投稿者: k.toyota

渋沢栄一の毀誉褒貶:遅報(68)

 NHKで清々しく爽やかな雰囲気が振りまかれている。と、むらむら天邪鬼が・・・。知人からご教示頂いた、黒岩涙香『弊風一班・畜妾の実例』社会思想社、1992(原典は「萬朝報」1898年)、を入手できた。「ちくしょう」と発音してみると身も蓋もない。もちろんその効果を織り込み済みの表題だろう。渋沢は、p.37に第90番目に登場する(掲載総数は延べ510人:大まかに言って著名人が早めに出てきている)。

身長は、153cmだったらしい。ただ160.6cmという別説もあって、これだと、伊藤博文と同じになるが、さて:http://irisio.seesaa.net/article/101774731.html

 「(九〇)渋沢栄一は、深川福住町四番地の自宅に大坂より連れ来りし田中久尾(二十八,九)という古き妾あり。日本橋浜町一丁目三番地の別宅には元と吉原仲の町林家小亀こと鈴木かめ(二十四)なる妾を畜う。」

 こんなに番地や実名書かれての暴露記事、いうなれば現代の文春爆弾で、私だったらたまらんが、当時は当事者にとってどうだったのだろうか。彼は1840年生まれで1931年に91歳で死亡しているから、この文面のときは58歳。それで思いついたので例の山田風太郎『人間臨終図鑑』を見てみた。第4巻のpp.370-372で、まずプラス面を書いた後、最後に以下が。「ーーとはいえ、きれいごとばかりで大富豪になれるわけがない。女道楽にかけても渋沢は大変な色豪で、そのためばかりではないが、岩波茂雄に勧められて『渋沢栄一伝』を書いた露伴は、以後渋沢の名が出るたびに不機嫌な顔をした」とある。幸田露伴の本も欲しくなって調べたら、岩波文庫で読めることを知った。また渋沢の自伝『雨夜譚』も岩波文庫にあるようなので、どこまで書いているのか比較したくなったが、そんなことやってる暇はないので、だれかやらんかいな〜。大学のレポートには最適だと思いますが。

 いずれにせよ、女権論者の皆々様がわが祖国の最高紙幣や大河ドラマへの彼の採用に対しまったく非を鳴らす気がないようなのは、たいへん心の広いことである。わが敬愛するイタリア並になったことを言祝ぎたい。

【追記】黒岩をザッと読んでいて色々驚いた。森鴎外(1862-1922)は『舞姫』で留学中のドイツ人女性の話を書いていたが、どうやら留学から帰るなり十八、九歳の児玉せきなる女性(当時三十二歳)を深く寵愛し、細君を離縁し本妻に直そうとしたが、母によりその母なみ(六十歳)ともども外妾とすべしと言い渡され、すぐ近所に別居せしめ、爾来母より手当が送りつけられた、と。なんというマザコン、いや明治の母刀自はしっかりしていたなあ。

 また、ローマ法がらみで私が知っていた末松謙澄(1855-1920)も思いがけず掲載されていて、彼は正二位勲一等子爵だったが、妻・生子は伊藤博文の次女で我がまま放題だったので敬遠し、「妻の厳重なる監視の目を潜り日本橋区箔屋町七番地の絵草紙屋錦華堂浅井一忠の娘けい(二十三)を妾とし、檜物町の春の屋を以て会合の場所とせり」(p.135)、と。

 まあ彼ら両名は一人を囲っていただけのようなので、私からすると、表社会の体面から解き放され、安らぎを求め、素の自分に帰れる場を求めてのことだろうと、なんとなく分かる気がしないでもないが、当たっているだろうか。なに、「家政婦は見た!」の第15作「財界一族の虚飾の争い」(1996年)の再放送を見ての思い付きだが。

