ウイルスとの共存:世間的常識の危うさ

 大昔定期購読していたせいか、National Geographic2021年2月号の宣伝がメールで送られてきた。

本当はもう一つの特集「新天地を目指す女性たち」も興味深い

 特集のひとつが「ウイルス:その謎だらけの世界」で、その副題そのものがその内容を表している:「多くの命を奪うウイルスがある一方、命を育み守っ てくれるウイルスも存在する」。  

 メールで送られてきた紹介文(特集の冒頭)を添付しておきたいところだが、ここでは遠慮しておく。ウイルスなしには現在の人類も存在していなかったとい う視点は、私にはひじょうに新鮮だった。 こういう逆転的視点が大好きである。

【追記】本号にはコラムとして「進化する宇宙のトイレ」と、米国で南部連合を讃えるモニュメント撤去の動きにも触れられている。こういう動きを知らなければ真のアメリカを把握できないであろう。

 今日もこんな情報が飛び込んできた。こっちはウェブ記事なのですぐに読めます。「新型コロナで日本の死者はなぜ減ったのか:感染対策の効果はコロナの被害より大きかった」(https://miu.ismedia.jp/r/c.do?1qa1_kmC_2zR_sds)。

 私見では,厚労省が人口動態統計の推計公表をなぜやめているのか、が不明だが、犠牲者が少ないのはとりあえず朗報である。実は私もこの冬、インフルの予防接種もしていないのに、めずらしく風邪を引いていない。それらしくなったらすぐにルル飲んだりしているし、外出時にマスクもしているせいだろうか。今後の検証を待ちたい。

 上記と同じウェブに以下の記事が。「京都芸術大学ヌード「わいせつ」判決のトンデモ度」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63963?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)。つい読んでしまった。皆さんはどうお考えになるだろうか。私は人間には根源的に抜きがたく「性欲・食(排泄)欲・名誉欲・金銭欲」といった欲望があって、これらは人類たるもの永遠に内在し続けるという視点から、所属大学でそんな画像を多用して授業を教養課程から行っていた。その片りんはこのブログを読んでいただければわかるはずだ。上記記事を書いた伊東乾氏からすると、だいぶあぶない綱渡りをしていたことになるのであろうが、学生のだいたいの授業感想は「これこそ大学の授業」といった肯定的なものだった。実に、理解力に富んだ学生たちであ〜る。いや、お上手といえばお上手なのだ。不快なら受講をやめればいいだけのこと、中にはそんな学生もいたかもだが、沈黙して去った学生の情報はこっちにはつかめないわけで。そもそも日本とは異文化世界の古代ヨーロッパ文化史を学ぼうとするのに、自称日本的基準を適用してどうするの、だったら日本史やりなさい(実は我が国でも、一歩踏み込むとご同様だったりするのだが。私もそうだったが二十歳風情は知らないことが多い)、歴史学が現実から目を塞いでどうする、と私はいいたいのだが。

 二十五年勤続して、例外的に最終段階で「セクハラ」という表現とった女子学生がただ一人いた。彼女は、あろうことか別に勧誘したわけでもないのに、私のプレゼミ・ゼミに参加し、卒論段階でも私が勧めたわけでもないのに自分から古代ギリシア・ローマの性生活なんてあぶない題目を選び(繰り返す、私から勧めたことは断じてない:あっちからすると媚びを売ってるつもりだったのだろう)、挙げ句2年生段階から自分の発表担当となると必ず無断欠席、卒論用の英語文獻もろくに読めなかったので提出できず、2年段階からの単位が不足でもう留年しかないねという段階で、たぶんボーイフレンドの入れ知恵だろうが(一緒に面接に来たことあったので知っている)、学内セクハラ委員会に電話して私をほのめかし、だが正規の申告直前で引っ込めたらしい(それを私はだいぶ後になって知った)。そう脅せば恐れて単位出すはずだとの思惑だったのだろうが、おっとどっこいこっちはそんなこと全然知らないし(セクハラ委員会は当事者の教員には何も知らせない:これはこれで問題だと私は今でも思っている)、よろず波風立ててでも受けて立つ覚悟でやっている無謀きわまりない存在なので、女親が時の学科長に文字通り泣き込んで、女の涙に弱い学科長が、私から彼女を引き取りうやむやにして卒業させてしまった。とにかく私の部屋から出たら件のお友達と笑顔で話しているのを目撃しているので、親子揃って演技ということも私にはバレバレなのだが。私はこんな理不尽とはとことん戦うつもりだったし、私のゼミ生たちにとっても、彼女は担当のゼミ報告はきまって無断欠席するしと、悪評紛々の存在だったのだ。これを思い出すと今でも胸くそが悪くなる(おっと、伊東氏の興奮が乗り移ったようだ(^^ゞ)。学生の中にはこんな輩もいて、卒業間際に「先生の単位だけです、チャンスをください」とあちこち廻っている者がいる。賢い教師であればあるほどこの煩わしさからさっさと逃げちゃうわけ。

