ポンペイ近郊で二人の遺体発掘

 この情報、横文字で知っていて、アップしたつもりだったが・・・。日本語出たのでご紹介する。「伊ポンペイ遺跡で2人の遺体発掘 ベズビオ火山噴火の犠牲者」https://www.afpbb.com/articles/-/3317278?cx_part=logly

 ここでも無反省に、40歳の主人と若い奴隷、という物語的解説を発掘者がしているが、どうだろう。あざといことだ。

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/11/the-bodies-of-cloaked-man-and-his-slave.html

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ボクシング? またはパンクラティオン?

 まだ会員を辞めていない某学会で月報にオリンピックゆかりの短文を書かないかと言われ、かねて気になっていたボクシングに触れてみるいいチャンスと快諾した。そして4葉の写真と1250字の原稿を送ったばかりである。

 さっきテレビをつけたら「大いなる西部」(米国・1958年)をまたやっていた。そこでちょうど、東部の優男役グレゴリー・ペックと西部の牧童頭役のチャールトン・ヘストンが殴り合いをする場面があって、まあだいたいは顔面攻撃に終始していたので、昔見たときはなんで顔だけなんだ、腹とか脚とかをなぜ攻撃しないのか、と思ったものだ。今回、これって本当は古代的なボクシングの名残ではないか、と思い至った次第。

 私はもちろんボクシングについてまったくの素人である。ググっての付け焼き刃で、耳の後ろが急所だと書いてあるのを見つけて、やっぱりプロは違うなあと感心した。後述のマンガでも、近代拳闘では禁じ手になっている「腎臓打ち」があると出ていた(コミック版『暗黒伝』第5巻、29-30頁)。こういった格闘技は急所を知らずして本当は論じられないはずなのだ。

この居酒屋の床モザイク全体の俯瞰図:John R.Clarke, Roman Black-and-White Figural mosaics, NY, 1979, Fig.58.

 なお、上記月報に掲載したかったができなかった写真を載せておく。掲載できたのは、上掲のオスティア遺跡のIV.vii.4「アレクサンデルとヘリックスの居酒屋」Caupona di Alexander e Helix で、出土場所で現場保存されている白黒舗床モザイクで(但し、もちろん修復は入っているはず)、3世紀初期の作だが、それにはめ込まれている人名(ALEXANDER, HELIX)と同名の二人が別所でも登場しているのが下図で、なんと私はこの件をオスティアの案内板で初めて知った、という体たらく。

バイア城カンピ・フレグレイ考古学博物館所蔵:私は何度も訪問しているが迂闊にも出会った記憶がない

 この白黒舗床モザイクは、縦3.8m、横6.9m、三世紀前半の作で(すなわち、期せずして前出オスティアのと同時代となる)、1998年にポッツオリ(旧プテオリ)北東、メトロ駅とparco Bognarの間で、Enel S.p.A.の配管架設工事のとき出土した邸宅からの出土品(通称、villa del suburbio orientale di Puteoli)。

発掘時状況:a cura di C.Gialanella, Nova antiqua phlegraea, Napoli, 2000, p.52.

 問題の人名だが、ここでの4人の登場人物のうち3名のそれが残っている(もう一人ももとはあったのだろう:枠線が途切れている破損部分でもあるし)。現況では、左端が「ELI.X」、 一人おいて3番目が「MAGIRA」、右端が「ALEANDER」と埋め込まれている。それをオスティアを前提に、私などは左端を一応「(H)ELIX」と読み込むわけだが、別説ではその人名の右端に短いが勝利のオリーブの小枝が描かれていること、人名も末尾が「.X」と標記されているので、勝利数10回を表しているとする見解もある。ただこの別説、他の3名についてはそういった標記がないのですぐには納得しがたい。むしろ左2名の文字部分は後世の誤った修復結果のように思われる。それに、頭上での字のバランスからみて、もともと「ELI」の冒頭にもう1字あった可能性が高い(同様に右側の「MAGIRA」も末尾に1,2文字あったかもしれない)。