【補遺】このブログを読んだ後輩からメールが来た。「黒岩涙香の記事、当時は、この記事に名前が載ることこそ名士の証として、 自分を載せてほしいと要望が殺到したらしいですよ」と。それでそこで紹介された以下を発注した。杉岡幸徳『世界の性習俗』角川新書、2020年。その箇所はpp.156-7。文脈に沿ってまとめると、黒岩は妾制度の猖獗に義憤を感じて書いたのだが、彼の思惑と真逆に「この記事に名前が載ることこそ名士の証、ということで、「早く俺の名前も載せてくれ」「なぜ吾輩を取り上げてくれないんだ」などという要望・苦情が殺到したのです」という仕儀に。この事例を根拠に、著者は、最近の日本での「不倫」騒動の偽善性を指摘さえしているのである。この著者によると、どうやら私もごく最近の風潮に毒されてしまっていたようで・・・、この点は否定すべきもないか。

 ただ著者の筆致は私にはいささか典拠的にいい加減な印象を受けた。まあ七割引きくらいの信頼度で読むのがいい感じではある。というのも、情報のほとんどが他文獻からの孫引きで、しかもいわゆる未開民族の奇習を超時代的に根拠にしているからである。私が現役中に必読書に推奨した赤松啓介は自らの体験談を書いているわけで、そこが説得力の違いのような気がする。

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聖フィリッポと聖小ヤコブの聖遺物調査:予想通り残念な結果

 【2021/2/1発信】イタリア・ローマのヴェネツィア広場から発して南北に突っ切っている直線道路がコルソ通りだが、その一本東側の大通りを入って右側奥に巨大な列柱廊が特徴の教会がみえる。これが聖十二使徒教会 Basilica dei Santi XII Apostoliで、500年間フランシスコ会厳格派(コンベンツアル)の拠点となっている。

        ↑コルソ通り    ↑聖12使徒教会      

 そこに保管されてきた聖遺物が、後6世紀以来、十二使徒のうちのフィリッポと小ヤコブのものと伝承されてきた。具体的には、小ヤコブの大腿骨破片と、フィリッポのミイラ化した足破片と頸骨破片である。これらがいつ、どこから将来されたのかという聖遺物の移葬事情は不明である。今回、南デンマーク大学教授Kaare Lund Rasmussenを中心にした調査団が聖遺物調査にチャレンジした。その結果は以下のようだった。

左、小ヤコブの大腿骨断片関係、右がフィリッポのミイラ化した足

 フィリッポのものは、除染がむつかしく、放射性炭素年代測定できなかった。

 小ヤコブの大腿骨の年代測定には成功し、後214-340年と数字が出た。よってこの骨は小ヤコブのものではなかったわけである。ラスムッセン教授は、誰の骨であったのかは不明であるが、小ヤコブの骨と信じていずれにせよキリスト教徒の墓地から採取されたに違いない、と話している。https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/02/scientific-investigations-of-believed.html

【付記】この教会の祭壇前に巡礼者用の地下クリプトへの階段がある。そこにはカタコンベを再現した碑文やフレスコ画がもっともらしく飾られていて、アッピウス街道まで足を伸ばせない観光客にはそれなりに雰囲気を楽しむことができるので、ぜひ見学してほしい。

上からクリプトを見下ろす
あたかも、カタコンベのごとし

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世界キリスト教情報第1569信:2021/2/15

 日付がおかしいなと思っていたら、もう一通届いた。

= 目 次 =
▼ミャンマーで国軍クーデターへの抗議デモ続く
▼「福島原発汚染水の海洋放出反対」で韓国司教協委が日本の正平協と共同声明
▼韓国が新型コロナ営業規制を一部緩和
▼バチカン放送開始90周年に教皇「記憶を守り、未来を見つめて」
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世界キリスト教情報第1568信:2021/2/8

= 目 次 =
▼韓国で教会関係の集団感染続く中、丁国務総理が指導者たちに防疫協力要請
▼韓国の新規コロナ感染者が3日連続で300人台
▼教皇、シノドス事務局上級職に女性を初任命
▼洗礼後に乳児死亡、肺に水でルーマニア正教会に批判
▼大聖堂建設が文化財破壊招く、とキプロス正教会への抗議激化

