いつもは安い家庭用のを5kg頼んでいるのだが、もう先がないかもと贈答用を購入した(もちろん、愛媛の国産だけど)。生食がまだの人は騙されたと思ってお試しあれ。この季節果物は3月から5月で終わります。

ググっていて今回初見参だったのは、これを挿し木した苗木が売り出されていたことで(一本千円程度)、さあてベランダの鉢植えで本当に実をむすぶのだろうか。

いつもは安い家庭用のを5kg頼んでいるのだが、もう先がないかもと贈答用を購入した(もちろん、愛媛の国産だけど)。生食がまだの人は騙されたと思ってお試しあれ。この季節果物は3月から5月で終わります。

ググっていて今回初見参だったのは、これを挿し木した苗木が売り出されていたことで(一本千円程度)、さあてベランダの鉢植えで本当に実をむすぶのだろうか。


今さら言うまでもないが、ハドリアヌスの長城は皇帝ハドリアヌス(在位117-138年)の命令によって122年からブリテン島北部に東西を横断して建設が開始され、118kmに及ぶ長城完成まで10年以上を要し、おそらくハドリアヌス帝死亡時にも完成していなかった。とはいえ昨年は工事開始1900年目の節目だったのは確かである。この長城は、当時スコットランド在住の獰猛なピクト人に手を焼いた挙げ句のイングランド防衛のための北辺の軍事的境界線で、ラテン語では「Vallum Aelium」と呼ばれている。Vallum とは防壁のことで、それにハドリアヌス帝の名前 Publius Aelius Hadrianus から氏族名をとって(彼がローマに架けた橋「ポンス・アエリウス」[現在のサンタンジェロ橋]、エルサレムを再建しローマ植民地「アエリア・カピトリーナ」と命名したなど、多くの公共事業の名前にそれが使われた)、「アエリウスの長城」すなわち「ハドリアヌスの長城」と呼び慣わされてきたのも事実である。また、長城の西半分は当初、石作りではなく芝土と材木で構築され、2世紀後半に石作りに作り直されたことに付言しておこう。
コロナ騒ぎでうっかり見逃していたが、昨年の2022年は、イギリスのハドリアヌス長城創建1900年目の年で、イギリス各地で盛大な記念イベントが行われていたらしい。それがブリテン島原住民の健闘を称えるものだったのか、野蛮の地へのローマ文明の到来を言祝ぐものであったのか。参加者が2022年のイベントで次のような扮装して記念写真を撮って喜んでいることから想像するに、後者のほうが勝っていたのであろう。誰しも名のある勝者側の子孫と思いたいものだが、さていかがなものか。

そんな折、2003年にスタフォードシャー州イラム教区で金属探知機によって発見された容器「Ilam Pan」(別名「Staffordshire Moorlands pan」)が最近ふたたび話題となっているのは、それが長城建設記念の一種の引出物だったのでは、という憶測による。それは、重さ132.5g、高さ47mm、最大直径94mm、底部の外周54mmの器で、外側にカラフルなエナメル装飾が施されたスープ・ヒシャク大の青銅製の容器、正確にはpanではなく「ひしゃく」trullaなのだが、それにこの長城の西端から1、2、4、5番目の要塞の名前(MAIS [Bowness-on-Solway], COGGABATA [Drumburgh], VXELODVNVM [Stanwix], CAMMOGLANNA [Castlesteads])の列挙に続いて、興味深い以下の文章が刻印されている:「RIGORE VALI AELI DRACONIS」。これらの銘文には種々の解釈があるが、ここでは Avid J.Breeze & Christof Flügel, ‘A Military Surveyor’s Souvenir? The Ilam Pan’, Transactions of the Cumberland and Westmorland Antiquarian and Archaeological Society, 3, 2021, p.56 に依拠して、「(城壁の)測量線が、マイアからコガバタ、(そこから)ウクセロドゥヌム、(そしてそこから)カモギアナまで、(測量技師)アエリウス・ドラコによって引かれた」と一応読んでおこう。すなわち、アエリウスを長城のほうにではなく、所有者に結びつけて考えるわけで、その根拠もある。


そのひとつは、このパンの所有者ドラコがローマ軍団内の測量技師であるなら、彼はローマ市民権保持者であり、ならば非市民からなる補助軍auxiliaに属する兵士ではないので、少なくとも個人名と家族名で表示されて然るべき,となる。それが「アエリウス・ドラコ」という姓名の持っていた真の意義であり、皇帝名「アエリウス」下での市民権獲得を示している個人名と、帝国東部出身の奴隷出自を想起させる家族名から、おそらく補助軍兵士だった彼の父はハドリアヌス帝治下のごく初期に年限を勤め上げて除隊し、めでたくローマ市民権を獲得、その息子ドラコはその市民権を活用してローマ軍団兵に採用され、数年後には測量技師に昇進を果たし、ハドリアヌスの長城に際して西端のマイア側からカンモグランナまで、全体のほぼ四分の一の測量作業に従事することになったのだろう。その功績に対し青銅製の記念品として、豪華な装飾のパンが下賜されされたのかもしれない(主格形での姓名表記は、刻印が製品完成後に刻まれたことを示している由)。
ところでこの器の類似品が今段階で都合3つある。細部は違うが、意匠などから地元の同一工房によるとも想定されている(とりわけ,銘文にも登場するVXELODVNVM [Stanwix]の1km南のカーライル Carlisleが,金属加工の痕跡の存在から有力視されている )。その一つが、1725年にウィルトシャーWiltshireのラッジ・コピスRudge Coppiceにある別荘の井戸から発見されたもので、器の側面には城壁狭間を思わせる図案が描かれ、その上部には、Ilam Panと同様に、しかし西端から1、3、4、5、6番目の、MAIS(Bowness on Solway)、ABALLAVA(Burgh by Sands)、VXELODVM(Stanwix)、CAMBOGLANS(Castlesteads)、BANNA(Birdoswald)というハドリアヌスの長城の要塞名が今度は5箇所連記されている。但し、Ilam Panと綴りや地名が異なっているが、新出2要塞にしても西端に属していて、だがIlam Panと異なり上辺に所有者名などは彫られていない。もともとあったエナメル装飾(や、あるいは柄)は完全に失われてしまっている。換言するなら、Ilam Panは所有者の明記が重視されているが、Rudge Panのほうの所有者は要塞名以外に頓着していないわけである。ある意味後者を原形として作成・配布されたものを、前者の持ち主ないし贈呈者が独自に手をかけたとも取れる。そこに持ち主の個性の違いを見て取るのもお門違いではなかろう。


