映画「初恋の来た道」:遅報(55)

 BSスターチャンネルで偶然、本当に久し振りに映画「初恋のきた道」我的父親母親(1999年、チャン・イーモウ監督、チャン・ツィイー主演)を見た、見てしまった。

 あれもこれも、すなわち、純朴な農村風景。水汲みの重労働、家族のための機織り、学校も村民総出で造り、独身教師の食事は村民の回り持ち、そして・・・、初々しい自由恋愛の初恋の成就と、表だって触れられることはない文化大革命の世情に翻弄されながら、人はいずれ老いて死んでゆく。いや建物すら朽ちてゆくのだ。そこに関わった人間の中に思い出として、暫時留まりはするが。

 あの、決して豊かでも清潔でもなかった時代の農村、昔の日本もそうだった。古き良き時代か。しかも、登場人物はみないい人ばかり、となると、まあ大人のメルヘン映画といわれてもしかたないだろう。さりながら私など不覚にも涙が出てしまうのはなぜ。

 そして今、かの強権国家、中華人民共和国のご登場である・・・。

 昔、別の意味で大感激した「黄色い大地」黄土地(1986年:チェン・カイコー監督、チャン・イーモウ撮影)や「景徳鎮」(1988年:シェ・チン監督、リウ・シャオチン主演)をまた見たくなった。ああいうさりげなく因習・体制批判を織り込み主張を持った映画作りはもう見ることできないのだろうか。そうは思いたくない。

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1981年のコロッセオ西側景観

 私は4年ほど前の論文集掲載論文(「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」豊田編『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版、2016年、pp.72-92)で、現在のコロッセオ西側景観について言及した。本文中にも書いたが(p.88)、実はかの場所の一画にはハドリアヌス時代以降ずっと方形区画の台座が遺存していた。それは1936年にムッソリーニによって除去された。地下鉄工事開始はその翌年のことである。その方形区画が1983年、というから47年振りに復元され、現在我々が目にする景観となっている。その方形区画の上には皇帝ネロが作った巨像が姿を変えながら、少なくとも5、6世紀までは立っていたのである。そして、主を失った台座はなぜかそのまま14世紀間遺存され続けた。

地下鉄工事は地上の遺跡構造物を紙一重避けていたことがわかる
上記二葉はウェブから拝借

 実は私のささやかな悪戯心で、「あれぇ、あんなところに方形区画がぁ? 行ったことあるけどそんなものありませんでしたよ」との、昔観光したことある読者からの指摘を虎視眈々と待っていたのだが、残念ながら未だ全然反応ないので(ど、読者数が圧倒的に少数のせいでしょう、たぶん (^^ゞ )、知らなかったと思われるのがしゃくなので、今回しびれを切らして台座復元前後の写真を掲載しておく。最初の二葉が1981年のもの、最後の一葉は台座が復元された後の1998年のものである。引用典拠は以下:R.Rea, Studying the valley of the Colosseum (1970-2000):achievements and prospects, in JRA, 13, 2000, pp.93-103.

左隅の路上の円形は、メタ・スーダンスの場所を示している
南からサン・グレゴリオ通りを走ってきた自動車道はそのまま北進できたわけ。但し写真を見るといかにもローマらしく北から南への一通だったようだ
現在、南からの自動車道は凱旋(アーチ)門手前で東に逸れていて、ここ一帯は車両禁止で公園化している:中央右の樫の木(この時は4本かと:拙稿執筆時に一本切り倒されていたことが判明して、慌てて修正した)の立つ箇所が件の基壇

 古都といえども景観は次々に変わっていく。それというのも、ローマが旺盛に現在進行形で生き続けている街だからだ。

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コロナで変わる?弔い方法:飛耳長目(68)