 今回は時節柄、以下を紹介。

◎教皇、シノドス事務局上級職に女性を初任命
【CJC】教皇フランシスコは2月6日、カトリック教会の慣習を破り、シノドス(世界代表司教会議)事務局次長を2人任命したが、その1人に初めて女性ナタリー・ベキャール氏(52=フランス人)を任命した。
 シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿は、今回の任命について、「教会内の判断と意思決定の過程で、より多くの女性を参加させたい」という教皇の意向を表していると語った。事務局次長は投票権を持つとされている。
 ベキャール氏は、フランスを拠点とするザビエール姉妹会所属、フランスの著名なビジネススクール、HEC(パリ経営大学院)で経営学の修士号を取得、米ボストンで学んだ経験を持つ。2019年からシノドス顧問を務めていた。
 シノドスは投票権を持つ司教と枢機卿が主導し、投票権を持たない専門家らも参加する。次回開催は2022年秋の予定。□
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今さらですがテレビの虚構性:飛耳長目(75)

 最近届いた『UP』2021/2月号に以下があった。塚谷裕一「テレビ番組における虚構とサイエンスコミュニケーション」p.7-15。一種のやらせがどこまで許されるか、という問題が主題なわけだが、その中でテレビ業界ではかなり杜撰な事前調査しか行わないで、最後の詰めになって専門家のお墨付きをほしがって連絡があり、こちらが疑問や問題点を呈するととたんに連絡が途絶える、というエピソードが述べられていた。

 その実例が註記されていて、さてこの小論が出たので削除されかねないので(なにせアップ先が一応大学のHPだし)見るならいまのうちにと行ってきた(https://kindaipicks.com/article/001736)。結局資料提供者は「自称〇〇家」にすぎなかったわけだが(端的に言えば偽者)、それが分かっても番組は放映され、こうして輝かしい卒業生として紹介されている現実がある。所詮バラエティ・レベルなので一過性的に視聴率さえ稼げればそれでいいんだ、というわけなのであろうが、大学のHPに掲載されるとなると、それでいいのかというわけ。登場人物にとってはテレビはもちろん商売のPRなのだし。

 塚谷先生ほどではないが、私にもこういった連絡があった経験があって、下請けなのは明らかなのに堂々とたとえば「TBSです」と名乗ってくるのだが、質問内容は、私に電話するまでにせめてウィキペディアくらいは調べておいてよ、というレベル。

 しかし、こういうレベルで番組が制作・放映されているとなると、問題だと思う。私にしたところで自分の専門領域なら判断がつくものの、別分野であれば易々と誤情報をそのまま受け取ってしまうはずだから。その意味でこのブログだってその筋の専門家からしたら誤解と嘘だらけかもしれない。いや、絶対そうに違いない。

 たとえばNHKの大河ドラマにしても、史実を曲げてでもドラマチックに構成しないと面白くなくて視聴率は稼げない。戦国時代に日本には本来の意味での騎馬軍団は存在しなかったが、戦闘シーンで騎馬隊がどどっと走らないと迫力ないし、馬だってテレビ映りのいいアラブ馬(体高140㌢)やサラブレッド(体高160-70㌢)ではなく、せいぜい体高120ー130㌢台(ポニー・レベル)の短足胴長の在来馬では、御大将が騎乗したところで当時はともかく現代では絵になりゃしないのだ。騎乗者の体格は確実に大きくなっているのだし。赤穂浪士の敵討ちにしても、人々の共感を呼び起こすツボを心得た講談調で、物語的に巷間に流布したものがまかり通るわけである。観客の涙を絞るのは事実ではなくて、涙のツボを押さえた物語なのである。

流鏑馬で走る在来馬の木曽馬

 だからつい思ってしまう。事実に基づくべき研究者はいったい何が面白くてやっているのだろうと。

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森問題と仏教の女人差別:飛耳長目(74)

 身内の世間さまのみならず自称先進国をもお騒がせしている森問題だが、今読んでいる若桑女史の『クアトロ・ラガッツィ』の中にちょうどその問題の淵源に該当すると私が思う箇所が出てきた。彼女は、あの時代にキリスト教が驚異的に教勢拡大できた原因のひとつを、仏教における女性差別に求めている。