よって、ここでの銘文は「MAIS (Bowness-on-Solway)、ABALLAVA (Burgh-by-Sands)、VXELODUM (Stanwix)、CAMBOGLANS (Castlesteads)、BANNA (Birdoswald)」「Maisからアバラッウァへ、(そこから)ウクセロドゥムへ、(そこから)カムボグランスへ、(そこから)バンナヘ」となる。おそらく、測量技師たちが従事した長城の諸城塞が刻印されているのだろう。
さらにリンカーンシャーLincolnshireから都合3つ、いずれも金属探知機で発見されたもので、WintertonとCrowleという比較的近い場所で発見された。Wintertonの器はNorth Lincolnshire Museumに、Crowleの容器vesselは個人所有のものである。

Humber川を挟んで反対側のEast Yorkshire州のEastringtonで、Wintertonに匹敵する類似品が発見された。これには柄も一緒に出土していて、四角のエナメル装飾の痕跡も認められるという点でもWintertonに類似している。上縁に十分な空間があるのに銘文はない。しかし様式的には長城との強い関連性を持っているといって差し支えないだろう。

と、ここまで書いて関連項目をググっていたら、こんな一覧をみつけてしまった。それで私の知見は一挙に広がったのはいいのだが、すぐには総括的記述を書くには準備不足になってしまったので、この件はとりあえずここまでとして後日を期したい。

それは「3 Fort」(https://wellesley-omeka-s.libraryhost.com/s/destinations-in-mind/page/Fort_Pans)というブログに行き当たったからなのだが、番号が付されているのを辿ってみると、どうやら以下の本と関連あるらしい。Kimberly Cassibry,Destinations in Mind: Portraying Places on the Roman Empire’s Souvenirs, Oxford UP, 2021.

その本の目次は、以下のごとし。
Chapter 1 – On the Road: From Gades to Rome on the Itinerary Cups
Chapter 2 – At the Games: Charioteers and Gladiators on the Spectacle Cups
Chapter 3 – On the Border: Hadrian’s Wall on the Fort Plans
Chapter 4 – By the Sea: Baiae and Puteoli on the Bay Bottles
ブログでの画像は、どうやら現段階では他に第1章だけ見ることできるようだ。それはスペインのカディスからローマまでの旅程を記した銀製カップを論じたものであり、ブラッチャーノ湖畔北部Vicarelloで発掘され、現在国立ローマ博物館分館のパラッツォ・マッシモ所蔵で私もかねてかなり注目してきた遺物なのである(スペインから銀製レプリカも売りに出されていたが高額のため、購入断念)。この本の表紙を飾っているプテオリ風景をカットしたガラス容器は第4章。
それと関連する内容だが、次の本も発売予定らしい(後日見直したら昨年もう出ていたようだ、あれ、私の勘違いだったのか?)。こちらは東方にも目配りしているようだ。いずれにせよちょっとしたスーベニア・ブーム到来という感じであるが、研究者の薄い我が国では無風の内に過ぎ去るのであろうか。
Maggie Popkin, Souvenirs and the Experience of Empire in Ancient Rome, Cambridge UP, 2022.

追記:5月に入ってから到着予定だったはずのPopkinが、もう届いた、届いてしまった! 円安のせいもあるが、確かにカラー画像も多いがかなり割高感はあるものの、ローマン・ガラスがそこら中に顔を出していて、ガラス研究者には見逃せないかも。私的にはこのブログで触れたハドリアヌス長城建設の引出物らしきエナメル装飾の施された青銅製trullaが出土地表示を含めて掲載されていて、それを論述している第3章だけでも上記のCassibryともども早めに扱いたい衝動に駆られてしまう。ここでは出土地地図をとりあえず転載しておこう。

【追記】5/7になって先に発注していたCassibryがようやく届いた。内容的にはこっちのほうがとっつきやすい印象があるのはどういうものか。ペラペラめくっていて、p.127にAmiens Pateraの刻文も記載されていた:Mais (Bowness-on-Solway) Aballava (Burgh-by-Sands) Uxelodunum (Stanwix) Camboglas (Castlesteads) Banna (Birdoswald) Esica (Great Chesters)。 こうしてみていくと、知られる刻文はすべて西端からの地名なので、この記念物(少なくとも刻文付きに限っては)が西端から長城建設(とりわけ測量)に関わった人々がらみだったと言えるように思える。
また、Popkin,p.87 の図47にバース出土のパンの柄に彫られた刻文の写真をみつけた。文字情報として貴重なので、ここに転写しておく(cf., p.86)。「DIISVM / CODON」= De(ae) Su(li) M[in(ervae)]/ Codon[・・・]」=「(女神」)Sulis Minervaへ、Codon[・・・]から」。
なお、以下の本がどうやらこれらの最近の動向の始原だったようなので、これも古本で発注した。David J.Breeze, The First Souvenirs: Early Souvenirs from Hadrian’s Wall (Extra Series NO. 27), 2012 £26.00.
円安がうらめしい。えっ1€がとうとう150円? そんなあ。

