樋泉先生の最新コラム(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19376): 終わりの方に、中国のいわゆる「ゲテモノ食い」の話が出てくる。彼も香港で犬を食したときのことを美味しそうに書いている。
3/1のも、私的には面白かった。広島がらみだったし:「明治人が喝破した「中国夢」の正体」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18826)。
樋泉先生の最新コラム(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19376): 終わりの方に、中国のいわゆる「ゲテモノ食い」の話が出てくる。彼も香港で犬を食したときのことを美味しそうに書いている。
3/1のも、私的には面白かった。広島がらみだったし:「明治人が喝破した「中国夢」の正体」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18826)。
3/29に触れた集団感染をめぐる、今後を見据え目配りの効いた、なかなかいい論評が出てきた。是非ともご一読を。https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200417/pol/00m/010/005000c?cx_fm=mailpol&cx_ml=article
現在、世界中の感染者は220万人で、死者は15万人を越えた(ま、感染者数の実数はその10倍だろうと皆が体感的に感じているが:https://digital.asahi.com/articles/ASN3X1CKYN3WUHBI021.html?iref=pc_rellink_02)。世界中で押さえ込みに狂奔しているおかげで、感染者は全体として減少傾向に転じていることも確かで、これは当時の世界総人口の22%にあたる死者1億人の黒死病や、世界人口の四分の一の5億人が感染し、死者1700万人から5000万人のスペイン風邪といった従来の真のパンデミックと違う状況といっていいだろう。全世界を挙げてまさしく壮大な実験中、といった趣きであるが、さてどのような結末になることやら。
ここで急場しのぎにテレワーク、テレビ会議が一挙に表舞台で寵児となりそうな気配で、実際、文科省・大学でもいつとも知れぬ通常授業開催を念頭にそちらへの対策を急いでいる(関係機器はマスクとご同様にすでに綺麗さっぱり店頭から消えてしまっている由:私はマックでよかった、最初からカメラ・マイクも組込まれているので、即対応できた)。https://digital.asahi.com/articles/ASN4L73DNN4BUTIL01S.html
まあこれで、旧態依然たる黒板教育や片方向の教育システムが変わることを期待したいところだが(5月の授業再開に向けての準備で、特にロートルの教員にとってはハードルが高くて、たいへんらしい)、これも所詮一過性にすぎない、との予測が容易につくのも、現在の学生にとって、スマートフォンは必需品でも、パソコンやタブレット端末、はてはプリンタはほぼ持たずに、リポート作成などを大学構内のパソコン室でやっているのがおおかたの現状なので、急ごしらえの対策で対応しきれるわけがないからだ。文科省だって先刻ご承知のはずのこと。https://mainichi.jp/articles/20200418/k00/00m/040/157000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60186?pd=all
スマートフォンよりも旧態依然たるパソコン派の私であるが、実はやっと、読書会をそれでやってみようとZoomを導入して先週接続実験し、今週は実際に試みる予定だが、普段見慣れない不気味な自分の顔や聞き慣れない自分の声をパソコン通じて聞くのは、しゃいな私にはどうも面はゆいのである(自宅ではいつも下着姿だし、背景に乱雑な室内も写るので場所も考えないといけない。とほほなのである)。これも慣れればどういったことないのかもしれないが。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60132?pd=all
渋谷での読書会は、毎週火曜日午後6時から90分開始。時間を決めて地下鉄なんかを利用して私は小一時間かけて、遠くは横須賀から、数名が一堂に会するという無駄に慣れた身がどれだけ対応できるか、自分でも「みもの」と思う。それに1か月休んでいたのも、意外にコロナ関係のお勉強に無制約で(予習に時間をとられず)没頭できてよかった、という思いも強いのである。
それにしても、「これではコロナでより先に他の病気で死んじゃう」という書き込みがどこかであったけど、怠け者の私にとってけして冗談ではないのであ〜る。先般春のセーターを通販で購入したが腹回りが窮屈なので、とうとう2Lなるものを発注するはめに (^^ゞ とほほなのである。
【後日談】とりあえず、ラテン語の会はやれる見込みがついた。私にとってスタジオは自宅の居間なので、生活感が目に入らないように一台のパソコンのカメラの視野に白色の襖が写るようにし、テレビ会議の間、家族が家にいない環境が必要だが、妻はむしろ喜んで孫どもと外食に行ってくれるわけで。
そうしたら、妻が職場から帰ってきて言うには、本当は5月だったが6月に延期になった講習会を一日かけてZoomでやるのに参加しないといけない、と。自ずとその環境もできたわけで、まあめでたしめでたしではある。
ま、健康管理できてない状況は退職以来これまで通りだが、以下のブログをみつけた。「なぜリモートワークの浸透が米国並みの格差社会につながるのか?」(https://www.mag2.com/p/news/449554?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_thu&utm_campaign=mag_9999_0423&trflg=1)。その要点は以下である。同意するしかない。
●リモートでも効率的にビジネスが出来る業種・職種を選ぶ:飲食業、旅行・観光業、娯楽業はだめ
●リモートワークに必須なツールを使いこなす:そんなにたいへんでもない
●長時間労働や労力ではなく、生産性と結果で勝負する人になるしかない:私はリタイア組なので、やる気になった時にやる、評価は気にしないですむが
アメリカ第七艦隊等の航空母艦の集団感染でごたごたあるのは知っていたが(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57370850Y0A320C2000000/?n_cid=SPTMG002)、フランスでも、原子力空母シャルル・ド・ゴールの全乗組員の6割の感染が確認された由、地元メディアが報道。ただ感染者の約半数は無症状らしい。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58241070Y0A410C2000000/?n_cid=NMAIL006_20200419_K