 森元首相の言動が問題となっているが、私の体験では、ごく普通の日本人はよろず忖度なしで突っ走ることはめったにない。いいのか悪いのは別にして、そっと消えてゆくということは言えるように思う。もちろん例外は存在する。否、突っ走るメンタリティーのほうが男女いずれにせよ例外的存在か。特に我が国においては(テレビコマーシャルのテロップ「但し本人の個人的感想です」と入れておくのが無難だろうね)。

 あと、世情に抗してこれだけは入っておきたい。男女差は明確にある。だから男女なのだ(これはグレーゾーンの人たちを排除するという意味ではなく、範疇論的な意味ででだ)。脳とホルモンの問題だから、どうしようもない。最も身近な具体例は、私と妻との衝突で日常的に体験しているので、私にとっては事実なのだ。これを疑う人は以下をご一読いただきたい。アラン・ビーズ、バーバラ・ビーズ(藤井留美訳)『話を聞かない男、地図が読めない女』主婦の友社、2002年。13年後に新装版が出たようだ。宣伝文句に「異性の友だち、恋人、結婚相手・・・、大切な人と些細なケンカが絶えない方は、これ1冊で解決!」とあるが、私にとってこれも古代、もとえ誇大宣伝であった。

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世界キリスト教情報第1567信:2021/2/1;複雑な生命倫理問題

= 目 次 =
▼バイデン大統領、中絶支援団体への助成禁止を撤廃
▼ポーランドで人工妊娠中絶禁止法施行以来抗議デモ続く
▼教皇が3月イラク訪問時にシーア派最高権威と会談へ
▼韓国キリスト教団体「インターナショナル・ミッション」の学校でコロナ集団感染
▼韓国の新規コロナ感染者497人、宗教施設での拡大続く
▼韓国が社会的距離規制延長、新型コロナ感染の新たな波警戒
▼ポルトガル議会が安楽死容認法案可決、カトリック教会が強く反発
▼古代エジプトの遺物約5000点が米博物館から返還される

 今回は2つたまさかよく似た内容の記事が。生命倫理に関するほうを紹介しておこう。禁止すれば地下に潜ってむしろ危険になるだけだし、承認すれば濫用する者が必ず出てくるし。一般論ではなくて個別事例をきちんと検証しないとなあ、と思う。いずれにせよ際限のないモグラ叩き。

◎バイデン大統領、中絶支援団体への助成禁止を撤廃
【CJC】ジョー・バイデン米新大統領は1月28日、人工妊娠中絶について米国外で助言や医療機関の紹介を行う国際的な非営利団体(NPO)に米政府が資金援助することを禁じた「メキシコシティー政策」を撤回する文書に署名した。中絶は米国の世論を二分する問題で、大統領就任からわずか数日で政治的な反発が広がる恐れもある、とAFP通信が報じている。
 バイデン大統領が署名したのは、毎年恒例の妊娠中絶反対デモ「マーチフォーライフ」が行われる前日。文書には「米国と世界の女性と少女の性と生殖に関する健康と権利を支援するのが、わが政権の政策だ」と記されている。
 バイデン氏はまた、ドナルド・トランプ前政権下で施行された女性に妊娠中絶を勧める米国内の家族計画クリニックへの政府の助成禁止についても、見直しを命じた。
 バイデン氏の支持基盤である民主党の支持者らの多くは、中絶の権利を支持している。ただ、バイデン氏は敬虔(けいけん)なカトリック教徒で、カトリック
教会は中絶に断固反対の立場。バイデン氏はこれまで中絶問題には慎重な姿勢を取り、中絶という言葉にもめったに言及してこなかった、とAFP通信。□
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◎ポーランドで人工妊娠中絶禁止法施行以来抗議デモ続く
【CJC】英メディアBBCが、ポーランドで、ほぼ全ての人工妊娠中絶を禁止する法律が1月27日施行されたことを報じている。今後は強姦や近親相姦による妊娠や、母体に危険がある場合のみ中絶が認められる。
 欧州でもポーランドは、カトリック教会の影響が強く、昨2020年10月、胎児に障害があった場合の人工妊娠中絶を違憲とする判決を憲法裁判所が下して以来、反対の声が強まり、1月27日の施行以来、抗議デモが首都ワルシャワなど同国全土で続いている。□
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◎ポルトガル議会が安楽死容認法案可決、カトリック教会が強く反発  
【CJC】パリ発時事によると、ポルトガル議会は1月29日、医師の薬物投与による「積極的安楽死」を認める法案を賛成136、反対78、棄権4で可決した。マルセロ・レベロデソウザ大統領の承認を経て成立するが、大きな影響力を持つカトリック教会が強く反発しており、大統領の判断に注目が集まっている。  現地紙プブリコ(電子版)は、安楽死を目的とした外国人の流入を阻止するため、18歳以上の精神的に健全なポルトガル国籍保有者と合法的居住者に対象を限定する、と報じた。病気から回復する見込みがなく、極度の苦しみを抱え、複数回にわたり安楽死を要望していることが要件という。 
 ポルトガルのカトリック司教会議は法案可決後、声明を発表し、「悲しみと憤慨を表明する。新型コロナウイルスの感染拡大が人命の貴重な価値について与えた教訓を否定している」と非難した。□
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音姫さまをめぐって:トイレ噺(22)