 また、彼らの容姿を見ると全裸で、拳を握っているだけでグローブをはめているようには見えないので、拳闘士というよりも、総合格闘技のパンクラティオン競技者のように見える。となると、我々にはボクサーに見えたオスティアの両名も実はパンクラティオン競技者だったのか、それとも競技者にとって両競技のどちらかに常に特化していたわけではないのか、もしれない。

 ところで、舞台の中央には背の高い円柱がある。円柱の前に長いナツメヤシの枝があり、これもしばしば競技の勝利者に添えられるモティーフである。円柱の上にクッションが3つ並んでいて、その上に賞金の包みが1つ置かれ、「CL」と書かれた碑文により、その金額が150デナリウスであることが分かる(下記【補論1】での換算では、約20万弱)。競技の図案には同様の賞金が時に見られる。数字が書かれている場合、賞金額と想定でき、当時の実際を再現することができて興味深いので、いずれまとめてみたいテーマである。

L’Italia meridionale in età tardo antica,Napoli,1990,Tav.LXVIIより

 更にそれらの上には、長方形の小さな柄付きパネルtabulae ansataeがあって「ISEO EVSEBIA」と書かれている。これは競技が開かれたのがイシスの神域におけるエウセベイア競技を指し示すものと想定されている。イシス神殿は町の西郊外、今は海中に没している海岸のどこかにあったと想定されている。「エウセベイア競技」というのは、皇帝アントニヌス・ピウス(在位:138-161年)がキケロの別荘があった場所に、138年にバイアエで死亡した前任皇帝ハドリアヌスを一旦埋葬したが、その養父を記念しプテオリの競技場stadiumにおいて、五年ごとに開かれていた大会のことである(https://www.napolidavivere.it/2019/09/07/visite-gratuite-allo-stadio-romano-di-antonino-pio-a-pozzuoli/;藤井慈子『ガラスの中の古代ローマ』春風社、2009年、211、216-7頁)。

プテオリ・グループの「景観カット付球状瓶」の書き起こし:最上段左端に「STADIV[m]」が見える。2008年の発掘によると馬蹄形U型の開口部は逆に右となっている;下図参照。
右の写真は、左図の赤印部分を右下から写した視点

 モザイクに帰る。下の方、円柱の左側に青銅製のモデルをかたどったクラテールがあり、中にはパピルスの花穂が二つ入っている。その器は賞品なのか、オリーヴ油ないしは競技者たちが自分の体に振りかける細かい砂の入れ物なのか、または対戦相手を決めるクジを入れていたものだったのか。オスティアの場合も、パピルスの花穂と大鉢が登場している。

 ところで月報原稿作成のためググっていたら、技来静也という漫画家が、1997-2009年 に『拳闘暗黒伝CESTVS』(コミック版で15巻)、2010-19年に『拳奴死闘伝CESTVS 』(同9巻+継続中)、を書いていることを知り、慌てて購入した。漫画のストーリーはともかく 、巻末に関連コメントもあってこれがなかなかでスミにおけなかった。 漫画家といえども侮れない、というかむしろあちら様のほうが、読者数的には研究論文をはるかに凌駕しているので、我ながら何やってんだかと思ってしまう。 才能がない者は黙って引き下がるしかないが。 

 このマンガがらみでひと言付け加えておこう。このマンガの作者は当然のこと、当時の民衆がなぜこういった格闘技に熱中したのか、にやすやすと言及していて、私にはとても愉快だった。というのは、どこかで書いた記憶があるが、このテーマを専門的に追究しているはずの我が国の(そして彼らが依拠している欧米の)古代ローマ史研究者は、それについてほとんど核心に触れえていない現実があるからだ。桜問題同様、どう言い繕おうとエビデンス(え〜、わざと書いてます)はどちらにあるのか、隠しようもなく明白のはず。マンガのほうが自称研究者たちより先をいっているのである。とはいえ、民衆の熱狂や関心がただそれのみにあったと言い切れるほど事実は単純でなかったことも確かであるが。