 「葬儀の簡素化」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/040/167000c):数日前、実家の広島の菩提寺から、来年2月が母の三回忌との連絡きて、さっそく法要の予約と連絡に入った。もちろん時節柄直系だけでの、法要のみ(精進落としの会食ナシ)とした。これでも我らは旧態依然で、この御時世にかかわらず東京から広島に新幹線で移動するつもりだが、上記記事で話題になっているのは「オンライン葬儀」。お寺や葬儀会社がこの変化に対応できるかどうかで、浮沈の分かれ目になるかもの事態のようだ。ある住職は心配しているようで、私は微苦笑してしまった。「コロナを理由にした葬儀などの縮小化で、親戚付き合いのストレスや時間の束縛、出費の負担から楽になれると気づかせてしまう側面がある」と。

 「神はいるのか」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/030/150000c):こっちは流行初期に猛威を振るわれたイタリア北部のベルガモでのお話。そこでは「2週間で1世代が消えた」。この衝撃体験の意味することは小さくない。私も以前書いたが、人の生き死にの緊急事に効力あってこそ意味ある宗教のはずの、今回無力を暴露した現既成宗教はその存続の危機に立たされているはずなのだ(宗教というものの根源に疎い普通の人には大袈裟すぎると思われるだろうが)。韓国やアメリカで、非難されても集会をやっているのは、宗教としては正しい営みなのだが、問題はそれが崇めている治癒救済神であるはずの神が肝心の疫病に対して無力ということだ。

 元の職場に隣接している御聖堂に先日聖体訪問した。これじゃあねぇ。

 ズバリ言おう、「現既成宗教の神(々)はもう死んだ」と。庶民の心のよすがとなる新たな強力な治癒神、救済宗教は、どんな形で登場するのだろうか。

【追補】教祖の預言が外れると、暴走しがちなのが気になるところだ。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62977

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世界キリスト教情報第1556信:2020/11/16

= 目 次 =
▼当選確実にしたバイデン氏が教皇と電話協議
▼マカリック元枢機卿の性的虐待を歴代教皇が軽視=バチカン報告書
▼教皇「訪朝したい」と離任の韓国大使に
▼WCCアブオム議長ら、“深刻な危機”に教会の役割振り返る
▼ロシア正教会イラリオン府主教、信者を侮辱する風刺画を否定
▼スペインでまたも美術品「修復」失敗事件

