待望の本が届いてみれば・・・

 私の最近開拓中の研究分野に、キリスト教受難記との関係で、裁判を行ったローマ都市長官Quintus Lollius Urbicusがある。文献検索していたらこの姓名ずばりの本があったので、こりゃ凄いと注文していたのだが・・・、今日届いたものをみてガックリ。詐欺だ〜、と。

 なんと内容は、英文ウィキペディアに掲載されている彼関係の項目を編集しただけのもの(どっかで見たような表紙だとは思ったが。また、よくよく表紙を見てみると、左下の赤丸の中に白地にそう書いてあるが、注文時に老人には読めなかった)。ま、それはそれで、纏めてくれているので便利という見方もあるだろうが、老害の私にとっては文字が小さすぎて読むのが超ストレスの代物なのだ。これじゃあ拡大コピーにして読むしかない、となるとなんのことはない、ウェブから印刷するのと同じことで。その上、価格は送料込みで£43弱もしたのであ〜る。

 以下、付録。YouTubeで以下をみつけ(https://www.youtube.com/watch?v=aeWvXSDMEAw)、霊廟にはめ込まれた銘文の、これまで見つけえてなかった現物のコピーをとることできたのは、思わぬ収穫だった。ちなみに、CIL, VIII/1, 6705。

         ↑上から3段目、左から4つめ目の長めの石材部分    
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現代の奴隷制を直視すべし:飛耳長目(71)

 私は今回の新コロナ騒動が起こるまで、迂闊にも、ヨーロッパの農業が海外移民によって支えられていることを知らなかった。我が国でもその実態が報道されるようになってきている。以下を参照、但し有料:

「コロナが暴いた「奴隷制」:安い肉の裏で苦しむ移民たち」https://digital.asahi.com/articles/ASNDF7FVMNDDUHBI016.html?iref=pc_rensai_article_short_1102_article_12);

「トマト缶なぜ100円台で買える?:農業仕切るマフィア」(https://digital.asahi.com/articles/ASNDF7GKBND3UHBI02Y.html?iref=pc_rensai_article_short_1102_article_13)

 考えてみると、古代世界を考える時、奴隷制を抜きにしては考えられないという認識はあったが、それは研究者たちにとってもそのはずで、しかし、それはあくまで古代社会でのことで、現代社会とはそう連結されてこなかったような気がする。しかし教科書的に、古代ギリシアと区別される古代ローマでの奴隷制を論じ得ても、現代社会の欧米や日本でそれが温存されていることからは、目が塞がれてきたというか、目を塞いできたような気がする。すなわち現代社会での奴隷制の存在の分析(解決するなどというのはおこがましいが)に何の役もたってこなかった古代奴隷制研究ではなかったか。

 日曜日の朝、いつも妻と一緒に見て和んでいるテレビ番組「小さな村の物語イタリア」(BS日テレ)は、もう300回を越えている長寿番組だが、そこには海外労働者は出てこない。そして家業を継ぐ子どもたちの連続だ。ひょっとして今はなき古き良き時代を演出しているのだろうか。https://www.bs4.jp/italy/#summary

 NHKでやっている日本版の「やまと尼寺:精進日記」も時々見ているが、これも今は失われた生活再現。https://www.nhk.jp/p/ts/78293ZQNMM/schedule/

【追加】2021/1/8記

「米国で400年続くカースト制度:トランプ人気の追い風に」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21236)

 この問題を解決しない限り、アメリカは民主主義国とはいえないはずだ。なのにどうしてアメリカは自由主義世界のリーダー顔をすることができるのだろうか。えっらそうに中国のことを言うことができるのだろうか。この解説分の最後付近に以下のように書かれている。「本書を読んで初めて、経済的に恵まれない白人の労働者たちが、なぜあれほどまで熱狂的にトランプを支持するのかが分かった。一番下の階級に属するはずの黒人たちに、社会的な地位において追い抜かれてしまうのではないかという恐怖心が根底にある。そうした不安を忘れさせてくれる、頼れる白人のヒーローがトランプだったのだ」。

 この構造はまさしくナチス時代のドイツのみならず、西欧全体においても存在した。

 今日、またやっていた映画「フォレスト(うすのろ)・ガンプ」で、主人公が高校時代にいじめられる場面で、彼を追い回す車に南軍のステッカーが張ってあるのを初めて見つけた。フォレストの名前自身も「KKK」団の創立者だし、アラバマ的背景をなしているというべきだろうが、ちらちら出てくる差別問題への製作者の意図と距離を私は計りかねている。

