その昔、山本七平がいた:先達の足跡(7)

 最近、研究者仲間から「いまどきの学生は映画ベン・ハーもしりませんから」と聞いた。今でも時折放映されているにもかかわらず、そうなのだそうだ。私が幾度となく見てきたそれは、3度目の映画化のもので1959年製作だったので、もう60年も前、私も多感な?中学生だったころになる。

 蛇足ながら、今やそれとだいぶおもむきの違う新作も登場しているが、それすら若い人がどれほどみていることやら:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC_(2016%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)。

 だから、生涯が1921年から1991年(享年69歳)だった山本七平を知る人も少なくなってきているのも当然だろう。その彼を最近私はしばしば思い出している。それは彼が『空気の研究』という小論を1977年に文藝春秋から出していたからだ。私はこれを読んで(出版後かなりたってのことだったと思う:手元には1983年発行の文春文庫版があるがこれとて古本入手だった可能性がある)、日本人は回りの空気に影響されて行動してきたし、これからもそうするはずだ、ということを勉強したのだが、最近ウェブ情報でこの「空気」という表現によくお目にかかるような気がしてならない。たとえば今日、こんなインタビュー記事があった。「自民党総裁選で見えるもの:社会の空気一変の怖さ」:(https://mainichi.jp/articles/20210917/dde/012/010/019000c?cx_fm=maildigital&cx_ml=article&cx_mdate=20210919)。

 あの文庫本の解説で日下公人は、山本の手で「戦中戦前の日本人の思想様式や行動様式が今も変わっていない」ことが提示され、「大正族や昭和ヒトケタ族にはその伸縮しない物差しの重要性と必要性はよくわかるのである。その世代は理由がよく分からない戦争に捲き込まれて、ひどい苦労をさせられたからである」と喝破している。昭和ヒトケタ世代すら消え去ろうとしている昨今、大多数を占めるに到った戦争体験のない国民に、どれほどの説得力があるか不明であるが。一抹の不安を感じざるをえない私である。いや私も昭和22年生まれの戦後族だが、池田内閣以前はまだなんとなく戦前・戦中を引きずっていた気配があった。なにせ復員軍人が社会の主要生産世代だったのだから。

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