本来軍事機密のはずのこういった情報がどうして洩れるのか、その信憑性が気になるところ。何の情報も漏れてこない北朝鮮軍と比べると、のんきなものであるが、軍隊は典型的3密環境であれば、そこから推して知るべしなのかもしれない。マスコミは、金正恩首領様が映像に出なくなっていることに注目している。
さて、我が愛すべき自衛隊はどうなのか。クルーズ船騒動の時の無感染を誇る報道しか流れていないだけに、その後がちょっと気になる。以下は2週間前のコロナ後の世界新秩序のシナオリオ仮説、今でも状況は変わっていないだろう:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60040?pd=all
ところで、このブログ、これまで段落切れで一字送りにしてきたが、更新ごとに行頭に移ってしまう。それをこれまでいちいち修正していたが、いささか疲れたので、今後はその修正をしないことにしたので(私の感性だと本来許しがたいのだが)、ご了解願いたい。
NHKニュースだっけでみて、わろた。「妖怪アマビヱでコロナ封じ:写して人に見せなさい」。これこそ庶民が生き延びるための知恵だ。https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20200410001454.html;https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/過去には販売差し止めも…-対コロナ妖怪「アマビエ」が流行るワケ/ar-BB129e8T




ボクもこの金太郎飴をしゃぶりたくなった(翌朝注文した:ホームページhttp://www.kintarou.co.jpにいって、「企画商品」をクリック)。中国武漢も封鎖を解いたらしいし、段々感染者数は下火になってきている気配が。私の予想通り5月中に収束することを願いつつ。う〜ん、でもあの後手後手の嘘つき首相ではだめかも、ね。いや、実際には後手後手を演じていて、何か企んでいるような気もする。とにかく言動がキモいのだ:G7首脳の電話会議で本当は何話しているやら、全部公表してほしいものだ。
でもこの妖怪、黒死病のとき活躍?した「ペスト医師」medico della peste と姿がよく似ている、と思うのは、私だけであろうか。否、中世ヨーロッパの装束が出島経由で江戸時代に伝わっていた可能性があるのかも。最初の出現地、熊本だったらしいし。

黒死病で思い出したが、数日前にNHK BSで、フランス最古の質屋が1610年にアヴィニヨンのノートルダム・ドゥ・ロレット修道会によって設立されたが、それも17世紀の黒死病で疲弊した人々を支えるためだった、というのをやっていた。それをナポレオンが公益化して、現在でもそれは継続されていて、面白いなと思ったのは、質草が流れて競売された場合、貸付金・手数料以上の値がついたら、それは元の持ち主がもらえる、というシステム。いかにも庶民対象の質屋らしくてよかった。
ところで、大学図書館も封鎖されてしまい、自分の書架として利用している身からすると、大変困っている。ま、読むべきコピーは山ほど手元にあるのだが、それとこれとは違うような。
【補遺】これはアマビエではないが、バンクシーが自宅トイレの落書きを公開。ネズミは彼の得意キャラクターの一つではあるが、これってコレラの跳梁跋扈を連想させているのかも。https://www.cnn.co.jp/style/arts/35152533.html;https://www.j-cast.com/trend/2020/04/16384395.html

