ただし、有料:https://mainichi.jp/articles/20211117/dde/012/010/011000c?cx_fm=mailyu
元総理大臣の奥さんの、菅信子さん:「いろいろ考え込んでしまうわね。同調圧力のこと、付和雷同しないと生きにくい日本社会のこと、とりわけ地方ね。それとこれが日本人の本質なのかな、戦争も原発も人災なのに天災のように受け止めてしまうところ。第二次大戦だって、死んだのは仕方がないんだ、とりあえず弔って、生き残ったものでまたやっていこうみたいな。なぜ死ななきゃならなかったのか、誰が殺したのか追及しない。原発事故があっても、止めようの声が大きなうねりにならない。水に流す。民主主義なるものが、この国に合わないのかなあと疑っちゃう」
どっかの大国は「民主主義」をせっせと輸出しようとしてほとんどどこでも失敗して、輸入先は内乱という大出血を余儀なくされているが、それには我関せずだ。これが民主主義の国のやることか。結局、兵器売りたいだけのことだろうといいたくもなる。
【追記】上記最後に関連して、2021/11/18JBpress Premium:福島香織「習近平に「古い友人」と呼ばれてしまったバイデンの胸の内:米中首脳オンライン会談、主導権を握り台湾問題で威嚇する習近平」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67767)が面白かった。
習近平は、次のようなロジックで米国の民主主義の押し付けを非難した。以下、引用。
「中国は世界に自分のやり方を押し売りしようとする気持ちは全くない。むしろ我々は各国が自国の国情にあわせた発展の道を探すようにずっと応援してきた」
「文明は豊富で多彩で、民主も豊富で多彩だ。民主は1種類の決まった産品ではなく、全世界も1つのモデル、1つの規格ではない。もし、民主のモデルが違うからといって排斥されるならば、その行為自体が民主的行為ではないのだ。我々は相互に尊重することを基礎として人権問題について対話することを望んでいる。人権問題を借りて他国の内政に干渉することには賛成しない」
このロジックは、「イデオロギーの利ザヤ」という危ういものだ。異なる意見を主張する自由がある民主主義は、民主主義を破壊する言論を封じることができない。それをしようとすると、民主主義の原則に反すると反論される。民主主義を破壊する言論の自由も認めざるを得ないので、必ず分断や対立が起きる。それが、民主主義を破壊しようとする者が、だから民主主義はダメなのだ、と批判する根拠になる、という矛盾がある。
【付記】2021/11/22午10時-11時15分に、NECO-HDで映画「太陽の蓋」(2016年作成)を放映している。ここでの悪役の力点は民主党政権の首相官邸ではなく、情報秘匿に走った東京電力に置いていて、私的には妥当と考えている。
ついでに言っておくと、民主党政権のちぐはぐさの一因は、日本の各省官僚たちのサボタージュという一面もあったことを、誰も指摘していないようだが、十分想定して状況を再検証すべきだと私は考えている。
いずれにせよ、2011/3/11はすでに10年前の過去のことになり、それでなくとも忘れやすい性向の日本人は、当事者以外はもはや忘却して日々の生活に呻吟しているのである。そして原子力発電再稼働への道を進むのだ。
ついでにひと言いっておくが、当時マスコミが流布していた「水素爆発」って、結局は原子炉爆発であり、メルトダウンという現実を言葉で逸らそうとした東電の策略に乗っかってしまったわけだ(パニック防止のためという言い訳、西部劇の本場じゃあるまいし、ねえ)。こういうときのアメリカの自国民退避対策は素早く、ちゃんと現実を踏まえていたのはすばらしい。それにひきかえ・・・
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