当方にはもう送られてこなくなったが、例の小原氏のブログから転載する。
◎「聖週間」始まる=教皇、バチカンで「受難の主日」ミサ
◎教皇が呼吸器感染症で数日入院=バチカン発表
◎フィンランドのNATO加盟確定、トルコが批准
◎ダヴィデ像を生徒に見せ校長辞任=米フロリダ州の騒ぎに専門家の対応は?
◎イスラエル議会、ユダヤ人定住禁止の法律を修正
3番目を紹介しよう。
◎ダヴィデ像を生徒に見せ校長辞任=米フロリダ州の騒ぎに専門家の対応は?
【CJC】米フロリダ州の小中学校で、イタリア・ルネッサンスの代表的作家ミケランジェロによる「ダヴィデ」像の写真を教師が授業で6年生に見せ、校長が辞職に追い込まれた問題で、像を所蔵するイタリア・フィレンツェの美術館が当の学校の教師や生徒たちを招待した。
英メディア「BBC」によると、ダヴィデ像の写真が「ポルノ」的だという親の苦情が、校長の辞職につながったという報道を受けて、フィレンツェのアカデミア美術館のセシリー・ホルベルク館長は、ルネッサンス美術を学んでいたクラスを同館に招待した。
ホルベルク館長は、校長は「ほめられるべきで、罰せられるべきではない」と指摘。「ダヴィデ像は紛れもなく、ルネッサンス期の芸術と文化の象徴で、ダヴィデ像を見せずにルネッサンスの話をするなど意味がない」と述べた。
旧約聖書に登場するダヴィデを全裸で表した全身像は、欧州で史上最も有名な美術作品の一つ。神への信心と石を投げるための武器だけを手に、巨人ゴリアテに立ち向かったその姿を刻んだ全長5メートル17センチの彫像だ。
米フロリダ州タラハシー郡のタラハシー・クラシカル学校でこのほど、ルネッサンス美術を11歳と12歳の生徒に教える授業で、ダヴィデ像が紹介された。同校は、独自の歴史古典教育を重視する認可校。
この学校では例年、ダヴィデ像を生徒に見せる際には事前に保護者へ連絡していたものの、今回は連絡をしていなかったことから、1人の親が学校に抗議した。ほかに2人の親が、事前連絡が欲しかったと学校に苦情を伝えたという。同校のホープ・カラスクイラ校長は3月23日、辞任するか解雇されるか選ぶよう学校の理事会に告げられたため辞任したと、地元紙タラハシー・デモクラットに明らかにした。
◎米大統領、「AIの危険性まだ分からず」=ハイテク企業に安全確認責任ある
◎中国、カトリックの上海教区に一方的に司教任命=バチカンが非難
◎聖金曜日「主の受難の儀式」=教皇がバチカンで執行
◎イラン、公共の場に監視カメラ=スカーフ不着用の女性特定へ
こちらは2番目。
◎中国、カトリックの上海教区に一方的に司教任命=バチカンが非難
【CJC】バチカン市4日発ロイター通信によると、バチカン(ローマ教皇庁)は4月4日、中国が国内最大のカトリック教区である上海の司教を一方的に任命したと明らかにし、任命に関する暫定合意の明確な違反との見解を示した。合意は2018年、2度目の延長が行われていた。
バチカンは、江蘇省海門の司教を上海教区に配置替えしたとの中国の決定を「数日前に」通知され、4日の報道で正式な就任を知ったと説明した。
上海教区はウェブサイトで、就任式に200人余りが参列したと伝えた。
別に検索してのことではなく偶然見つけたシリーズWomen in Antiquity (Oxford UP)なのだが、2011年から14冊出版しているという触れ込みで、しかし私がリストアップしたところ2022年までに20冊が出されている。そのほとんどが古代史というよりもローマ史関係なのが興味深い。
Hagith Sivan,Galla Placidia: The Last Roman Empress 2011
Marilyn B Skinner,Clodia Metelli: The Tribune’s Sister 2011
Duane W. Roller,Cleopatra: A Biography 2011
Elizabeth Donnelly Carney,Arsinoe of Egypt and Macedon: A Royal Life 2013
Dee L. Clayman,Berenice II and the Golden Age of Ptolemaic Egypt 2013
Josiah Osgood,Turia: A Roman Woman’s Civil War 2014
Barbara M. Levick,Faustina I and II: Imperial Women of the Golden Age 2014
Gillian Clark,Monica: An Ordinary Saint 2015
David Potter,Theodora: Actress, Empress, Saint 2017
Edward J. Watts,Hypatia: The Life and Legend of an Ancient Philosopher 2019
T. Corey Brennan,Sabina Augusta: An Imperial Journey 2020
Caitlin Gillespie,Boudica: Warrior Woman of Roman Britain 2020
Heidi Marx,Sosipatra of Pergamum: Philosopher and Oracle 2021
Elizabeth A. Clark,Melania the Younger: From Rome to Jerusalem 2021
Nathanael Andrade,Zenobia: Shooting Star of Palmyra 2021
Duane W. Roller,Cleopatra’s Daughter: and Other Royal Women of the Augustan Era 2021
Robert Wilhelm,Pearl of the Desert: A History of Palmyra 2022
Julia Hillner,Helena Augusta: Mother of the Empire 2022
Elizabeth Donnelly Carney,Eurydice and the Birth of Macedonian Power 2022
Barbara K. Gold,Perpetua: Athlete of God 2022
私的には、もはや全巻揃えようという気概はなく、とりあえずせいぜい、ペルペトゥア、ヘレナ、モンニカ、小メラニアが射程に入るくらいなのだが、なぜか翻訳も低調な昨今、このシリーズからかろうじてモンニカの一冊しか出ていない現状で(教文館、2019年)、女性史研究者の奮起を促したいところである。