 以前(2019/10/14)イタリアがらみでちょっとだけ触れた朝日新聞の郷富佐子さん、その後どうされているのかと思い立ってぐぐってみたら、2020年段階で日本にかえって3年目となっていらっしゃった。で、彼女が書いた記事をひとつ紹介しておきたい。これって無料で読めますよね。

「のっけからトイレの話で恐縮ですが……」(2018/6/13)(https://globe.asahi.com/article/11553212)。ここでは文化比較論の前半は省略して、後半だけ念のため転載してみます。

日本のトイレは世界の関心事 

4月17日のイギリス英国メディアのガーディアン(ウェブ版)に、こんな見出しのニュースが載っていた。

「中国の『トイレ革命』を日本が支援へ」

見出しに続き、太字で「ハイテクトイレの国が、習近平(シーチンピン)国家主席が目指す中国全土のトイレ改善に技術的支援を申し出た」とあった。

中国の「トイレ革命」を伝えるガーディアンのウェブサイト

もともとは昨年12月、自民党の二階俊博幹事長が北京にある中国共産党の中央党学校を訪問した際、日中間の協力強化を表明したのが発端だったらしい。協力分野に、トイレの衛生と質の向上を含めたという。

調べてみると、習主席はこの分野にかなり熱心なようだ。2014年12月に初めて「トイレ革命」に言及しており、「揺るぎなく推進せよ」と指示を出している。中国に駐在する朝日新聞の特派員も昨年、「習近平が旗を振る『トイレ革命』」というデジタル向けの記事を書いた。

上海市内のTOTOのショールーム=2017年1月、冨名腰隆撮影

 確かに、洗浄機付きのトイレは日本が誇れる優れた発明品だと思う。日本で暮らした外国人が、帰国するときに「アレを持って帰りたい」と言うのを何度も聞いたことがある。実際、少しずつではあるが、海外のホテルなどでも広まってきていると感じる。

一方で、同じハイテクトイレでも「音消し機能」の方には違和感を覚える外国人は多い。確かに、これまで100近い国や地域を旅してきたが、日本以外で普及している国はひとつもなかった。

トイレの「音」をめぐる比較文化論

最近、羽田空港の荷物受け取りエリアで女子トイレに入ったとき、こんなことがあった。

早朝着の便だったせいか、女子トイレで先客はオーストラリア人の母娘だけだった。すごく元気な女の子は4、5歳くらいか。お母さんが「ママも一緒に入ろうか」と申し出たが、自信満々で「ノー。一人でできるから」と断った。

ところが個室へ入り、ドアを閉じたとたん、「ザザザザザー」という、あの音が。

「ママ!この音、何? 変な音がする」と叫ぶ女の子。焦ったお母さんは、ドアを叩いて「早く出てきなさい!」と命じた。

これは緊急事態だと感じ、思わず助け舟を出した。

「これは排泄音を消す音ですよ。日本の女子トイレには、だいたい付いている機能なのです」

お母さんは「そうなんですか。でも、ずいぶん大きな音ですね」と驚きつつ、ややほっとした様子をみせた。

なんとか用をすませて個室から出てきた女の子は、心配で待っていた私のところに来て、真剣な表情で質問をぶつけた。

「あれは、おしっことかうんちの音を消すためのものなの? 聞こえたらいけないの?」

お、そうきたかと思った。

「個人的には、いけなくないと思う。自動じゃなくて自分でボタンを押すタイプなら、私は押さない。でも日本では、おしっこの音を『恥ずかしい(embarrassing)』と思う人が多いのよ」と答えた。女の子は、「恥ずかしい……」とおうむ返しに言い、じっと考えているようだった。

 日本通のイタリアの友人は、「あのマスキング音の方が、『本物』よりずっとヘンな音ではないか。オープンな電車内で化粧するのは平気なのに、超プライベートな空間のトイレの個室内で出す排泄音が恥ずかしいなんて、日本人は不可解だ」という。どうだろう。

逆に知人の日本人女性はオーストラリア旅行中、音消しに困って排泄中にも水を流してごまかしたそうだ。この機能はもともと、排泄音を消すために何度も水を流すのを避けようと、節水目的で1980年代に発明されたとも聞く。

でも、乾燥大陸で慢性的な水不足に悩むオーストラリアでは、「あんたが出す音なんかどうでもいいから、貴重な水を無駄にしないでくれ」と怒られそうである。

私は入ったことがないが(当然だ)、聞くところによると、日本でも男子トイレだと音消し機能が付いていないことが多いようだ。ならば、これは日本の女子トイレ特有の機能なのだろう。