『拳闘暗黒伝』第一巻表紙と、その第三話「帝都ローマ」より

 まったくの別件だが忘れないうちにここに書いておこう。古代ローマの裁判をググっていて、以下をYouTubeで見つけた。中央大学の試みで今から7年も前にここまでやってたのだ、と脱帽。 ここで史料となっている書字板はエルコラーノ遺跡の「二百年祭の家」出土。

 知の回廊 第90回「古代ローマの裁判」法学部准教授・森光監修・2013/02/03(https://www.youtube.com/watch?v=HrSRmDZ5FYc)  

 これからはこういった画像を利用したリモート授業がどしどし導入されるだろう。でも一定水準以上のアニメ作成のためには相当な資金が必要だ(中央大学ではたぶん業者、というよりも卒業生を相場より格安で活用しているのでは、と勝手に想像している)。でも一度作成すれ ば長期間有効に利用できるわけで。 同じ先生の公開講座「建物を通してみる古代ローマの社会と法」2017/04/04 もあった(https://www.youtube.com/watch?v=7opdWWJ7fws)。こっちでは、その感想コメントにもあったが、著作権のせいで、授業で使われた図面や写真がぜんぜん映っていない。これが大問題で著しく迫力不足。著作権問題をクリアーするための著作権代行協会なんかを文科省が作って垣根を低くしな いと、いつまでも文字重視から脱却できないだろう。視聴者数も伸びない(事実、前者19094回;後者1582回と、桁違いになっている:発表年代の長さの違いはあるが)。

【補論1】勝利者の報酬で一番著名と思われる、チュニジアの現Sousse博物館所蔵の野獣狩りモザイク(a.250 AD、Smirat出土)の中央で、給仕がお盆上に持っている4つの袋(その各々に無限大を示す記号∞が記されている)は、1000デナリウス×4=4000デナリウスの褒賞を意味している。スポンサーとおぼしきMagerius (左図の右隅上部に上半身のみ残存)と男女神を除いて,4名の闘獣士が登場しているので、一人当たり1000デナリウスとしても、アレクサンデルたちよりも相当に高額である。ちなみに当時の価格想定はきわめて困難だが(本音をいうと、どだい無理)、試しに1デナリウスを1250円としてみると、1000デナリウスは125万円、となる(中央2コラムの情報に関する検討は、別の機会に是非ともやりたい)。

 私が知っているので最高額は、シシリアはピアッツァ・アルメリーナの南側居室入り口脇の控え室の舗床モザイク「エロスとパンのレスリング」。賞金台上には勝利の若枝が差し込まれた容器が4つ置かれ、なんと賞金の包みは台の下に数字の真ん中や上に横棒付きの「XXII d」と書かれたのが2つ置かれている(なんで台の下なのか。賞金は付けたしというわけかぁ)。一説によると、あの金額は一袋「2万2000デナリウス」を示している由なので、合計なんと4万4000デナリウスとなる(上記換算では、5500万円)。競技者らしき姿は他に見えないので、4とか2が示す数字がなにを意味しているのか、とりあえず私には解せないのだが。

 同じピアッツア・アルメリーナの、反対側のクビクルムの「音楽家と演劇者の競技」モザイクでは、上に横棒付きの「XII d」の袋が2つあり、各々1万2000デナリウス(1500万円)と想定可能である。上記ともども想定外に高額の賞金だが、これは天界でのことのせいか。