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アスリートへの性的虐待とカトリック教会:遅報(60)

 いつものように偶然見てしまったのだが、NHK BS1で、アメリカの水泳や体操競技におけるコーチが幼い選手たちに性的虐待をおこなってきたことを報告している中で、訴える側の年齢制限を26歳からもっと延長しようとする法律改正のプロセスで、なんと水泳連盟と一緒に反対してきたグループにカトリック教会が出てきて、驚いた(彼らのロビー活動で、結果的に法案つぶしに成功したらしい)。これが本当だとすると、補償問題への法的対処であったにせよ、隠蔽工作に加担していたといわれても仕方ないだろう。2020年フランス制作。

 終わってからググって見たら、少なくとも2016年以降、スポーツ界での暗澹たるニュースが掲載されていた。(「米国体操界で性的暴行がまん延か、米紙報道」https://www.afpbb.com/articles/-/3111547?cx_part=related_yahoo)。中には盗撮まがいの画像・動画のSNS投稿問題も。もちろん我が祖国についても同様である・・・。ま、スポーツ選手って裸に近い形でアピールしてるから、少女であれば劣情を刺激しちゃうのだろうが。

 それと、今古代オリンピック関係の本を読んでて、それで改めて分かったことがある。古代ギリシアにおいてすら(古代ローマは言うまでもなく)、オリンピックは当時も金と八百長と賄賂まみれであったということ。この点でただ今現在のIOCだって全然負けてはいない現実があるのは周知の事実。有名な「参加することに意味がある」との言説すら、アメリカの聖公会の主教が当時欧州で差別された合衆国の選手たちを励まして言ったことで、それをクーベルタンが換骨奪胎して再言したのであって、崇高な理念とはもともと無縁だった由(トニー・ペロテット(矢羽野薫訳)『驚異の古代オリンピック』河出書房新社、2004年:改訳版『古代オリンピック:全裸の祭典』河江文庫、2020)。翻訳者が後書きで喝破しているが、この書の原題は「The Naked Olympics:The True Story of the Ancient Games, 2004, p.227-228) 」で「オリンピックを丸裸にする」なので、容赦がない:付言しておく、この著者には、2003年に邦訳が出た『ローマ人が歩いた地中海:「人類史上初のツアー旅行」体験記』光文社;原著2001年、がある。

 あげくカトリック教会がらみで、こんな映画と著書の存在も知ってしまった。「性的虐待を隠蔽し、加害者を野放しにする秘密を守る文化 『グレース・オブ・ゴッド:告発の時』」(https://www.newsweekjapan.jp/ooba/2020/07/post-84.php)。2020/7/17日本公開だったらしい。全然知らなかった。フレデリック・マルテル(吉田春美訳)『ソドム:バチカン教皇庁最大の秘密』河出書房新社、2020年。

 この本は値段が高いなあ。当然ながらというべきか、わが書棚代わりの大学図書館にはない(但し、英訳本は入っていた。要するに神父さんたちは読んでいるということで、このあたりの距離感は実に微妙)。遺憾ながら、上記ウェブで以下のような言説に出会った。「本書の主張を要約すれば、バチカンは世界で最も同性愛者が集まっている場所であり、同性愛という視点で読み解かなければ、バチカンもカトリック教会も理解できないということになる。過激な主張ではあるが、4年をかけ、30か国以上で現地調査を行い、1500人もの教会関係者と会見し、著者自身もゲイであるからこそ踏み込める領域がある利点も生かして書かれた内容には、少なからぬ説得力がある」。

 こういう病理現象の存在を私は否定しはしないが、それがすべてではない、といつものように但し書きしておこう。

【追記】『ソドム』が速攻で届いたが、なんと750ページ! 「訳者あとがき」で興味深い知識を得た。「ホモフィリ」homophileである。一般的に「同性愛」はホモセクシャリティhomosexualityと捉えられているが、それは多くの場合「セックス」行為を伴うものと理解されているが、「ホモフィリ」は性行為を前提としない、もっと広い結びつきを示す言葉である、と。本書の鍵はどうやらこの語にあるようだ。このレベルで留まる限りは、男同士の友情であって、問題ないわけで。

