◎四旬節メッセージ=教皇、イエスと共にタボル山に登るよう招く ◎教皇、ニュージーランドのサイクロン被災者に寄り添う ◎ミュンヘン会議開幕=ウクライナ大統領、兵器供与の加速呼びかけ ◎5月競売、世界最古のヘブライ語聖書公開 今回は、最後のものを紹介しよう。 ◎5月競売、世界最古のヘブライ語聖書公開 【CJC】競売大手サザビーズは2月15日、ニューヨークで5月に競売に出される1000年以上前のヘブライ語聖書を公開した。ニューヨーク発AFP=時事通信によって紹介する。これまでに発見されたヘブライ聖書の中で最古とされる。 出品されるのは「サスーン写本」で、9世紀後半~10世紀初頭に書かれた。落札価格は歴史的文書としては過去最高の5000万ドル(約67億円)に届く可能性がある。 写本の名は、ユダヤ教古文書の個人収集家デービッド・ソロモン・サスーン(1880~1942)にちなんでいる。 ヘブライ語聖書全24巻を収録した写本として現代まで残る二つのうちの一つ。紀元前3世紀にさかのぼる死海文書(死海写本)と、現代版ヘブライ語聖書の架け橋とされる。 サザビーズによると、初期のヘブライ語聖書として有名な他の2点、アレッポ写本よりも完全で、レニングラード写本よりも古い。競売に出品されるのは30年以上ぶりだという。□
米国キリスト教事情:教会離れ
堀田佳男「米国でキリスト教離れが止まらない、教会の閉鎖も急増中:宗教に対する若者の信頼が崩壊、コロナ禍がダメ押し」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73699)
ここで述べられているのはプロテスタントの話だが、カトリックにとっても他人事でない。私が20代のころ(もう50年も前になるのか)、教会付属(正確に言うと女子修道会経営)の幼稚園の先行きがすでに危機感をもって話題となっていた。宗教の場合は、世代交代が大きな節目となるので、まず50年-70年周期くらいの変化となるはずだ。
それに今回の新コロナが決定的打撃をあたえることになるだろうとは、私でも予想できる。
そのマイナス要因以上に、教会が集客力をもつことができるかどうか、その活力が残っているかどうか、が決め手になるはずだが、どうだろう。60、70年代には、かなりメッキが剥がれてきていたとはいえ、ヨハネ23世が開始した第二バチカン公会議による教会刷新という起爆剤があった(私はこの世代である)。冷戦終結の21世紀前後は、ポーランド人ヨハネ・パウロ2世というスケールの大きいスターの登場が吸引力となった。
そして現在、我が国では戦後の米国支配によるキリスト教ブーム(日本では不発に終わったとはいえ)時代の受洗者が天に召されていく中で、どれほど自覚的な2世、3世信者(私にはどうしても「ニセ信者」と聞こえてしまうのだが)が育っているかどうかが決め手となるはずなのだが、さて。
やっぱりそうか:廃物利用の戦車投入、そして・・・
以前もちょっと触れたことのある話題だが、武器はそれでなくとも早晩おしなべて使い物にならなくなる。現役であろうとするとメンテナンスが重要となる。既製品を有効利用しつつ、次の需要をどう喚起させていくか、これが軍事産業のねらい目となる。だから実戦での消耗は彼らにとってもっけの幸いなのである。40年前ですでに時代遅れのトマフォーク爆買いのニッポン総理なんかいいカモであるが、これで首相の地位安泰という相変わらずの朝貢外交の見返りなのだろう。
深川孝行「ウクライナ戦争のカギを握る戦車、世界的には廃棄が進む“絶滅危惧種”だった:「戦車王国」だった欧州の主要国は、いまや日本の半分以下しか保有していない」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73989)
数多久遠「ウクライナ戦局に大きな影響を与えている「まだ姿を見せない戦車」:欧米による戦車供与の2つの意味」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73862)

ところで、遅ればせながらこんな話題も飛び込んできた。
福島香織「吠えまくっていた「戦狼外交」報道官、謎の左遷から見えてくる中国の一大変化:苦境にあえぎ国際社会との協調へ軌道修正か」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73475)