今回は興味深い情報が多いが、最初の3つにしよう。

◎当選確実にしたバイデン氏が教皇と電話協議
 【CJC】米大統領選で当選を確実にした民主党のジョー・バイデン前副大統領は11月12日、教皇フランシスコと電話協議した。
 ケネディ大統領以来、カトリック教徒として米史上2人目の大統領となるバイデン氏は、教皇の祝福に謝意を示し、貧困や気候変動、移民・難民問題などの国際課題に「協力して取り組みたい」との考えを伝えた。
 バイデン氏は、選挙演説でも聖書の1節や教皇の言葉を引用することがあった。□
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◎マカリック元枢機卿の性的虐待を歴代教皇が軽視=バチカン報告書
 【CJC】教皇庁は11月10日、未成年者への性的虐待疑惑が持たれていたセオドア・マカリック元ワシントン大司教・元枢機卿に関するレポートを公表した。教皇フランシスコの委託のもと、国務省により作成された報告書は、完成まで2年を費やした。公設バチカン・ニュースが報じた。
 報告書は、歴代の教皇や教会幹部が虐待についての報告を軽視し、人事などで誤った判断を下してきた、との見解を示している。
 国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は、報告書の作成は、過去のあやまちを
二度と繰り返さないための、真理の追究によって動かされたもの、と述べた。
 報告書からは、いくつかの動かしがたい点が浮かび上がる。まず、過去に犯された誤りについて。その過ちは、1人の犯罪責任者を、教会の位階において高い役務につけることを可能としてしまった。その誤りは、今後同様のことが繰り返されないようにと、すでに施行されている、新しい規則をもたらすことになった。
 次に指摘されるのは、2017年まで、マカリック師(当時)による未成年者への虐待をめぐり、具体的な証拠を備えた告発はなかった、という点。未成年者をめぐる、十分な証拠の揃った最初の告発は、3年前のものであり、それによって直ちに教会法上の措置がとられた。そして、教皇フランシスコの決定により、まず同師の枢機卿の位が取り上げられ、その後、聖職からも解かれる結果に至った。
 事件は、教会全体が学ぶべき痛ましい教訓を残すことになった。実際、2019年2月に開催された、「教会における未成年者の保護」のための司教会合後、教皇フランシスコによってとられたいくつかの対応の中には、未成年者への性的虐待のケースに関し、「教皇レベルの機密」を廃止するなどの処置が見られた。
 パロリン枢機卿は、今回のレポートをめぐる声明で、「これは真理の追究に動かされたもの」と述べている。そして「苦しみには、希望の眼差しが伴います。このようなことが二度と繰り返されないためには、より効果的な規則と共に、心からの回心が必要です。福音を告げる、信頼に足りる司牧者たちが必要です。これらは、『わたしを離れては、あなたがたは何もできない』というイエスの言葉に信頼しつつ、ただ聖霊の恵みによってのみ可能であることを、わたしたちはしっかり自覚しなくてはなりません」と話した。□
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◎教皇「訪朝したい」と離任の韓国大使に  
【CJC】韓国の聯合ニュースがローマ発で報じるところでは、教皇フランシスコが朝鮮半島の平和定着のために北朝鮮を訪問したい意向をあらためて示していたことが11月11日(現地時間)、分かった。在バチカン韓国大使館によると、教皇は先月23日、任期を終えて帰国する李百萬(イ・ベンマン)大使と 面会した際にこうした考えを示した。  
 教皇は、2018年10月にバチカンを訪問した文在寅(ムン・ジェイン) 韓国大統領を通じて北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働 党委員長)からの訪朝要請を伝えられると、「公式の招きがあれば行くことがで きる」と事実上受け入れる考えを明らかにしている。これについて李氏が今も有 効かと尋ねたところ、教皇は「今も同じ考えだ」と答えたという。  
 李大使は「教皇は地上最後の冷戦地帯である朝鮮半島の平和が世界平和と直結していることを誰よりもよく知っている。教皇の積極的な訪朝意思の裏には平和に対する願いが込められているとみるべきだ」と述べた。  
 一方、バチカンのピエトロ・パロリン国務長官は23日に李氏と面会した際、「教皇が北朝鮮を訪問するには最低限の条件がそろう必要がある」と慎重な姿勢を見せながらも、訪朝の可能性は否定しなかった。□
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社会運動家の性暴力:飛耳長目(67)

 人間の恥部に目を塞いではならない。毎日新聞のデジタル版「女性を踏み台にするデモはいらない:社会運動内での性暴力に抗議相次ぐ」(http://nml.mainichi.jp/p/0000066d75/3623/body/pc.html)に触発されて、ツイッター「すべての馬鹿げた革命に抗して」(https://twitter.com/agstsexism_jp)に行ってみた。運動家たちがセクハラしていたというある意味衝撃的な暴露記事だったので、それなりに覚悟(期待?)してたが、思いのほか地味な造りだった。

 それによると、セクハラは9割体験しているが、暴力沙汰は6割で、さてこれは一般社会常識からみて多い方なのかどうか、データを持ち合わせていない私にはわからない。

 大義名分が本能の前に無残に敗北している現実は、連合赤軍の例を出すまでもなく、どこの世界でもある。キリスト教会にだってある。声を上げる勇気には敬意を払いつつも、でも本能レベルの問題なので、なくなりっこないんだよね、と思ってしまう私がいる。

 私が学生時代、全共闘(我が大学ではその内実は中核派だったが)に占拠された大学本部の壁新聞に、女性運動家によるものと察せられる「私たちは御三どんをするために闘争に参加しているのではない」といった趣旨が貼り出されていたことを記憶している。今となっては写真に撮っておけば良かったと悔やまれるが、やっぱりそうか、と思ったことである。

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ビデオ会議の極意:飛耳長目(66)

 さきほどNHKでの「ガッテン」で、ビデオ会議にありがちな会話が盛り上がらない不振改善のポイントが、アイコンタクトしにくいことだとして、一人「頷き担当」を作ることで(その役目は、発言者の話をちゃんと聞いて、意識的に頷く)、改善できるという内容をやっていた。https://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20201111/index.html