ところで「天我をして・・・」もし許されるのなら、私としてはせめてヘレナに言及しておきたい。それはエウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』の中に以下のような文言を見つけたからで、これを後世の研究者は不当に無視してきていると思うからだ。「彼(コンスタンティヌス)は彼女を神を畏れる者とされたので–それまでの彼女はそうではなかったのです–(οὕτω μὲν αὐτὴν θεοσεβῆ καταστήσαντα οὐκ οὖσαν πρότερον)、彼には彼女がそのはじめから同じ救い主の弟子となっていたように思われたのです」(III.47.2:秦剛平訳)。ここを素直に読めば、ヘレナは信者ではなかったが、息子は彼女をキリスト教信者としてみなした、といった意味となるはずだ。ここにも、知りえた事実を忖度なく書くエウセビオスの基本姿勢が現れていると思う。それなのに、彼を「頌詞家」として貶めてきた後代の、ほからぬキリスト教歴史家たちの意図的傾向性を私は指弾したいのである。
【追記】モンニカの本が来たので、翻訳ともどもこれから競り合わせてみようと思っているが、私が注目していた母モンニカに言及した墓碑(拙稿「聖モンニカ顕彰碑文とオスティア」『古代ローマの港町:オスティア・アンティカ研究の最前線』勉誠出版、2017)に触れてはいるが(原著p.164:翻訳p.220)、写真がないこと、あと、翻訳者の一人が「解題」の「オスティアの松林の向こうへ:聖モニカの墓の前に立って」で、墓所について不正確なこと書いている(p.279)のが残念である。

今、ポルトゥスを描いた皇帝ネロやトラヤヌスの貨幣を調べているのだが、しかるべき著書などには限られたものしか掲載されていないので、もちょっと悉皆調査めいたものはないのか、と思ってググっているうちに、おもしろいものに行き当たった。それが「acsearch.info」で、慌て者の私は年間会費80ユーロを支払った後になって、1ヶ月の試用期間があることに気づいたのだった。だいたいの問題はとりあえず1ヶ月もあれば解決するはずだから、またしても無駄金を支払った感じとなるが、ともかく会員にならないとピンボケ写真で決着しない欲求不満に苛まれ続けるわけで、ついついやってしまった次第。
このリストは、過去二十年間の欧米におけるコイン・オークションを網羅して、なかなか興味深い。私は一応定評あるRICなどのカタログ・シリーズ本は所有しているが、これらにはごく一部の写真しか掲載されていないし、だいたいは小さくてしかも不鮮明なので、今の場合、私には用をなさないわけである。たとえば、下図は大英博物館所蔵のコインで、その解説が多くの書籍に一般化して述べられている場合が多いのだが、実際には金型によって千差万別であり、研究として1歩踏み込むとそんなに簡単ではない。なおこのネロ・コインについては、本年1/7でもちょっと触れている。

かのオークションでさっそく、「acsearch.info」で、coin,Nero,Portus,Lyonといった単語で検索してみた。そしたら188ヒットした(2023/4/10現在:なぜLyonかというと、このコインはローマとリオンの打刻しか発見されていないからだ)。世の中にはこんなにこの貴重なコインが遺っているのか、とまずは感心したのだが、リストの画像をよくよく眺めていると、妙なことに気づいたのである。ネロやポルトゥスと関係ないものが時々混じっているのはまあ識別が簡単なのだが、どうも胡散臭いものが少なくともとりあえず4例見受けられたことで、それらはいずれも打刻がやたら鮮明なのでどうしても注目せざるをえないのだが、それらの説明文にはだいたい共通してPadua人Giovanni Cavino(1500-1570)による模作と明記され、しかるに落札価格は500ドル前後だったりしているのである。近世のコピーでもそれだけの価値があるというわけか。逆に由緒正しい古代のコインであっても摩耗や破損がひどいものは捨て値となる(今回は10数枚見受けられた。当然のこと数枚は値がつかなかったようだが、それでも600ドルや1000ドルで落札されたものもある)。しかし私だったら50ドルでもぜったい購入しないものが、なぜか6000ドルで落札されたりしているのには驚かされる。あのコインは是が非でも入手したいというマニアの執着心によるのであろううか。

油断できないのは、それと瓜二つのコインがあってそちらの落札価格はなんと134522ドル! 時価にして1800万円なのである。それが以下である。まあそれに似せて16世紀にコピーが作成されたというべきなのだろうが。

というわけで、打刻が鮮明だけど価格が500ドル前後なのは後代の模作と見当つけて(19例あった)、よってあれこれ上記188から引き算してみると153枚となった。総数で一割が後代の作ということになる。
ところで、同一造幣所においても金型は数種類あって、意匠が微妙に異なっているのが常なのだが、数ある意匠の中で、裏面が最も詳細な描写となっているのは、以下であろう。