趙立堅をTV画面でしか知らない私も、クソ生意気な顔つきの彼はいつまでもつかと思っていたのだが(北鮮のおばちゃんは愛嬌あるけど)。今年1月早々、満3年もたずに使い捨てされたらしい(削除された妻のブログが昨年秋から過激になっていたので、そのころから左遷情報は洩れていたのだろう、とのこと:https://news.yahoo.co.jp/articles/c0b4e778eb8d7ddb9726b84eb0cbba124e1a639a)。
漫画『はだしのゲン』
たしかにこの作品についてこれまでもさまざまな論争があったが、こともあろうに広島市教育委員会が「被爆の実相に迫りにくいと判断した」としてこれまで平和教育の補助教材に採用してきたものを、他と差し替えてはずすことにきめたそうな:https://ml.asahi.com/p/000004c215/18771/body/pc.html。なんたらサミット前のお掃除だなどと思いたくはないが、現に進行中のウクライナで庶民が直面している惨状は、75年前の日本空襲と寸分違わない現実であるにもかかわらず、リアルを伝えるはずのマスコミが率先自主規制に走って映像での実相隠しも常態化している中で、なにが真実を伝ええる素材なのかと考えざるをえない。
そもそもこれまで採用されていた箇所「コイを盗む場面」なんか、原爆の「実相」としてけっして適切とは思えないものを教材にしてきた挙げ句の決定のようだ。
たしかに荒々しい筆致で過激な文言も見受けられるが、漫画とはいえ、否、漫画であればこそ『はだしのゲン』は強烈な情報発信源だった。今風にいえば、写真ではなく漫画だから許されてきたこともたしかだろう。その被爆の「実相」箇所を「子供には残酷すぎる」とあらかじめ排除してきての言い草には何をか言わんや、といいたくもなるが、そこにはそれなりの苦渋の選択があったのだろう。周辺部分で今だと問題視される差別用語も遠慮会釈なく出てくるが、それが当時は普通だった、そう思っていた(思わされていた)、というあたり教師なり大人の解説と是正が必要なこともいうまでもない。庶民の大人が言い放っていた言葉を当時の少年(作者・中沢啓治)がストレートにそう聞き取っていたという話なのである。

図書室には全10巻+がまだ設置されているはずであるが、子供は指摘されなければ関心も持たないものだ。我が家の書架にも目立つ場所に関連戦争漫画を含めてずっと置いてあったのだが、練馬そだちの孫たちは読もうともしなかった。東京には東京大空襲という立派な歴史教材があるが、そこから拡げて広島原爆に普通の子供の関心は及ばないのが現実である。
20歳になった孫娘を伴っての先月の帰広の際は、広島平和記念資料館(通称・原爆資料館)と国立のほうにも連れて行った。孫は前者には私の二倍時間をかけて見学していたけれど、だからとりあえずどうだということでもないわけで。各人各様の内的発酵を期するしかないと思っている。
私が子供のときは、8/6は一家そろってラジオやTVの前に正座して平和公園の式典を見聞きしていた。そういえば、父は祝日には門前に必ず国旗を掲揚していた(当時の家の玄関にはそれ用の筒も設置されていたし)。私の世代になってそういう習慣を私は家族に強要することはしなかったので、まったく消え去ってしまった。私の心の中にはそれなりにヒロシマ・ゲンバクへの思いはあるのだが、それだけでは次世代・次々世代には伝わりようもないわけだ。となれば、素材はともかくも、それを扱う・採用するかどうかを含めての、大人・教師の自覚と感性によるものだ、ということになりそうな。
【追記】2023/2/18の「中国新聞ニュースレター(朝)」(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/272184?utm_source=mail&utm_medium=letter_asa&utm_campaign=letter_asa)に、教材箇所の画像3枚を含めて以下が掲載された。「はだしのゲン「漫画だから伝わるのに」:広島市の平和教材から削除に疑問の声続々」。ここでは末尾の作者の妻の言を転載しておく。「<原作者の故中沢啓治さんの妻ミサヨさん(80)の話> 夫は原爆の恐ろしさを自分の体験を通じ、子どもたちに分かるように描いてきた。今の時代に合わないなら仕方ないが、作品を読むきっかけが失われるのが残念。ゲンはコイを盗みたくて盗むのではない。母親を助けたいという思いが強い。それが分かりにくいなら他の場面を使えばいい。何がいけないか、市教委から詳しく理由を聞きたい。」
