放されたあと、ドイツの要素を徹底的に排除してドイツ支配下になる前の17世紀のグダニスクの再建が試みれました。ちなみに旧市街以外の戦争で破壊されなかった建物は、ドイツ的な建築がそのまま残っています。グダニスクは非常に綺麗で観光客も非常に多いです。
ワルシャワの王宮広場です。右側にあるのが、王宮で奥が旧市街です。どちらも1944年のワルシャワ蜂起のあとにナチスの手で徹底的に破壊されましたが、その後元通りに再建されました。
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