 そもそも鎮護仏教の教理には明確に「五障三従」の教えがあって、女性はそのままでは救われない、ただ男性に変身すれば成仏できるとされ、これが「変成男子」である、と(これと同様な思想が初代キリスト教、とりわけグノーシス派にもあったことにご注目のこと:地中海世界へのインド思想の流入なのか、それとも類似発想なのか)。それが鎌倉時代に新仏教が女人成仏思想を創出したのだが、それはよしとしても、たとえば親鸞は、まず女性にその罪業深きを教え、次に念仏を唱えれば女性でも成仏できる、という段取りなので、仏教の輪廻思想と絡んで、女性は前世以来の自分の業(ごう)の深さを徹底的にすり込まれた上で、救済を求めて「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と一心不乱に念じて、変成男子になり、成仏を願うことになるわけである。女史は平雅行の説を引用しつつ鋭くこう喝破している。「仏教の本質が鎌倉仏教で急に女性の平等に変わったわけではなく、またそれ以前にまったくそれがなかったわけでもない。多かれ少なかれ、女は穢れたものだという考えはその前にもあとにもあり、しかも、そのひどく穢いものを救うのもだいじという考えも同時にあった。言ってしまえば、女性を救おうという宗派も、まずは非常に罪深いものだということを認めさせた上で、そんな罪深い女でも救ってあげようというたいへんありがたい教えであって、女性が罪深いものだというたてまえを壊したものではない」(p.140)。もちろん最後の「ありがたい教え」という表現は女史の皮肉であるが。

岡山県西大寺観音院所蔵「熊野観心十界曼荼羅」:自分の母が自分を育てるために多くの罪を犯し餓鬼道に堕ちてしまったのを見て涙を流す高僧(https://www.saidaiji.jp/about/precinct-guide/kanjin-jikkai-mandara/)

 余談だが、昨日が三回忌の、一昨年93歳で死んだ大正14年生まれの私の母は、認知症が進んで最後に介護施設に入れられたことが大変ショックだったとみえ、「わたしゃ、業が深いせいでこんなことになって」と口走っていた(自分の行く末を考えて、まだ至極元気だった時期には自分で施設見学もしていたくせに、だ)。女の「業」は、それほど庶民の熟年女性には未だ深く根付いている想いのように思う。若い女性にとってはそういった宗教思想の偏見よりも社会的構造的な差別の方がより身近だとは思うが、それが意識下に沈潜した場合、「変成男子」化を求める方向に向かわないとは限らない気がする。

 で、今年で83歳になられる森元総理だが、別に弁護するつもりはないが、私が想像するに、たぶん念仏宗の盛んな石川県にあって生育されたのであれば、きっと「五障三従」が聞くともなく身に染みついてしまっているのかもしれない。ただここで私は偉そうに、今般の問題に仏教界はどう反応するのであろうかなどと言いたいのではない。

 公人であった彼が公の席で個人的体験でいらついたことがあったのだろうか、あらぬことをつい口走ってしまい、それが一般論レベルに拡大されて集中砲火を浴びているが、当人にとって理不尽感は否めないだろう。こんなことは居酒屋では掃いて捨てるほど聞くことできるはずだし(私はもう10年近くも行っていないので、最近変わっているカモだが)、マスク警察よろしく口先でたとえきれい事を述べたとしても(それを軽薄にもマスコミはマイクを差し出してチョイスして、電波に垂れ流す)、我ら自身の脳根幹にしっかり居座っている根源発想はそれほどに抜きがたいものなのだ、という認識を、我がこととして改めて確認してしまっただけのことである。

 ついでに付加しておこう。若桑女史によると、「日本は神国である」とはキリシタン弾圧の枕詞で秀吉や家康も言っていた。

 そしていわずもがな、女性差別はキリスト教とて一皮むけば同じではないか。教祖イエスは信者が唱えるべき主祷文で「天にまします我らが父よ」と神が男性性であることを明言しているのだから、それをいまさら神を「父でもあり母でもある」と言いつくろったところで許されるはずもないでしょう、と自称キリスト教的先進国にもの申したい気がする。トランプ問題で分かったことはアメリカのメディアがごく一部の意見の反映であって、普段は沈黙している名もなき庶民(それが全人口の少なくとも半分を占めているのだ!)の本音はそれとは別に強固に維持されているということではなかったかっ。そのことをもう忘れ果てて「アメリカのメディアでは」と鬼の首を取ったように言いつのっているご都合主義にはあきれてしまう。マスコミはえてして事実の報道と言うよりも、世論誘導という面もあるわけだ。自称先進国でさえ、法的に女性進出を定めていての操作の上での30%維持であって、実投票の成果ではないのだ、ということを知らないのだろうか。