「恥ずかしさ」の基準は、国によってかなり違う。このあたりをトイレ的観点から、比較ジェンダー論としてまじめに研究してみたいような気もする。

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 はい、男子トイレに音姫さまはいらっしゃいません。どころか、男女共用の私の自宅には乾燥ボタンもついてますが、わが以前の職場の男性トイレにはそれもついてません(ばかりか、水量や温度の調節機能もない)。とはいえ、私は乾燥ボタン使ったことがない。依然としてトイレットペーパーで水気をぬぐっている守旧派である。紙資源のこと考えたら乾燥させたほうがいいいのだろうが、早飯早糞がモットーのワンゲル気質のせいだろう。そういえば、洗った手を乾かす機械(現在はなぜか使用禁止になっているが)も使ったことがないなあ。

 とまれ、他にも彼女は、安全なはずの日本でのチカン問題、五輪と政治問題、などに相対的視野から触れ、固定観念増幅の記事になっていないかという視点から論じていて、私にはとても示唆的なのだが、それが時に自ら身を置いているマスコミ批判にも直結しているところがすごいと思う。ところで気になったのは、彼女の記事が2019年2月20日で途切れていることだ。時期的に年度末なので、ひょっとしたら退職されたのか・・・。私は彼女の隠れファンなので、第二の人生でのご活躍を心よりお祈りしております。

【追伸】2021/2/17:広島駅で男子トイレに入った。そこには「ビデ」も「音」も、調節類もあった。

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使徒ペトロの痕跡?:Ostia謎めぐり(5)

 オスティア遺跡には、色々の宗教施設の痕跡も発掘されていて、各種東方密儀宗教のほかにも、キリスト教教会堂跡とユダヤ教シナゴーグすらあるし、墓地においても古来の火葬墓と3世紀以降の土葬墓の両系を見ることもできる。ここでは、そういう公然とした施設ではなく、私邸においてキリスト教の痕跡とされているものを紹介したい。問題の場所は、III.ix.1の「ディオスクリ(ディオスクロイ)の邸宅」Domus dei Dioscuri である。Russell Meiggsはこの邸宅の持ち主に、355年の道長官で、365/6のローマ都市長官だったC.Caeionius Rufus Volusianus Lampadiusを想定している(Roman Ostia, second Ed., Oxford, 1973, p.212)。そして、彼の一族は北アフリカに所領をもっていたこともあり、本邸宅のモザイクも若干平面的な北アフリカ風であるとしている。

 ここには我々の2009年夏の現地調査時に堀賀貴・九州大学教授のグループの3Dレーザー測量が入り、下図の「I」(大広間)が実測された。そこはいつ訪れてもほぼ完璧に床は保護シートと土砂によって隠されていたが(ところがいかにもイタリア的現象なのだが、一応隠しているが見たいと思うところは見ることできたりするのだ。中央部分だけいつしか破れていて、おやおやまあそこがこの部屋のモザイクのもっとも肝心なVenus Anadiomeneの顔の部分で、まさしくそこだけ覗けるようになっていたのであ〜る。勝手知ったる誰の仕業か、観光客にとってありがたいことだが、笑うしかない)、この調査のため土砂があらかじめすっかり取り除かれ、私が訪れたとき,縦横10m超の鮮明な多色モザイク舗床全体が夏の強烈な太陽のもとに晒されていて、若干立体感には乏しかったがそれなりに壮観であった。その全景は堀教授のウェブで見ることができる(現在は一時的に見れなくなっている:是非以下の報告も参照してほしい。モザイクの製作工程解明にも触れていて、なにより分析視角が斬新なのだ。堀賀貴「オスティア・ディオスクロイの家におけるヴィーナスを描いたモザイクの制作過程に関する復元的考察:オスティア・ローマ都市研究1」『日本建築学会計画系論文集』第77巻第671号、2012、pp.173-181:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/77/671/77_671_173/_article/-char/ja/)。

上が北:この大広間は南北10.6m×東西10.3mのほぼ正方形の広さ
西南から撮影(2009/9/7):奥の中央右が「L」の出入口
上が西(堀研究室提供の平面加工図):銘文はシュロと月桂冠の間に「PLVRA FACIATIS[・・・]MELIORA DEDICETIS」(汝らより多く[・・・]をなせば、汝らより良きもの[財産]を申告できよう)

 ところで「紹介したい」と書いたが、実は私はそれをこの目で現認することができたわけではない。その存在が報告されていて、その実見を希望したのだが、遺跡管理事務所から何の返答もなかったので、なにか不都合あるのだろうと忖度して引き下がるしかなかったのだ。

