75歳になって理想論の空しさを実体験してきた身としては、こういった言葉の空虚さに一種の絶望感すら感じている昨今、以下の発言をみつけた。
朝日新聞デジタル(但し有料)
2023/3/31:佐伯啓思「旧約聖書から考えるウクライナ侵攻 西欧の歴史観は「普遍的」なのか」https://digital.asahi.com/articles/ASR3Z3FLPR3QUPQJ001.html(それすら建て前論とするマライ・メントライン女史のコメント:「物心にわたって余裕ある者たちによる市場支配のための文化ツールにすぎないのではないか」、も読むべし)
2023/5/30:インタビュー「「歴史の終わり」の真意、そして新しい危機 フランシス・フクヤマ氏」https://digital.asahi.com/articles/ASR5V64LBR5TUPQJ00S.html?iref=pc_opinion_top__t
私のブログでもかつて紹介したことがあるが、世界人口の70%が独裁国に住んでいる(https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiokashoji/20220308-00285498)、という現実を、私はそれまで知らなかった、という愚鈍さに自ら驚いている始末なのだから、困ったものだ。下図の青や薄青の国々だって一皮むけば偉そうなことはいえないのが現実だ。すべてが「虚構の産物」であるという認識が必要だ。
文字通り、偉そうに、西欧世界の言葉に踊らされてきていた自分の不明を恥じるほかはない。現実をこそ直視すべきなのに。どういう社会体制であろうが、プラス面とマイナス面が併存していて、それが現実社会を織りなしてきているのである。その一方の旗手だった西欧的世界観が崩れだしているという流れの中で、さて我々はどう生きていくべきか。先の見えない、重たい選択である。中国的権威主義も案外庶民には暮らしやすいのかもしれないのである。
↓これが民主国家のあるべき姿か:今般の補選で4区だけは世襲とならなかった。
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