 もう一例手元にあったので。1987年チュニジアのGafsa出土で、そこの博物館所蔵のギリシア式オリンピック競技を描いたモザイク。4世紀初頭作(こら、男同士で手なんぞ繫ぐんじゃない! にしても、全体になにげにリアルな描き方で、つながれた男の緊張感抜けた腰つき、なんか匂ってくる画材だなあ(^^))。ここでは「XXV」と記した袋が4つ見える。25デナリウス×4=合計100デナリウスなのか(上記換算だと、12万5000円)、それとも各競技の勝者にそれぞれ25デナリウスなのか(3万円強)。いずれにせよこっちは安いのも、興行ではなくて神聖なるオリンピック競技のせいか。

【追記】ところで最後のモザイクについて、「ナツメヤシの若枝が賞金数を示しているでは」という質問がきたので。以下とりあえずご返答:「一番上段、左が徒競走、中央不明a、右不明b ;2段目、左が不明c、中央がシュロを持った優勝者たちと主催者たち?(目線は 右方向)、右も不明d ; 3段目は、円盤投げと、ボクシング、レスリング  ;4段目が、優勝パレード、パンクラティオン、主催者たちと賞金台、松明競走 。以上、想定10種目、不明のa-dが何かを、残存画像から定めないといけないが、 枝の数に連動させてそれを確定するのはちょっとできないように思う。た だ賞金袋は4つの背後にまだあると見るべきかもしれない。その時枝の数がヒントになるだろう。賞金台の下中央に何が描かれているのかも気になる。」

【補論2】今頃になって、アレクサンデルとヘリックス関係でようやく核心的な論文を見つけることができた。C.P.Jones, The pancratioasts Helix and Aledander on an Ostian Mosaic, JRA, 11,1998, 293-298.  いずれおいおい紹介したい(それに依拠して某学会の月報をいまさら修正するとしたら、アレクサンデルとヘリックスはパンクラティオン競技者とすべき、となる:根拠はよくよく見ると拳がグローブをしているように見えないから)。

 なおオスティアには他に競技者関係の数点のモザイクが遺存している。それにも集中的に触れたいと思っているが、さて。そしてポッツオリのモザイクの研究論文を探している。ご存知寄りからの情報を願っている。・・・と、これらは私にとって新開拓分野で、つい足を踏み入れて切りがないのが困りものだ。

 で、思い出したのだ。オスティアのモザイク文字で、死ぬ前にぜったい紹介しておきたいのがあったことを。それが以下だが、詳細と私の妄想はいずれ必ず(「あれ、まだ命があるつもり」と、陰の声)。

【補論2への追記】それらしき論文を2,3点見つけた。ひとつは、学会発表論文集所収の以下で、だが国内図書館に所蔵はないので海外発注するとしたらかなり高額となる。たかが25ページの論文に2万円。昔だったら即座に注文していたが、研究費がない身ではそうはいかない。個人的にお持ちの方からの連絡があると有難い。C.Gialanella, Il mosaico con lottatori da una villa del suburbio orientle di Puteoli, in:a cura di F.Guidobaldi-A.Paribeni, Atti dell’VIII Colloquio AISCOM, Firenze, 21-23 febbraio 2001, Ravenna, 2001, pp.599-624.

 連絡先は、以下です。よろしく:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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世界キリスト教情報第1558信:2020/11/30

= 目 次 =
▼ベルリンに3大宗教結ぶ「一つの家」構想
▼新枢機卿13人を教皇叙任、初のアフリカ系米国人も
▼教皇のウイグル族「迫害」発言に中国外務省反発
▼CIA元長官がイラン核科学者暗殺を「犯罪」と非難
▼米最高裁が「コロナ対策の礼拝制限を違憲」と早くも保守色
▼カンタベリー大主教が来年夏に約3カ月の「サバティカル」
▼英大学ダーウィン帳面紛失=盗難か、進化論の考察メモ