スペインやイタリアでは「医療崩壊」に続いて「葬儀・埋葬崩壊」が起こっているという。通常の2.5倍の死者で、感染症ということもあり、感染防止のため遺族は最後の面会もできず、葬儀業者も二の足を踏んでいるとか。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60217?pd=all



それで、紀元前5世紀後半にアテナイを襲った疫病や、14世紀の黒死病のときの死体の処理の仕方を思い出した。とにかく穴を掘って次々放り込むしかなかった。https://www.msn.com/ja-jp/news/world/14世紀半ば、全欧が怯えた「黒死病」パンデミック/ar-BB12seT4;https://www.jsvetsci.jp/veterinary/zoonoses/159.php;https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/011700018/?P=1;https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022400122/

この話で以下も思い出した。以前、コンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝のローマ攻防戦を扱った時に、マクセンティウス側の皇帝特別警護騎兵連隊専用墓地を調べていて、思いがけず以下のような情報に接していたからである。
2002年のこと、ローマ市城壁から東に走る現在のCassilina通り(かつてのVia Labicana)の、約3キロに位置する、Sacra Famiglia女子修道院とそれが経営する小学校の地下排水管が壊れた。修理のため下水溜め周辺が掘り返された時、シスターたちは驚くことになる。とんでもないサプライズに出会ってしまったからだ。翌年夏までに地下から5つの部屋が新発見され、その中から1000体以上の人間の遺骸が見つかったのである。出土遺物の調査結果から、一説では彼らは3世紀の初めのあるときに、ほとんど一斉に埋められたらしい。

その発見場所は、実はとりわけ特殊な場所だった。その女子修道院は広大な「Santi Pietro e Marcellinoのカタコンベ」群の上に建っていたからである。その墓地群は3層の回廊をもち最深部は地表から11mと、ローマ所在の最大級規模カタコンベの1つで、3世紀後半から4世紀にかけて拡張され総延長4.5キロにわたり、実に、2万から2万5千人の死者が埋葬されていただけでなく、ローマ市周辺の60のキリスト教墓地の中にあって、このカタコンベは壁面を飾る全壁画の三分の一を占めていた。なので当然のこと、最初は新たなカタコンベの部屋と考えられた。しかし実際は異教徒の墓だった。

その地所にはカタコンベ以前にも著名な前史があった。すなわちそこは元来、皇帝警護特別騎兵連隊 Equites singulares Augusti の墓地だった。この騎兵連隊は、1世紀末に皇帝トラヤヌスによって創設されたらしい。それが200年以上を経ての312年、コンスタンティヌスとマクセンティウスの内戦で、かの騎兵連隊はローマを守護するマクセンティウス側として戦闘に動員され、ミルウィウス橋の闘いの敗北後に勝者コンスタンティヌス大帝によって解隊の憂き目にあった。彼らの新旧兵舎は、現在のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂付近にあった。衆知のように、コンスタンティヌスが帝都ローマを掌握した後、その兵舎は没収された(一時皇后ファウスタが居所としたのは、新兵舎というよりも近所のラテラヌス家邸宅だったとすべきだろう)。旧兵舎のほうは皇母ヘレナに譲られ、現在はサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会及び周辺遺跡となって残っている。他方、新兵舎はキリスト教共同体に寄進され、現在のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂・宮殿となっていく。騎兵連隊の練兵場が、そこからラビカナ街道を3km東にいった「in comitatu」であり、そのそばの「Ad duas Lauros」に彼らの専用墓地もあった。そこが後にSanti Pietro e Marcellinoのカタコンベになった。