 翻訳者の吉田春美氏は私の元の職場の卒業生。磯見ゼミの出身かと。奥付に書かれていないので怒られるかもしれないが、ウィキペディア情報では1956年生まれのようだ。私より9歳年下だから、1988年に着任した私とは面識がないはずだが、これまでも若干きわものめいた何冊の翻訳を読ませていただき、お世話になっている。

【続報】「コーチから性被害の元フィギュア選手、予審開始に「ホッとした」 仏」(https://www.afpbb.com/articles/-/3325444?cx_part=outbrain);「韓国元トライアスロン代表監督に懲役7年、女子選手が昨年自殺」(https://www.afpbb.com/articles/-/3329190?cx_part=logly)

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「里の秋」:痴呆への一里塚(41)

 さっきNHK BS4Kで、童謡「里の秋」が1945年12月にラジオ放送された、出征から未帰還の父を偲んで母子家庭を歌ったもの、と初めて知った。一番しか私は記憶になかったからだろう。クリは代用食だったのだろうと思うと、わびしさひとしおである。

  静かな静かな 里の秋
  お背戸に木の実の 落ちる夜は
  ああ 母さんとただ二人
  栗の実 煮てます いろりばた

  明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
  ああ 父さんのあの笑顔
  栗の実 食べては 思い出す

  さよならさよなら 椰子(やし)の島
  お舟にゆられて 帰られる
  ああ(注) 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
  今夜も 母さんと 祈ります

 私の幼い最奥の記憶には、汗ばむ夏の夜長に、布団の上で流しっぱなしのラジオでの「尋ね人の時間」を耳にしていた印象が残っている。あるいは秋の明るい夕方の光の中で。『ウィキペディア(Wikipedia)』には「ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞く○○さん、××県の△△さんがお捜しです」といった文言が記録されているが、そんな調子だった。

 1962(昭和37)年まで続けられ、依頼総数2万弱、うち⅓の人が捜し出した由なので、同内容が繰り返し繰り返し放送され、1947年生まれの私も15年間聴いていたことになる。だから脳裏に焼き付いていたのだろう。

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世界キリスト教情報第1560信:2020/12/14

= 目 次 =
▼教皇、来年3月にイラク訪問
▼教皇の「ウィグル人迫害」説は事実無根と新疆自治区報道官
▼韓国のコロナ新規感染者が急増し過去最多の950人
▼ソウル地下鉄などサラン第一教会に損害賠償訴訟
▼NYイーストビレッジで大規模火災、築128年の教会も焼く
▼ニューヨーク市の教会で男が警官隊と銃撃戦

 今回は3番目を紹介。

◎韓国のコロナ新規感染者が急増し過去最多の950人
【CJC】ソウル発の聯合ニュースが伝えるところでは、韓国の中央防疫対策本部は12月12日、同日午前0時現在の国内の新型コロナウイルス感染者数は950人、累計4万1736人になったと発表した。
 1日当たりの新規感染者数としては大邱市・慶尚北道を中心とする流行の「第1波」のピーク(2月29日、909人)を上回り、過去最多を更新した。
 9日から3日連続で600人台後半だった新規感染者数は900人台に急増した。先月上旬の時点では100人程度を維持していたが、わずか1カ月で1000人に迫った。
 首都圏の教会と療養型病院で大規模な集団感染が発生したほか、塾、飲食店、家族や知人との集まり、軍部隊など全国のさまざまな日常生活の場で感染が拡大している。感染者急増に伴い病床不足など医療機関の負担がさらに大きくなるとみられる。□
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キリスト教徒?Helix

 拳闘士がらみでオスティア遺跡のモザイク扱っているうちに、Helixなる人物の背景らしきものが分かってきた。一部の研究者たちが、墓碑銘を根拠に、故郷は小アシア半島フュルギア地方のEumeneia(現在名Ishikli)で、Helixはいわば芸名で(ἐπίκλην  Ἑλιξ)、本名Aurelius Eutyches、そして故郷では名士になり参事会員身分の義務も免除されていたこと、さらにはどうやらキリスト教徒であり、となると記録に残る最初のキリスト教徒運動家だった、と主張しているのだ。