 この邸宅のモザイクに興味を持つようになったのは、私の当時のもうひとつの研究対象、ウァチカン・サンピエトロ大聖堂の地下マウソレオのCampo Pの「壁面G」上の落書きがらみで、あの押しの強い碑文研究者Margherita Guarducci女史編纂の史料集掲載の写真に出会ったのがきっかけである(I Graffiti sotto la Confessione di San Pietro in Vaticano, Vatican City, 1958, p.411:この本、現在山積みの梱包発掘調査中 (^^ゞ )。そこには、イエスの筆頭使徒ペトロ(彼はイエスから天国の鍵を授けると言われていた:マタイ福音16.13)の名前(PetrosのPとE)で鍵を暗示した組み合わせのキリスト教的モノグラムが読みとれる、とされる写真が掲載されていた。かく、グアルドゥッチ大先生はローマ首位権論者なのであ〜る。

典拠:Margherita Guarducci, La Tomba di Pietro, Roma, 1959
Giovanni Becatti, Mosaici e pavimenti marmorei, Scavi di Ostia, IV(Text), Roma, 1953, p.115-6, n.214;cf., SO, IV(Tavole), Tav.XLVII, n.214:DOMUS DEI DIOSCURI.

 このキリスト教シンボルとおぼしきモザイクは部屋「I」にではなくcubiculum「L」の西壁際の一角に黒地に白のモザイクで穿たれていて、そばにシュロの葉が添えられている(Angelo Pellegrino, Ostia Antica:Guide to the Excavations, Roma, 2000, p.57:ここも保護用シートと土砂で覆われ床モザイクは見ることできない:管理事務所としてそこまで保護土砂を掘る用意がなかったのかもしれない)。この邸宅の名称のもとになったのは部屋「H」の床モザイクに航海の守り神であるディオスクロイが描かれているからであるが(「使徒行伝」28.11:「(パウロが乗船した)この船はディオスクロイの印をつけていた」)、よって家主はもともと貿易商か船主ではないかとも想定され、研究者によっては、モザイクはその家、その部屋にペトロが滞在した記念にはめ込まれた、とまで想像をたくましくしてゆくわけ。

ディオスクロイとは「ゼウス神の双子の息子たち」の意。

 ちなみに、この邸宅の現状は壁体から2世紀以降の建設と考えられているので(ちなみに、ウィーナス・モザイクは4世紀後半の作)、紀元後64ないし67年頃処刑死したペトロの事績が、どうしてこの部屋と結びつけ可能なのか、私には納得できない。むしろ、キリスト教徒のモザイク師(だいたいが奴隷だったはず)が隣室の華美な異教的造形に対し、密かにそして控え目に対抗して埋め込んだとする説(Becatti, op.cit. (Text), pp. 115-6;Carlo Pavolini, Ostia, Bari, 1983, p.160)のほうが妥当な気がする。こういうところ、多分にイタリア人好みのストーリー性がかった感じもしないでもないが。グアルドゥッチ女史と異なる全くの別説としては、PEを、pe(rpetuo)=「永遠に」、p(raemia) e(merita)=「恩賞に値する」、p(alma) e(t) l(aurus)=「シュロと月桂樹」等といった非キリスト教的な読み取りもあって、まだ決定打に至っていないように思う、というよりこっちのほうが一層中庸的解釈とも思えるんですけどねえ、グアルドゥッチ先生。

【補遺】次の写真は2003年夏撮影のもの。いつ行ってもこんな調子だから写真もほとんど撮っていない。

奥の左側出入口が「L」で、右が「M」
実測直前の大広間「I」を北西から見る(2009/9/1):中央がめくれている;奥の出入口は左が「M」で、右が「N」

【付論】もうすぐしたら堀教授編著の論文集が出る。彼とはここ10年、Pompeii, Ercolano, Ostiaの調査でご一緒させていただいたが(何を隠そう、彼の遺跡実測能力が我々の調査を可能にしてくれてたわけ)、彼はそれ以前からPompeiiでの調査をしていて、私のような建築学に疎い文獻学徒にとっては有難い現場教師だった。私は同行中の彼のさり気ないつぶやきから学んだことが多い。たとえば、以下の写真のような階段遺構が意味すること、それは邸宅内の「内階段」と街路に面した「外階段」の違いから住居人を区別するという、考古学や建築学では初歩中の初歩の知識であろうが、私にとっては不意を突かれ、とても新鮮な指摘だった。

左は外階段(エルコラーノにて2016夏):踏み台が高すぎてベンチと化している。駄馬荷下ろし専用かと思ってしまう;右はポンペイ(I.vi.15)の内階段

 これまでの自称研究者たちの論述(その多くは横文字からの剽窃)と比べての彼の最大特徴は、継続的現場主義ということだろう。二〇年近く毎年現場を訪れて、3Dレーザー測量を武器に実測を実施してきた。継続的に現場に立つということは、行きずりの研究者には不可能な、あれはどうしてなのかという疑問の持続と、実測データの検証をもとにした、ああでもないこうでもないという無数の仮設の挙げ句の、あるときひらめくオリジナリティーに富む解答にはじめて到達可能、ということなのだ。定点観測的な年期というものが研究の深みに絶対必要、との私の確信もそういった体験から生じている。