世界キリスト教情報第1673信:2023/2/13:黒人警官の暴力
先週は私の方にはなぜか届いていなかった。編集者がそろそろお疲れ気味なのかもしれない。実は今週も未だ届いていないのだが、そういうときのお助けマンとして、お邪魔している小原克博氏のブログ(http://www.kohara.ac/news/)からの転載。だがそこでも1/9以降久々の掲載となっていた。4信も欠けているわけで、これまでにない現象と言わざるをえない。
◎ニカラグアが政治犯222人を国外追放=全員米国に
◎ロシア、3月に日量50万バレル減産=西側諸国の制裁に対抗
◎黒人警官が黒人を殴り殺す、アメリカの暴力に際限はない
◎世界人身取引に反対する祈りと啓発の日、教皇がビデオ通じメッセージ
今回は3番目の記事を。暴力を振るうのはなにも白人警官だけでないわけだ。
◎黒人警官が黒人を殴り殺す、アメリカの暴力に際限はない
【CJC】米テネシー州メンフィスの教会で2月初めに黒人男性のタイリー・ニコルズ(享年29)の葬儀が行われ、黒人牧師が追悼の言葉を送った。
ニコルズは1月、危険運転を理由にメンフィス警察の警官から3分間にわたって殴られ、2日後に病院で死亡。
暴行した黒人警官5人は第2級殺人罪などで訴追されたが、暴行時の映像が公開され、全米に衝撃と抗議デモが広がった。
ウクライナ疲れは家計に現れる
こんな情報が出だして久しいが、ほんとうのところどうなんだろうか。
島田久仁彦「世界はウクライナを見捨てはじめた。隠せない「綻び」と支援疲れの現実」(https://www.mag2.com/p/news/565867?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_mon&utm_campaign=mag_9999_0206&trflg=1)
実は、私は1月末に帰省したのだが、それと入れ違いにガスの検針があって、その結果が帰京を追っかけるように送られてきて唖然とした。なんと、1月の検針日までわずか数日の滞在だったのに、実家を留守にしているときの3倍の請求だったのである。数日でのこの金額には畏れ入った。こういう現実にサラされると、私のような年金生活者はすぐさま音を上げざるをえない。
この冬の光熱費の請求書がおそろしい。実はすでに予感しているのは、練馬の家の統計だが昨年比で、12月分で1.8倍、1月分で1.5倍かかっているからである。防衛手段など限られていて、老体に無理してもいいことはないのだから、なすすべもない。
ド頭で考えてみたが、洗濯後の乾燥機をやめて外干しにするを思いついたのだが、私は花粉症なので、時節柄それはできない。夜中中起きている生活をやめればいいのだろうが・・・、これもできそうにない。まあ暖房切って厚着することくらいかな。体を縛られる圧迫感がいやで下着の裸族なのだけれど。
老残記
1月半ばから二月初頭にかけて、20歳になった孫娘と過ごすことが多かった。一緒に広島に帰省したり、彼女が大学での課題を消化するために我が家に泊まり込みで継続して滞在していたからだ。
ほぼ一日中同じ部屋(居間)でそれぞれパソコンに向かうことが多かったわけだが、そこで老妻との二人の生活では気かなかったことを認識させられて、自らの老化現象を再確認させられてしまった。
第一に、匂いへの感覚である。若い娘に較べ、老人の嗅覚が妻ともどもかなり衰えていることが色々の場面で判明。トイレに薬剤を撒いておいたら、私には全然薬品臭は臭わないのに、目ざとく気づくのである。もっともこの孫娘はどこでどう間違ったのか、思春期以来魚類はいっさい受け付けない体質になってしまっているので、特殊すぎるのかもしれないと思わないでもないが、老人の嗅覚が確実に衰退していることは疑うべくもない。