 我ながら思いがけない展開になったきた。だから面白くて止められない。ただし、この墓銘碑情報、大昔どこかで目にしていたような気がしている。なにせ必読文献には、19世紀末のW.M.Ramsay,The Cities and Bishoprics of Phrygia, Oxford, UP, 1895 (この本、我が書棚を見てもみつからないし、我が図書館にもないのはおかしい。ひょっとして数年前に消火スプリンクラー装置の誤動作で9階が濡れたとき処分されたのか。私が寄贈した美術関係が見るも哀れな状況となっていて、これにはまったくもってやりきれない思いだ)や、20世紀初頭のW.M.Calder ら記憶に残るおなじみの研究者が名を連ねているからだ。今、関係文献を急いで収集している。昔も集めたはずだが、それを探すよりも今やググって入手した方が早いからので(すみません、コピー類の保管は乱雑なんです)。しかし肝心の墓碑銘の写真が見つからない。それもそのはず、どうやら1922年に宗教対立の中でイスラム教徒に破壊されたらしい。幸い2通の読み取りは残っていてということなのだ(Calder,Bulletin of the John Rylands Library, 13-2, 1929,p.257)。「はやぶさ2」ではないが、オスティアが奇縁で40年振りに私の念頭に舞い戻ってきたわけである。

 そんな中で、見つけたのが以下の写真。別々に掲載されていたのを合成してみた。E.H.Buckler, W.M.Calder & C.W.M.Cox, Asia Minor, 1924.III: Monuments from Central Phrygia, JRS, 16, 1926, 204(p.80-82), PL.XII,204b, c. これについてはいずれゆっくりと(死んでからかぁ(^^ゞ)。

 なお、エウテュケスつながりで、こんな写真もヒットした。元写真は、W.M.Caldar, Early-Christian Epitaphs from Phrygia, Anatolian Studies, 5, 1955, p.33-35, No.2(=B.W.Longenecket, The Cross before Constantine:The Early Life of a Christian Symbol, Minneapolis, 2015, p.115)。出土場所はGediz近くのCeltikcide(現在、といっても65年も前だがKutahiaの倉庫に保管、と)。なるほど、隠れキリシタンのマリア観音よろしく、さりげなく(といっていいのだろうか (^^ゞ)右手のひらに十字が(これはパンの切れ目を示している)、左手下にはブドウの房が見えているので、パンとワイン、聖餐式を示しているわけだ。我らのエウテュケスよりは1世紀半も先輩である。

 ただし、古い欧米の研究者は何でもかんでもキリスト教に結びつける傾向があるので(それを感じてかつて扱うのを遠慮したのだろう)、パンクラティオン競技者ヘリックスがキリスト教徒だったと判断するのはやはり慎重でありたい、と思う。論より証拠、今回の件で偶然見つけた同姓名のAurelius Eutychesには以下もいる。幸いこの墓銘碑には解説文がついていて、アテナイのKerameikosの古代墓地出土、「Piraeusの」「後3世紀末」といった情報が記されていたので、即、別人と判明。一族でもなかろう。帝国東部にはEutychesさんは多かったようだ。

 

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マインツのドルスス顕彰建造物

 エウトロピウス『首都創建以来の略史』のラテン語改訳中に、VII.13.1に「(皇帝クラウディウスは)カリグラの叔父で、ドルススーーモゴンティアクム(現マインツ)に記念建造物があるーーの息子で、そしてカリグラは、彼(ドルスス)の孫だった」というくだりがあって、気になってそのモニュメントなるものをググったら、現地に観光した人たちの情報では、なんと大聖堂の前に古代ローマ時代の円柱があるとありまして(私には初耳)、観光で行ってきた方々はこれだと(https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g187393-d8390920-r576
357102-Nagelsaule-Mainz_Rhineland_Palatinate.html)。

  えっ、と違和感に包まれながら写真をよくみたら、なんと第一次世界大戦の慰霊碑らしいのだが、みなさんどうしてだまされているのか。さて・・・と思って、思い出しました。
 以前多少触れたことあるネロのユピテル円柱がマインツにあるので(下右図:ちなみに図中の8;慰霊碑は2あたりかと)、観光客さんたちこれと間違えているのでしょう、たぶん(https://www.mainz.de/tourismus/sehenswertes/jupitersaeule.php#SP-grouplist-5-1:2)。
  地図中の6の肝心のドルススの記念建造物は、表記がThe Cenotaph of Drusus、Drususstein となっているやつ(http
s://www.romeartlover.it/Mainz.html)。
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「この国に、女優・木内みどりがいた」:遅報(59)