 だからそれは借り物の知識ではない。こんな体験もある。Ostiaでかろうじて一階部分の壁体が残っている場所で、彼は「この壁は45センチですので、おそらく二階ないし三階建てだったったのでしょう」と言った。そこで私は一階建てだと壁は30センチあれば十分だが、上階があると45センチ必要で、60センチなら三階以上あったと見ればいい、といった豆知識を獲得することができたわけである(結果的に、これはローマ尺単位と連動しているというおまけ付きでもあった)。で、数年後、今度は私が彼の前で「ここ45センチなので」と訳知り顔で紋切り型知識を披露したら、「そう言われているけど、本当でしょうか」ときた。常識を押さえつつも、彼はなにごとによらず鵜吞みせずに反芻していることが、それでわかった。

 こんなことがたび重なるうちに、オスティア遺跡全体の実測調査が一応完了した数年前から彼はとんでもないことを言い出した。オスティアは水没を前提に立てられた古代都市である、と (2014年1月31日の冠水写真参照:https://www.ostia-antica.org/archnews.htm。実は彼もこれを現地で目の当たりにしているのを、私は彼からの報告で知っているが、当時の責任者との約束を堅く守って未だ彼は口外しないので、私がしゃしゃり出ておこう)。

このときは20センチの冠水でこの有様だった(左は東西大通り、右は劇場内)

それをポイント箇所を回りながら滔々と開陳される。無知な私は気のきいたこともいえず、ただ黙って聞くだけだったのだが、そんな私でもそういえばと気付いたことがある。「ユピテルとガニメデスの邸宅」(Domus di Giove e Ganimede:I.iv.2)出入口の敷居の高さなど、どう考えても普通ではないのだ。南北のその角地付近と東西のダイアナ通り北側の高さは、とてもでないが踏み台がないと入れはしない。すなわち人間工学的に作られたのではないことが明白である。もひとつ、私もずっと「?」だった構造物が「七賢人浴場」のそばにあるが、その謎解きは堀先生の著書のおたのしみにとっておこう。こうしてみると水没を前提にしているという説はなるほど説得力がある。しかも世界レベル的に新見解なのである。それを可能にしたのは遺跡全体のレーザー測量データである。

左写真の左奥が「ユピテルとガニメデスの邸宅」出入口で木造の、右写真がダイアナ通り北側で、展望台への階段場所のみに石の踏み台が現在設えられている:昔はすべての出入口にあったはず

 そうそう、「ユピテルとガニメデスの邸宅」についても触れなきゃ。この作業で思い出してしまったが、書き残しておきたい話はまだまだ一杯残っている。でも写真の整理だけでもたいへんという現実もある。

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BS1スペシャル「原子の力を解放せよ」:遅報(66)

 今朝起きて、年度末に向けて入試期間開始までに終えていきたい科研事務があるので大学に行こうとしてテレビをつけたらやっていた・・・。とうとう前後編見てしまったので、登学は午後に延期である。

 昨年の8/16の放送の再放送らしい。副題は「戦争に翻弄された核物理学者たち」。その中でも利用されていたテレビ・ドラマ「太陽の子」も同時期放映されたらしい。私はこのとき何をしていたのやら、ぜんぶ見逃している。ぐぐってみたら、以下にPart1だけだが、なぜか無料でみることができる(https://www.dailymotion.com/video/x7vocl2)。

 研究者が開発後の悲惨な状況にたいして苦悩する姿も出てくるが、こういうものを見ているとさてどう考えるべきか、と思いをめぐらさざるをえない。一口に研究倫理といっても、ねえ。ドラマでよく包丁やナイフが殺人の凶器になっているが、だからといって刃物を発明したり作製・販売している人が追求されたり苦悩したりする話はないだろう。実に便利な道具だから人類全体が日々使用しているわけで、問題はそれをごくごく一部の者がたまたま悪用しただけのことだ。これが銃器、兵器になると様相が変わってくることになる。しかし結論はでない。自衛のためか攻撃のためかといったところで、実際には両方の場合に使用可能なのだから。便利と残酷は表と裏にすぎない。ちょうど旧約聖書でヤーヴェと悪魔が表裏一体で表現されているように。こういったところは、聖書記者の実に卓見である。

 湯川秀樹は戦前の業績に対して1949年のノーベル物理学賞を授与されたが、今回の放映を見た後では、考えてみるとたいへん皮肉な人選だったように思わざるをえない。被爆国でも核爆弾の研究やっていた研究者がいたこと、それを受賞で全世界的に公にしたわけだから(当時のメディアはそっちには目をつむって、水泳の古橋廣之進と同列に、もっぱら煽ってだけいたのだろうが)。いまさらながらなにかしらの意図を感じてしまうが考えすぎだろうか。