 いや、欧米だけではない。どっかの国の先般の総理大臣の決め方にどれほどの透明性があったというのかっ。それについては健忘症のマスコミ知識人のぴーちくぱーちくにはあきれるばかりだ。

 こんな意見もある:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52300475.html

【追記】ようやく肝心のデータが出始めた:「女性理事わずか16.6% 森氏発言があぶり出す社会のいびつさ」(https://mainichi.jp/articles/20210211/k00/00m/040/081000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210213)。数字に基づいて論じられるべきなので、こういう情報は大歓迎だ。森発言の当事者となったラグビー部門は女性委員5名で20%強を占めている。最高はテコンドーの36.4%。もっと多くていいはずの水泳や体操部門が遅れをとっているのは、伝統種目のせいか。でもサーフィンは0%。

 こういう論議の仕方、私は好きである。円より子「森喜朗さん、よくぞ言った 男の本音に非難続々で「男的世界」は変えられるか:男も女もしばるジェンダーバイアスから自由になる時代に」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021020500005.html?page=1)

 しっかし、橋本女史の選出にどれほどの透明性があるというのか。これって結局汚れ仕事を女性に押しつけただけのことじゃあないのか。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64136

【続報】体験談は説得力がある。https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/084000c;https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/274000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210302

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溶けてゆく記憶:痴呆への一里塚(43)

 もともと暗記力はよくないという自覚はあったが、このところひどくなっているなと思い出している。そろそろ身辺整理をと思い立って母からの遺産関係をまとめておいたはいいが、それをどこにしまったかすぐには思い出せなくなったのだ。以前だったらそれくらいちゃんとおぼえていることできたのに。いわゆる「失せ物探し」で私にとっては膨大な時間と体力が必要になってきている。本だってそうだ。自宅の書架にあるはずのものがない。たいした書架ではないのに。大学に寄附したのかとオパック見てもない。また書架をみるが見つからない。古書店に処分した中に入っていたのかどうか、記憶はもうない。

 一件書類をひとまとめにして、没後にすぐわかるようにしておかなきゃと一念発起しだして半年経つが、それがこれではね〜。先行き不安。

 そういえば、視力が一段と薄くなってきて、煩瑣に眼鏡をとらないと見えなくなってもいる。これも不安材料には違いないが、こういう老化はしょうがないやと受け入れやすい自分がいる。

 なにか言うと、妻は二言目には「なんたらノートに書いといて」という。けれど、死亡後のどさくさでそんなノート、果たして探し当てたり、出てくるものだろうか。母の場合だって、「遺影はこれにして」といわれた写真があったが、それがどこに置かれているのか、未だ見つかっていない。結局、まだ元気だった頃、施設で誕生日に撮って頂いた普段着の写真を使った。私が記憶していた遺志もあったが、私の一存で変えた場合もあった。それなりの葬儀を期待していたようだが、こじんまりとした家族葬ですました(東京でお骨にし、広島で葬儀した)。生前、香典に関して「これまでのを回収しなさい」と言っていたが(半分は本音だったと思う)、私はご辞退させて頂いた。

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科学者・野口英世の毀誉褒貶:飛耳長目(74)

 BS 4Kで「フランケンシュタインの誘惑(3)科学者野口英世」をたまたま途中から見た。朗読が吉川晃司であることは声質からすぐわかった(MAGI見た後だったし)。私も子供の頃の偉人伝で読んだ覚えのある野口英世(1876-1928)を研究者として見直そうという内容であったが、上昇意欲が激しくそれで顰蹙をかっていたということはなんとなく聞いていた覚えがあったが、彼の研究のほとんどは誤りであったという件については、初めて知った。