 昨夕、どうしたことかやたら飢餓感に襲われ、爆食し、即、寝た。妻の「12時になったよ、起きなくてイイの」という声で目が覚めたのが、午前0時すぎだった(起こしてくれと頼んでいたわけではないのに、なぜか)。隣の居間のテレビから「木内さんは収録が終わって広島で亡くなった」と言っているのが聞こえた。「四國五郎」という声も聞こえた。目覚めたのもなにかのご縁だったのだろう。

左。木内さん(1950-2019);右・四國さん(1924-2014)

 NHKのどうやら広島放送局制作「広島で出会った2人:木内みどりと四國五郎」の再放送らしかった。昨年11月に急死して、最近話題になっている人だったが、よもや突然死したのが我が広島だったとは知らなかった。享年69歳。そして、だが、それがきっかけで、私はさっきまで現在15回を数える「この国に、女優・木内みどりがいた」を読んでいた(https://mainichi.jp/articles/20200819/k00/00m/040/052000c)。いいと思ったことは即決して行動に移す、直情径行の、得がたい人だったようだ。彼女の生き様に安直にレッテルなんか貼ってほしくない。

 人間関係とは妙なもので、彼女の背を押した一人が、意外にもオイシックス・ラ・大地会長藤田和芳氏。彼のこと知ろうとググってみたら、これがなんと彼は私と同年代で、そのうえ私の元職場のご出身だったとは。オイシックスの存在は知っていたが、野菜送りつけられても余るばっかしとこれまで敬遠してきたが、これもまあ御縁と思い、お試しを試すことにした(後日談:美味しかったが、妻は警戒して「味が同じで飽きるんだよね」と。さてどうするか)。

 彼女が朗読のライフワークにした四國挿絵『絵本おこりじぞう』(金の星社、1979年)は、私も持っているけど、決して好きな絵ではなかったが、彼が背負ってきた人生の背景を今回初めて知った。弟の爆死、峠三吉との交流、「市民が描いた原爆の絵」プロジェクトにも参与していたとは。さっきググって見たら、シベリア抑留から持ち帰った記録をもとにした2017年復刻版『わが青春の記録』三人社、がなんと我が図書館にあることが分かった。とても高額な書籍なのでうれしい。一度見てみよう。

 あの番組が終わると、今度はNHK 岡山局作成「人々のために、人々とともに:岡山大原美術館」が始まって、それもみてしまった。大原孫三郎と児島虎次郎の話が軸だった。私には20歳前後の思い出ある場所なので、やっぱり表題は岡山ではなく倉敷にしてほしかった。こっちの朗読は美村里江。どっかで見たことある顔が現れ、だけどたしかカタカナの人だったので、あれ改名したんだ〜、と。

 

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世界キリスト教情報第1559信:2020/12/7

= 目 次 =
▼米連邦最高裁でコロナ対策理由の礼拝制限認めない判断相次ぐ
▼パレスチナ主流派、バイデン次期政権チームと接触
▼聖地ベツレヘムの教会放火未遂でユダヤ人男性逮捕
▼教皇、新枢機卿らと待降節入りミサ=「祈り、愛し、目覚めて待つ」
▼バチカン聖ペトロ広場にクリスマス・ツリー設置
▼マリア像の首切られ、ベネチア総大司教が修復への祈り呼びかけ
▼A・テイラー氏が「ソジャーナーズ」会長に就任

 最後の文章の中に以下を見つけた。「テイラー氏は、1968年に結婚した黒人の母と白人の父の息子、ラビング対バージニア州の最高裁判決が全国的に異人種間の結婚を合法化した1年後のことだった」。

 それまでアメリカでは異人種間の婚姻は禁止されていたわけだ。それが1967年とは。とんだ自由とチャンスの国なのだ。

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現代韓国のチョッパリ嫌いの原点:遅報(58)

 私の最初の海外渡航は大学院博士課程に進学した24歳だっけの夏の韓国旅行だった。旅費は当時の日本育英会が6月だっけに最初の3か月分まとめてくれた奨学金だった。次は台湾、(文化大革命で大荒れの中国はすっ飛ばし)、インドなんか見て、徐々に地中海になどと妄想していたが、それは資金難とか結婚、年子の誕生などで実現しなかった。

 私が家庭教師した後輩と二人で、たった十日間程度であったが、フェリーで釜山を往復し、慶州を経由してソウル、板門店、飛行機で済州島にも行き、そこの最高峰の山にも登った。年配者にはまだ日本語が通じたし、済州島での山岳ガイドの若者とはなんと漢字の筆記で意志を疎通できたので(今は両方とも無理だろう)、案外気楽な海外旅行だったが、盛りたくさんの異文化体験だった。ここではそのほんの一部をご報告する。