第二に、耳の中がかゆいので、私がよく黒綿棒を突っ込んでいるのを見て、耳のかゆみをとる「ムヒ」なる商品があることを教えてくれたのも孫娘だった。早速購入してこれつけるとちょっとひんやりするだけで、私の場合やっぱり綿棒でぬぐい取る結果になるのでそう効果的ではなかったが。年取ってから耳の裏のねっとりした分泌物に自覚的に気付いている身からすると、この内外の現象は一連のものと素人考えしている。
第三に、ここ五年で私の歯がガタガタになってきているのだが(奥歯が一本抜けたせいで、歯と歯の間が開いてきたのが原因かと)、したがって食事の後に私は無意識に口の中の掃除をして、ちゅうちゅうと音をたてていることを、孫娘に指摘されてしまった。妻はすでに聴力が衰えていることもあり(別説では夫にまったく関心を持たなくなっているせいだとの有力仮説もある)、これまで何の指摘もされていなかったことで、恥ずかしくもあったが、ありがたい指摘だった。孫娘は、家の中ではともかく、新幹線の中でもやっていたので、これは周囲の人に不快感を与えるだろうから、やめたほうがいい、と。
それにしても、朝起きたときの口中の不快感は半端でない。唾液の分泌が激減しているせいだろう。
妻には歯医者に行けとかいわれてしまったのだが、私は最近、長寿のあげく痴呆症になって死んでいくよりも、そうなる以前に病気にかかって死ぬという伝統的死に様を選択しようと考え出しているので、そのための第一段階は歯の治療をしないことだと思い定め、あと健康診断を受けないことでガンなんかが発症したらすでに末期だった、という段取を構想しているので、却下なのである。しかし、歯のちゅうちゅうは、ここ数年、知らず知らずやって来た習慣であるので、その修正はなかなか困難なはずだ。その第一歩は食後の歯磨き実践だろうか。
しかし彼女にしたところで、言うのを憚っていることがまだまだあるのだろうが、私としては言ってもらったほうがいいのはいうまでもない。それが諦められたら、もう人間としておしまいなんだろうなと思っている。
コンスタンティヌスはなぜ親キリスト教政策を採用したのか : Morris Keith Hopkinsの指摘
このテーマは、現代に至る多くの親教会的な研究者にとっては、コンスタンティヌスらキリスト教皇帝たちのキリスト教への帰依で短絡的に処理されがちである。そもそもこういうテーマを研究に取り上げようという研究者の多くはキリスト教徒、ないしシンパだったりするので、結果論的にその結論は最初から予定調和的にそうありきとなり勝ちだ。逆に、非信者の研究者にとっては、皇帝とキリスト教会の関連など最初から関心の外だったりするので、いわゆる学界の主流は信者研究者の路線で占められて来たといっても過言でない。基本的に護教なのである。その認識が薄い中で当時の文書史料を表面的に読んでしまうと、書き手(その多くがキリスト教徒)の意図したとおりの術中に陥ってしまう。それは普通の分野では「研究」とはいわれないわけなのだが。
そんな中で、イギリスの社会学・人口統計学・歴史学者のMorris Keith Hopkins(1934/6-2004/3:1985-2000年までケンブリッジ大学古代史教授)は異色だった。まず大学院時代にはMoses Finley教授(1912/5-1986/6:アメリカ生まれだったが、赤狩りで職を追われイギリスに移住、ケンブリッジ大学古典学教授になる)の影響を受けて、社会学研究者として出発。彼は、古代史研究者は研究対象である史料は偏見に満ちているので従う必要はなく、むしろ史料を問い直し、より大きな相互作用の中で理解することを追求すべきと主張し、文献中心の伝統主義のオクスフォード教授Fergus Millar(1935/7-2019/7)と意見を異にした。ある意味、ケンブリッジ大学での最初の恩師A.H.M.Jonesの文献史学の集大成的著述The Later Roman Empire 284-602, Oxford, 1973出版のあと、おそらく、何が自分に残されているかと考えあぐねた末に、彼は、フィンレイの影響によってアメリカ流の社会科学的視点を古典学に導入しようと意図的に蛮勇を振るったのではなかろうか。性格的にも万人向けではなかったようだ。だから決して評判がよかったわけではないらしいが、20世紀において最も影響力のある古代史家の一人だったことに間違いはない。