このコインは、1983年にLyonのLa Favoriteのとある墓地から出土したもの。解説によると、このコインはリヨンの「ローマと劇場博物館」のクラウディウス展で展示されたものの、その後、常設展示されておらず、博物館のインターネットサイトでのみ公開されている由(https://lugdunum.grandlyon.com/fr/Oeuvre/16235-Sesterce-de-Neron)。それでこのコインに従って、私なりに多少の絵解きをしてみよう。
まずは刻文であるが、表側では「IMP・NERO・CAESAR・AVG・PONT・MAX・TR・POT・P・P」、すなわち「最高軍司令官・ネロ・カエサル・アウグストゥス・最高神祇官・護民官職権・国父」。月桂冠を戴いた左向きのネロ帝横顔、首の正面には丸いブローチ?(aegis=メドゥーサの顔が描かれた楯、と特定している解説あり) 裏側の刻文は下部に「PORTV・AVG」、すなわち「アウグストゥス(=皇帝)の港」(但し、「PORT」と表記するのがルグドゥヌム=リヨン造幣所の通例なので厳密に言うと「V」は誤記となる。これがローマ造幣所打刻だと上部に「AVGV-STI」=「アウグストゥスの」,下部に「POR OST」=「港オスティア」,その両側に「S」と「C」=「元老院決議」senatus consultum表記が通例となる)。
問題は裏面の港風景で、まず弧に沿って左側に列柱廊ないし倉庫が2つ並び、最後に神殿、その前に不明瞭ながら犠牲を捧げる人物、右側の弧に沿ってアーチ状の防波堤らしきものが、そして、港の入口を示す左右上部中央には巨大な神像(左手に三叉の槍をもっているなら、海の神ポセイドン:それゆえに右手にはイルカを所持しているとする解説もあるが、私にはそう見えない)。本来あるべきはずの灯台はなぜか描かれていない。今まさに入港しようとしている帆船が左側に、出帆しようとしている軍船が右側に描かれている。内湾の中にはここでは大小7隻の船が帆を畳んで碇泊している(タグボート=曳船と覚しき小型船が3、中・大型船が4隻:但し、左上の帆船は完全に帆を畳んでいないし、船尾での接岸にようにみえる)。うち左下では船首側から渡り板を使って荷揚げ作業中の3人が描かれている。中央の大型船では今まさに帆を畳む作業が進行中で甲板に2名、マスト上に2名の姿がみえる。その右手の小舟はひょっとしてタグボートで、立っている人物はパイロットかもしれない。コインの一番下には横臥した半裸の男性神が描かれていて、右手には船の櫂を持ち、左手付近にはイルカが見える。これは典型的な河神の姿なのでティベリス河神を表しているものと思われる(別説ではPortus神)。
[研究者による図版解読の違いは、たとえば、以下はJean-Claude Golvin/Gérard Coulon, Häfen für die Ewigkeit : Maritime Ingenierskunst der Römer, Philipp von Zabern, 2021(Aus dem Französischen von Birgit Lamerz-Beckshäfer), p.82による解説文参照:紀元66年、ネロ時代にリヨンで打刻されたセステルティウスの裏面に描かれたポルトゥス。下の髭を生やした川の神は、イルカに乗って伸びをし、手に舵を持ち、テヴェレ川の擬人化していると。右側はアーチと橋脚を持つ桟橋で、その足元には波が打ち寄せている。左側には、倉庫や柱が立ち並ぶ岸壁を見ることができる。上方には、ネプチューンが台座の上に像として立ち、軍艦に囲まれている。モチーフは非常に精巧に彫られており、漕ぎ手、帆を揚げる水夫、荷物を降ろす荷物運搬人たちsaccaliiまでわかるほどだ。ルグドゥヌム、リヨンの「ローマと劇場博物館」、とまあこんな調子である]
しかも、である。現在までの発掘調査結果においては、右側突堤にコインで描かれているようなアーチ状の構造物は発見されておらず、単なる突堤でしかないので、こうなるとコインのデザインははたしてどれほど事実を反映しているのか、と疑問視せざるをえないことになる。さてどうしたものか。謎のひとつというべきか。

この本は、2023/3/13にサクラ舎出版の、河島思郎氏の著作である。遅ればせながらその存在を知ったのは昨日だったのだが、即注文したら翌日届いた。

さっそくパラパラ覗いてみたレベルだが、入手以前に、ごく普通の庶民を50名挙げて何かを述べるのって古代ローマではなかなか大変だろうなとか、最近になってようやく、V.レオン『図説古代仕事大全』原書房、2009(原著出版2007)や、K.-L.ヴェーバー『古代ローマ生活事典』みすず書房、2011(2006)や、R.クナップ『古代ローマの庶民たち:歴史からこぼれ落ちた人々の生活』白水社、2015(2011)などが翻訳出版されるようになってきたが、それらとどう差別化しているのだろうか(我が国の研究者では嚆矢ではないか)、と思っていたが、案の定、王政時代を扱った第1章は神話の登場人物や庶民とは言えない著名人の羅列で、やっぱりな感が漂ったものの、第2章からが本領発揮で、主として墓碑などの銘文に記載された人々(正真正銘の普通の人)、それに文書史料で登場する若干普通とはいえないかもの人々を骨格に、種々の周辺的考古学的遺物の写真で肉付けしての叙述が続く。最後を飾るのが犬なのはまあ、ご愛敬というべきか。それとも「はじめに」に登場する老女ユリア・アゲレを加えればお約束の50人に達する、というわけだろうか。
カラー画像、それに雑学のコラム8つ、それに本書を読むにあたってのごく簡単な豆知識20、それに帝都ローマや地中海世界の地図も付されていて、サービス精神満載だが、欲をいうともう少し銘文に寄り添った叙述を味わいたかった、という感想なのだが、これは一般向け書物には無理な注文なのかもしれない。
2023/4/2の00:40-01:30のフランス制作の番組を見た。初演は今年の3/12だったらしいが、私は日本にいなかったので今回が初めての鑑賞だった。放映直後にぐぐってみたら、今だと「dailymotion」で見ることができるようだ。いつまで見ることできるのかは知らない。https://www.dailymotion.com/video/x8jnon1
これまでの気候変動論者は地球温暖化・温室効果促進を産業革命後のCO2の増加に求めてきたが、今次の注目点はメタン・ガスである。
ここ二十年の間に、修復不可能な自然現象が急速に進行している、それが北極圏の永久凍土の融解で、それに伴ってメタン・ガスが大気中に大量に放出されているのだが、アメリカ・アラスカのイージー湖での調査で、ここだけで毎日10トン以上の気体が放出されている由で、ただメタンの発生源は、そのガスの分析をしたところ、永久凍土レベル(厚さ150m)を越えて何キロもより深層に存在する何百万年前の化石燃料層からのものが含まれていたことが判明した、のだと。最新の研究によると北極圏の地下に一兆6千トンのメタンが貯蔵されており、大気中のメタンの250倍がそこにある計算となる、そうだ。