キリスト教時代になり地下墓地が掘削されただけでなく、地上には、コンスタンティヌス朝時代のローマ特有のチルコ型バシリカbasiliche circiformiで、巡礼教会堂のみならず、コンスタンティヌスの皇母聖ヘレナの霊廟も建てられた。彼女用にそこに安置されていた紫斑岩製の巨大な石棺は、現在ヴァチカン博物館に展示されている(もう一つの対面して置かれた同様の石棺は、現サンタニエーゼ・フォリ・レ・ムーラ教会横のサンタ・コスタンツァ霊廟にあったもの)。すなわち、騎兵連隊によって使用されていた時期に、この地はそこで奉職していた兵士たちのための墓地として使用されていた。なので、異教徒の埋葬の存在自体は驚くべきこととは言えないのである。



カタコンベは普通、loculi、arcosolia、cubiculaが隣接する回廊で成り立っているが、今般発見された2つの回廊に接続した部屋の構造(大きさ、形状、レベル)は異常であった。各々の部屋は高さ1mもの大量の人骨が折り重なっていた。ピサ大学の二人の人類学者によって2004年に一室で行われた調査では、50体以上が同時ないしきわめて短期間の間にそこに埋葬されたことが判明した。2005年と2006年の調査で、残りの6つの内2つの集団が対象とされ、160の遺体がみつかった。これらも交互に並べてほぼ10体の高さで積み重ねられていた。他の部屋でも精査が行われ、総計3000体以上が算定された。劣悪な保存状態にもかかわらず、生物学的研究は、若い成人(しばしば女性)が多く、子供が少なかったことを示した。また、処刑されたキリスト教殉教者を示すような骨の損傷は認められなかった。

最大の驚くべき点は、各々の墓の中での例外的葬送習慣だった。各々の遺体は、布で包まれて頭、足と交互に丁寧に並べられ、贅沢な埋葬品は見あたらないが、最初注意深く扱われ(後になると乱雑だった由)、頭から足まで白っぽい物質が振りまかれていた。幾人かのそれは極上の赤い粒子と金糸で覆われていた。実験室での調査で、遺体を覆っていた材質は漆喰と、バルティック沿岸由来の琥珀のような赤い残留物に同定された。葬送儀礼の独創性と使用された材質は裕福な社会層を示唆している。一つの仮説として、この集団埋葬が「マルクス・アウレリウスの疫病」の反復襲来の犠牲者だったのでは、という想定がなされていて、かなり説得力があるが、ただ、とりあえずの炭素14の調査では時期的にもっと早めの数字が出ているようで(この情報段階では、まだ一体だけの調査のようだが、後28-132年の間と出たらしい)、断定はできない状況ではある(Cf.,http://archive.archaeology.org/online/features/catacombs/;https://www.inrap.fr/en/catacombs-rome-thousands-victims-epidemic-12166)。
この件に最初出会った当時集めていた情報には、出土品の中にネロ時代や3世紀初頭のコインが含まれていて、といったのもあったはずだが、今回それはヒットしなかった。ま、コインが出土したからといってそれはその同時代性を意味しておらず、いわゆる「terminus post quem」(年代想定の)上限年代を示しているだけのことで、その後であればたとえ200年後の作業員が落とした可能性もあるわけだ。それにまた、当方入手の情報に時間的揺れもあって数字が必ずしも一致しないが、その埋葬状況から、時代がいつにしろ、それが疫病などの犠牲者で、短期間の間に大量の死亡者が出て埋葬されたというあたりの想定に間違いはないだろう。
余談だが、教皇フランシスコが2015年12月から翌年11月にかけて実施した「慈悲の聖年」Anno Santo della Misericordiaの折のこと、世界各国からの巡礼団向けに特別公開されていたこのカタコンベを見学する僥倖に恵まれた(掲示だといつでも予約で見学可能となっていても、連絡しても私のような個人レベルに対しては音沙汰がないのが普通なので)。いつか見たいものと思ってきたが、それを知らせ予約してくれた藤井慈子さんに深く感謝しなければならない(あろう事かその見学予定を失念していて、藤井さんからの電話でテルミニからタクシーで駆けつけたというおまけもあった(^^ゞ)。もちろんガイド引率のもと、内部撮影は許可されなかったものの、おおこのフレスコ画もここだったっけ、とか、写真での印象より思ったより小さいな、といった驚きと実体験にみちた見学であった。それほどに著名で保存のいい鮮やかなフレスコ画にあふれていたことを思い出す。その時我々は8年前まで行われていた発掘調査を知るよしもなく、担当した女性ガイドに確かめることもなく素通りしてしまったわけで、言ったところで、基本ボランティアのガイドが見せてくれるはずもないが、それでも万一の僥倖なきにしもあらずがイタリアなので、その点はかえすがえすも残念であった。