完璧主義者だった彼に著書は4冊とそう多くないが(論稿はそれなりにある。彼の人となりや研究業績の位置づけ・評価に関して詳しくは、学統的に盟友とでもいうべきコロンビア大学教授W.V.Harrisの以下参照。”Morris Keith Hopkins 1934–2004, ” Proceedings of the British Academy,130, 2005, 81–105:私はこれに導かれて迂闊にも、私が学部時代に竹内正三先生の演習で延々と読んだ前記A.H.M.Jones, The Later Roman Empire 284-602の前書きで、Jonesが謝意を表している錚々たる顔ぶれの中にロンドン大学のMr.Hopkins(当時博士論文も書いていなかったはず)が第二巻を読んでくれたという一文を遅ればせながら確認することができた)、彼の著作の日本語訳は以下の2冊しかない。
高木正朗・永都軍三訳『古代ローマ人と死』晃洋書房、1996年(原著1983年:但し全訳ではない)
小堀響子・中西恭子・本村凌二訳『神々にあふれる世界』上下、岩波書店、2003年(原著1999年)
基本、経済社会学的見地から歴史を見るホプキンスが、欧米の宗教史研究の「致命的なスコラ学」打破に果敢に挑戦したのが後者であるが、私はその中で以下の文言をみつけて文字通り絶句したのである。「国家規模の寛恕と民衆の信心こそが、信心と平和に支えられて何世紀にもわたって異教神殿に蓄えられていた莫大な神殿財産を貨幣に鋳造してローマ帝国が引き出した多大なる利益から関心を逸らす役割を果たしていたのである(註66)。異教からキリスト教へ、という公的宗教の変化は、莫大な棚ぼた的利益をローマ帝国にもたらしたのである」(上、p.182)。
・・・・これは私にとって盲点だった! しかし、いわれてみれば納得なのである。言い得て妙なのだが、へたをすると「GOD / GOTT」は「GOLD / GELD」なのだ(昨今の旧統一教会問題など、その錬金術の小規模な現実にすぎない)。慌てて註(66)をみてみると、冒頭に「この主張は大胆であるが、細部に関しては正当化しがたいものである」と、著者自身の私には意味不明のコメントが。そこに記されていた諸史料のうち、他の教会史家たちがコンスタンティヌス顕彰で書いている中で、「無名氏『戦争をめぐる問題について』2.1」ただ一人がそれにズバリ言及しているのだが、これは初見だったので有難かった(Anonymus, De rebus bellici : https://archive.md/xo0fT:あとになって、以下もあることを知った;Firmicus Maternus, The Error of the Pagan Religions, in:Ancient Christian Writers, No.37, 1970 : De errore profanarum religionum)。こういう本は我が図書館には当然のように所蔵されているのは、ありがたいことだ。
ところで、上記以外にも翻訳であれこれ散見する意味不明の箇所確認のため早速ホプキンスの原本を発注したのだが、どうしたものか一向に届かない。現在3回目の発注を試みている状況である。キャンセル通知もないのだ。しょうがないから所蔵大学図書館からの借り出しを試みることにした。
本書に関し、予想通り現在においても伝統的スコラ学に牛耳られている学界の反発も強くて、彼の試みが完全に成功したとは言えない。その線での研究が将来を切り拓くことは自明のことであるとはいえ、冒頭述べた伝統史学に連なる権勢は未だ強力である。進取の気性に富む気鋭の若手の登場を期待してやまない。
【付記】著者には好意的なのに監修者・翻訳者に対してかなり辛辣な以下の書評参照のこと。さながら神学の聖域に土足で踏み込まれた祭司の憤りの表白ともいえるが、私的な感想でも核心部分でまんざらはずれていない面があると思うのは、私がカトリック系だからであろうか。否、やはり翻訳の節々に問題ありと感じてしまうのだ。:
秋山学『地中海研究』28,2005年、pp.131-136.
他に、新刊紹介的な以下もある。松本宣郎『西洋古典学研究』49、2001年、pp.133-157.