 悩むくらいだったら、そんな研究しなければいいだけのことだ。研究の神秘に魅入られたら後先考えるまでもなく突き進む以外にない、これが研究者のサガである。研究者も人間だから名誉欲に駆られもするし。否、研究成果の独占、それしかないかも。いまさら一から始めることなんかできないし。

 問題が生じたらそこで対処するしかない。その時どこかの研究者のように政府や大企業の代弁者になり、データを捏造したりすれば、それは研究動機の下劣さを後世に残すだけのことである。

 さて、登学しなきゃ。マスク、マスクと。

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世界キリスト教情報第1566信:2021/1/25;現場主義のお勧め

= 目 次 =
▼「来て、見なさい」=世界広報の日に向け教皇メッセージ
▼核兵器禁止条約発効、バチカン外務局長「共通善を目指して」
▼バチカン銀行元総裁、公金横領と資金洗浄で禁錮8年11月
▼ロシアで今年も無病息災願い極寒の海で沐浴
▼エチオピア正教会が18日に公現祭
▼韓国の新規コロナ感染者が再び400人台に=宗教教育施設で集団感染
▼マドリード中心部で教会保有の建物が爆発し3人死亡

 今日は最初のメッセージを。

◎「来て、見なさい」=世界広報の日に向け教皇メッセージ
【CJC】教皇フランシスコは、5月に記念する「第55回世界広報の日」に先立ち、メッセージを発表した。公設バチカン・ニュースが1月23日報じた。
 カトリック教会の「世界広報の日」は、日本では、復活節第6主日に記念される(今年は5月9日)。
 今年のテーマは、「『来て、見なさい』(ヨハネ1・46)人々との出会いを通し、ありのままを伝える」(仮訳)。
 教皇は、このメッセージで、既存の情報に甘んじたり、机上の情報収集のみに陥ることなく、自ら行動し、出かけ、出会い、見聞きし、現実から感じ取ると共に、福音の告知の歴史のように、人と人、心と心の出会いを大切にした広報・報道の在り方を提示している。
 教皇は特に、今日、コピーされた情報や、あらゆるメディアで流れる同一情報、前もって準備された情報が、取材やルポルタージュなど「靴をすり減らして得た情報」の占めるべき場を奪っていることに懸念を示した。
 ヨハネ福音書で、イエスの弟子となったフィリポは、ナタナエルと出会う。ナザレの人、イエスとの出会いを語るフィリポに、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言うと、フィリポは「来て、見なさい」と言った
(参照=ヨハネ1・45~46)。
 ナタナエルはイエスに会いに行き、その時、彼の人生は変わった、と教皇は記し、キリスト教信仰は、このような直接の出会い、経験から生まれていった、と述べている。
 教皇は、世界がパンデミックに覆われたこの時、地球の各地の多くの現実を「来て、見なさい」とコミュニケーションに携わる人々を招いている、と強調
した。
 パンデミックをはじめ他の危機を語る時、豊かな世界の視点だけから語ることなく、貧しい人々の現実や、また恵まれた社会の中の隠された貧困にも目を向けることを教皇は願った。
 また、教皇は、インターネット上の様々なソーシャルメディアが、物事を伝
え、分かち合う能力を広げる一方で、事実確認のない情報流布の危険をも指摘された。
 2000年以上にわたり、キリスト教の魅力は人々との出会いの中で連綿と語り継がれてきた、と述べた教皇は、人々との出会いを通し、そこで見たままを伝えていくことが、わたしたちのこれからの挑戦となるだろう、と記した。□
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うんちビジネスの今:トイレ噺(21)

 これも偶然だがようやく知った。2018年あたりから話題になっているようだ。「「便はダイヤモンドより価値がある」:起業したサッカー元日本代表の挑戦」(https://mainichi.jp/articles/20210122/k00/00m/050/229000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210125)。

 ググって見たらウンチビジネス関係がかなりアップされている。腸内細菌がらみで、「茶色いダイヤ」とかアプリ「ウンログ」の開発とか・・・(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/ni150.php)。2013年には「日本うんこ学会」も結成されていたようだ(https://unkogakkai.jp/about-us)。ま、トイレ止まりの私はそこまで遡及追跡する予定はないが。

 以前、『うんこ漢字ドリル』が大ヒットし、類似商品が色々出た。これも立派なウンチビジネスかも?。今回ちょっと調べてみたら面白い動きがあった。一つは絵本、も一つはトイレ専用カレンダー。

 リビー・ドイチュ作、バルプリ・ケルトゥラ絵『旅でみる世の中のしくみ大図解』ポプラ社、2020年;(株)イオンファンタジー編集『Whose poo? だれのうんち:2021 CALENDAR』。後者はどうやらアンケートに回答したらもらえた非売品らしい。私はヤフオクで手に入れた(まだあるようですよ)。我が家でもトイレにぶら下げようかな。でも具象的でないので、便通に悪いかもね。