 これは色々応用が効くと思う。

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自学ノートの梅田明日佳君:遅報(54)

 テレワークでのラテン語読書会を終えて,テレビをつけたら、BS1スペシャル「ボクの自学ノート:7年間の小さな大冒険」の再放送をやっていて、どうしようもなく途中から見てしまった。NHKオンディマンドで見ることができるので、翌日そっちでぜんぶ見た。初放送は2019/5。49分。https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009051118_00000;https://note.com/setata/n/n0c3f66fe5a60

 以前、宮内和也君のことを書いたが、言いたいことは同じである。日本の教育での問題点、個を伸ばす、特異能力の持ち主を育てる風土がない、ということ。彼は本も出しているが、我が図書館には当然のようにないので(教育学科はあるのだが)、注文した。ま、無駄だと思うが、孫のためにさり気なく置いておこうという算段。最後にお母さんが引用していた、福岡伸一『ルリボシカミキリの青』文芸春秋、2010、はさすがにあった。

 今、彼は高校三年生。ゆっくり、大きく育ってほしい。

【追伸】あの撮影の裏話をみつけたので、そっとご紹介しておく。それだけの段取を踏んで、狙い通りに綺麗に撮って、視聴者を感激させるわけである。https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00155/00005/

スタッフ3人で、4、5台のカメラで、照明を工夫して・・・:自然体で撮るって大変そう
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狩猟者の女性、戦士の女性:飛耳長目(65)

 狩猟採取時代の、男女の役割分担を考え直す、そういう研究が公表された。「9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見(

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/110600646/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005

 実際には色んな人間がいたし、今もいるので、単純な男女という区別はもう古い、というわけ。この現状認識が、原始時代の発掘資料の見直しに適応されるとどうなるか。2018年の発見。場所はペルー。決め手は副葬品に矢尻とか石器が含まれていた人骨を子細に調査したところ、女性の骨だったというわけだ。これまでの常識・思い込みが崩れた瞬間だった。

 同様な研究がもっと以前にバイキングでもあった。「有名なバイキング戦士、実は女性だった:武器と馬を副葬した理想的な墓、遺骨のDNAを解析」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/091400054/)。記事は2017/9/15掲載。1889年発掘のビルカ遺跡(スウェーデン)出土の、これまで男性と思われていた人骨をDNA検査したところ、明らかに女性だった、のだ。こっちは叙事詩なんかの文書史料も伝えられていたのだが、それが発掘で実証されたわけ。

左区画には馬二頭が副葬されていた
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世界キリスト教情報第1555信:2020/11/9

= 目 次 =
▼ウィーン中心部のシナゴーグ付近で銃撃、2人死亡
▼オーストリア政府、銃撃テロ実行犯のモスクと協会閉鎖
▼オーストリアがロックダウン再導入、教会の礼拝は可能
▼世界福音同盟次期総主事にドイツ人神学者トーマス・シルマッハー氏
▼「Y.M.C.A.」作詞者がトランプ氏に「選挙で曲使うな」と訴え
▼イスラエル首相、バイデン氏当選確実に祝意遅く
▼カステックス仏首相、教会襲撃の追悼式で「敵はイスラム過激派」と訴え
▼「ラ・チビルタ・カットリカ」誌、日本語版誕生へ、
 今回はちょっと長いが、私の個人的興味で最後のものを紹介した。角川の援助あってのことらしいが、韓国版の後塵を拝しているもの信者数からするとしょうがない。というか、むしろ日本語版が出るのが奇妙といえば奇妙だが,ま、総長の置き土産というべきか。