【追記】図書館を通じて国立のTH大学から届いた件の本はペーパーバック(2000年)だったが、背表紙に折り目もついておらず、私が初見なのは歴然。さっそく犬の匂いつけよろしく盛大に折り目をつけさせていただき、気になっていた箇所を点検し始めたのだが、文飾・文体がらみのほうについては触れないとしても、単純な歴史用語に関してやはり問題を早くも見つけてしまった。英和辞典の訳に準拠したのであろう、古代ローマ史だと「円形闘技場」とすべき所を「円形劇場」にしていたり(初出は上巻訳p.65:p.66の2行目ではせっかく正しく訳しているのに、その後も回帰しているのは、どうしたことか)、アタナシオスの場合はわざわざギリシア語読みに直して訳しておりながら、なぜかアレイオスとせずに「アリウス」のままだったり。特に前者はローマ史の専門家であれば誤訳しようもない初歩的問題なので、監修者役がきちんと校正していなかったことになる。
また、これが指摘できるのは日本で私だけかもしれないが、上巻訳の第1章註(18)で、latrineをやはり英和辞典訳に従ったのだろう、ご丁寧に「汲み取り便所」としているが、それだと、本文p.33の末尾の「各階に汲み取り便所があった」という訳と齟齬を来すはずではないか。ここは平明に「便所」でいいはずだ。
ただ、上記松本氏が指摘していた図19(原本では22)に関する第6章註(5)での人名誤記問題は修正されており、間違いへの配慮なのだろうか、図のキャプションも懇切丁寧なコメントに改められている。また私は、上巻訳p.65,66の剣闘士競技や、下巻訳p.24とp.91掲載のいわゆる呪詛板の図版に番号も付されていないことを奇異に感じていたのだが、それは2000年版でもそうなっていたことを付記しておこう。
世界キリスト教情報第1671信:2023/1/30
どうやら今回から情報の提示方法が変わったようなので、試しに全文転載する。
《ハイライト》 ◎2023年度「世界広報の日」に向け教皇メッセージ 【CJC】教皇フランシスコは、カトリック教会の2023年度「第57回世界広報の日」のためのメッセージを発表した。バチカン・ニュース(日本語版)によって紹介する。 「世界広報の日」は、様々な形のメディアを通して行う福音宣教について、教会全体で考え、祈ることを目的とするもので、毎年、聖霊降臨の前週の日曜日(2023年度は5月21日)に、一方、日本の教会においては復活節第6主日(今年は5月14日)に行われる。 これに先立ち、毎年、ジャーナリストの保護者、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日1月24日に、教皇によるメッセージが発表された。 教皇はこれまでの「来て、見なさい」、「心の耳で聴く」といったテーマに続き、今年は「『愛に根差した真理に従い』心を込めて話す(参照=エフェソ4・15)」(仮訳)を選ばれた。 メッセージで教皇は、「行く、見る、聞くようにわたしたちを動かすのは心である。心が開かれた、受容的なコミュニケーションを行わせる」と述べている。 そして、耳を傾けることを学んだ後、対話と分かち合いを発展させたもの、すなわち心のこもったコミュニケーション、愛に根差した真理に従った会話を学ぶよう教皇は招いている。 イエスは、「木はそれぞれ、その結ぶ実によって分かる」(参照=ルカ6・44)。 「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである」(参照=ルカ6・45)と言われた。 それゆえ、わたしたちが「愛に根差した真理」に従って語るためには、自らの心を清める必要がある。純粋な心で聞き、話してこそ、わたしたちは外見の奥にあるものを見、混乱した騒音を克服することができる、と教皇は述べている。 心を込めて伝えるとは、読む人、聞く人に、今日の人々の喜びや恐れ、希望や苦しみに対するわたしたちの分かち合いを理解してもらうことである。このように話す人は、相手を大切に思い、その自由を尊重する、と教皇は言う。 このようなコミュニケーションのために、教皇は、イエスが十字架上の死を遂げた後、エマオへ向かう弟子たちに話しかけた不思議な「旅人」をモデルとして示している。 復活されたイエスは、悲しむ弟子たちの歩みに尊重をもって付き添いながら、心を込めて話しかけられる。実際、弟子たちは、その「旅人」と話しながら、「心が燃える」(参照=ルカ24・23)のを感じていた。 分極化や対立の構図が目立つこの時代、教会共同体でさえもその影響を受けていないとはいえない。このような中、「心から」「広げた両腕から」のコミュニケーションのための努力は、情報にたずさわる者たちだけでなく、すべての人の責任でもある。教皇は、わたしたち皆が、真理を語り、それを愛をもって行うよう召されている、と述べる。 