【付論】失せ物探しで梱包を探っていて出てきた。↓ 観光大国イタリアでは「Pisello(ちんこ)ビジネス」もありなのだ。一年間住んだのがナヴォーナ広場だったからいやでも目に入る。なかでも、ミケランジェロ作ダビデ像の前掛けなど、さすがの私も恥ずかしくて買えなかったものもあったが。

 ここで紹介するカレンダーは縦12cmの小さな1994年版だが、表紙は件のダビデ像のもの。月別であれこれ写真が変わる。カレンダーだけ代えて今も販売されているはず。右はトレビの泉の土産物屋で同行の女子学生がみつけたちんこパスタ(正直、私の眼にはとまらなかった、信じないかもだが本当である)。私は教材用に買って保存していたが、彼女は日本に帰るなり食したそうだ。文字通り肉食女子! 

 

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40年振りに公開:パラティヌス丘Domus Tiberiana

 久し振りに恒例の考古学ニュースのチェックをしたら、今年の後半に、 パラティヌス丘の中のDomus Tiberianaが40年振りに公開されるそうだ。ここは現在ファルネーゼ庭園となっている場所であるが、新発掘の部屋やプールも含まれているらしい(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/01/romes-domus-tiberiana-to-reopen-after.html)。私的にはDomus Augustianaのほうを公開してほしいのだが。

上が北。数字的には上図の左側中央の「17」の場所
逆に、北方向から南を見る

 秋までにコロナが沈静化していることを期待したい。

 世の中コロナ騒ぎで停滞が多いが、他にも、ポンペイ出土で国立ナポリ考古学博物館所蔵のアレクサンデル大王のモザイクが修復に入った(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/01/pompeiis-alexander-great-mosaic-set-to.html)といった情報もある。

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学術会議問題と研究者:遅報(65)

 2020/12/24の毎日新聞に過激なアンケート結果が。「任命拒否巡る国立大学長アンケ、6割超が回答せず:国の「顔色」うかがい沈黙」(https://mainichi.jp/articles/20201223/k00/00m/040/297000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201224)。

 すでに選挙制から推薦制になったりして骨抜き完了の国立大学学長に、学術会議問題でアンケートするなんて、そりゃあんまりだ。リタイアしてから日経、毎日、朝日のデジタル新聞のちょい読み契約をしているが、毎日の論調がよろず一番きつい感じして、こりゃ現役時代に購読しなくてよかったな、と実は密かに思ってたりしている(それでなくとも私は世間一般から見ておかしいらしいのだが、一層拍車かかってしまいそうで)。

 学術会議問題で思うことは、僭越ながら、華々しく首相などをご批判なさっている先生方を信じてはいけない、ということ。いま現在威勢のいい彼らはいざとなったら真っ先に敵前逃亡しちゃう可能性大なのである。まだまだ安全、このまま定年までいけると思っての言動で、彼らには「隠れへたれ」が多いはずだからだ。いつの時代でも姿形は異なっても、そういうものでなかったか。少なくとも私はそう思う。もちろん大学教員は黙して語らぬ「真性へたれ」が大部分であるが(これはどの社会でもご同様だろう)。所詮、我が身がかわいいのだ。

 私はこれを研究課題の「殉教者」になぞらえて考えていたりする。

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世界キリスト教情報第1565信:2021/1/18;劣悪な母子施設

= 目 次 =
▼コプト正教会がソーシャルメディアの「フェイクニュース」に警告
▼女性に朗読奉仕者と祭壇奉仕者への道開く教皇自発教令
▼教皇フランシスコの主治医が新型コロナウイルスで死去
▼教皇と名誉教皇ベネディクト16世がワクチン接種
▼スコットランド・グラスゴー大司教が70歳で急死
▼新型コロナ禍でカトリック司教が相次ぎ死去
▼アイルランド母子施設で子ども9000人死亡
▼米で聖書のポッドキャスト番組がダウンロード数1位に

 今回は、コロナが原因での死亡記事が多かった。寒々しい年明けである。ただ最後から2番目のものは毛色が違っているが、内容はやはりやりきれない。

◎アイルランド母子施設で子ども9000人死亡
【CJC】ダブリン発AFP=時事によると、アイルランドで国や教会が1998年まで運営していた母子生活支援施設で、子ども約9000人が死亡していたことが、1月12日に発表された政府の公式調査報告書で明らかになった。ミホル・マーティン首相は翌13日、国として公式に謝罪した。
 歴史的にカトリック教徒が多いアイルランドの「母子の家」は、配偶者がおらず、パートナーや家族からの支援も得られず、社会から厳しい非難にさらされた妊婦らを受け入れる施設だった。
 政府の母子の家調査委員会(CIMBH)は、施設が運営されていた76年間について調査を実施。その結果、施設にいた子どもの15%に当たる約9000人が死亡していたことが分かり、その数は「不穏」というべきレベルだったと指摘した。
 施設内で生まれた子どもの多くが、母親から引き離されて養子に出され、血縁関係を完全に断たれていた。□
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