◎「ラ・チビルタ・カットリカ」誌、日本語版誕生へ
【CJC】カトリック修道会イエズス会発行の総合誌『ラ・チビルタ・カットリカ』の日本語版が2021年4月から隔月で発行されることになった。同誌のオリジナル版であるイタリア語版サイトが明らかにした。創刊0号(抄訳版)が最近発行された。
 同誌は、教皇ピオ9世の在位下、1850年に創刊された。
 日本語版の発行は、今年4月20日に発行された中国語版と共に、「ラ・チビルタ・カットリカ」創刊170年を記念するもの。
 バチカンと日本の交流の歴史に光を当て、その調査研究を通し、両国のさらなる友好に寄与することを目的にした、角川文化振興財団の「バチカンと日本100年プロジェクト」の一環として計画された。
 同プロジェクトは、この計画について、「バチカンの思想、政策を理解する道しるべとして、全世界のカトリック教徒から注目されている「ラ・チビルタ・カットリカ」の日本語版発行は、バチカンと日本の関係をより強固にする」ものと、公式サイトの中で述べている。
 同誌は、イタリア語版に並び、英語版、フランス語版、韓国語版、中国語版がある。スペイン語版の再刊も予定されている。
 「ラ・チビルタ・カットリカ」の現編集長、イエズス会士のアントニオ・スパダーロ神父は、このたびの日本版誕生に寄せたビデオメッセージで、同誌の文化的見解は、常にバチカンの考えと一致するものであり、この教皇やバチカンとの特別な絆は、教皇フランシスコも述べているとおり、同誌の「本質的な特徴」である、と強調している。
 また、スパダーロ編集長は、教皇フランシスコがかつて同誌に宛てたメッセージで、「紙面から対話し合う周縁の声が湧き上がってくる」と記したことを紹介。この「周縁と周縁の対話」こそ、「ラ・チビルタ・カットリカ」の意義を伝えるイメージである、と説明した。
 「日本は常にイエズス会の心の中にあった」とスパダーロ編集長は語り、その意味で、今回の創刊は、日本語において、日本の文化と世界の他国の見解の互いの紹介を通した交流という、一つの夢を実現することになる、と話した。
 さらに、同神父は、「ラ・チビルタ・カットリカ」日本語版の構想が、2019年11月の教皇フランシスコの訪日の中で生まれたことを明かした。
 「著者と読者の間には、思考と友好関係に近い感情のコミュニケーションが行き交う」という、1851年に同誌に記された言葉を引用しながら、スパダーロ編集長は、同誌から文化の懸け橋となる友好関係が生まれることを願った。□
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大宅壮一:遅報(53)

 ひょんなことで大宅壮一「サンデー時評」をチラ読みしている。立派な全集の第8,9巻が1200円(別途送料520円)だったので、我が図書館には当然あるのだが、悪いクセが出て購入してしまった。例の山田風太郎でチェックしてみたら、今の私には読み捨てならぬ一文が出てきた。至極健康体だった彼は63歳ごろから異常に太りだし、1.68㎝の身長で体重が90キロを超え、書庫の階段も一段登るごとに、呼吸を整えなければならないザマとなった。医者にコンニャクを勧められ、以来主食をコンニャクとし、それで体重はへったが栄養失調をきたした由。私は寒天を副食にしているので体重は減らず、ひたすら眠気に襲われている。

 ちなみに彼が「時評」を書いたのは、晩年の1965/10/17から1970/11/01の、丸5年間であった。それは私の学生時代に重なっている。おかげで読んでいて思い出すことも多い。逆にいうと忘れ果てていることばかりだ。

生没年:1900-1970年

 彼の最晩年のことを草柳大蔵が書いているらしい。それを探してググっていたら、そっちは見つからず(御存じ寄りの方からの情報を求める)、偶然以下の論考に至った。昔同じ学部でご一緒していたけどお付き合いはなかったが、謹んで拝読したが、軽妙で面白かった。そういえば芸達者の一面をお持ちだった風評はなんとなく聞いた記憶があった。上田康夫教授最終講義「エディターシップによる「知」の創生」第38号(2008年):https://dept.sophia.ac.jp/human/journalism/Communications/CR-no38-ueda.pdf

 閑話休題。ところで、ググっていたら以下を見つけた(「大宅壮一ができ上るまで:マスコミ生活50年の記」『文藝春秋』1965年2月号)。大笑いしながら読んだ。豪傑である。その彼が賀川豊彦から若気の至りで(女性めあてだったとお書きになっている)、キリスト教の洗礼を受けていたことは初耳だった。もちろんさっさと離脱したらしいが。https://bunshun.jp/articles/-/7063

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