教皇は、「心を込めて話す」ことの最も輝ける模範を示した人として、帰天400年を迎えた聖フランシスコ・サレジオ司教・教会博士を挙げられた。そして、同聖人の柔和で、人間性にあふれ、反対者をも含むすべての人と忍耐強く対話する姿勢は、神のいつくしみの愛のすばらしい証しとなった、と思い起こされた。 「心は心に語る」という同聖人の言葉は、世代を超えた多くの人に影響を与えた。その一人である、ジョン・ヘンリー・ニューマンは、この言葉をモットーに選んだ。教皇はニューマンの「よく話すためには、よく愛するだけで十分である」という言葉を引用されている。 聖フランシスコ・サレジオの、「わたしたちが伝えるのは、わたしたちそのものである」という教えに触れつつ、教皇は、今日のソーシャルメディアが、ありのままの自分ではなく、「かくありたい自分」を伝えるために利用されていることをも指摘している。 教皇は、この「優しさの聖人」から、真理を勇気と自由をもって語り、物々しい攻撃的な表現を用いる誘惑を退けることを学ぶよう勧めている。 教皇は、教会においても耳を傾け、また耳を傾け合うことの必要が大いにある、と述べ、心に灯をともし、心の傷に塗る香油となり、兄弟姉たちの歩みの光となるコミュニケーションの構築を急務として提示された。 そして、教皇は、聖霊に導かれた、親切で、同時に預言的な、第三千年期にふさわしい新しい福音宣教の在り方を見い出し得る、教会のコミュニケーションを望まれた。 「穏やかに語る舌は骨をも砕く」(箴言25・15)。「心を込めて話す」ことは、戦争のある場所に平和の文化を推進し、憎しみと敵意が荒れ狂う場所に対話と和解の道を開くために、またとなく必要とされている、と教皇は強調。 世界的な紛争を生きる今日の劇的状況において、対立的でないコミュニケーションを確立することが求められている、と述べている。 教皇は、対話に開き、統合的な軍縮を進め、闘争的な心理状態を解くことに努力する伝達者の必要を説きつつ、聖ヨハネ23世の次の言葉を示された。「真の平和は、ただ相互の信頼のもとにのみ築くことが可能である」(回勅=地上に平和を)。□ ──────── ◎エルサレム礼拝所銃撃で7人死亡=イスラエル・パレスチナ間で暴力の応酬続く 【CJC】東京新聞カイロ報道によると、イスラエル占領下の東エルサレムにあるユダヤ教の礼拝所で1月27日夜、銃撃事件があり、付近にいた通行人ら少なくとも7人が死亡、3人がけがをした。28日朝にも東エルサレムの旧市街近くで銃撃があり、ユダヤ人2人が重傷を負った。 イスラエル当局によると、礼拝所を銃撃したのは、東エルサレムのパレスチナ人の男(21)。車で現場に到着後、建物や通行人に向けて銃を乱射し、その後射殺された。ネタニヤフ首相は事件後に現場を訪れ、「近年で最も深刻な事件の一つで、決意と冷静さを持って行動しなければならない」と述べた。 イスラエルでは昨年末、ネタニヤフ氏率いる右派リクードや極右、ユダヤ教政党など6党による新政権が発足。直後に国家治安相の極右政党党首が、エルサレム旧市街にあるイスラム教とユダヤ教の共通の聖地を訪れるなどし、パレスチナ側が猛反発していた。 イスラエル軍はパレスチナ人への取り締まりを強め、26日には占領下のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸ジェニンの難民キャンプを急襲し、過激派組織「イスラム聖戦」と交戦。パレスチナ人9人が死亡、約20人が負傷した。その後、パレスチナ自治区ガザのイスラム主義組織ハマスがイスラエルにロケット弾を撃ち込み、イスラエル軍は27日に報復の空爆を実施した。□ ───────────── ◎スペイン南部で教会を刃物で襲撃、聖職者1人死亡=テロ疑い容疑者拘束 【CJC】パリ発共同通信によると、スペイン南部アルヘシラスで1月25日、男が複数のキリスト教会や周辺で人々を大型の刃物で襲い、教会関係者1人が死亡、聖職者1人を含む4人が負傷した。捜査当局は男を拘束し、イスラム過激思想の影響を受けたテロの疑いがあるとみて動機を追及する。スペイン通信(EFE)などが伝えた。 男はモロッコ国籍のヤシン・カンサ容疑者とされる。目撃者の話によると犯行時に「アラー(イスラム教の神)」と叫んでいたという。 スペインのサンチェス首相はツイッターで、死亡した教会関係者の遺族へ弔意を表明し、当局の捜査を全力で支えると訴えた。□ ───────────── ◎ウクライナ東部ソレダルで抗戦続く=「ロ軍に大きな損害」とゼレンスキー大統領 【CJC】キーウ/ソレダル近郊(ウクライナ)発ロイター通信によると、ウクライナのゼレンスキー大統領は1月12日のビデオ演説で、東部ソレダルのウクライナ軍は陣地を維持しており、ロシア軍に大きな損失を与えていると述べた。 