となると、これは地球温暖化レベルを越えた現象ということになる。番組でははっきりと明言していなかったが、端的に言って地球のマグマ活動による新規の現象というべきではないか。・・・なにしろ、メタンは二酸化炭素より熱を30倍も閉じ込めることができるのだそうだ。なのにこれまで温暖化現象においてメタンは過小評価されてきた、というわけだ。と、かなり危機感を煽る内容になっており、正直言って、どこまで信じていいのか私には判断できないけれど。
まあ地球温暖化論者からすると、CO2増加による温暖化によって永久凍土が融解を始め、それによって地表の圧力が軽減されたので、より深層の化石燃料層からのメタンが大地の亀裂をたどって上昇する現象が生じたのだ、という理屈になるのだろうが。
いずれにせよ、人類なんかの将来はこういった地球規模の不退転の連鎖現象から、決して永久に存在保障されているわけではない、というわけであろう。
このところの様子から予期されたことだったが、発信者から以下の連絡があった。「主宰者がこの1月に85歳を迎えました。【週刊 世界キリスト教情報】の 企画・編集・配信にも影響が出て、受信者皆様にご迷惑をお掛けしています。 あれこれと対応を検討しましたが、この4月10日付けをもって休刊することを決意いたしました。 突然のことですが、事情ご了承のほどお願いいたします。メールマガジンな どへ転載・使用されておられる方には、さらに手間のかかることになりますが 、申し訳ありません。長い間のご支援、ご協力に改めて感謝いたします。 なお情報源の【CJC通信】は、なおしばらく(2023年度内)は発信を 予定しています。」
長い間ご苦労様でした、と言いたい。後継者が得がたいのはどこも同じである。
◎ロシア、ベラルーシに戦術核配備へ=ウクライナ政府高官が批判 ◎中国、ウクライナ侵攻1年でロシアに無人機15億円分輸出 ◎ホンジュラス、中国と国交で台湾と断交 ◎韓国のカトリック司祭団体、「尹錫悦退陣」要求する「時局ミサ」 今回は最後のニュースを紹介しよう。 ◎韓国のカトリック司祭団体、「尹錫悦退陣」要求する「時局ミサ」 【CJC】韓国メディア「ハンギョレ新聞」(日本語版)によると、カトリック正義具現全国司祭団(正義具現司祭団)が3月20日午後7時、全羅北道全州市(チョンジュシ)の豊南門(プンナンムン)広場で民主主義回復と平和を願い、検察独裁打倒と買弁売国独裁政権退陣を要求する「時局ミサ」を開いた。 正義具現司祭団が政権退陣を要求する「時局ミサ」を開いたのは、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権では今回が初めて。 この日のミサは神父、修道女、市民など主催者側推算1000人余り(警推算500人余り)が参加する中で開かれた。全州教区のキム・ジンファ神父は説教を通して「私たちは惨憺(さんたん)たる思いで、しかし断固として、『憲法を踏みにじり国民の自尊心を踏み付けたためもうその座から下りるべし』と言わなければならない。 正義具現司祭団はこの日「絶体絶命の今、泣訴します」という声明書を通して「尹錫悦政権が歴史に永く輝くことを心より祈願し、梨泰院(イテウォン)惨事で退陣の声が高まった時も私たちの生活方式を作り直すのが先だとして期待を捨てずにいたが、今日、大統領の勇退を促す」と明らかにした。 正義具現司祭団のソン・ニョンホン総務神父は「彼が日本に行ってきて以来、私たちの大統領ではない、日本のための大統領だと考えるようになった。韓国人だと思ったのに、日本のために働く、国民と関係ない他の働きをする大統領だった。だからこそ私たちが立ち上がって退陣を要求するのだ。時は熟した。(この豊南門広場は) 朴槿惠(パク・クネ)元大統領の退陣を要求した場所だ。本当に国民による大統領、国民と共にする大統領、国民の生と共にする大統領が必要だ」と語った。□
元情報のブログでは、「企画・編集の都合で、3月13日付けを休みます」とあって、その一週間後のアップもないが、小原氏のブログ(http://www.kohara.ac/news/2023/03/20.html)には3/20分として以下が掲載されている。
◎北朝鮮に拘束されたキム・グクキ牧師の妻「生存確認だけでも」
◎教皇、台湾の仏教の僧侶たちと会見
◎「DKZ」のギョンユン、”カルト宗教信者”めぐる物議に謝罪
この現象をどう捉えればいいのか門外漢の私には分からないが、今回は最初の記事を紹介しておこう。
◎北朝鮮に拘束されたキム・グクキ牧師の妻「生存確認だけでも」
【CJC】北朝鮮で宣教活動中に逮捕され、8年間拘束されているキム・グクキ牧師の妻、キム・ヒスンさんが夫に送る手紙を公開した。米政府系放送局「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)が3月10日報じた。キム牧師の家族がメディアに心情を明かしたのは初めてだと、VOAは伝えた。韓国メディア「東亜日報」(日本語版)によって紹介する。
キムさんは手紙で、「寂しくても頑張ってください。今年、あなたは70歳です。一緒に迎えたいです」とし、「健康はいかがですか。あなたが生きていることだけでも確認できればいいのに」と切ない気持ちを表した。また、「国内だけでなく世界の多くの国であなたが無事に釈放されて戻ってくることを祈っています」とし、「あなたは一人ではない。多くの人があなたのために努力している」とメッセージを伝えた。
大韓イエス教長老会合同に所属するキム牧師は、国内でホームレスなど社会的弱者を支えていたが、2003年に宣教のために中朝国境地帯である中国遼寧省丹東に派遣された。キム牧師は脱北者や「コッチェビ(浮浪児)」など北朝鮮住民のための「脱北者シェルター」を運営し、北朝鮮に医薬品や農機具などを送り、宣教活動をしたという。15年に北朝鮮当局に逮捕され、スパイ罪と国家転覆陰謀罪の疑いで無期労働教化刑を宣告された。
キム牧師夫妻の知人が、「権寧世(クォン・ヨンセ)統一部長官が7日、拘束者の家族に会って励ました。米国務省もキム牧師の釈放に関心を示し、キム・ヒスンさんが勇気を得たようだ」と伝えたと、VOAは報じた。
米国務省は1月、全世界の政治犯釈放キャンペーンでキム牧師を紹介し、「キム牧師をはじめ、すべての政治犯の釈放を求める声に参加してほしい」と呼びかけた。
北朝鮮には現在、キム牧師のほかにもキム・ジョンウク、チェ・チュンギル氏や脱北者出身の韓国人6人が拘束されている。
まず、その前日のリド・ディ・オスティアの海岸での夕焼けをごらんください。もちろん無修正(念のため)。私はこの鮮明なあかね色が大好きです。白い雲が朱に染まり、徐々に墨色に変わっていく。なぜか日本ではこんな夕焼けに出会ったことがない気がする。我らはこれを見た後、中華料理屋でチンタオ・ビールと夕食を楽しんだ。