いつものことながら他をググっていて、偶然見つけた。現在発掘が進行しているポンペイ遺跡の第五地区で2018年5月に新発見された首なし遺体は飛んできた岩によって首が飛んだ、と解釈されていたが(それにしても、あのしゃれこうべは強烈な印象であったので、それなりに説得力あったが:
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2018/07/ancient-pompeii-victim-not-crushed-by.html#rqH59eTFZPPorzPz.97)、新たな死因が浮かび上がった、由。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/070300292/


「岩による圧迫死ではなく、火砕流に巻き込まれて窒息死したものと考えられます」とフェイスブックで発表したのだそうだが、私は釈然としない。
どうしたってイタリアでの考古学記事は、最初は新聞種になりやすいセンセイショナル な解釈が、多分に意図的に提示され、あとからなんとも散文的で陳腐な説明がされるようで、なんだかな、という感じである。
▼枢機卿の少年性的虐待、豪最高裁で有罪評決覆る
▼国連事務総長が宗教指導者らに新型コロナ感染防止を訴え
▼中国が新型コロナウイルス防御にバチカンへ医療用品支援
▼教皇、「枝の主日」祝うミサをライブ配信
▼伊でイースター商品のオンライン価格が高騰
▼ジャカルタのカテドラルも一時閉鎖
今回は二番目だけ紹介する。
◎ 国連事務総長が宗教指導者らに新型コロナ感染防止を訴え
【CJC】アントニオ・グテーレス国連事務総長は4月11日、宗教指導者らに新型コロナウイルスの感染拡大防止の取り組みを訴えた。共同通信などが報じた。キリスト教は12日がイースター(復活祭)、ユダヤ教は8~15日がペサハ(過ぎ越し祭)で、イスラム教は今月24日にラマダン(断食月)を迎える 。
家族や親戚が集まる宗教行事や礼拝は感染拡大の機会になりかねないとの懸念から、グテーレス氏は、宗教行事は「家族が集まり、抱きしめ合い、握手する機会」だが「今はいつもと違う」と指摘、「医療従事者に思いを致し、脆弱な人々を思い起こす」ことで「新型コロナとの共通の闘いに焦点を当てよう」と呼び掛けた。□
某学会から一昨日、古代ローマのスポーツについて月報にちょっと書きませんか、というお誘いが飛び込んできた。何分にもこれまで手を染めた分野でなし、だが守備範囲の周辺にちらほら見え隠れして気になっていたことでもあり、やらせていただくことにした。
まず思い浮かんだ対象は、拳闘・レスリングで、これはいうまでもなく「ペルペトゥア受難記」に登場しているからである。それだと、ローマのカラカッラ浴場出土で、国立ローマ博物館やバチカン博物館所蔵のモザイクや、アクイレイアの博物館のものが知られている。そういえば、このブログでも紹介済みのイギリスのヴィンドランダで新発見もあったなあ。でもまずはウェブ検索で、できるだけ未知で見栄えのいい画像を、と昨日パソコンにかじりついてしまったらしい。「らしい」というのは、その自覚がないままに没頭してしまったからで、結果、夜半過ぎに目がしょぼついて涙目となり(要するに、字が見えづらくぼやけ、悲しいとか感激しているわけでもないのにやたら涙が出てくる)、こりゃ駄目だと私としては早めに就寝したのだが、今朝起きてみるとやっぱり目がかすんで不調である。まあ日頃、テレビもよく見てはいるし、目を酷使しているのは確かである(その上、両目とも緑内障)。
それで上記の自己診断に相成ったわけで、思ったのは、若い時とはいえ、本を読んでこんなことになった記憶はないので、筆記用具と原稿用紙では意想外だが、こんな感じで仕事道具のディスプレイが疎外要因になっていくのか、という思いだった。それでせめてもの自衛策で、これまでも輝度は半分に落としていたのを、更に暗くすることにした。
でも、それだけ集中して探し回ったおかげで、いい画像を見つけた。それは私にはまったくの初見の、ギリシアのペロポネソス半島の根っこに位置する現在名Patra(s)出土の「技芸と運動競技の床モザイク」(パトラ考古学博物館所蔵)で、いかにも帝国東部の緻密な作りで、余裕があればコマごとに詳細に考察したい題材である:http://ancientrome.ru/art/artworken/img.htm?id=6394#sel=1:1,1:1;https://blog.mozaico.com/archaeological-mosaic-art-muse/