 あとからウィキペディアで彼の項目を読んだら、これはもう色々の意味で突拍子もない御仁であった。完璧な人間なんていないと断じている私ではあるが・・・。研究者としては、理化学研究所研究員だった小保方某女史の論文偽造騒ぎから6年経ったが、まるでその先駆者であったかのようで、今風にたとえていうと「細菌」学者だった彼が「ウイルス」と格闘してお門違いを重ねていく、そんな印象を私は持った。これで万一ノーベル賞を受賞していたら今頃はと、空恐ろしくなってしまう。

 人間的には「人たらし」に長け、借金を重ねて女郎屋での「放蕩」三昧で浪費する繰り返しで(当然性病にも冒されていた)、性格破綻者以外の何者でもない。偉人伝の彼とは似ても似つかぬ実像だ。

 こんな人間をよくもまあ国家的な偉人を飾る切手や紙幣の顔に使ったものだ。知っててやったのなら、私には、以前書いたイタリア・リラのかつての最高紙幣に採用の、殺人犯でお尋ね者のカラヴァッジオ並の快挙・壮挙に見えてしまうのだが、はたして使用者側の国民の皆さんはどこまでご存知なのやら。

 とまあ、理系の研究業績では時が来ればいずれ黒白がはっきりするわけだが、文系はそうはいかないけれど、彼の、自分に都合のいいデータだけ採用して、他者からの批判を検討しない姿勢を踏襲することだけは避けるべきである。しかしこのけじめを遵守することすら、新分野開拓に挑戦するアグレッシブな(功名心に富んだ、情報発信に積極的な)研究者にとってなかなか難しい。彼らのようなメンタリティの持ち主がいないと、研究は先に進まないのも事実だし。実はデータ改竄や盗作は科学史の偉人とされて教科書にも載っているガリレイもニュートンも、ダーウィンもやっていたことであるらしい。

 理系での不正論文問題が火を噴いている現状の中で(「これまでに約2000本の不正論文を見つけました」:https://www.editage.jp/insights/i-found-about-2000-problematic-papers-says-dr-elisabeth-bik;https://www.saaaj.jp/public/books/books2015_03_1.pdf)、その中で文系の論文捏造は珍しいとされているが(「日本が世界トップの論文不正大国になってしまった理由」:https://diamond.jp/articles/-/213446)、私の分野のように研究の主戦場が欧米にある場合、実は根源的に横を縦にしてのコピペ・盗用問題が内在していることを見逃してはならない。オリジナル研究には時間と費用がかかるが、そんな研究をしていては就職もできず消えていかざるをえない現実の中で、無駄と分かっていても駆け出しの若手は研究論文を乱作せざるを得ない、それで手っ取り早く欧文を読んでもっともらしく自説を装う、という構造的問題が存在する。ま、理系と違い世間的な影響はほとんどないのが不幸中の幸いか。

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続・木内みどりさん

 以前(2020/12/9)アップした後続情報である。「この国に、女優・木内みどりがいた<23>アウシュビッツ、そして福島のアーチ」(https://mainichi.jp/articles/20210204/k00/00m/040/081000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210207)。普通は撤去するほうに大賛成するはずのところ、なるほど強制収容所と同列に考えて遺すべきとは。なかなかの見識で、並の人ではない。アメリカの南軍関係や黒人奴隷でも同様の問題が存在する。

チェコ北部のテレジーン強制収容所

 ところでこの標語「Arbeit macht Frei」は、しばしば誤解されているようだが、アウシュビッツのみに掲げられていたわけではない。以下参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/働けば自由になる

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宇宙トイレ:トイレ噺(23)

 最新のNational Geographic日本語版で宇宙トイレの話がコラム的に載っていた(2021年2月号「無重力でも快適な宇宙トイレ」)。それによると、水分は回収されて再利用される(なんと98%もだそうだ)。ゆえにキャッチフレーズは「今日のコーヒーは明日のコーヒー」。

 それで気になってぐぐってみると色々みつかった。ここでは以下のみ引用しよう。「新しい宇宙トイレ、国際宇宙ステーションに向けて出発:開発費は約24億円、女性宇宙飛行士の利用にも対応」(https://www.timeout.jp/tokyo/ja/ニュース/新しい宇宙トイレ-国際宇宙ステーションに向けて出発-100520)。写真もそこから。

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