3/16 晴天。
ドイツ留学中で先般我らと合流したGE君と二人でオスティア関係の遺跡めぐりを企て(OK君より譲られたオスティア遺跡の入場券が8日間通用でオスティア遺跡管理事務所管轄下の諸遺跡[Ostia Antica, C.Giulio II, Museo navi, Porti Claudio e Traiano, Necropoli]共通券18€だったので:なんと今回の訪問で知ったが、オスティア遺跡のみの1日券はなくなっていた! あとの選択肢は年間パスの40€。これってかなり大胆な実質的値上げじゃんかあ・・・。今年中にまた来りゃいいだろ、というわけか)、早めに駅前で郊外線バスのコトラル1.3ユーロを2枚づつ購入してイゾラ・サクラのマウソレオに向かう。乗車場は駅の若干左側。

例の給水塔が右手前方に見えたところで無事下車、ところが早く着きすぎて10時だっけの開園まで間が持たないので、まず北の教会跡、その後、西のマウソレオを押さえ、そしてロータリーのところにあるバールでこちらでの朝食、ブリオッシュとカプチーノ。そこからちょっと西に歩いたところのエディコーラでポルトゥスに行く道を店のご主人のお爺さんに教えてもらうが、橋が30分歩いた西にしかないので、橋を渡ってそこから川筋をほぼUターンして、計小一時間歩かないといけない。
とぼとぼ歩いてようやくポルトゥス公園の入口につき、2人いたクストーデさんの指示に従い、園内を北に道をとり、かなり歩いてやっと受付にたどり着く(入口に作っておけよ、といいたい所だ)。そこにも3名ほど人がいて、あっちがクラウディウス、こっちがトラヤヌスと説明を受けたあとは、無料の地図をもらって(別途、QRコードで説明を読むこともできる)勝手に自力で歩くシステム。遺跡の各所に説明板はあっても道順なんかの標識はない。野原の気ままな散策という感じ。このところの晴天続きもあって、もう雨期も終盤の趣で野原には可憐な花も咲き乱れている。

トルローニアの館までいって、最近発掘中の皇帝宮殿方面はパスして、帰路に移る。入口への帰り際にすれ違った見物人は2組のみ。すでにかなり疲れていたので(約1時間の無駄なUターンがきいていた:あのロータリーあたりに橋があれば、または陸橋の自動車道に歩道があれば、こんな苦労はしなくてすむのに・・・)、ケータイでウーバー方式のタクシー呼んで船舶博物館への道を探ろうと思ったが、まずは途中で見かけた中華料理屋(例の赤い提灯ぶら下げている)で昼食をとひたすら歩いて、そこでビールを飲んで元気になり、GE君のケータイで首尾よくタクシーも来てくれた。それに乗ってケータイでの事前提示料金20ユーロで船舶博物館に到着。
私は18ユーロの入場券で、彼は40ユーロの年間パスで無事入場。20年前と比べて今回内装もすべて改装されたようで明るく(昔のはなんだか薄暗く寒々とした印象の記憶が)、船の展示はいうまでもなく、説明板、関連展示もなかなか体裁よくあか抜けている(一部、フランスの手が入っているようだ)。本物とコピー取り交ぜての展示物の中でひときわ私の注目を引いたのは、船舶繋留装置であった(表示には「Bitta d’ormeggio, marmo, Portus, II secolo d.C.」、すなわち(船の)繫留柱、大理石製、Portus出土、後2世紀、と書かれていた)。私にはトラヴァーチンにしか見えないのだが。その直後、それ関係で予想外の遭遇もあったのだが、その時はそんなこと知るよしもない。我ら以外の入場者はフランス人男性一人のみ。そこになぜか係員5,6名はたむろしていたな。なんとも贅沢というかいたずらに無駄な感じである。