ただ、版権の問題もあって今回の件では使えないので、ここで紹介しておく(本当はここでもまずいかも、だが)。結局は自分で撮った画像がらみとせざるを得ないのが、残念。
それにしても、この機会に、「拳闘士競技・レスリング」が当時の格闘技の中でどのような位置づけだったのか(人気の程度や、催行場所とか)を明らかにしたいものだ。
このところ貴重な珍品の出品が続いているCNGのウェブ・オークションにまた出物があった。皇帝ネロの巨像colossusがらみのもので、しかも金貨と銀貨が。ちなみに、このコインたち、業者想定価格は、銀貨が$8500、金貨が$7500。銀貨の方が高いのはなぜだろう。それだけ品薄なのだろうか。


デザインと打刻銘文はまったく同じ(ただ明らかに彫り手は違っている):表側が右向き月桂冠着装の皇帝ネロ(銀貨のほうは顎髭あり)、銘文は「NERO CAESAR」。裏面は、皇帝が放射冠をかぶって、トーガ姿で全体は正面を向いているが、左足をやや折り曲げ、右手に小枝、左手に円球の上に立つ女神Victoria像を持し、皇帝の顔は女神に向いている。銘文は「AVGVSTVS GERMANICVS」。彼の正式称号はNero Claudius Caesar Augustus Germanicusなので、ちゃんと符合している。
このコインが注目されるのは、裏面の皇帝立像が、最初彼の黄金宮の前庭に建てられた高さ30メートル(台座含みで37メートルか)の巨像を彷彿させるからである。というより実際には、コインのデザインが巨像の復元において影響を与えている、というべきであろう。ただ、コロッセウム関係のコインのデザインを見てみると、共に巨像が描かれているものは多くない(ゴルディアヌス3世のみで、ティトゥス[その理由は、コロッセオ近くへに移動はハドリアヌス帝時代のため]、アレクサンデル・セウェルスにはない[悪帝コンモドゥスを想起させるからか]:メタ・スーダンスのほうは確実に描かれている:なお、東側の、右に描かれている建物が今一明快でないので、識者のアドバイスをいただけたらと思っている:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)。


上掲のゴルディアヌス打刻コインの裏側も機会があれば詳しく触れたい興味深い物件である。皇帝ハドリアヌスがかの巨像をフラウィウス円形闘技場の西北に移動させた件は、拙稿「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」豊田編著『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版, 2016年,87頁あたりで多少触れたことがある。
【付論】ところで、この巨像は金メッキの青銅製で中は中空だった。そしてその片足(たぶん上の想定図だとまっすぐの右足のほうか)の内部に、おそらく螺旋状の階段があり上に登れる構造となっていたらしい。私的には肘置き台のほうがありえると思うのだが。その階段の一部と称するものがトラヴァーチン製で残っていて、それが東から聖道Via Sacraを登り切って、ティトゥス凱旋門の手前、現在入場口となっている場所の右側になにげに放置されている(https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Gazetteer/Places/Europe/Italy/Lazio/Roma/Rome/_Texts/PLATOP*/Colossus_Neronis.html)。それが巨像の階段だったと断定されている根拠を、私は知らない。住宅の階段のように、こっから上は案外木製だったのかもしれない。いや皇帝の建築だからそんなことないか。

【追記】2020/5/30のCNGでは、上記ネロ帝金貨が、想定価格5000ドルで再登場している(2500ドルもコストダウン!)。現在入札は4人目で3500ドル。銀貨は売れたのだろうか。
論文検索していて、偶然見つけた。使いこなせればなかなか有用に思える。”ORBIS:The Stanford Geospatial Network Model of the Roman World.” 19 November 2014(http://orbis.stanford.edu/). 人も物も、そして感染症もこれらを通じて移動していく。