 今回は、下から三番目を紹介します。

◎米最高裁が「コロナ対策の礼拝制限を違憲」と早くも保守色  
【CJC】米最高裁は11月25日、ニューヨーク州が新型コロナウイルス対 策で、宗教施設での礼拝に集まる人数を制限した措置を違憲とし、差し止めを 命じた。最高裁は5月と7月に同種訴訟で合憲判断をしたが、トランプ大統領の 指名で10月に加わった保守派エイミー・コーニー・バレット判事が「違憲」に 回ったことで判断が覆った。早くも保守色が強まったことを印象付けた、とワシ ントン発の共同通信が伝えている。  
 ニューヨーク州のクオモ知事は10月上旬、感染拡大の状況に応じて礼拝参 加人数を10~25人に制限する措置を講じた。これに対し、カトリック教会と ユダヤ教のシナゴーグが撤回を求め、提訴していた。  
 今回の最高裁は「パンデミック(世界的大流行)の最中でも憲法が忘れ去ら れてはならない。制限は多くの人の礼拝参列を禁じ、信教の自由を保障する修正 第1条の核心部分に打撃を与えている」と指摘した。  
 最高裁は現在、バレット氏を含む6人が保守派、3人がリベラル派。今回は ロバーツ氏が再び合憲としたが、バレット氏が違憲と判断した。□
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本ブログの初心に帰りたい:痴呆への一里塚(40)

 このブログを始めたのは、自分のささやかな研究の落ち穂拾い、みたいなことからだったが、なんだか最近は誰でも書ける爺(じじい)放談」、もとえ時事放談が主となってきているような気がして、我ながらすっきりしない。

 実は、公開していない研究内容の「下書き保存」はそれなりに幾つもあるのだが、まあ他人様にお見せするだけの練度に至っていないというわけだ。しかし、いわばこの現象自体が、ひょっとすると私の気力の衰えの現れなんじゃないかと、ちょっと後ろ向きになる昨今ではある。

 そんなとき、20日ほど前来年の某学会大会発表の追加募集(但し、小シンポは古代・中世史のみ:やっぱりこの分野が低調か)がメールで舞い込んだ。自分なりにおもしろく、学界的にも意味あると思ってるテーマがないわけではないので(ずばり、あるのです!)、やっちゃおうかと一瞬思い(私の場合、自分を追い込むのがカンフル的な刺激になるし)、嫁さんにそう言ったら、彼女の分野でも、90歳の先生でまだおやりになる人がいてねえ、と迷惑そうに返されてしまった。

 理系とちがい、文系は歳取ってからこそという思いもあるのだが。幸い私には付き合ってくださる読書会参加者の人たちがいて、そこでの発表準備だけでも相当な時間を費やし、またそれは私には十分楽しい作業なのである。そこだけの発散でも十分なのだが、若手に元気がないのなら、彼らの進出を邪魔するわけでもなく、場を盛り上げるまではいかないにしても、学会大会の隙間ふさぎになるだけでもいいのじゃないか。これで萎えてしまったら、それこそ老化現象なのかもしれない、と思いつつ、追加締め切りは12月20日、まだそのメールは消さないでいる。

 リタイア時に私が設定した、健康寿命ならぬ、研究寿命は75歳。もうあと2年しか残されていない。発表者埋まりましたかと聞いてみようかしら。でも、よくよく考えたら、あの学会、わたしゃ2018年に口頭発表やってるんだよね。たしかあの時も追加募集だったと思うけど、出身研究室主催だったし、枯れ木も山の賑わいで。

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コロナで職場が変わる?なわけないやろ:飛耳長目(70)

 テレビで、ホームワークをもう止めた、初めからしなかった会社が全体の6割といっていた。他方で、ホームワークはいいですよ、淡路島や沖縄に移住して、自然の中でのびのび仕事続けてますよ、と盛んに喧伝してきたのもマスコミだったが、多くのサラリーマンにとって、寝に帰るだけの、子供の勉強部屋はあっても自分の仕事部屋がない現在の居住空間では、むしろ仕事ができないらしい。挙げ句、DVも増えているという情報すら流れているが、本当だろうか。