ゼレンスキー氏は、ソレダルの2部隊に対する感謝を表明し、「持ち場を死守し、敵に大きな損失を与えている」と述べた。詳細は明らかにしなかった。同氏はまた、ウクライナ軍の上級司令官と会談し、ソレダルや周辺地域の戦闘に対する増援などについて詳細に分析したと述べた。 ロシアのプーチン大統領の盟友が経営する民間軍事会社ワグネル・グループは、ソレダルを制圧したと宣言していた。 ロシアが任命した現地当局者はオンライン放送で、ソレダルには「幾つか小さな抵抗地区」が残っていると述べた。米当局者は、ソレダルでのロシア勝利が事実だとしてもその重要性を疑問視している。 米国家安全保障会議(NSC)のカービー報道官はホワイトハウスで記者団に「(近郊の要衝)バフムトとソレダルの両方がロシア側に落ちたとしても、戦争自体に戦略的な影響を与えることはないだろう」と述べた。 東部ドネツク州のキリレンコ知事は国営テレビに対し、15人の子どもを含む559人の民間人がソレダルに残っており、避難することができないと述べた。□ ──────── ◎教皇出席の「世界青年の日」ミサ向け7億円余の祭壇支出に激しい批判 【CJC】ポルトガルの首都リスボンで今夏8月1~6日に行われるカトリック教会の行事「世界青年の日」を巡り、教皇フランシスコが出席するミサで使用される祭壇設置に市が500万ユーロ(約7億円)余り拠出すると発表され、交流サイト(SNS)で激しい批判が巻き起こっている。リスボン発ロイター通信報道を紹介する。 カルロス・モエダス市長は「祭壇の詳細は当局と教会、バチカン(ローマ教皇庁)との話し合いで決定した」とした上で、「非常に高額な」行事だと認めた。 SNSでは、インフレ加速の中で祭壇にこれほど高額な支出を行うことに数千人が市長批判を投稿。革新系である左翼ブロックの議員はツイッターに「問題は資金不足でなく支出の優先順位だ」と投稿した。 統計局によると、リスボンの家賃は2017年から53%上昇しているが賃金は依然低水準で、労働省によると昨年は労働者の半分以上が月給1000ユーロ以下だった。 「世界青年の日」には、世界から数十万人の青年が参加する。□
ミラノ・プラダ財団の展覧会でのコンスタンティヌス大帝巨像:2023/1/31-2/19
ウェブをググっていたら偶然見つけた。「Reimpiegare l’antico. La mostra alla Fondazione Prada di Milano」(https://www.artribune.com/arti-visive/archeologia-arte-antica/2023/01/reimpiegare-antico-mostra-fondazione-prada-milano/):別名Recycling Beauty
この展覧会は2023/1/31-2/19に、ボローニャで開催されるらしい。私はもちろん行くことはできないが、そこでの展示の中にコンスタンティヌス大帝の巨像のレプリカもあるらしいので、それをメモっておく。
思い起こせば、かつて2007年にトリーアを訪問したときにちょうど大展覧会が開かれていて(http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/atelier/constantinus_1700.pdf)、そこで目撃した記憶のある大帝巨像はその後どうなったのかとずっと思っていた。それと同一かどうかは不明なうえに、あてにならない私の記憶とはイメージがちょっと違っている気もする【まったく別のものと判明】。しかもこの写真やたら広角で撮っていてかなりいびつな感じがするが、ともかくその前に立っている女性との対照で、その巨大さが伝わってくるだけの意味あるわけだ。


その後ぐぐっていて、Factum Foundationによる本巨像複製作業工程の詳細を知ることができた。それだけでも一見に値するはずだ。特に冒頭の3D再現映像が奇をてらっていて面白い。https://www.factumfoundation.org/pag/1890/re-creating-the-colossus-of-constantin
ただ、コンスタンティヌスの後頭部は壁に接着されて平べったくなっていたはずのところ、今回の復元像では若干猫背になっているのは参考資料とされたユピテル神としてのクラウディウス像の影響によるものか。いずれにせよ、この展覧会のカタログあれば見てみたい。
【後日談】

古書で発注できました。新本90+送料20ユーロのところ、英国経由なので総計67.05ポンド、¥10600程度でした。現地の書店だと新本割引きで半額くらいになっていたりするのは知っているけど、なにせ重たいので旅行者には負担です。