 後述のように時代が時代だったので、宿舎は日本で予約したユースホステル関係(ソウルではYMCA)を選んで、いらぬトラブルは予め避けていたつもりだったが、釜山での最初の夜、部屋にご挨拶にやってきた(と最初私は思った)我らからするとペアレンツの小母さんが、短パンはいた連れの太ももをピチャピチャ叩きながら、いささか乱暴な日本語で「女はいらんか」と言ったのには、本当に驚いた。断ると、じゃあ明日の昼間の観光にいっしょに歩く女性フレンドはどうか、と。それも断ると今度はパートタイムの女性、と畳みかけてくる。僕らは韓国の遺跡を見に来たのでというと、「なんなのこの日本人は」という感じでしぶしぶお帰りになった。キャンプ場によくある野外の炊事場風の場所が風呂代わりで(冷水とタオルで体を拭くのだ)、そこで顔を合わした若い日本人女性から蛇蝎のごとく睨まれて、あのう僕たちは違うんですけどと抗弁もならず、肩身の狭い思いもした。大地がキムチの匂いを発していてなるほどと感心し、食事に出るおかずは魚も肉も野菜もキムチだらけで、真鍮の食器と箸も、ご飯が麦飯だったのも珍しかった(白米だけの銀シャリは法律で禁止されていた由:それほど貧乏だったのだ)。喫茶店で飲んだコーヒーは薄くてまずかった(今考えると、アメリカンだったせいかも。当時日本ではフレンチ焙煎が普通だった)。釜山から慶州への鉄道料金がやたら安かったのにも驚いたし、行く先々のお寺で秀吉のときの「日本の侵略で焼き払われた」という表示に恐縮して、当時最高紙幣だった500ウォン札(私はそれを輪ゴムで束ねて持っていた)を寄附して歩くはめになって、連れに呆れられもした。

 板門店にはソウルの宿舎(YMCA)仲介のバス・ツアーで、別のホテルのロビーに集合して行ったが、アメリカ軍の丸見えトイレにビックリしたり、米軍兵士による事前教育で平和ボケを払拭させられ、これはいい体験だった。しかし、帰りの車中の後部座席で初老の男性現地添乗員(韓国人)と若い日本人男性が堂々と夜の女性の交渉をおやりになっているのを聞くに及んで、さすがに鈍い私も、売春が「国策」なんだ、日本人から円を搾り取れるだけ取れということなんだ、とようやく気付いたのだった。

 今思い返すと50年近く前の世界だったが、こういったことが私の韓国体験であった。なので、このところ韓国が従軍慰安婦をぐちゃぐちゃ言いつのるのが、私には半分不思議だった。あの当時、産業力のない発展途上国(ありていにいえば後進国)にとって、観光業はそんなに元手がかからず現金稼ぐいい商売なのだ、といわれていて、日本での韓国イメージといえば「キーセン(妓生)・パーティー」で、日本人のおじさんたちは大歓迎されていて、買春めあてで大量に韓国や中国に送り込まれていたはずの時代だったのだ(アジア全体がそんな状況だったのかもしれない)。それには触れず、否、忘れたふりしての「慰安婦」問題?、いい加減にしてよ、というわけ。日本バブル期のそういうことを、日本のマスコミも触れようとしていない健忘症も、私には不思議な現象なのであるが。

 そんな思いを深化してくれる記事が目にとまった。「80年代末に激写、韓国「反日・親北」に走る原点:秘蔵写真で振り返る「今の韓国のリーダーたちが学生だった頃」」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63104?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)。 

 私と同世代の韓国人にとって、あのころの日本人男性は国辱ものだったのだろう(戦後日本にもパンパンと呼ばれる女性たちがいた、私に実見した記憶はないが)。70年代といえば朴正熙の時代だったが、そういうことに気付かせてくれたわけである。おそらく彼らの嫌日体験の原点はすでに歴史になってしまっていた「従軍慰安婦」にあったわけではない。それは責め(攻め)やすいからのスローガンで、実態は70年80年代の国辱体験にあるのではないか。

 であれば、と思うのだ。我らの世代が消え去ればひょっとして対等な時代がやってくるかも、と。我ながら楽観的過ぎる気がしないでもないが、そうあってほしいと思ってる。

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