 片一方で未来はこうだと威勢のいい話題ばかりがしゃしゃり出るが、実際、その渦の中で翻弄される個々人はたいへんだ。生身の多くのサラリーマンにとって、慣れ親しんできた職場の環境がなんとか変化なしで逃げ切りたい、というのが本音のはずだが、さて経営側がいつまでそれを許してくれるか。そう甘くはない予感はする。すでに異種業務に配置転換させられている人たちも出てきている現実がある、ま、失業よりはましなのだろうが(https://my.mainichi.jp/articles/20201126/k00/00m/020/037000c)。

 あっさり言ってしまうと、対応して変化する職種・職場とそうでない職種・職場がある、ということだろうが、いずれにせよ主導権は経営者側にあるわけで、従業員は受け身である。政府もgo-toなんらを連発するよりも、弱者救済の手立てに工夫を凝らすべきなのに、なにやってんだか。西村なにがし大臣のうつろなぎょろ目はもう見たくない。

 それにしても、作家の真山仁氏が面白いことを言っている(https://mainichi.jp/articles/20201126/k00/00m/020/043000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201126)。「本当の資本主義国家であれば、潰れそうな企業を国が救ってはいけない。・・・ポストコロナの日本で先端的な企業が生まれる土壌を作るため、国はコロナ禍で潰れそうな会社を安易に助けてはいけない。現在、政府や銀行は企業に緊急融資を続けているが、国が救う構図が変わらないと企業側の体質も変わらないだろう。コロナで多数の死者を出し深刻な被害を受けているアメリカ、ヨーロッパは、社会のあり方、システムが激変するかもしれない。」

 残念ながら、すべてにおいて甘えの構造の我が祖国はそうはならない、そうやって切ってはならない、そういうメンタリティの、アジア的風土の国なのだ、とつい思ってしまう私である。

 あ、なぜか中国は例外みたいだけど。だから覇権国になれるわけか。

【追記】2020/12/2に、図書館から貸借図書がとどきました、という連絡が来たので、久し振りに登学して、驚いた。午後過ぎの行きはそうでもなく、大学構内も以前と同様閑散としていたが、5時過ぎの地下鉄に乗ると、これがまあとんでもない三密状態だった。要するに、みなさん従来通り、否従来以上の危険を冒しつつご痛勤されているわけだ。これでは感染が拡がるだろうと容易に納得。

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世界キリスト教情報第1557信:2020/11/23

= 目 次 =
▼ロンドン教会での洗礼式を警察が中止
▼カトリック校は閉鎖せず=「NY市の規制は公立校対象」
▼米長老教会が年会をオンラインで
▼ニューオーリンズのカーニバルは恒例のパレード中止へ
▼ポンペオ米国務長官が現職初のヨルダン川西岸地区訪問
▼アゼルバイジャン支配下になる教会でアルメニア人が最後の祈り
▼公民権運動の指導者ウィリアム・ボビー・マクレーン牧師死去
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今日病院で:痴呆への一里塚(39)

 1週間ほど帰省するので、その間の薬を確保するため病院に行った。前回のとき血液と尿を取られたが、それまで2か月の散歩の成果が出ているかどうか、大いに期待するところがあったが、まあ体重が落ちていないので、どうかなと思っていたら案の定だった。

 家に帰って妻と話したのだが、こうなると体質と思わざるを得ないのではないか、ということ。前の職場には多くの白人の神父さんがいたが、定期健康診断での数字は我ら日本人と比べるととんでもなく高いが、それで彼らは平気の平左なのだ、という話を聞いたこともある。事実はいかに。

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大手メディアは組しやすし:飛耳長目(69)

 桜の会を最初に報道したのは赤旗だったとは。以下は毎日新聞記者の慚愧の念。形だけの反省で終わらないでほしいものだ。

「赤旗はなぜ桜を見る会をスクープできたのか 見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた」:https://mainichi.jp/articles/20201120/k00/00m/010/346000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20201121