そこを出て、我らは博物館の背後の野原にそっと向かった。突堤跡とかつての港の管理者の官舎跡を見るためだ。群れてお喋りに興じていた係員たち、監視カメラ見ていなかったのだろう、警告を受けることなく、そこでなんてことない平凡な写真を撮ることができた。それが以下の写真。実は20年前にこの角度で撮っていたら「ピーっ」と鋭い笛の音がして、なにごとやあらんと周囲を見渡したら空港方向のはるか向こうの建物の影に自動小銃構えた兵隊さんが・・・。要するに飛行場だし軍用地だからこっち側を撮るなという警告だった。わかったわかったと手を振ってあちらに背を向けて写真撮った体験あったので、実は今回もビクビクモノだったが、今回は何も起こらず・・・。

だけど、そのあと最初に見学を飛ばしたイゾラ・サクラのマウソレオに帰ろうとして、右往左往、この日の徘徊が始まったのであ〜る。まずはバス停をさがすがみつからない(空港内巡回の無料のシャトル・バスのはあったが、郊外線のコトラルのが・・・)、GE君のケータイ情報でそれがあるというちょっと離れた北側に自動車道を歩いて向かう。
その途中でなんととんでもない遺跡に。それは博物館の裏にあった突堤の延長で、自動車道で切断された向こう側の続きだった。それ自体の存在は平面図で知ってはいたが、それを目の当たりにできたのは、この徘徊の思わぬ副産物であったのだし、しかも博物館の裏のそれには見当たらなかった、私にとってきわめて興味深い痕跡がそこに認められ、俄然興奮も高まったのであ〜る。それは、トラヴァーチンないしトゥーフォ製、ないし大理石製と思しき船舶繋留装置が抜かれた跡であった、はずなのだ。文字通り、犬も歩けば棒にあたる、豊田が歩けば遺跡にあたる。だから徘徊はやめられな 〜い。



たぶんひょっとしたわけである。最左付近での穴ぽこ間は平均141-150cm、穴の大きさは横幅30,縦25cm、といった感じで、我が愛すべき米軍御用達のガーミンによる測定高度は−14mと出た。え、なんでぇ?
この出会いで私は充分満足したのであるが、その遺物を通り過ぎて自動車道から見返すと、おっとっと、

ちなみに我が愛すべきガーミンによるこちら側の測定高度は40m! ものの10分でのこのでたらめさにはもはや苦笑いも浮かばない。
その後、その先のロータリーまでいくが、停留所が見つからないので、タクシーを呼ぼうとしてこれもうまくいかない、たぶん飛行場に近いせいだろうとのことで、来た道を博物館までまた引っ返すが、そこでもタクシーはなぜかイタリア語をまくし立てて来てくれない(キャンセル3回)。しょうがないので明るいうちに飛行場のターミナルまで歩こうということになって、それは自動車道をあれこれいくつも強制横断するということを意味するのだが、無事成功し、私は初めて徒歩でローマ空港にたどり着くという快挙を達成することができたのであ〜る。これを得がたい体験といわずして・・・、なにをか言わんや。
なつかしのターミナル3のタクシー乗り場で乗車(差配していた係員に「荷物は」と問われて「ない」と答え、怪訝な表情されてしまった:おれたちは難民か)、運ちゃんにはトゥット・トレンタと連呼して(全部で30ユーロ、のつもり:ローマの雲助運転手、下車時に一人30だと言いかねないので)、運ちゃんもメーター倒さず動きだすが、どうやらオスティア橋での事故のせいで渋滞に巻き込まれさんざ時間とられながらもリド・チェントロ駅に到着。運ちゃんお約束の30ユーロ以外に渋滞にこと寄せてチップを要求し出す。面倒なので金満日本人の端くれとして5ユーロ札を出すと喜んで引ったくる。
18時過ぎてのご帰還に、心やさしいOK氏はわれらのためにビールを残してくれていた。夕食は米を炊いて、ふりかけに湯を注いで軽くすませ、早く寝る。28580歩。これって今回最高歩数だ。
【追記】この突堤等については、以下参照。http://www.ostia-antica.org/portus/plan-claudius.htm
ところで、帰国後1か月過ぎて興奮が醒めて見直していて、気がついてしまった。ポンペイの係留装置の計測は、横23cm、縦44cmだった。これだとフイミチーノのアナポコよりは微妙に縦が大きくなる・・・。ということは、フイミチーノのはポンペイと規格が違っていた可能性もある。やっぱり船舶博物館で計測すべきだったなあ。
【追記2:2023/5/17】あれこれ調べていると、現地研究者たちはあの穴を係留装置の抜けた跡とは考えておらず、ウィトルウィウス『建築書』叙述に依拠して、堰堤構築工法における横木の露頭部分と捉えているようだ。まあ、このあたりの着想の欠如は素人の哀しさであるが、丸太にしては穴の断面が大きすぎる気がするし、背面の北側に見当たらないのはおかしいな、と思うだがどうだろう。いずれにせよ、この問題は継続検討したい。