 こんなのを見ると、やはり右顧左眄しなくてすむ批判勢力は必要だ。だが、赤旗が自分自身の足元の問題を掘り下げるとなると別問題だろうが。

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映画「初恋の来た道」:遅報(55)

 BSスターチャンネルで偶然、本当に久し振りに映画「初恋のきた道」我的父親母親(1999年、チャン・イーモウ監督、チャン・ツィイー主演)を見た、見てしまった。

 あれもこれも、すなわち、純朴な農村風景。水汲みの重労働、家族のための機織り、学校も村民総出で造り、独身教師の食事は村民の回り持ち、そして・・・、初々しい自由恋愛の初恋の成就と、表だって触れられることはない文化大革命の世情に翻弄されながら、人はいずれ老いて死んでゆく。いや建物すら朽ちてゆくのだ。そこに関わった人間の中に思い出として、暫時留まりはするが。

 あの、決して豊かでも清潔でもなかった時代の農村、昔の日本もそうだった。古き良き時代か。しかも、登場人物はみないい人ばかり、となると、まあ大人のメルヘン映画といわれてもしかたないだろう。さりながら私など不覚にも涙が出てしまうのはなぜ。

 そして今、かの強権国家、中華人民共和国のご登場である・・・。

 昔、別の意味で大感激した「黄色い大地」黄土地(1986年:チェン・カイコー監督、チャン・イーモウ撮影)や「景徳鎮」(1988年:シェ・チン監督、リウ・シャオチン主演)をまた見たくなった。ああいうさりげなく因習・体制批判を織り込み主張を持った映画作りはもう見ることできないのだろうか。そうは思いたくない。

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1981年のコロッセオ西側景観

 私は4年ほど前の論文集掲載論文(「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」豊田編『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版、2016年、pp.72-92)で、現在のコロッセオ西側景観について言及した。本文中にも書いたが(p.88)、実はかの場所の一画にはハドリアヌス時代以降ずっと方形区画の台座が遺存していた。それは1936年にムッソリーニによって除去された。地下鉄工事開始はその翌年のことである。その方形区画が1983年、というから47年振りに復元され、現在我々が目にする景観となっている。その方形区画の上には皇帝ネロが作った巨像が姿を変えながら、少なくとも5、6世紀までは立っていたのである。そして、主を失った台座はなぜかそのまま14世紀間遺存され続けた。

地下鉄工事は地上の遺跡構造物を紙一重避けていたことがわかる
上記二葉はウェブから拝借

 実は私のささやかな悪戯心で、「あれぇ、あんなところに方形区画がぁ? 行ったことあるけどそんなものありませんでしたよ」との、昔観光したことある読者からの指摘を虎視眈々と待っていたのだが、残念ながら未だ全然反応ないので(ど、読者数が圧倒的に少数のせいでしょう、たぶん (^^ゞ )、知らなかったと思われるのがしゃくなので、今回しびれを切らして台座復元前後の写真を掲載しておく。最初の二葉が1981年のもの、最後の一葉は台座が復元された後の1998年のものである。引用典拠は以下:R.Rea, Studying the valley of the Colosseum (1970-2000):achievements and prospects, in JRA, 13, 2000, pp.93-103.

左隅の路上の円形は、メタ・スーダンスの場所を示している
南からサン・グレゴリオ通りを走ってきた自動車道はそのまま北進できたわけ。但し写真を見るといかにもローマらしく北から南への一通だったようだ
現在、南からの自動車道は凱旋(アーチ)門手前で東に逸れていて、ここ一帯は車両禁止で公園化している:中央右の樫の木(この時は4本かと:拙稿執筆時に一本切り倒されていたことが判明して、慌てて修正した)の立つ箇所が件の基壇

 古都といえども景観は次々に変わっていく。それというのも、ローマが旺盛に現在進行形で生き続けている街だからだ。

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